第20話 浴衣姿と、取り合う手
ついに、花火大会当日を迎えた。
それでも、栞はいつも通りの時間に家にやって来て、今日もしっかりと課題のノルマは完了させている。
そんな真面目なところも栞らしいと思うと、自然に頬が緩んでしまう。
まぁ……。
栞を前にすると、手の平にじっとりと汗がにじむくらい緊張するんだけど。
──今日、俺は栞に告白する。
その決意は、今のところ揺らいではいない。
栞はさっき母さんに呼ばれて、今は浴衣の着付けの真っ最中。俺は一人、自分のベッドに腰掛け、大きく息を吐き出した。
ところで、告白ってなんて伝えればいいんだろう。
栞は、俺が初めて好きになった女の子だ。告白をするのもこれが初めてだし、ましてや、告白されたことなんて一度もない。
栞のことを考えれば考えるほど、心臓はその鼓動を速めていく。
ほんのわずかに、ためらった。
でも、抑えが効かない。
「……栞」
そっと名前を呟いてみると、胸のあたりがきゅっと苦しくなる。
「好きです。俺と、付き合ってください」
試しに声にした言葉が、静かな部屋の空気に溶けて消えていく。
まさに、シンプルイズベストを体現したようなセリフ。これが正解なのかは、よくわからない。
けれど、駆け引きなんて高度なことは俺には無理だ。それに、栞に対しては下手な策を弄したりはしたくない。
ただ真っ直ぐに俺の気持ちを伝えて、受け取ってもらえれば、それが最高だ。
「なんて……直前で怖気付かなきゃいいけど」
「……なにに怖気付くの?」
「それは──って、栞っ?!」
気が付くと、部屋のドアがほんの少し開き、そこから栞が顔を半分だけ覗かせていた。その頬は、ほんのりと赤く染まっている。
……どこから聞かれてた?
焦る俺を他所に、栞は照れくさそうに笑いながら、ゆっくりと部屋に入ってくる。
「えへへ……お待たせ、涼。お着替え、終わったよ」
栞の声が、耳を素通りしていく。
栞の全身を捉えた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
制服とも、私服ともまるで違う、特別な装い。
紺色の生地に、大輪の朝顔がいくつも咲いている。その浴衣は決して派手ではなく、むしろ、栞の魅力を引き立てるために存在しているようで。
さらに栞は、普段はおろしている髪をお団子のハーフアップに結い上げていた。
……綺麗だ。
それ以外の言葉が、何ひとつ思い浮かばなかった。自分の乏しい語彙力が恨めしい。
まさか母さんがこんな浴衣を持っていたとは、なんて思ったのは一瞬のことで、俺はただただ栞に見惚れていた。
栞はその場でくるりと一回転すると、こてんと小首を傾げる。
「……どう、かな? 変じゃ、ない?」
「あ、うん……全然変じゃないよ。すごく、似合ってる」
どうにか声を絞り出すと、栞は嬉しそうに微笑む。その笑みがまた、俺の鼓動を加速させた。
「……良かったぁ。水希さんには太鼓判もらったんだけどね、やっぱりちょっと不安で……。あの、ね……涼にそう言ってもらえるのが、私、一番嬉しいよ」
これは……。
もう脈ありどころではないのでは?
むしろ、すでに恋人同士なのでは?
……。
いやいや、落ち着け。
勝負はこれからなんだから。
浮かれすぎて、とんでもないことやらかすのはまずい。
俺はこっそりと呼吸を整えて、もう一度しっかりと栞に目を向ける。栞もじっと見返してきて、無言で見つめ合うだけの時間が流れた。
やっぱり、すごく可愛いな。
いつも可愛いけど、それ以上に。
栞は一歩、また一歩と歩み寄ってきて、俺の隣に静かに腰を下ろした。
肩がぶつかる。離れない。それどころか、少しだけ俺に身体を預けてくる。その仕草は、どこか甘えているようにも感じられた。
「ねぇ、涼」
「うん、なに?」
「今日は……いっぱい楽しもうね」
その言葉は、普段通りの栞の声だった。
なのに、どこか違うようにも聞こえる。
……気にしすぎかな。
まぁでも、楽しむことに異論はない。
「……そうだね」
そう答えながら、俺はどうしようもなく栞を抱きしめたくなっていた。
もし今日、栞と恋人同士になれたら──
自然と肩を抱き寄せられるようになるのだろうか。
いっそここで伝えてしまおうかという気持ちが大きくなる。でも、ぐっと抑え込んだ。
栞も女の子だ。きっと、ロマンチックな雰囲気の中で告白した方が喜んでもらえるだろう。
だから、今じゃない。
大丈夫、あと少し待つだけでいい。
やがて、階下から母さんの大きな声が響いてきた。
「二人ともー! そろそろ出た方がいいわよっ。近くまで送っていってあげるから、降りてらっしゃーい!」
横を向くと、栞も俺を見ていた。ほぼ同時に頷き合い、立ち上がる。
「今行くー!」
短く母さんに返事をして、俺たちは揃って部屋を出た。階段の手前で、栞が立ち止まる。
「……涼。浴衣で階段、ちょっとだけ怖いから──手、貸してほしいな」
上目遣いでお願いされて、俺は慌てて服で汗を拭って手を差し出した。
「う、うん」
すかさず、栞のひんやりした指先が俺の手をちょこんと掴んだ。
「ありがと」
栞はそう言って、一段一段確かめるように、慎重に階段を降りていく。俺は、栞がバランスを崩さないかヒヤヒヤしながら、しっかりと横についていた。
階段の下では母さんが待っていて、俺たちを見るとくすりと笑う。
「涼。その調子で栞ちゃんのこと、ちゃんと支えてあげるのよ。浴衣って歩きにくいんだから」
「……わかってるよ」
母さんにはぶっきらぼうに答えながらも、俺は栞の手を離さなかった。
現地は、人も多いだろう。
はぐれたりなんかしたら、探すのも一苦労だ。
そんな言い訳を考えつつも、実際はただ、栞と触れ合っていたかっただけ。
だから──
告白をするその時までは、このままで。
そう思いながら、俺は少しだけ指に力を込めた。
玄関を出て、車の後部座席に栞と並んで乗り込む。母さんがエンジンをかけると、車は茜色に染まるアスファルトの上を静かに滑り出した。




