第19話 背中合わせの、すれ違い
花火大会の前日。
栞は今日も、俺の家にいる。
「ねぇ、涼。ちょっと背中貸してくれない?」
栞がそんなことを言い出したのは、俺の部屋のエアコンがようやく効き始めた頃だった。
課題のノルマを終えた後は、決まってリビングから俺の部屋に移動する。漫画やラノベを読んだり、他愛もない話をしたり。
それが、いつの間にか当たり前になっていた。
「背中? 別にいいけど……」
「……ありがと。それじゃ失礼して──よいしょっ」
可愛らしい掛け声とともに、背中に重みが加わる。最初は意味がわからなかったが、どうやら栞は俺に背もたれになってほしかったらしい。
夏休みに入ってから、栞はこうしてやたらと距離を詰めてくる。課題をやっている時もそうだ。
最初は袖口がかする程度だった。それが今じゃ、どこかしらが触れ合っているのが普通になりつつある。
ここまで来ると、さすがの俺も思うことがある。
もしかして栞も、俺を好きなんじゃないか──って。
いや、都合よく考えすぎなのかもしれないけど……。でも、だからこそ確かめたい。
栞に告白して、それで──
今までは、自分から誰かに告白するなんて、考えたこともなかった。けれど、今は自分から栞に想いを伝えたいって思っている。
だって、この関係が始まるきっかけは、栞が作ってくれたから。そのおかげで、俺は人を好きになる気持ちを知った。
だから、今度は俺から伝える。
チャンスはすぐそこにある。誰がなんと言おうと、花火大会は俺と栞の初デートだ。
そのどこかで──
花火の音にかき消される、なんてベタなオチは絶対に避けたい。ちゃんと言葉にする勇気はたぶん、一度きりだから。
なら、最後の花火が消えた後に。一番気分が盛り上がっているであろうその瞬間に。
きっと伝えよう。
ぴたりと触れる栞の体温を感じながら、俺は一人、覚悟を決めた。
そんな時だった。
背中越しに、かすかな震えが伝わってきた。
俺用に設定したエアコンの温度は、栞には寒かったのかもしれない。俺はバランスを崩さないよう気を付けて手を伸ばし、リモコンを掴み取る。
そして、黙って設定温度を少しだけ上げた。
……これくらいで、ちょうどいいといいんだけど。
◆side栞◆
涼の体温が、じんわりと伝わってくる。
涼の家に通うようになってから、少しずつ、少しずつ距離を詰めて。ようやく、こうして背中を預けられるところまで来られた。
触れ合うだけで心地良くて、幸せで。
やっぱり大好きなんだなぁって、思い知らされるの。
なのに……。
私の心を満たすのは、温かな幸福感だけじゃなかった。
冷たくて重いなにかが、胸の奥の、もっと深い場所から迫り上がってくるような、そんな感覚に襲われる。
ううん、違う。
それは、涼と出会うよりも前から、ずっとそこにあった。
ただ、涼の優しさに触れて、穏やかな時間に身を委ねて、見て見ぬふりをしていただけ。
その冷たいなにかが、今、涼にまで手を伸ばそうとしている。
心臓が、嫌な感じにドクドクと脈打つ。
その鼓動に重なるように、頭の中に声が響いた。
──どうせまた、裏切られるのに。
違うっ! 涼はそんなことしないもんっ!
私は必死で否定する。
でも、その声は止まらない。
より冷淡に、諭すように、私に恐怖を突きつける。
──またあの痛みを、苦しみを味わいたいの?
それは……絶対に嫌……。
──なら、ここまでにしておきなさい。もう十分に楽しんだでしょ?
それしか、ないのかな……。
自分の声に抗おうとすればするほど、胸の奥がじわりと冷えていく。
気が付いた時には、暗く冷たい感情が私を飲み込んでいた。
信じたいのに、信じられない。
好きなのに、怖い。
相反する感情が、私を内側からぐちゃぐちゃに掻き乱す。
身体が、震える。
心だけじゃない。手も足も、指先まで冷え切っていく。
そうだよね。
ダメ、だよね。
こんな私が。
まともじゃない私が。
誰かを好きになるなんて、無理に決まってるんだよね。
私は涼が好き。
この気持ちだけは、もう揺るがない。
でも、心の全部で、涼を信じ切ることができない。
それはつまり、どこかで疑ってるってこと。
疑い続けているってこと。
そんな私に、これ以上涼を付き合わせられないじゃない。きっといずれ、涼を苦しめる結果になるから。
なら、早いほうがいい、よね……?
明日の花火大会は、絶対に行く。
もう、約束しているから。
だから、それで最後にする。
せっかくなら、綺麗な思い出にしたいな。
それくらいのわがままなら、許されるかな?
明日だけは、気持ちを切り替えて、思いっ切り楽しもう。涼と一緒に、やりたいことを全部やって。その時だけは、好きな気持ちも抑えない。
それで。
花火が終わった後の、ちょっとだけ寂しい空気の中で──
なにもかも全部、ぶちまけてしまおう。
大丈夫。
涼なら、きっとわかってくれる。
……なんて。
そんなことを思うのは、都合が良すぎるかな。
たぶん、怒るよね。
嫌われちゃうかもしれない。
でも、そうしたら──
さよなら、しやすくなるから……きっと。
…………。
やだよ。
こみ上げそうになる涙を、私はぐっと押し留めた。ここで泣いたら、ダメ。
でも、でも──
そんなの、やだよぉ……。
けどね、こうするしかないって思っちゃったの。
ごめんね、涼。
それと、ありがとう。
私ね……。
涼が初恋、だったんだよ。
あぁ、辛いなぁ。
こんなに辛いなら──
最初から好きになんて、ならなければよかったなぁ……。




