第14話 待ち合わせと、栞の素顔
夏休みの初日。
明日のことを考えると無性に落ち着かなくて、ひたすら部屋の片付けをしているうちに夜になっていた。
床に散乱していた読みっぱなしのラノベや漫画を本棚に押し込み、念入りに掃除機をかける。もし栞に散らかり放題の部屋を見られたらと思うと、細かいところまで気になって仕方がなかった。
「あのさ、母さん……」
夕食の後、洗い物をしている母さんに、躊躇いがちに声をかける。
「明日、家に友達が来るんだけど……いいよね?」
ガシャンと派手な音が響いた。
たぶん、食器を落としたんだと思う。
「えっ、は? 友達? あんたの?」
「そうだけど……なんか問題ある?」
「問題っていうか……それ、涼にしか見えない友達じゃないわよね?」
「実在の人間だってば! うちで一緒に夏休みの課題やることになってんの!」
「……これ、現実よね?」
母さんは本気で信じられないようで、自分の頬を指で抓っていた。
「疑いすぎじゃない……?」
「だってあんた、今まで一度だってそんなことなかったじゃないの」
「それは、そうだけど……」
「騙されたりしてない? ほら、お金たかられたりとか。本当にお友達なの?」
「おい、失礼だなっ!」
思わず、声が大きくなる。
「俺にだって友達の一人や二人──」
言いかけて、止まった。
いや、一人しかいなかったわ……。
自分で言っていて、少しだけ悲しくなってきた。
でも、いい。
今は栞がいてくれる。それだけで十分なのだから。
「とにかくっ、これ以上変なこと言うと怒るからな!」
「……そっか。そういうことなら、いくらでも連れてきなさい」
「ん……ありがと」
「けど……まさか涼に、そんなお友達ができる日が来るなんてね。……良かったわ」
怒ると言ったばかりだが、そう言った母さんの声が掠れていた気がして、俺は反論を飲み込んだ。
たぶん俺は、思っていた以上に、ずっと心配をかけてきたのだろう。
なんだかいたたまれなくなって、俺は椅子から立ち上がる。そそくさと自室に戻ろうとすると、背中に声がかかる。
「涼……」
振り返れずにいると、少し間を置いて、母さんが言った。
「そのお友達、大事にしなさいよ」
返事は、しなかった。
できなかった、の方が正しいかもしれない。
だって、そんなこと言われなくてもわかってるから。……たぶん、だけど。
***
翌日。
昼ごはんを食べて一息ついた後、俺は家を出て最寄り駅へと向かう。歩いて五分程度の距離だが、燦々と照り付ける太陽のせいで、じっとりと汗がにじんでくる。
けれど、これから栞と駅で待ち合わせだと思うと、自然と足が早まっていた。
栞から伝えられた電車の到着の時間までには、まだ余裕がある。駅に着いた俺は改札近くの日陰に陣取って、そわそわと落ち着かずに空を見上げた。
「……早く来ないかな」
ぽつりと独り言がもれた。
これも長年のボッチ生活の賜物か。人に聞かれたら、怪しまれていたかもしれない。
やがて、定刻ぴったりに電車がホームへと滑り込んできた。少し遅れて、改札からまばらに人が出てくる。
平日の昼過ぎということもあってか、利用客はまばらだった。
数人が駅から出ていったが、肝心の栞の姿は見当たらない。
もしかして、乗り損ねた?
いや──
もしそうなら、栞の性格を考えれば、必ず連絡の一つは入れてくれるはずだ。
じゃあ……連絡すら入れられない、なにかが起こったんじゃ。
嫌な想像が頭をよぎり、俺は慌ててポケットからスマホを取り出し栞の連絡先を呼び出す。
悠長に文章を打ち込んでいる余裕はなく、通話を選択した。
耳元でコール音が鳴り響く中、最後にもう一人だけ、駅の奥から改札に向かってくる人影が見えた。
たぶん、俺と同じ年頃の女の子。
こんな状況じゃなければ目を奪われていたかもしれないほど、整った顔立ちをしている。
……でも、栞じゃない。
そう思った瞬間、その女の子が改札を抜け、スマホを耳に押し当てた。ほぼ同時に、俺の方でもようやく通話が繋がる。
「どうしたの、涼? なんで目の前にいるのにかけたの?」
『どうしたの、涼? なんで目の前にいるのにかけたの?』
わずかにタイミングをずらして、同じ声が二つ重なった。
気が付けば、さっきの女の子がすぐ正面に立っていた。大きな瞳が、じっと俺を見つめている。
「もうっ、無駄だから通話切っちゃうよ?」
『もうっ、無駄だから通話切っちゃうよ?』
また、同じ現象が起きた。
片方は、目の前の女の子から。
もう片方は、耳元のスマホから。
同じ声、同じ言葉。
通話は、ぷつりと切れた。
「……えっと」
理解が追いつかない。
「栞……なの?」
「そうだよ。……えっ? まさかとは思うけど、私だってわからなかったの?」
今でも、半信半疑なのだ。
声も、話し方も、仕草だって、確かに栞のものなのに。
あんなに訳ありげだった前髪が、嘘みたいに短くなっていて──
「いや、それでわかれっていうのが無理あるというか……」
「えーっ、涼ならすぐにわかってくれると思ってたのになぁ。冷たいなぁ、涼は」
栞は拗ねたように、ぷくりと頬を膨らませた。
「……うっ、ごめん」
反射的に謝ると、栞はすぐに表情を緩めて、短くなった前髪を揺らしながら照れたように笑う。
「なーんてねっ、別に怒ってないよ。自分でも、わかってもらえないかもなぁって思ってたし」
それから、少しだけ言い淀んで。
「それでね……かなり思い切ってみたんだけど……どう、かな? おかしいとこ、ない?」
変だって?
そんなのとんでもない!
「……めちゃくちゃ、可愛いよ」
「……可愛い?」
一瞬、栞が目を瞬かせた。
「──あ、いや、なに言ってんだ、俺……。ごめん。でも、すごく似合ってるから」
「……そっか。えへへ」
栞は確かめるように呟いてから、ふにゃりとはにかむ。そして、そっと俺に一歩近付いた。長い睫毛に縁取られた、ほんのりと潤んだ大きな瞳に俺が映り込む。
初めて、栞と真正面から目が合った。
胸が、ぎゅっと締め付けられるようで。
「ありがと、涼。嬉しいよ」
栞の顔が赤い。
俺も、顔が熱い。
見た目で好きになったわけじゃない。
そのはずなのに、こんなの、もっと──
「ところで……どうして突然──」
その先は言葉にならず、宙に浮いた。
不意に、栞が俺の手首を掴んだから。
まるで逃さないって言うみたいに、強く。
髪を切ることにしたの、って聞きたかったのに。
でも……まぁ、いいか。
栞が笑ってるなら、それで。
「ねぇ、涼。ここ、暑くない? 早く涼のおうち行こうよ」
そう言って、栞は俺の腕を引いて歩き出す。
「えっ、ちょっ! 栞が先に行っても場所わからないでしょ?!」
「あっ、そうだったね。へへ、気が急いちゃって。それじゃ、案内よろしくね?」
「う、うん……」
今度は、横に並ぶ。
それでも、栞は俺の腕を離さなかった。
手を繋いでいるわけじゃないのに。
腕越しに伝わる栞の手の熱に、心臓がうるさく跳ね回る。
──大事にしなさいよ。
昨夜の母さんの言葉が、遅れて胸に落ちてきた。
その本当の意味が、今ならわかる気がした。




