第120話 帰り道と、猫みたいな栞
俺たちがフードコートに戻ると、遥と楓さんはすでにそこにいた。
「……ごめん、待たせちゃったかな?」
「んや、時間ぴったりだぜ。俺らはまぁ……こいつが途中でへばりやがったから、先に来て休んでただけだぞ」
「なははっ! ちっとはしゃぎすぎちゃったけど、もう完全復活してるもんねーっ! で、どう? そっちも楽しめ──……あれ?」
俺の横にくっついている栞の姿を見た瞬間、楓さんは目をぐりんとさせて首を傾げた。
「……どったの、しおりん? なんか元気ない?」
「え、あ、ううん。そんなことないよ。ここ来る前に、私、男の人に絡まれちゃって……それがちょっとしつこくて──それだけのことだから」
「……えぇっ?! もしかしてナンパ?! 高原くんがついてたのに?!」
「いや、俺がトイレ行ってる間にね。数分もかからないくらいだったんだけどさ……。念のため、これも着てもらってたのに。というか遥──ラッシュガード、全然役に立たなかったじゃん」
遥に文句を言っても仕方ないとは思いつつも、止められなかった。遥はラッシュガードを着たままの栞をちらりと見て、それから俺に視線を戻してため息をついた。
「んなこと俺に言われてもなぁ。そんだけ黒羽さんが目を引くってことなんだろ。彼氏のお前が気を付けてやらねぇでどうすんだ」
正論で返されて、俺はぐうの音もでなかった。でも、もしかすると俺も誰かにこう言ってもらいたかったのかもしれない。
トイレなら、遥たちと合流してから行けばよかったって思ってしまったから。
「そんなことよりっ!」
そう叫んで、楓さんは栞をぎゅっと抱きしめた。そして、栞の頭を優しく撫でる。
「よしよし、しおりん。怖かったねぇ」
「……うん。でも、涼が守ってくれたから……本当に平気だよ」
「へぇ。やるじゃん、涼」
「さっすが高原くんっ! まぁ、こうやって二人で戻ってきたし、そうだとは思ってたけどね!」
「……いや、俺も普通にビビりまくってたよ? でも、栞を連れてかれて困るのは俺だからさ」
「そういうの、サラッと言えるのが高原くんのすごいとこだよねぇ。遥も高原くん見習ってさぁ、たまにはキュンとくるセリフの一つも──って、いったぁっ?! なーにすんのっ、遥っ?!」
遥のゲンコツが、楓さんの頭に落ちていた。
「言わねぇつってんだろが!」
相変わらずな二人だが、おかげで空気が緩んだ。頭を押さえる楓さんを見て、栞もくすくすと笑う。
「……ふふっ。彩香たち、またやってる」
「あっ、よかったぁ。しおりん、笑ってる!」
「だって。余計なこと言わなければ、彩香も叩かれることなかったのに」
「いやいやっ! これはねぇ、あえて道化を演じることで、しおりんを笑わせようという高度な作戦なわけよ! おわかり?」
「んなこと微塵も考えてなかったくせに、よく言うぜ」
「うっさい、遥! 結果良ければ全て良しなの! でもさぁ──これからどうしよっか? もうちょっと遊んでこうかと思ってたけど……もし、しおりんの気が乗らないなら、もう帰る?」
全員の視線が、じっと栞に集まった。栞は少しだけ考えて、小さく首を横に振る。
「ううん。私も、もう少しだけ遊んでいきたいかな。最後があんなんじゃ……嫌だもん」
「おっけおっけっ! そいじゃあ、嫌なことなんて忘れちゃえるように、ぱぁーっと遊んじゃいますかぁっ!」
「……ごめんね、わがまま言って」
「なんのなんのっ。誘ったのあたしらなんだからさ、楽しかったって締めくくってもらいたいじゃん? ねっ、遥、高原くん?」
「んだな」
「そうだね」
「ってなわけで、ゆくぞものどもーっ!」
元気よくぴょんと跳ねて、楓さんが先頭を行く。そのあとに遥が続いて、栞が俺の手を引いた。
「ほら、涼も。行こっ?」
少なくとも、表情だけはいつもの栞の笑顔に戻ったみたいだった。無理してるんじゃないかとも思ったが、話を蒸し返して、また笑顔を曇らせたくはない。
だから俺は頷いて、栞の手をしっかりと握り返した。
「うん。栞はなにしたい? 思い残しがないようにさ、栞のしたいこと全部しようよ」
「じゃあね、またウォータースライダーがいいな。なんかちょっとね、叫びたい気分なの」
「りょーかい。楓さん、栞がウォータースライダーやりたいって!」
俺は少し距離が空いてしまった楓さんに向かって声を張った。楓さんは振り返らずに手を上げて、オッケーのサインを返してくれた。
それから、午前中と同じようにウォータースライダー三昧が始まった。何度も何度も二人で滑って、栞はずっと楽しそうに声を張り上げていた。
陽が西に傾いて、辺りが茜色に染まり始めた頃──俺たちは帰路に着いた。電車に乗り込み、ボックスシートに四人で腰を落ち着けた途端、疲労感で眠気に襲われる。
あくびを噛み殺していると、ぽすんと肩に重みがかかった。横を見れば、穏やかな寝顔があった。
「ありゃ? しおりん寝ちゃったねぇ。たくさん遊んで疲れちゃったのかな?」
「楓さんはまだ元気そうだね。寝落ちするほどじゃないけど、俺もわりと限界なのに」
「ふっふっふっ、鍛え方が違うのだよ。って言っても、ただ慣れてるってだけだけどさっ! 眠たいなら、高原くんも寝ちゃっていいよ? 乗り換えの駅着いたら起こしてあげるし」
「いや、俺は起きとくよ。一回寝ちゃうと、そのあと大変だしさ」
栞を、ちゃんと連れ帰らないといけないから。
さらりと、栞の顔にかかった髪を指先で払った。肩にむにっと押し付けられた頬が露わになって、俺は口元を緩める。
多少の疲れなんて、この愛らしい寝顔を眺めていれば癒えてしまう気がした。
「それにしても──」
誘われるように、楓さんの指先が栞の頬をぷにっと突いた。それから逃れようとしたのか、栞は口をむにゃむにゃさせて、さらに俺に身を寄せてくる。
「ふふっ。かぁわいいなぁ、しおりん。こうして見るとさ、入学したての頃からすごく変わったよねぇ。なんか、しおりんって猫みたいじゃない?」
「そうかな?」
楓さんの言葉に、俺は首を傾げた。
言われてみれば、栞の甘え方は猫っぽい気がしないでもないけど。
「だってさぁ──なんて言うのかなぁ。最初は警戒心むき出しの野良猫っぽかったじゃん? 絶対に誰も信用しないぞ! みたいな」
「あー、確かにね」
事情を知った今となっては、そうなってしまったのも頷けるが──図書室で会話をするようになったあとの俺でさえ、教室では近付くなって雰囲気を感じていたくらいだった。
「それがさぁ、今じゃこんなに高原くんに甘えちゃって。甘えん坊で可愛い家猫ちゃんって感じじゃん? あたしよく動画とかで見るんだよねぇ。保護猫のビフォーアフターみたいなやつ」
「あはは、なにそれ」
今の栞と、人の愛情を一身に受けて可愛らしく変わった猫の姿が重なって見えて、俺は思わず笑っていた。
「ま、黒羽さんにとっちゃ、そんだけ涼の側が居心地がいいってこったろ。涼も黒羽さんのこと、溺愛みてぇだしな」
遥がにやりと笑う。それが照れくさくて、俺はまた栞の寝顔に視線を落とした。
栞のおかげで、俺は変われた。
溺愛なんて、するに決まってる。
栞に暗い顔は似合わない。
いつだって俺の隣で笑っていてほしい。
そのためなら、俺はどんな努力だって惜しまないだろう。
そう思えるくらい、俺は栞のことが大好きだから。
栞にはずっと、穏やかにすごしてほしいし、幸せでいてほしい。
いや──俺が幸せにしたい。
だから、今日みたいなことで怖がってるようじゃまだまだだ。
……俺、もっと頑張るからね。
心の中でそっと呟いて、俺はゆっくりと栞の頭を撫でる。栞はもっとと言うように、自分からすりすりと頭を押し付けてきて──
その身体がかすかに震えていることに、俺は気付けなかった。




