第116話 昼食と、二本のストロー
俺たちが向かったのは、施設内にあるフードコート。だだっ広い空間にパラソル付きのテーブルが無数に置かれ、その外周をぐるりと取り囲むように飲食店が軒を連ねていた。
ここがプールだってことを忘れそうなくらい種類が豊富で、ハンバーガーのようなファストフードから、うどんやラーメンなどの麺類、カレーや定食を扱う店もある。さらには、クレープやジュース、ジェラートといったスイーツ系まで取り揃えられている。
「あたしラーメンにしよーっと! しおりんと高原くんはどーする? なんでも好きなの頼んでいーよっ!」
「おい彩……。しれっと俺だけ除け者にしてんじゃねぇぞ」
「えー? あたし遥にも奢るなんて言ってな──あぁぁぁぁいったぁいっ!!」
遥のアイアンクローが、見事に楓さんのこめかみにキマっていた。
「俺がっ、一番っ、迷惑かけられたんだがっ?!」
「いたたたっ!! いたいいたいっ!! 冗談っ! 冗談だってばぁっ! ちょっと言ってみただけだってぇっ!」
暴力はよくないが、これが二人の愛情表現なのかと思うと、どこか微笑ましく見えたりもする。栞もだいぶこれに見慣れてきたのか、呆れたような顔をしていた。
とまぁ、そんなこともありつつ、各々食べたいものを決めていく。
栞はソバを、俺はうどんを。つい楓さんの懐事情が気になって、お手頃なものを選んでしまった。遥だけは容赦なく、トッピング増し増しの大盛りラーメンを注文していた。
ちょうどよく空いていた席に四人で座ってずるずると麺を啜っていると、頬をぱんぱんにしたまま楓さんが話し始める。
「ほういへばなんらへど──」
「彩香、お行儀が悪いよ。ちゃんと飲み込んでから喋りなさい」
さっきは先生っぽかった栞だが、今度はお母さんのように注意する。楓さんも栞に逆らうとまた怒られると悟ったのか、大慌てでもぐもぐごっくんと飲み込んで、改めて口を開いた。
「そういえばなんだけどねっ! 午後からは、別行動にしよっか?」
「別行動って……楓さん、あれだけ栞と遊びたがってたのに、いいの?」
「そりゃ、まだちょっと物足りないけどぉ──別にこれがしおりんと遊べる最後のチャンスってわけじゃないしさっ。それにほら、どうせしおりんのことだから、高原くんと二人きりでも遊びたいだろうなぁって。いやぁ、さすがあたしっ! 気が利くぅっ!」
「ふぅん……なら、お言葉に甘えてそうさせてもらっちゃおうかなぁ。でも彩香、その前に──」
そう言って、栞はちょいちょいと楓さんに手招きをした。耳を貸せ、ということらしい。
それからなにやら二人でひそひそ話が始まった。俺と遥は完全に蚊帳の外で、なにを話しているのかもまったく聞き取れなかった。
しばらくして話がまとまったのか、二人はにんまりと笑って頷き合った。
「……んで、こそこそとなに話してたんだよ?」
「ふっふっふっ、そいつぁまだ言えねぇなぁ。ねー、しおりんっ?」
「栞、俺にも教えてくれないの?」
「ふふっ、なーいしょっ。たぶんすぐわかるから、とにかく早く食べちゃお」
こういう時の栞は、なにがあっても本当に教えてくれないことは俺も身をもって知っている。というわけで、俺は早々に残っていたわずかなうどんを食べ尽くした。
四人全員の食事が終わると、栞と楓さんが目配せをして、揃って立ち上がった。
「あたしらでお皿返してくるから、遥と高原くんはのんびり待っててくれたまへ」
「涼。ちょっと行ってくるから、いい子で待っててね?」
栞は俺の頭を一撫でして、楓さんと連れ立って行ってしまった。
……うーん、これは絶対なにか企んでる。
「……遥。さっきのあれって、なんなんだろう?」
「俺が知るかよ。けど、イヤな予感がビンビンするぜ」
「あ、やっぱり? 遥もそう思う?」
「おう。てかさ、最近の彩、黒羽さんに影響されてんのか、なんかこれまでとちげぇっていうか……」
「栞もたぶん、楓さんの影響受けてるよ。たまにすごいテンション高い時あるし」
「「……」」
俺と遥は、同時に黙り込んだ。
「……なんていうか──栞と楓さんって、タイプは全然違うけど、波長が合うんだろうね」
「……ってことはつまり、だいたい涼のせいってこったな。妙なことさせられたら恨むぞ?」
「と言われてもねえ……。俺に栞を止められるわけないし」
「黒羽さんをそんなにしたのは涼だろうが」
「……じゃあ、先に謝っとくよ。ごめん、遥」
「ま、いいけどな。涼を責めたところでなんも変わんねぇしよ」
俺たちは、深くため息をついた。
栞と楓さんが戻ってきたのは、その直後。皿を返しにいくだけにしては時間がかかっていると思ったら、それぞれ手になにかを持っていた。
二人が椅子に座ると同時に、ことりとテーブルに置かれるグラス。中身はなにやらトロピカルな色合いの液体。なにかフルーツ系のジュースであることは間違いない。
問題は、そのグラスに突き刺さっているストローだった。二本のストローがぐねぐねと絡み合い、ハートを描いている。どう見ても、カップル用だった。
「りょーうっ。これ、一緒に飲も?」
栞は俺の方へ椅子を寄せ、しなだれかかってくる。テーブルを挟んだ正面では、楓さんが遥に同じようなことをしていた。
「……おまっ、こんなのどこで売ってたんだよ?!」
「んー? しおりんがさっき見つけたんだよっ。ダブルデートなんだしぃ、こういうのもありっしょ?」
「ありじゃねぇだろっ! こんな恥ずいの飲めるかっ!」
「えーっ! せっかく買ってきたのにぃっ! 遥のケチっ!」
早くも、向こうは喧嘩モードに突入していた。それを見て、栞は眉を下げる。
「涼も……こういうのは嫌だった?」
「……いや、そういうわけじゃ」
でも、さすがにこれは顔が熱くなるくらい恥ずかしい。とはいえ、栞が望むなら応えたいとも思う。
「……わかったよ。一緒に飲めばいいんだよね?」
「えへへっ、やったぁっ!」
笑顔満開で喜ぶ栞に苦笑しながら、俺は片方のストローに口を付ける。すると、栞も横から顔を近付けてきて、唇の間にストローを咥えた。
ちゅうっと吸い上げると、甘酸っぱいジュースが口の中に入ってくる。なのに、一瞬で味がわからなくなった。
俺の目を、栞がじっと覗き込んでいる。長い睫毛に縁取られた瞳を少しだけ細めて、真っ直ぐに。それがなんだか照れくさくて、俺はそっと目を逸らした。
「……涼。目、逸らしちゃだぁめっ。ちゃんと、私のこと、見て? もっともっと、私だけを見てほしいよ」
「う、うん……」
返事をして、またストローの先端に唇を寄せる。栞の大きな瞳を見つめ返しながら。言われた通りに見つめたら見つめたで、今度は深く澄んだ栞の瞳に視線が吸い付けられて離せない。
栞は目だけで、俺への気持ちを伝えてくるようだった。
大好き──って。
それに負けないように、俺も視線に気持ちを込めた。
栞、大好きだよ──って。
俺たちはちびちびとジュースを飲みながら、ひとことも喋らずに見つめ合った。ここがプールサイドのフードコートだなんてことも忘れて。
しばらくそうしていると、栞はストローから口を離した。
「私ね──涼の目、好き。涼の優しいところとか、全部わかるの」
「俺だって……栞の目が──ううん。目だけじゃなくて、栞のこと、全部好きだよ」
俺たちはどちらからともなく、手を取り合い、指を絡ませる。
栞と二人で、一つのグラスからジュースを飲んでいるだけ。なのに、どうしようもなく幸福感で満たされる。
栞に見つめられると、すぐ他のことなんて忘れてしまう。
周囲の喧騒は遠のいて、世界には俺と栞しかいないみたいだった。しだいに栞の瞳は熱を帯びたように潤んでいって、俺は空いている手の指先を、その頬にそっと滑らせる。
グラスの中身がなくなっても、栞の引力には逆らえなかった。
このまま時が止まってしまえばいいのにと──
「おい、お前ら……いい加減戻ってこいって」
遥の呆れた声で、止まりかけていた時がまた動き出した。
いいところだったのに、と恨みがましく視線を向けると、楓さんも苦笑いしていた。
「……あはは。いやぁ、さすがだねぇ。見てるこっちが恥ずかしくなるくらいっていうか──大量にハートが舞って見えたよねぇ。あちこちから注目集めてたし」
「えっ?!」
……そんなに見られてたの?!
うわっ、やば……!
ぐるりと首を回すと、さっと散っていく視線。
恥ずかしさが戻ってきたところで、栞がちょいっとラッシュガードの袖を引いた。
「……誰に見られたって、関係ないでしょ。私は嬉しかったよ?」
「……うっ。それなら、まぁ」
毎度のことながら、ふわりと微笑む栞を見ると、恥ずかしさなんてどうでもよくなってしまうから不思議だ。
ちなみに──
この時の俺たちを楓さんがこっそり撮影していて、栞経由で送られてきた写真を見て悶絶することになるのは、また少し先のお話。




