第115話 対等でいたい関係
「いやぁっ、結構遊んだねぇっ! なんだかあたし、お腹空いてきちゃったよぉ」
楓さんがそんなことを言い出したのは、ウォータースライダー三昧に加えて、小悪魔モード全開の栞に頭がくらくらし始めた頃だった。
元気がトレードマークの楓さんは、人一倍エネルギー消費が激しいのかも──なんて思ったが、言われてみれば俺も腹が減ったような気がする。
「……あー、そういや昼メシまだだったな。んじゃ、ここらで昼休憩にでもすっか」
「おーっ、ご飯だーっ! ってことで、ひとっ走りロッカー行ってお財布取ってくるから、このへんで適当に待っててよ!」
「待って待って! 私も行くよ?!」
今にも駆け出そうとした楓さんを、栞が呼び止めた。楓さんはそのままのポーズで、顔だけをこちらに向ける。
「そのつもりだけど──なんで?」
「なんでって……ねぇ、涼?」
「うん。俺たちも財布持ってきてないんだし、みんなで一緒に取りに行けばいいんじゃないの?」
「あぁ、そういうこと。いーよいーよっ! お昼はあたしが奢るからさっ!」
「え……そんなのわる──」
「まぁまぁ、涼」
不意に、今まで黙っていた遥が俺の肩に触れた。
「ここは黙ってこいつに出させてやってくれや。これも彩なりのケジメってやつだからよ」
「……ケジメって?」
「……なんの?」
俺と栞はわけがわからず顔を見合わせた。
「にゃははっ、ごめんごめんっ! 最初に言っときゃよかったね。ほら、今日はこないだ課題手伝ってもらったお礼も兼ねてるじゃん? でさ、あの時あたしらお昼ごちそうになっちゃったから、今回はあたしの番ってわけ。それで貸し借りなくなるっしょっ?」
「でも、ここのチケットも彩香に出してもらってるよ?」
「それはパパからもらったって言ったでしょっ! それにさ、勢いで水着まで買わせちゃったし、これくらいしないと釣り合わないのっ! そういうわけだから、さくっと行ってくるぜいっ!」
楓さんは強引に会話を切り上げて、ぴゃっと走り出した。その背中に、遥の声が飛ぶ。
「おい彩っ! そんな急がんでいいから走んなって! 転ぶぞ!」
「だいじょう──ぶわぁっ?!」
お約束みたいにずっこけかけた楓さんだったが、ぎりぎり驚異的な体幹で踏みとどまって、それからは早歩きになった。
そんな楓さんの後ろ姿を見送りながら、思う。
……友達付き合いって、結構難しいんだなぁ。
困っている時に助けないのは、場合にもよるけれど、たぶん友人として間違ってる。かといって、一方に負担が寄りすぎる関係が長続きするとは思えない。
貸し借りなし。
これは、俺たちが対等な関係ってことだ。
だからきっと、楓さんの言い分は正しい。
なら──
恋人同士は?
恋人だって、関係は対等なものであるべきだろう。
俺は栞からたくさんのものをもらってる。愛情は溢れんばかりだし、料理は上手だし、勉強だって教えてくれる。
……愛情については俺も負けていないと思いたいけど──
それ以外は?
足りてるのかな?
わからない。ちらりと横顔を盗み見ると、栞は楓さんが向かった先を見つめながら、困ったように笑っていた。
「まったく彩香は……。別にそこまでしてくれなくてもいいのにね?」
「……そうだね。というか、俺の分まで出してもらうのはちょっと申し訳ないかな。食費は母さんからもらってたし、作ってくれたのは栞なのにね」
「ふふっ。私としては、そこは作らせてもらった、なんだけどね?」
「あはは、栞らしいなぁ」
……本当に、栞らしいよ。
負担だなんて、微塵も思ってなさそうなんだから。
でも、それに甘え続けるのはやっぱり違うと思う。じゃないと、いつか俺は栞を大事にしなくなるかもしれない。
そんな自分は、絶対に許せない。
だからまぁ、具体的なことはまだなにも思い付かないけど──
俺にできることを、できるだけやろう。
それで、いつまでも栞の隣に立って恥ずかしくない自分でいたい。
そんな決意をしていると、楓さんが競歩の競技者みたいなスピードで帰ってきた。
「おっまたせーっ!」
そんなセリフとともに、俺たちの前で急ブレーキをかけ、見せつけるように財布を持った右手を突き上げる。
どうやら、空腹と言ってもまだまだ元気はあり余っているらしい。俺はもう、だいぶ疲れてきているというのに。
けれど、栞は──
俺の腕から少しだけ離れて、楓さんの頭に軽く手刀を振り降ろす。ぽこんっ、といい音がした。
「ふぎゅっ……?! 痛いよっ、しおりんっ! いきなりなにするのっ?!」
「こーら、彩香っ! さっき走るなって言われたばっかりでしょっ!」
「走ってなくないっ?! 早歩きだったってばぁっ!」
「大して変わらない──っていうか、私が走るよりも速かった気がするんだけど、あれで早歩きって彩香の脚どうなってるの?」
「にひひっ、かけっこにはちょーっと自信あるよっ!」
「……かけっこって、やっぱり走ってるじゃない。一人で転ぶなら自業自得で済むけど、他の人巻き込むかもしれないんだよ? わかったら、次からもう少しゆっくり歩くこと!」
「うぅ……。はぁい……気を付けます」
栞に頭をぐりぐりされて、楓さんは主人に怒られた大型犬みたいにくしゅんと俯いた。
……うーん。
栞はものすっごい元気そうだなぁ。
というか、なんか小学校の先生みたいだなぁ。
遥は遥で、栞と楓さんのやり取りを腹抱えて笑って見てるし。
……疲れてるのって、もしかして俺だけ?
楓さんへのお説教が済むと、栞はまた定位置みたいに俺の腕に張り付いた。そして、じっと顔を見上げてくる。
「……どうしたの、栞?」
「ううん。なんか、涼がいつもよりへんにゃりしてるなぁって思って。たくさん動き回ったから、疲れちゃった?」
「……へんにゃりって、なに?」
言わんとしていることはわかるけど、表現が独特というか。栞は笑って、俺の頭に手を伸ばした。
「ふふっ。へんにゃりはへんにゃりだよ。だって今の涼、そんな感じなんだもん。なんか可愛いねっ」
「……いや、それは」
むしろ、可愛いのは栞なのでは?
へんにゃりって──ワードセンスまで可愛いとかずるくない?
そう思うのに、栞のよしよしの前にはすべてが無力だ。俺はもうなにも言えなくなって、強制的に栞の手の感触に身を委ねさせられた。
「ごめんねぇ、涼。私がはしゃぎすぎちゃったせいだよね。ご飯のあとは、もうちょっとのんびり遊ぼうね?」
「……うん」
やばいなぁ、これ。
疲れなんて、どっかに飛んでいきそうだ。
なにも食べなくたって、栞にこうしてもらえるだけで生きていけるかも。
そんなバカなことを思った直後。
頭のてっぺんに、すこんっと衝撃が落ちてきた。薄目越しに見える栞の頭にも、楓さんの手刀が突き刺さっている。ということは、俺の頭の上のは遥の手か。
「こらこら、しおりんっ! まーたやってる! ご飯行くって言ってるでしょーっ! あたしお腹ぺこぺこなのにぃっ!」
「お前らよぉ、イチャつくのも大概にしねぇと置いてっちまうぞ」
「……ご、ごめん」
「……ごめんなさぁい」
今度は、俺と栞がそろって頭を下げる番だった。




