第114話 押し付けられた感触と、小悪魔な栞
水の流れに乗って滑っていく俺たち。途中、栞がなにか言っていたが、水音と空気を切る音でほとんど聞き取れなかった。それでも、抱きしめた腕に、栞が笑っていることが伝わってくる。
めちゃくちゃはしゃいでるなぁ。
それがわかった途端、俺まで気分が高揚する。こういうのも、以心伝心というのだろうか。
だから俺は、栞を抱く腕にしっかりと力を込めた。絶対に離さないように。栞の笑い声は聞こえなくても、その振動を全部受け取れるように。
やがて、俺と栞は一塊になってコースの出口からプールへと放り出された。大きな水しぶきを上げて、身体が沈んでいく。着水の衝撃で腕が解けて、俺たちはバラバラになってしまった。
ちゃんと捕まえておくって、約束したのに。
目を開くよりも前に、手を伸ばす。
指先が柔らかいものに触れた。俺はそれを掴んで抱き寄せ、そのまま水面から顔を出した。
「ぷはぁっ!」
「ごめん、栞っ! 勢いすごすぎて、手離れちゃった。大丈夫……?」
「うんっ、なんともないよっ! えへへ、りょーうっ!」
栞は大きく腕を広げて、真正面から抱きついてきた。
俺たちの間でぱしゃんと弾ける水。
降り注ぐ日光。
無数のきらめきに縁取られた栞の笑顔は、息を呑むほどに綺麗だった。
ただ、それよりも──
無防備な水着姿と、ラッシュガードを前開きにしているせいで、いつもよりダイレクトに伝わってくる柔らかい感触。
思わず視線を落とすと、俺たちの間でむにゅんとひしゃげた栞の胸が目に飛び込んできた。
「……し、栞? これはちょっと、くっつきすぎじゃない?」
「えー? これくらい、いつもしてるでしょ?」
「……そうだけど、今は水着だし」
「あっ、もしかして──涼ってば、いけないこと考えてるんでしょー? んふふっ、涼のえっち」
そんなことを言いつつも、栞はさらにむにむにと身体を押し付けてくる。
「栞っ?! 言ってることとやってることが違うけど?!」
……これ以上はまずい。
水から上がれなくなる。
どうにか栞を引き剥がそうと思うのに、身体は言うことを聞いてくれなかった。栞の肌が吸い付くみたいで、離れてくれない。
「ふふっ、別にそういう目で見たっていいんだよ? だってぇ、わざと当ててるんだもんっ」
「なっ?!」
付き合ってすぐのデートで、ノースリーブやミニスカートで恥ずかしがっていた栞はどこへ行ってしまったのか。栞は小悪魔的な笑みを浮かべて、じっと俺を見つめていた。
「えへっ。涼、すごくドキドキしてくれてるね。嬉しいっ。涼からぎゅってしてくれても、いいんだよ?」
「いや待ってっ! というか……栞、大胆になりすぎじゃない?!」
水着で開放的になっているのか、それとも、これが本来の栞なのか。そのどちらなのかはわからないが、俺の心臓にダメージを与えて喜んでいることだけは理解できた。
「そうかなぁ? でも安心してね。こんなこと、涼にしかしないから」
「そりゃ……こんなの他の人にされたら、俺、おかしくなっちゃうって」
そんなの、嫉妬で狂ってしまいそうだ。本当なら、水着姿だって俺が独り占めしたいくらいなのに。
「わかってるよ。だからしないってば。涼だけに特別、というか、他の人にはしたいとも思わないもん。あ、でも──あとで彩香と滑る約束しちゃったから、その時くっついちゃうのは許してね?」
「それくらいは、まぁ……」
女の子同士のことに嫉妬しても仕方がないわけで。そもそも、栞と楓さんが仲良くしてくれるのは、俺も嬉しく思ってる。
それでずっとほっとかれることになったら、さすがに寂しいけど。
それに、俺にとっても栞は特別で、こんなにも触れたくなるのは栞だけだ。栞がいいって言ってくれるなら──
俺は栞の背に腕を回して、そっと抱き寄せた。腕の中にすっぽりと収まるちょうどよいサイズ感に、このまま離したくなくなってしまう。
俺だけが、こんなふうに栞に触れられる。
その特別感を噛みしめていると、プールサイドから大声が飛んできた。
「ちょっと二人ともーっ?! いつまでもそんなとこいたら危ないよーっ!!」
「そうだぞ、お前らっ! イチャつくなら上がってからやりやがれっ!」
楓さんと、遥だった。
そしてようやく、俺たちは自分のいる場所を思い出す。ウォータースライダーの出口の真ん前。
「やばっ! 栞、早くこっちに!」
「あ、うんっ!」
栞の手を引いてプールから上がると、少し間をおいて次の人が飛び出してきた。
……あっぶなっ!
声かけてもらうのが少しでも遅れてたら──
考えただけで、さぁっと血の気が引いていく。
遊びに来ておいて事故ったりしたら目も当てられない。それで栞に怪我なんてさせたら、聡さんと文乃さんに顔向けできなくなる。
……うん、次からはもう少し気を付けよう。
栞が大人しくしてくれるとは思えないけど、一応は。
遥たちにもう一度小言をもらった後は、また別のウォータースライダーへ。
ゴムボートに乗って滑るものを四人で楽しんだり、フリーフォールみたいなので肝を冷やしたり。栞と楓さんがペアになった時は、俺も遥とペアを組まされて二人して虚無顔になったりもした。
そうして、また最初のスライダーに戻ってきた。
「じゃあ、今度は涼が前ね」
「ってことは、栞が後ろ? 前、見えなくない?」
栞は小柄なので、立って並ぶとちょうど俺の顎の下に栞の頭がくるくらいの身長差がある。滑る時は座るとはいえ、栞からは俺の後頭部しか見えないだろう。
「見えなくてもいいのっ。その方がスリルありそうだし──どうせ私、涼しか見てないもんっ」
「……そう? なら、やってみよっか」
「やったぁっ。じゃあ、失礼して」
ぷにゅん。
栞が抱きついてきた瞬間、背中に生々しい感触が。
「し、栞っ! やっぱり俺が後ろの方が──」
そう言って振り向くと、俺の言葉を封じるように、唇に人差し指が押し当てられた。
「だぁめっ。ちゃぁんと、背中でも私の感触……覚えてね?」
「いや、覚えてって……」
そんなの、とっくに覚えてる。
今まさに、風呂場で押し付けられた感触を思い出していたところだった。
「ほらほらぁ。あとがつかえてるんだから、早く滑らないとっ!」
ぷにっ、ぷにっ。
そんな効果音が聞こえてきそうなくらい背中を押されて──
俺は栞に張り付かれたまま、水に流された。
まるで栞の誘惑に流されるように、ただただ滑り落ちていく。
……やっぱり今日の栞、すっごく小悪魔だ。




