第113話 大義名分と、布石
◆side栞◆
『私、泳げないの』
……なーんて、ね?
ぎゅっと握ってくれる涼の手と指を絡めながら、私は心の中でぺろりと舌を出した。
なんか、思ってたよりもうまくいっちゃったかも。
実際のところ、私はまったく泳げないわけじゃないんだよね。不得意なのは否定しないけど──
……五メートルくらいなら、なんとか。
必死になれば、ギリギリ泳げるはず。
たぶん。
とにかく、私はカナヅチじゃないのっ。
それをあえてこのタイミングで切り出したのには理由があるの。
だって、ここはプールなんだもん。
当然だけど、私の他にも水着の女の人はいっぱいいるんだもん。
女の私から見てもきれいな人はたくさんいるし、スタイルのいい人だって。そんな人たちに、涼が一瞬でも目を奪われたりしたら──
考えただけで、胸の奥から黒いなにが湧き上がる。
……それって、もう浮気だよね?
そうなったら、私──
絶対おかしくなっちゃう。
そんなことにならないように、保険くらいかけておかなきゃね。
それに、せっかく勇気を出して大胆な水着選んだんだから、涼にはちゃんと目に焼き付けてほしい。
あとはまぁ、涼がナンパとかされないように、かなぁ。涼ってば、最近ますますかっこよくなって困っちゃうよ。私がちょっと目を離したら、きっとすぐに知らない美人なお姉さんとかに声かけられたりすると思うの。
だからこうして、このかっこいい男の子は私の彼氏なんですってアピールしなくっちゃ。
つまりこれは、ずっと涼にくっついておくための大義名分であり、涼のプールでの思い出を私一色に染め上げるための布石。
って、ちょっと大袈裟かもしれないけど──全部、涼のことが大好きすぎるせいなの。
余計な心配をかけちゃうことだけは申し訳ないけど──
……ごめんね、涼?
声には出さずに、謝っておいた。
「さて……いろいろあるけど、どうしよっか? 栞はなにか気になるのとかある?」
涼のこういうところも、本当に大好き。
ちゃんと聞いてくれる。
私を優先してくれる。
そのせいで、私はどんどんわがままになるの。
もし強引に連れ回してくれたなら、それはそれでときめいちゃうんだろうけど。
「うーんとねぇ──」
私は少しだけ悩むふりをして、周りをぐるりと見回した。
下調べはしっかりしてきた。
涼と一緒にしたいことも、決めてきた。
だから、これはただの確認。
……えっと、確かあの辺りに──
あ、あったあった。
「あのね、涼。私、あれやってみたいな」
私が指差した先には、ウォータースライダーがあった。ちょうど一組のカップルらしき男女が出口から吐き出されて、水しぶきを上げたところだった。
他にもいろいろあるみたいだけど、まずはあれだよね。涼に後ろからぎゅってしてもらって──
……えへへ。
まだ想像なのに、顔がニヤけちゃいそう。
涼もコースをなぞるようにウォータースライダーを眺めて、それからまた私を見た。
「いきなりって感じはするけど──いいよ、栞がしたいなら。って、勝手に決めちゃったけど……遥たちもいいかな?」
「おう、構わねぇぞ。俺らは何回も来てるっつーか、今年も三回目だしな。早々に別行動もねぇだろうし、付き合うぜ。彩も好きだしな、あれ」
「いいよいいよぉっ! スライダー大好きっ! せっかくだししおりん、一緒に──」
「ダーメっ! 私は涼とするのっ!」
「そんな食い気味に切り捨てなくてもよくない?! 最初は高原くんに譲るからさぁ、あたしはあとでもいいからっ! ねっ、お願いっ!」
なんというか、反応が面白いからつい邪険にしちゃうんだけど、彩香ってめげないんだよね。しょうがないなぁ。
「……んー。まぁ、一回くらいなら」
「本当?! やったぁーっ!」
……まぁ、ここまで喜ばれちゃったらねぇ。
本音を言えば全部涼とがいいんだけど──これも付き合いってやつなのかな。ここに連れてきてくれたのは彩香だし、少しくらい相手してあげなきゃ可哀想だよね。
そうして私たちは、ウォータースライダーの列に並んだ。待ち時間は、十分くらいらしい。
列が進んで上の方まで登っていくと、かなりの高さがあることがわかる。この高さから滑り降りるんだと思うとワクワクするけど──
ここはあえて、ちょっぴり不安げな顔で上目遣い。たぶんこれが、涼には一番効くの。
「ねぇ涼……結構高いね?」
「そうだね。見下ろすと迫力あるっていうか……栞はこういうの平気?」
「……わりと平気な方だけど──少し怖いかなぁ。だからね、涼。怖くないように、ちゃんと私のこと捕まえて離さないでね?」
「わかってるよ。さっき約束したばっかりだからね。でも、栞って案外怖がりなんだ?」
「だってぇ、こういうの初めてなんだもん。でもね、涼がいてくれたら全然怖くないよ?」
最後の一押し、私は涼の腕に身体を押し付けた。怖がってすがりついてるって見えるように。
「あはは……相変わらず栞は甘えん坊だなぁ。そういうところが可愛いんだけど」
「……もうっ、こんなとこでそんなの言われたら照れちゃうでしょぉ?」
「はいはい。可愛いよ、栞」
からかうようにそう言って、涼はよしよしと頭を撫でてくれる。その手つきが優しくて、幸せで、私は思わず目を細めた。
そんな私の耳に、ひそひそと話す声が聞こえてくる。
「ねぇねぇ遥? 高原くん、しおりんにいいように転がされてない?」
「ほっとけって。どうせ涼もまんざらじゃねぇんだからよ」
「しおりん可愛いもんねぇ。でもさぁ……あたしらの空気っぷりよ。間に割って入ってみよっか?」
「やんなら一人で行ってこいよ。あとがこえぇし、俺はパス」
「確かにねぇ。うん、やめとく」
……失礼な。
転がすなんて、人聞きの悪い。
私、そんな悪女じゃないもん。
それに、怖がられるようなことした覚えないんだけど?
少し腹が立ったけど、幸い涼の耳には届いてないみたいだからなにも言わないでおいた。藪蛇になるといけないからね。
そんなこんなで、いよいよ私たちの番。彩香と柊木くんは、一足先に二人で滑っていった。
スタート位置に座ると、涼が後ろから私のお腹に腕を回す。背中に涼の肌が触れるのを感じたけど、それじゃまだ足りない。
「ねぇ涼。もっとしっかり掴まってないと、途中でバラバラになっちゃうよ?」
「そうかな? じゃあ、これくらい?」
お腹の締め付けが少しだけ増した。
でも、まだまだ満足できない。
「もっとだよ。もっと強くして」
「えっ……それじゃ栞が苦しいんじゃ?」
「苦しいくらいでちょうどいいのっ! じゃないと──私、怖いなぁ?」
「……まったく、栞には敵わないなぁ。ほら、これでいい?」
ぎゅうっと強く、あますことなく背中が覆われるくらい涼の力が強くなった。
そうそう、これがいいんだよ。
次は、涼に前に座ってもらっちゃおうかなぁ。それで密着したら、どんな顔してくれるんだろ。後ろからだと、振り向いてもらわないと顔が見えないのが難点なんだけどねぇ。
まぁあとのことは追々考えるとして──
今は、この感触を楽しまなくちゃね。
涼に包まれてると、やっぱり幸せだよぉ。
私たちのやり取りを微笑ましげに眺めていた係員さんに目で合図を送ると、小さく頷きが返ってきた。
「はーいっ、それじゃいってらっしゃーいっ!」
元気な掛け声に背中を押され、私たちは滑り出した。半透明なチューブ状のコースの中、水の流れに乗って私たちは加速する。
「わわっ……?! 思ったより速っ!」
「あはははっ、すごいすごーいっ! ねっ、涼?」
「えーっ? なんだって?」
水音にかき消されて、私の声が聞き取れないみたい。けど、それでもいいの。
私がはしゃいでるのは、きっと涼にも伝わってるから。涼が一緒だと、なにもかもがキラキラと輝いて見えるんだよ。
「ふふっ、なんでもなーいっ!」
いくつもカーブを曲がって、やがて私たちはコースの出口からプールに飛び出した。最後まで涼は私を離さなかったけど、着水の衝撃には勝てなかった。
身体が水に沈む。
でもすぐに、大好きな腕に腰を抱かれる。そのまま浮上して、水面から顔が出た。
「ぷはぁっ!」
「ごめん、栞っ! 勢いすごすぎて、手離れちゃった。大丈夫……?」
「うんっ、全然大丈夫っ! えへへ、りょーうっ!」
私は水しぶきを上げながら、思いっきり涼に抱きついた。
あぁもう、どうしよ──
すーーーっごく楽しいっ♪




