第111話 馬乗りな目覚めと、朝の早い彼女たち
あれこれと栞の水着姿を妄想しているうちに夜は更けて、ようやく寝付けた時には、とうに午前二時を回っていた。
すでに何度か裸を見ていたとしても、水着は水着。スタイルまで完璧な栞が水着なんて着たらどうなってしまうのか。
どうやら俺は、自分で思っていたよりもスケベらしい。まぁそれも、栞限定ではあるけれど。
そして、俺は妙な重みを感じて目を覚ました。
ゆっくり目を開くと、栞が俺を見下ろしていた。ぱちりと目が合うと、栞はへにゃりと微笑む。
「あ、やっと起きたね。おはよぉ、涼っ」
「……うん。おはよう、栞。で──いったいなにしてるの?」
栞はなぜか、寝転がる俺に馬乗りになっていた。
「なにって、もちろん涼を起こしに来たんだよ? だって今日は彩香たちとプールだもん。寝坊して遅刻しないように、ってね」
「……寝坊っ?! 今、何時っ?!」
慌てて身体を起こすと、すかさず栞が俺の頭に腕を回して、胸元に抱き寄せる。顔全体が柔らかいふかふかに沈んで、視界が真っ暗になった。
「ふふっ、そんな焦らなくて大丈夫だよ。まだ七時半だから」
……よかったぁ。
寝坊したわけじゃなかったのか。
でも、今が七時半ってことは──
「栞……来るの早すぎじゃない?」
……なんで俺が起きる前から来てるの?
こないだのお泊りのせいで、普通に受け入れかけたじゃん。
栞は腕を緩めて、俺の顔を覗き込んだ。
「だってぇ……なんかうずうずしちゃって、じっとしてられなかったんだもんっ。それにね、今日は彩香たちとお出かけでしょ? だから、こうでもしないと涼と二人きりの時間がなくなっちゃうから。あとはほら、私にはこれがあるしね」
栞がポケットを探ると、チャリっと音がした。そうして取り出されたのは、見覚えのある鍵──我が家の玄関の鍵が、栞の手の中で鈍く輝いていた。
「……どうして、栞がそれ持ってるの?」
「え? こないだ水希さんからもらったんだよ。いつでも来て、勝手に入っていいよって。涼は聞いてない?」
「……全然聞いてないんだけど?」
「あれ、そうなの? 水希さん、うっかりしてたのかなぁ?」
……いや、それはたぶん違う。
母さんのことだから、絶対わざとだ。
今ごろ、寝起きドッキリをくらった俺を想像して、ほくそ笑んでるに違いない。
「……はぁ」
小さくため息をつくと、栞はしゅんと眉を落とした。
「ため息なんかついちゃやだぁ。私から言わなかったから怒ってるの? おはようのちゅーしてあげるから、許してぇ」
「別に栞には怒ってないけど──してくれるって言うなら、してもらおうかな」
「えへへ、はぁいっ! じゃあ改めて、おはよ、涼」
一瞬で笑顔に戻った栞が、顔を寄せてくる。自然と俺からも抱き寄せて、見つめ合う。
「うん。おはよう、栞」
ちゅっと軽く唇を触れ合わせて──
俺たちの、今日という一日が始まった。
まずは顔を洗って朝食。身支度を整えたら、家を出る時間まで俺の部屋で静かに寄り添う。
そうしていると、また栞への愛おしさが募って、気付けば、俺から栞を抱き寄せていた。
唇を重ねるたび、栞の瞳は潤みを帯びて蕩けていく。けれど、その途中で栞が顔を引いて、俺の頬をむにっと抓んだ。
「……栞?」
「それ以上は、だぁめっ。そろそろ出ないといけない時間だもん。だから──続きは、帰ってから……ね?」
優しく諭されて、俺はこくこくと頷くしかなかった。すると、栞は頬から手を離して、頭を撫でてくれる。
「ん、いい子。じゃあ、行こっか?」
「うん、行こう」
俺たちは、手を取り合って家を出た。
ふわふわと跳ねる栞の髪が、日差しを受けて艶めく。いつも通り俺の左腕を抱いて歩く栞の足取りは、弾むように軽かった。
「なんか栞、すごく浮かれてるね。そんなにプール楽しみだった?」
「そりゃねっ。彩香たちも一緒だけど、涼との思い出はいくらあっても困らないもんっ。というわけで、今日は全力で楽しむんだから、涼もちゃんとついてきてよ?」
「が、頑張るよ。あんまり体力には自信ないけどね」
「ふふっ、大丈夫だよっ。そんなこと言えないくらい、私が引っ張り回してあげるからねっ」
……それ、本当に大丈夫なのかな?
燦々と輝く太陽みたいな笑顔を浮かべる栞は、どことなく楓さんの影響を受けていそうな雰囲気を纏っていた。
パワフルというか、元気が有り余ってるというか──うまく言葉にできないが、そんな感じがする。
その後乗り込んだ電車の中でも、栞はずっとはしゃぎっぱなしだった。
***
「おっそーーーいっ!!」
待ち合わせ場所に着くと、なぜかすでに楓さんは待ちくたびれていた。もちろん、俺たちは遅刻なんてしていない。
むしろ、かなりゆとりを持った到着だったはずだ。それでもご立腹な様子な楓さんが栞に詰め寄って──
「彩香、うるさい。人が多いところで大声出さないのっ!」
「ひうっ……! いひゃいっ、いひゃいってひおひんっ!」
しっかり栞に怒られて、ほっぺびよーんの刑に処されていた。このやり取りも、だいぶ板についてきた気がする。
そんな栞と楓さんを横目に、遥は大あくびしていた。
「二人とも、おはよ。なんか遥……また眠そうだね」
「……眠いなんてもんじゃねぇよ。彩のアホが五時半に叩き起こしにきやがってよぉ。んでもって、早く早くつって急かされて、一時間前にはここにいたんじゃねぇか?」
……まじか。
栞も大概早かったけど、さらにその上がいるとは。
「柊木くんも大変だねぇ」
楓さんの顔をびよんびよんに引き伸ばしながら、栞が遥を労うが──
……栞は言えた立場じゃないんだよなぁ。
「ひょうがないひゃんっ! ひおりんらひろあほふろ、はろひみにひへはんははらぁ」
「あははっ。彩香、なに言ってるか全然わかんないよ」
「うーーーっ!」
楓さんはぎゅっと目を閉じ、勢いよくその場にしゃがみ込んだ。その拍子に栞の手が離れて、ぺちんと音がした。
「いったぁーーーいっ! でも、これでやっと喋れるっ! なにはともあれ、全員集まったんだからもう行くよーっ! ほらほらっ、しっかりついてこないと置いてっちゃうんだからっ!」
一人駆け出した楓さんの背中に、遥が盛大にため息を吐く。
「……っとにあいつはよぉ。わりぃな、二人とも。ほっとくとあいつ、勝手にどっか行っちまうし、追いかけるぞ」
「えっ、遥までっ……! 栞、俺たちも」
咄嗟に栞の手を取って、俺たちも走り出した。
楓さんの脚は驚くほど速くて、プールに着く前から余計な体力を使った気はするが──
四人とも、みんな笑っていた。
そうして、さらにまた電車に揺られることしばらく。ついに目的地へとたどり着いた。
日帰りで行ける範囲では最大級の、屋外型のプール施設。テレビCMもバンバン打ち出しているようなところだが、俺が来るのは初めてだった。
夏休みも終わりがけなのに、はたまた、そのせいなのか。ひっきりなしに入り口に人が吸い込まれていく。
俺たちもその波に乗り、楓さんの用意してくれたチケットで中に入った後は、すぐに着替えのため栞と分かれる。
俺と遥は手早く水着に着替え、それぞれラッシュガードを羽織って更衣室を出た。
屋外に出ると、そこはまるで別世界のようだった。水面はキラキラと日光を反射して、あちこちに設置されたウォータースライダーからは絶叫が聞こえてくる。
一日じゃとても遊び尽くせなさそうな規模に、胸が踊る。けれど、俺の視線は自然と更衣室の出口に戻っていた。
待つこと数分、そこから軽やかなステップを踏んでオレンジ色の水着が飛び出してきた。
「やーやー高原くん、長らくお待たせしたねっ! いよいよ水着しおりんのご登場だよ!」
飛び出してきたのは、楓さんだった。
なんだ楓さんか……。
と落胆するのはまだ早い。その後ろから、ヒタヒタと足音が近付いてくる。明るさの差で、まだよく見えない。けれど、歩き方で栞だとすぐにわかる。
ようやくその姿が日の下に晒されて──
「お待たせ。涼のために頑張ってみたんだけど……どう、かな?」
栞は俺の目の前まで来て、こてんと小首を傾げた。その姿に、俺は思わず目を見開き、言葉を失った。




