第107話 試す視線と、迷いのない頷き
家を出て、わずか十分後。
俺は黒羽家のリビングにいた。
左隣には栞がちょこんと座り、にこにこ顔で俺の腕を抱いている。そして、ローテーブルを挟んで両家両親が顔を突き合わせていた。
……まじで、なにがどうしてこうなった?
まるでこれからお見合いでも始まるかのような空気感に、俺は思わず頭を抱えそうになった。けれど、状況が飲み込めていないのは、どうやら俺だけじゃないらしい。
さっきから聡さんも目を白黒させているし、うちの父さんも居心地悪そうに小さくなっている。それが、なんとなく救いだった。
「えっと……文乃? これはいったいどういうことなんだい?」
「いいからいいから。さて、こうして集まったことですし、とりあえず軽く自己紹介でもしておきましょうか」
聡さんを軽くあしらった文乃さんが言うと、母さんがぱちりと手を打った。
「それは名案ですね。では、まずはうちの主人から。ほーらっ、お父さん」
母さんに肘で突かれて、ようやく父さんも顔を上げた。
「え、あ……あぁ。えっと、高原京也……です。よろしく、お願いします?」
……なんか既視感あるなぁ。
俺も入学式の日の自己紹介、こんな感じだったし。今は栞のおかげで、だいぶマシになったと思うけど。
でも父さん、頑張ったよ。
わけもわかってないだろうに。
続いて、母さんがぺこりと頭を下げる。
「涼の母の水希です。よろしくお願いしますね」
完全に、余所行きの笑顔だった。
その次に、文乃さんにせっつかれた聡さん、最後に文乃さんが。全員の自己紹介が済むと、静寂が落ちた。
「……で。そろそろ説明してくれないかい? どうしていきなり涼くんのご両親がうちに?」
「ふふっ、それはね──涼くんがあなたにお話があるんですって」
「涼くんが、僕に? いったいなんの──」
全員分の視線が、俺に向いた。
母さんと文乃さんは意味深な笑みを浮かべ、聡さんの顔は強張っていて、父さんは──まぁいいか。
栞も、俺の言葉を待っているように見えた。
その圧に耐えかねて押し黙っていると、背中に母さんの手が伸びてくる。ぱしんと叩かれて、強制的に背筋をしゃんとさせられた。
「涼、早くなさい。貴重なお休みのお時間いただいてるんだから」
……って、言われてもねぇ。
喉がカラカラに渇いて、張り付きそうだった。でも、このまま黙っていても事態が好転するとは思えない。
それに──
聡さんに、情けないところを見せたらダメだよなぁ。
……栞に値しない、なんて思われたら。
それこそ本末転倒だ。
「あの、聡さん……」
「な、なんだい?」
妙に気まずい間。
俺は一度だけ栞の顔を見て、腹に力を込める。こうでもしないと、今は声を出せそうにないから。
「……えっと、いくつかあるんですけど。まずは、栞のお泊り……許可してくださってありがとうございます。おかげで……三日間、すごく楽しかったです」
「え、あぁ……そんなことかい? 僕としてはまだ早いかと思ってたんだけど、栞と文乃に押し切られてしまってね。でも、こうして栞が笑顔で帰ってきてくれた。なら、僕からはもうなにも言うことはないよ」
「……はい。それで、ですね。まだ俺から聡さんにはお伝えしていなかったと思うので……。俺と栞、付き合うことになりまして──栞のこと、ずっと大切にするので……。これからも、その……よろしくお願いします」
どうにか言葉を絞り出して頭を下げると、聡さんは目を見開いて、ぱちりと瞬きをした。それと同時に、腕に抱きついたままの栞の力が強くなる。
「……涼っ! ちゃんと言えたね。嬉しいっ」
栞は感極まったように、瞳を潤ませていた。
「そりゃ……そのために来たんだし。それに、栞と二人のことだからさ」
そっと頭を撫でると、栞は額をぐりぐりと押し付けてくる。そんな俺たちを見て、聡さんは小さくため息をついた。
「はぁ……。男子三日会わざれば……とはよく言ったものだが。まいったな、これは」
聡さんの視線がすぅっと鋭くなって、俺は緩みかけていた背筋を元に戻す。すると、聡さんはゆっくりと口を開いた。
「……涼くん。君の言うずっととは、本当にずっとかい? その気持ちに偽りはないと、今ここで誓えるかな?」
普段の聡さんとは違って、と言えるほど知っているわけではないが、重く、低い声だった。
……試されてる。
そう感じた俺は、真っ直ぐに聡さんの視線を受け止める。そして──
「……はい。そのつもりです」
迷いなく頷いた。
迷う必要なんて、どこにもなかった。
また、聡さんがため息をつく。
「はぁ……まったく。文乃」
「なんです?」
「……いつかはこんな日が来るかもとは思っていたけど、思いの外、早かったみたいだね」
「ふふっ、そうね。もしかして、寂しいの?」
「そりゃ──いや、そんなことを言ってはいけないか。栞が、自分で選んだ人なんだから」
「ですね。それに、あそこまで幸せそうな栞の顔、見たことある?」
「……ないね、残念ながら」
「でしょう? 私はお似合いだと思うわよ、この二人は」
「……そう、だね」
ふっと文乃さんが微笑み、それにつられるように、聡さんの表情も柔らかくなる。
無事に、聡さんにも認めてもらえたらしい。俺もほっと胸を撫で下ろした。
けれど、事態は思わぬ方向へ進んでいく。
俺の予想よりも、遥か先へ向けて。
「ところで涼くん。栞の誕生日を知っているかな?」
聡さんのこの問いが、すべての始まり──
いや、たぶん違う。
うちの玄関先で、母さんと文乃さんにバレた時。
あるいは、強制連行された時。
そこから、始まったんだと思う。




