第132話 蛙の胃の中
(三人称視点)
「う゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛こ゛わ゛か゛っ゛た゛よ゛お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛」
いつもの堂々とした態度もかなぐり捨てて、イヴは鼻水を垂らしながらホムラの胸元で泣きじゃくっていた。
内心で困惑しながらも、赤子をあやすようにホムラは粘液まみれのイヴの頭を撫でていた。
「えぇと、よーしよし? この場所は多分安全ですからねー?」
「……どこが安全なのじゃ。あのデブガエルの胃袋の中じゃぞ? 安心できる要素が微塵もないのじゃ」
そしてホムラの傍に立ちすくんでいるのは、魔王種のアルであった。
身体の至る箇所がボロボロだが、自力で立って歩ける程度には回復しているようだった。
「でもアルちゃん。私たちこの場所を結構歩き回りましたが、特に危険な要素はありませんでしたよ? 敵対生物がいるわけでもないし、消化液が湧いてくるような事もありませんし」
「でも出口が見つかってないのじゃ。ここから一生出られないのであれば、この空間はもはや安全とは言えないのじゃ」
「それは、そうですけど……」
三人がいる空間には、深層と同じく荒野のような地形が広がっていた。
唯一深層と違う点といえば、上空である。
まるで夜空の星々のように、色とりどりに光る光点が無数に瞬いているのだ。
「……ぐずっ。やっぱりここは、あのカエルの体内世界のようだね」
「イヴさん、もう大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう……まさかこの私が、ただの魔王種に敗北するとは。恐らく我々は、あのカエルの餌としてこの世界に囚われたのだろうね」
ようやく平静を取り戻したイヴであったが、なぜか頭部をホムラの豊満な胸部に埋めたままであった。
「やっぱり、イヴさんもあのカエルと戦ったんですね……」
「あれは【暴食】のバエル。その名の通り、何でもかんでも食べてしまう大食いじゃ! 奴が魔王種も外来種も軒並み食べてしもうたから、深層2階の実質的な支配者になっておる」
「とりあえず、情報を共有したほうがよさそうだ。君は魔王種だよね? どうしてホムラちゃんと行動を共に?」
極上の枕に頭を預けながら、アルに問いかけるイヴ。
それを怪訝な目で見ながらも、アルはここまでの経緯を話し出した。
「……最初にバエルに食われたのは、儂じゃ。連れと深層を彷徨っていたら、あいつに出くわして襲われてしまったのじゃ」
「その後、私が探索中にあのカエルと遭遇して……襲いかかってきたので抵抗したんですが、力及ばず食べられてしまいました……」
深層2階にしてまさかの敗北。流石のホムラも少し落ち込んでいるようだった。
そしてアルが捕食されたのは、トオルの魔手から解放されて間もない頃だった。
領地を失ったレヴィと共に、宛もなく彷徨っていたところをバベルに見つかってしまったのだ。
「……ボクは、トオルに頼まれてここに来たんだ。ホムラちゃんの様子を見てきてほしいってね。まあその結果がご覧の有様なんだけど」
「トオルさんが……? もしかして、地上じゃ結構な時間が経っちゃってますか?」
「キミが深層に潜ってから、もうすぐ一ヶ月って所かな。深層じゃ連絡の取りようがないし、仕方のない事だとは思うけど」
「そ、そんなに!?」
イヴの言葉を聞いて、顔を青くするホムラ。
ホムラの体感時間では、深層に入ってまだ二、三日という感覚だった。
時間のズレは潮の満ち引きのように変動するとは聞いていたが、想定以上のものであった。
「一刻も早くここを脱出しないと……! ここが胃袋のように食べたものを捕える空間なら、必ず出口があるはず!」
「しかし、もうあらかた探し回ったのじゃ。上空も見えない壁のようなものがあって、一定以上の高度には上がれないのじゃ」
「上空の見えない壁、か。破壊を試みた事は?」
「試しました。けどビクともしなくて……私が本調子でないというのもありますが」
悔しそうに歯噛みするホムラは、まだバエルとの戦いの傷が癒えきっていない。
アルも、イヴだってそうだ。この場の全員が、十全な状態とは言えない状況であった。
「……恐らくこの空間は一種の結界。バエルが蓄えた莫大な情報を、一つの異世界として構築したものだろうね」
「世界をまるごと作る結界、という事ですか!?」
「結界術を極めれば、そう難しいことじゃない。あのトオルにだってできるだろうさ」
トオルが普段から使う亜空間食材庫も、結界によって作り上げた一種の異世界……異空間である。
最も彼の場合、【召喚術】のスキルも組み合わせた特別性だが。
「いずれにせよ、もし此処が異世界だというのなら、通常の方法では脱出は不可能かもしれないね……ボクが万全の状態なら、話は違ったのだろうけど」
「……?」
イヴの言葉に、どこか含むものがある事に気づいたホムラ。
やがてイヴはホムラの胸の中で、気まずそうに顔を逸らした。
「どうやら、ボクの権能が捕食……奪われてしまったらしい。ダンジョンマスターとしての力が、さっきから全く働かないんだ」




