第嘘話 無敵で完璧な
(三人称視点)
――シラユキヒョウカは、唐突に微睡みの淵から引き上げられた。
(あれ……? いつの間にか私、寝てた?)
むくりとベッドから身を起こす。
周りを見回せば、そこはすっかり見慣れた止まり木亭の内部、シラユキの自室だった。
しかし前後の記憶が曖昧だ。元々朝は苦手というのもあるが、いつ寝所に入ったのか覚えていなかった。
「……。まあいっか。顔洗お」
小さくあくびを零しながら、部屋を出て一階への階段を降りていく。
トタトタ、と階段を歩くたびに、ギイギイと木の軋む音が響く。
一日の始まりを告げるこの挨拶が、シラユキは密かに気に入っていた。
(……あ、パジャマのまま降りてきちゃった。どうしよ、トオルさんに見られちゃう……)
トオルは基本的に睡眠を取らない。いや、密かにとっているのかもしれないが、少なくともシラユキは見たことがない。
今の時間帯なら、とっくに料理の下拵えを始めている頃だろう。時間を操れるのならば、こんな朝早くから下拵えなど必要ないのでは? と思ったが、どうも時間操作はそこまで万能ではないらしい。
ともかく、このまま進めばトオルと鉢合わせになる。
そうなれば、少女の寝巻き姿という一種の秘境を、意中の男性に対して露わにすることになる。
……もっと恥ずかしい泣き顔を見られておいて今更だとは思うが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
白い頬を少し赤らめながら、シラユキは立ち止まった。
(やっぱり、今から部屋に戻って着替えてから……でも、トオルさんも私のことは気づいてるわよね、ここで引き返したら変だと思われるかも……)
そんな年頃の少女らしい悩み事は、あっけなく決着がつく。
くるる、とシラユキの薄い腹部から小虫が鳴いた。
「…………ぅ」
トオルがいる向こう側からは、美味しそうな料理の匂いが漂っている。
起きたての少女の食欲を刺激するには、十分過ぎる破壊力だった。
「…………。朝食を作ってくれてるなら、遅れる訳にはいかないわよね……」
そんな風に自分に言い訳をして、シラユキはパジャマのままキッチンへと向かった。
そして少し恥ずかしそうに、おずおずと顔を覗かせると。
「あ、おはようシラユキちゃん。朝ごはんできてるよー」
見知らぬ女性がキッチンに立って料理をしていた。
◆
「は?」
眠気なんざ一瞬でふっ飛んだ。
春の穏やかな空気から真冬の氷風呂にぶち込まれた気分だった。
「ん? シラユキちゃんそれパジャマ? 珍しいね、あんまり気持ちのいい朝だからうっかりしてたのかな?」
「…………えっ、あっ、え誰?」
「ハハハ、まだ寝ぼけちゃってるのかな? もちろん、サカガワトオルだよ? この渋谷ダンジョンの下層7階で、『止まり木亭』という料理店を営んでいる店長さ」
一言一句が意味不明だった。
シラユキの知るサカガワトオルは、こんな人物ではない。
黒い髪、黒い眼、少し幼く見える顔立ち。
確かにそれらの要素は一致している。しかしそれ以外の全てが絶対的に違う。
サカガワトオルはこんなに身長が高くないし、シラユキとは対照的な、あんな豊満な胸も持ち合わせてはいない。
何より性別が違う。目の前のサカガワトオルは、明らかに女性であった。
「……どしたのシラユキちゃん、顔色悪いけど。もしかして低血圧?」
「いや……え? なんで? 訳がわからない、え、え???」
シラユキの十九年の人生史上、最大級の混乱が訪れていた。
目の前のトオルが嘘をついているようには見えない。彼は嘘をつくのが下手だから、なんとなくそれがわかるのだ。
そう、わかってしまった。目の前の女性は、明らかに自分の知るトオルではないのに。
「な、なんで……? 一体何が起こってるの? もしかして、また別の世界線に飛ばされたの……?」
「おいおい、ちょっと悪い夢でも見たのかな? 朝食の用意しとくから、先に顔洗っておいで」
口調こそやや乱暴だが、確かな気遣いを含んだ穏やかな言葉。
呆然としていたシラユキは、まるで操り人形のように素直に従って、バシャバシャと洗面所で顔を洗う。
「……いやおかしい! 絶対におかしい!!」
シラユキは正気を取り戻した。
冷水を浴びても夢から醒める気配はない。となればこれは現実。
しかしこんなイかれた現実を、シラユキは黙って受け入れる訳にはいかない。
「ト……いや店長さん!? 貴女本当に誰なんですか!?」
「うぇ? だからただのトオルだけど……シラユキちゃんさっきから様子が変だよ? なんかあった?」
「大アリよ! 私の知ってるトオルさんは、女性じゃなかった! 少なくともこんな『バリキャリウーマンです』みたいなデキる人みたいな空気は醸し出してなかった!!」
確かに目の前の謎トオルは、ビジネススーツを着ればとても似合いそうな、パリッとした雰囲気を出していた。
そこも真のトオルとは決定的な違いだ。本人にとっては割と暴言だが。
「??? 私は最初から女だけど……? まるで私が男性みたいな言い方だね」
「や、やっぱり致命的に認識がズレてる……私の方がおかしいの? それとも世界の方がおかしくなったの?」
寝て起きたらこの惨状(?)だ。
知らないうちに二度目の世界転移をしてしまったのではないか、という不安が鎌首をもたげ、シラユキを急激に押し潰そうとしていた。
と、混乱を極める止まり木亭に、コンコンとドアをノックする音が響く。
止まり木亭に何者かが訪れたのだ。
「ん? 誰だろ、こんな朝早くに……いや、一人しかいないか」
ちょっと待ってて、とシラユキを手で制して、ドアを開けにいく女トオル。
この辺鄙な場所に訪れる人物なんて、彼女の知る限り一人しかいない。
(ホムラちゃん……? もしそうなら凄くありがたい、正直一人じゃどうしようも――)
思わぬ天の助けに表情を明るくするが、すぐにシラユキの胸中に不安がよぎった。
トオルがあんな有様なのだ。ホムラだけ例外と考えるのは、些か都合が良過ぎるのではないか?
(もしホムラちゃんが男になってたらどうしよう)
「おはようございます! 実家から果物の詰め合わせが届きまして、よければトオルさんに見てもらお――え? 誰ですか??」
「よかった! おかしいのはそっちのトオルさんだった!!」
◆
「すみません建物を間違えました失礼しましたっ!!」
「間違ってないわよホムラちゃん!! だから帰らないで!?」
謎の女トオルを見た瞬間固まってしまったホムラ。
ちゃんとシラユキの知る女の子のホムラだった。
(本当によかった。これでホムラちゃんがノーリアクションだったら、いよいよ理性が擦り切れてる所だった)
ホムラ性転換説という邪な考えをそっと胸に仕舞い、シラユキは状況を説明した。
「え……? 朝起きたらトオルさんが女性になってたんですか?」
「いやいや、私は元々女性だけど? 二人とも今日は様子がおかしいね」
「私とホムラちゃんが違和感を覚えてるとなると、おかしいのはトオルさんの方だと思うのだけど……」
じーっと視線を謎女トオルに向けるシラユキ。
やがてその視線から逃れられないと悟ったか、トオルは肩をすくめて白状した。
「やれやれ……誤魔化しきれなかったか。まさかこんな朝早くからホムラちゃんが店に来るなんてね。
お察しの通り、私は君たちの知るサカガワトオルではない――
こことは違う世界線、『サカガワトオルが女として生まれた世界線』から来たのさ」
「トオルさんが女の子の世界線?????」
「っ!? やっぱり偽物だった!! どう考えても誤魔化せる訳ないでしょう!?」
暴露される情報量にフリーズしたホムラをよそに、偽トオルは笑いながら目的を勝手に喋り始めた。
「そうだろうね……無論、誤魔化せないだろうとも。しかしそれは最初だけだ。なぜならこの世界線のサカガワトオルという存在は、やがて私という存在に完全に置き換えられるのだから」
「は、はあ?」
「フフ……既にこの世界の私には、遠い世界の果てに旅立ってもらった。希少食材の話をしたらあっけなく釣れたよ。我ながら危機意識がなってないね」
そう、こんな横暴な真似、本作の主人公であるサカガワトオルが黙って見過ごす筈がないのだ。
しかし彼は未だに現れない。つまりそれは、彼が遠く離れた場所にいるという事実を意味する。
それ即ち、絶対絶命。
「ト、トオルさんに何をしたんですかっ!??」
「さあ? ご想像にお任せするよ。ただ一つ言えるのは、もうこの世界に私を止められる存在はいないって事かな」
「……そこまでして、あなたは何をするつもりなの? どうしてトオルさんと入れ替わるような真似を?」
「そうだね、君たち二人には話しておこうか」
そして偽トオルは、その恐るべき計画の全貌を告げた。
「私はね、アイドルになりたいんだ」
「は?」
「ただのアイドルじゃない。世界最高の、いやあらゆる世界線において頂点に立つ、天下無敵の至高のアイドル。そんな存在になりたい」
「は?」
「既に私の住む世界線では、全人類を信者にした……しかし、それでは物足りない。そこで私は次の目標として、他の世界線にも信者を増やそうと考えたのさ」
「は?」
「そして数多の世界を私で染め上げるうちに、この世界線に目をつけた。この世界はダンジョン配信が盛んなようじゃないか。私の活躍を配信するのに、うってつけの環境だろう?」
「は?」
「しかし、既にこの世界では別の私が配信者として活動している。……自分自身とはいえ、同業のライバルならば容赦はしない。そこで私は彼の存在自体を置換して、彼のファンごと私の信者にしようと考えたのさ」
「は?」
「ふふ、既に私の信者たちもこの世界線に侵入している。今頃は地上でせんの……コホン。布教活動をおこなっている。やがてこの世界のトオルにまつわる情報が、全て私の情報に書き換えられるだろう……」
「は?」
どう考えてもやばい奴だった。
キラキラとした目で女の子らしい夢を語るアイドルトオルは、信者を全世界に拡散すべく、この世界線を次の目標に定めたのだ。
「計画は順調だ。もう間も無く情報の置換が完了する……そうなれば、私もこの世界線でアイドルデビューだ。歌って踊れて料理もできる、完全無欠で至高のアイドル! ふふ、またファンが増えてしまうな……」
「「………………うわぁ」」
ホムラとシラユキは二人揃ってドン引きした。
完全にヤバい奴だと理解したのもあるが、それ以上に意中の男性のIFの存在が、こんなアホなことを企てている事実に悲しくなった。
「……これまで色んなトオルさんに出会ってきたけれど。多分これは一番ひどい」
「もしかしなくてもこれ、大厄災じゃないですか……?」
「ノンノン、大厄災みたく、世界を滅ぼす真似なんてしないとも。自分の信者を減らすような真似はしたくないからね!
……あ、そうだ。二人ともよかったら、私とアイドルユニットとか組まない?
二人とも素材は一級品だし、磨けば私に匹敵するアイドルになれるかもよ? もちろん、センターは私だけど――」
「――いい加減にしとけよお前えええぇぇぇぇ!!!???」
そんな世迷言を偽トオルがほざいた直後。
まるで紙障子を破るように、空間を割ってサカガワトオルが――この世界の本来の主、男性のトオルが姿を現した。
「「トオルさん!?」」
「……驚いた。数百光年先までぶっ飛ばしてあげたんだけどなぁ?」
「お陰様で食材は手に入ったよ。……しかし、俺が留守にしてる間に好き放題してくれたみたいだなぁ?」
青筋を立てて威嚇する真トオル。完全にキレていた。
無理もない。留守の間に、勝手に自分が女の子であるという事実改竄をされかけていたのだ。真トオルにそんな趣味はなかった。
「君の戦力は、今まで見た私の中でも頭抜けているようだ……
ならば、方針を変えるとしよう。もう一人の私よ、私のファンにならないか?」
「ハァ?????」
「君と戦うのは得策じゃなさそうだからね。それに私は、ただ信者を増やしたいだけなんだ。君が私のファンになってくれるなら、お互い争わずに済むだろう?
私は戦わずに済む、君達は私のファンになれる。WIN&WINの関係じゃないか」
「砂糖の食い過ぎでイかれたか? アイドル活動をするのは勝手だが、その甘ったるい馬鹿みたいな夢を押し付けるな。
それに誰が自分自身のファンなんかになるかよ。自分で自分を推してどうすんだ」
「残念。交渉決裂のようだね。――しかし」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる偽トオル。
彼女にはまだ、勝算が残されていた。
「“誰が自分自身のファンになるか”、ね……想像力が足りないんじゃないか? キミ。
世界は広い。この世には君の知らない人種がたくさん存在するのさ。
例えば、今君が馬鹿にしたような夢を推してくれる、他の世界の私自身……とかね」
「!?」
直後、先のトオルと同じように、空間を紙障子のように破り、そこから複数人のサカガワトオルが姿を現したのだ!
「な、なんだよ……これ」
「ふふ、色んな世界線を巡るうちに、私の信者になってくれた“サカガワトオル”さ。ここにいるだけじゃない。地上でせ……布教活動を行っているのも、別世界の私自身だよ」
信者と化したサカガワトオルは全員男で、謎のハチマキとプリントシャツ、そして両手にペンライトを持っていた。
当然プリントの柄はアイドルトオルの顔だ。あまりにもアイドルオタクし過ぎているその風貌に、真トオルですらも少なくないダメージ(主に心の)を受けた。
「さあ、こうなれば全面戦争といこうじゃないか。
数多の信者を持つこの私と、料理店を営む君……
どちらがこの世界のアイドルとなるか、とことんぶつかり合おうじゃないか!!」
「――――――――」
偽トオルの挑発に対し、真トオルは沈黙していた。
かつてないピンチに、彼の心のメーターはとっくに振り切れていた。
「ホムラちゃん。シラユキちゃん」
「は、はい」「うん」
「目の前のあいつは俺じゃない。俺の名前を騙る偽物だ。決してIFの存在なんかじゃない。
いいね?」
「「あっはい」」
真トオルは何も聞かなかったことにした。
この汚点とも呼べる存在を、間違っても自身のIFだと認めるわけにはいかなかった。そして一刻も早くこの世界から消し去るために、全能力を解放した。
「お前はもう消す。二度と出てくんな※※※※野郎」
「はは、いいね! それじゃLIVEスタートだ!! この戦いすらも私を彩る、演出の一つにしてやろうじゃないか!!」
……そして目の前でドンパチやり始めた二人を、遠巻きにホムラとシラユキが眺めていた。
「ええと……世界には色んなトオルさんがいるんですね?」
「お願い、これが悪夢なら今すぐ醒めて……」
◆
この後なんやかんやあって全ての問題を完璧に解決し無事トオルはハッピーエンドを迎える事ができたのであっためでたしめでたし。
◆◆◆
昨年のエイプリルフールネタです




