「03」鍛錬
転生してから半月が過ぎた。
俺の実家は、どうやら例の病院があった高い壁に囲われた城塞都市から少し離れたところにある村の中にある様だった。
豊かな森に囲まれた田舎の村の、少し高い丘の上にあるかなり大きめの一軒家……というか、御屋敷。
窓から見る限りかなり広そうな庭園があって、それを立派な煉瓦と鉄柵の塀が囲んでいる。
「はい、きれいになりましたよ、ロザリーお嬢様」
布のおむつを替えてくれるメイドさんを見上げ、ついで横にまとめられた汚物の塊を見る。
乳幼児のそれは、まだあまり臭いはしないようだった。
横に置かれているというのに、あの嫌な臭いが鼻孔まで届かないので、思わず鼻が詰まっているのかと疑ってしまった。
(……それにしてもメイドがいるなんて、この家は金持ちなのだろうか?)
母も若いが、それよりもさらに何歳か若い風貌──おそらく高校生か、あるいは大学生くらいだろうか。
金髪に緑色の瞳のお姉さんで、黒いワンピースに白のエプロンというこれまた前世では見慣れたど定番のメイド服を着用している。
尤も、メイド喫茶のそれに比べるべくもないほどクラシックなものではあるが。
確か、転生前に身の上の設定をした時はただ『元冒険者の家庭』としか書かなかった気がするが……もしかすると、それなりにランクの高い冒険者だったのだろうか。
それで、冒険者時代のたくわえで優雅な暮らしをしている?
ベビーベッドの柵を閉じて、汚物の処理に向かうメイドを見送りながら天井を見上げる。
この部屋は両親の寝室だ。
まだ寝がえりは打てないが、抱きかかえられればベビーベッドの隣に大きなダブルベッドが見える。
この部屋にあるのは、それと壁際のクローゼットと母の使う鏡台くらいなもので、その他に何か目立ったものはない。
そうそう、この半月で分かったことがもう一つある。
それは俺の名前だ。
まだなんと喋っているのかは理解できないが、俺のことを見るたび頻繁にロザリーと呼ぶので、多分これが俺の名前だろう。
……どこかの国みたいに、天使だとかかわいい子だとか呼ぶ風習がないのであれば。
***
更に数ヶ月が過ぎた。
このころになってくると随分言葉が理解できるようになってきた。
まだ複雑な文法は分からないが、赤ちゃんの脳みそというものは柔らかいもので、どんどん言語を吸収していく。
どうかこの成長速度が大人になっても続いていてほしいものだと願うばかりだ。
そうそう、このころから起きて居られる時間がぐんと伸びた。
最近は暇なので発話の練習をして過ごしたり、体の動かし方を練習したりして過ごしている──が、これがなかなか難しい。
発話に関してはまだ簡単な『あ』とか『う』しかうまくしゃべれない。
これでもかなり努力したものだ。
なんといったって舌を動かすのが異様に難しい。
前世の頃は何気なくしていたいろんな発音だが、赤ちゃんの体でやってみるとこんなに厳しいものなのかと衝撃を受けた。
第二に体の動かし方だ。
これが思い通りに行かなくて難しい。
手はどうやって動かしたっけ?
足は?
指は?
どれもこれもうまくいかない。
一番いけないのが、手の近くに髪の毛があったときだ。
赤ちゃんは手に何かがあると握ってしまう反射がある、というのはうっすら聞いていたが、これのおかげで生まれたころから豊かだったらしい髪を引っ掴んで離さず、頭皮が千切れそうな思いをして何度か泣いてしまった。
仕方ないだろ、握ったまま離せないんだから。
転生して前世の記憶を引き継いでいるからといっても、人生というものはままならないものらしい。
***
生まれて半年が過ぎたあたりで、俺の首は座り始めた。
身動きもずいぶん取れるようになり、寝返りもできるようになったし、ハイハイだってお手のもの。
今ではベッドの上だけでなく、寝室のあらゆる場所を這いずり回っている。
尤も、メイドが見ている間だけ、という前提条件はあるが。
ちなみに、部屋の外に出ようとすると全力で止められる。
この家は広いらしいので、早く探索してみたいのだが……今は仕方あるまい。
(隙あり!)
──という風を装って、一瞬目を逸らした隙に突撃する。
「ダメですよ、ロザリーお嬢様」
……が、あっけなく抱き抱えられ、部屋の奥へと押し戻されてしまった。
「まったく、油断も隙もありませんね……」
さて、そうなってくると今度はもっと暇な時間が増えてきた。
体の動かし方に慣れる方は続けるつもりだが、やはり異世界に来たとなれば、幼い頃からやっておきたいことが山のようにある。
──そう、魔力操作の練習だ。
あの爺さんの性格からして、おそらくこの世界における魔法の設定も多くのラノベや漫画に通じるところがあるはずだ。
幼い頃から訓練していれば魔力量が増えるとか、できることが多くなるとか、なんとか。
生物学的なロジックとかも結構厳しめに設定を書き込んでいたし、きっと魔法の部分もそれなりに書き込んでいるに違いない。
あの爺さんはきっと設定厨だからな。
***
季節が廻り、ようやく異世界生活も一年が経過した。
どうやらこの世界も、元の世界と同じように十二か月で一年になるようで、俺が生まれた病院での検診でそのことを知った。
「ロザリーちゃん、何歳ですか?」
「いっちゃい!」
白衣を着た医者が、笑みを浮かべながら人差し指を立てる。
このころになると、もうほとんど会話も聞き取れるようになり、簡単な単語なら発音できるようになっていた。
と言っても、まだまだ流暢に話すのは難しいが。
「おー、賢いですねぇ」
「お家で沢山練習したもんねー?」
「ねー?」
笑みを浮かべながら俺の手を取る母に、俺もニコリと笑みを返す。
……ここのところ、母の俺への扱いのせいか、精神が低年齢化してきている気がする。
気のせいかな……気のせいだったらいいな……。
「へぇ、練習ですか。
最近はどんなことを?」
「一緒に絵本を読んだり、歌を歌ったりしています。
情操教育に良さそうなのはできるだけ取り込むようにしてて」
「いいですねぇ。
私も昔はよく読んでもらいましたよ。
ほら、騎士様が三人の従者を連れてドラゴンを退治しに行く話とか」
騎士……三人……ドラゴン……話……?
聞き取れた単語から推測するに、おそらく騎士が何かの三人を連れてドラゴンを倒すとかそんな感じだろうか?
やはり、長い話文句になるといまいち聞き取れん。
ちらり、と母の方を見上げると、彼女は苦笑いを浮かべて
「ロザリーは女の子ですから、そういうのは」
「そうですか?
お母さん、もともと冒険者だったでしょ。
こういうのは別に性別とか関係ないと思うんですが」
「そうですけど……この子には、危険なこととかしてほしくないですから。
それに、広い世界を知るというのは、別にそれでなくてもできることでしょう?」
むぅ、聞き取れない単語が多いな、多すぎる。
きっと難しい話をしているのだろう。
苦笑いを浮かべ、かと思えばこちらに優しい笑みを向ける母の表情に、俺は眉根を寄せながらリスニングをあきらめた。
リスニング。
そう、リスニングだ。
この世界に来てからというもの、延々とリスニングテストをさせられている気分で仕方がない。
正直頭が痛くなる。
こういう時は……そうだ、こういう時はきっと、話を聞き流すに限る。
無理して聞き取ろうとしなくても、言葉というものは自然と、いつの間にか修得しているものだと何かで聞いたことがあった。
何とかラーニング、とかいうんだったか。
古い英語教材のCMを思い出す。
──と、なると、この暇な時間は一体何に充てるかというと、もちろん魔力操作の訓練である。
暇を見つけては魔力操作を繰り返し、早半年。
今となっては、かなり自在に操れるようになってきていた。
手足を動かすのと同じような感覚で自由に魔力を操れるし、念力と身体強化くらいならもはや意識する必要すらない。
故に、今目指すべきはその保持量である。
魔力操作を練習してきてよく分かったのだが、魔力量は自身の体の堆積に比例する。
つまり、身体が大きければ大きいほど、保有できる魔力量もまた多くなるのである。
しかし、これでは物足りない。
というわけで考えたのが、魔力の圧縮である。
体内に保有する魔力を圧縮しまくって、空いた隙間にまた魔力をため込む。
そしてこれをまた圧縮していくのである。
しかし、この圧縮にも体力を使う。
意識していなくては魔力が緩んで体の外に出ていってしまう。
故にここしばらくの魔力の訓練は、意識しなくてもこの魔力を圧縮保持できるようになることだった。
「では、ロザリーちゃんの魔力を計りますね」
そんなわけで2人の話を聞き流しながら訓練にいそしんでいた時だった。
不意に先生が、細長い棒状の器具を持ってきて、俺の口に突っ込んだ──直後。
「え!?」
先生が目を見開いた。
「どうしたんですか!?」
「代謝魔力量が、同年代の子と比べて三倍あるんです。
魔力過多症です、早く治療しないと!」
なんだかただならぬ緊迫した雰囲気。
もしかして俺、何かの病気なのだろうか?
怖くなって、思わず魔力の圧縮をやめてしまう──と。
「あ、あれ?
おかしいな、数値が……」
先生の慌てたような表情が、怪訝なものへと変わっていく。
「故障か?
グウェン、新しいの持ってきてくれる?」
医者先生は隣室に控えていたらしい看護師に何やら呼びかけると、また新しい棒のような器具を持ってこさせ、再び俺の口に突っ込んだ。
その様子を、母は不安そうな様子で見守りながら、俺を怖がらせまいとぎゅっと強く抱き寄せて頭を撫でている。
(大丈夫だぜママン、俺はこんなことで泣いたりしないから!)
にやり、と不敵に笑って見せてみる。
すると彼女も落ち着いたのか、少し苦しいくらいに抱きしめていた腕を緩めて、先生の顔を窺った。
「すみませんお母さん。
ただの機械の不調だったようです」
安堵した表情。
どうやら、問題はなかったらしいと知って、俺もほっと胸をなでおろす。
良かった、大変な病気とかじゃなくて。
安堵したのか、力が抜けたように頭を下げる医者に、俺は元気出せよ、と笑みを浮かべた。
「ただ、もしかすると何かあるかもしれないので、定期的にロザリーちゃんの魔力を計っておいてあげてください。
詳しいことは書面に書いておきますが──」
それから、また二人は難しい話を始めた。
俺には何を言っているのかさっぱりだったが、さっきの棒のような器具を手に話をしているのを見る限り、あの道具の使い方について指導を受けているのだろう。
それにしても、あの棒は一体何だったんだろう。
そういえば生まれたころにも突っ込まれた気がする。
体温計とは違いそうだし……。
俺はそこまで考えて、しかし考えてもわかりそうにないので、あきらめて鍛錬を再開することにした。
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