「04」身の上
時が経つのは早いもので、俺も今年で二歳だ。
この年になる頃には、去年の間は不得手だったこの世界の言語も不自由なく扱えるくらいにはなったし、立って歩くことは愚か、今では毎日走り回らなければ夜寝られないくらいには体力が有り余って仕方なかった。
子供の体力はすさまじいとよく言うが、子供に戻ってみるとそのすさまじさをより一層自覚する。
疲れ知らずとはまさにこのことなのだろう、と。
ああ、それと勿論、トイレトレーニングも完璧だ。
なんといったってもう二歳だからね。
今やオムツは卒業して立派に布のパンツを穿いている。
「トイレには慣れたと思ってたのに……」
庭の物干し竿に吊るされた、洗い立ての下着を見上げながら、俺は苦い笑みを浮かべる。
オムツというだけで屈辱的ではあったが、それを卒業したと思った矢先にこれでは心の傷は深くなる一方だ。
あぁ、強い日差しが鬱陶しい。
まるでお天道様に笑われているみたいだ。
ため息をつき、そろそろ家に戻ろうと踵を返した──その時だった。
木剣を持った亜麻色の長髪の男──今生における俺の父だ──が、玄関から出てきたところだった。
「パパ!」
「おぅ、ロザリー!
そんなところで何してたんだ?」
しゃがんで両腕を広げ、まさに胸に飛び込んでこいと言わんばかりの姿勢をとる父。
普通ならそこに飛び込んで甘えようというものだが、俺の精神は大人の男性。
しかも彼より多分年上なのである。
まさかそんなことできまい、なんて躊躇っていると、彼の方から近寄って抱き抱えてきた。
「ロザリーは、ママに似て恥ずかしがり屋さんでちゅねぇ! ほぅら、ちゅー!」
「やめて、臭い」
「酷い!?」
両手で迫るキス顔を押し退けると、父はショックを受けた様子で項垂れた。
「御主人様。
ロザリーお嬢様も年頃の淑女です。
相応のご配慮をお願いできませんか?」
そんな風なやりとりをしていた時だった。
先程から二人の様子を見ていた俺の傍付きメイド──シュニャが、恭しく提言した。
「淑女って、まだ2歳だろう?」
「もう、でございます。
お父様のお洋服と一緒に洗濯しないで、と言われるまで、あとどれほどの時間が残されていましょうか」
「やめろ。
俺のロザリーはそんなこと言わない」
唇を尖らせる父はどこか子供っぽくて、前世の実父を思い起こさせる。
あの人も言動が子供っぽかった。
大きな子供だ、と前世の実母も長い間嘆いていたのを昨日のことのように思い出せる。
俺は、同意を求めるように『なー?』と話しかけてくる父に小さなため息をついて黙らせた。
「……シュニャ、俺はどうすればいいんだ?」
「とりあえず、相手の嫌がることをしないということを徹底すべきかと。
御主人様はどうにも、相手の好悪を無視するきらいがありますので」
メイドの辛辣な言葉に、彼は反射的に反論しようと口を開いた。
否。口を開こうとして、今まさに自分がしていたことに気がついて、直前でその言葉を飲み込んだ。
「……違いない。
だがな、二人とも」
真剣な眼差しになって続ける。
「娘の小さい頃に構ってやれるのは、今だけなんだ」
「でしたら余計、嫌がることはすべきではありませんよ」
「ぐぅの音も出ねぇな……畜生」
父は残念そうに呟いて、俺の体を地面に下ろした。
***
二本の足で走り回れるくらいになったことで、この家のことはだいぶわかるようになってきた。
まず、うちは周囲よりもかなり裕福だ。
なぜそう思うかというと、まず第一に俺が暮らすこの家は四階建ての石造建築のお屋敷だからだ。
前世でチラリと見たことがあるが、カントリーハウスというものによく似ている。
ほら、貴族が田舎に立てるでっかいお屋敷のことだ。
うちがあるのも田舎だし、小高い丘の上の広い敷地だ。
庭の広さも桁違いで、前世基準で見ても一般的に所有できる広さではないし、父母の寝室がある四階から見下ろしてみても、周囲にこれほど立派な屋敷なんて見当たらない。
あるのはせいぜい、二階建の木造か煉瓦造の一般的な規模の一軒家が軒を並べているくらいで、他には麦の畑と川と水車小屋、それから何かよくわからない塔──たぶんサイロだろう──がいくつかくらいである。
もう一つ付け加えて言うなら、うちにはメイドがいる。
俺の世話を担当してくれているシュニャの他に、彼女の上司であるメイド長の婆さんメイドのウェンディ、父母の身の回りの世話をしているムーナとブリギッテがいて、調理場にはまだ名前を知らないキッチンメイドが五人もいる。
他にも掃除をするメイド、給仕や来客の対応をするメイド、ベッドメイキングをするメイド、洗濯をするメイド──などなど、俺が見た限り、おそらく両手足の指では足りない数の、人種も国籍もバラバラなメイドが務めていた。
あとたまに執事も見かけるし、車を運転する下男も見る。
背が高くて、そこらの人よりも顔立ちが整っているガタイのいい人で、筋肉もあって、たまにメイドたちが彼らを見てうっとりしているのを見かけることもある。
もしかしてうちは貴族なのではないだろうか。
だってそうだろう?
この人数の人件費だ、きっと膨大な金額が毎月動いているに違いない。
ともすれば引退した冒険者の貯蓄で運用できる範疇とは考えづらく、そうでなければ何かしらのコネがあるとかしか考えられなかったからだ。
……まさか、この村自体がシモンの領地だったりして。
(ありうる……)
それで、その税収で皆を雇ってるのかも。
俺は、父が木剣を振る姿を眺めながら、そんなことを思う。
実戦で鍛え上げられた、引き締まった肉体。
重い踏み込みから放たれる鋭い振りには魔力が伴っていて、その洗練具合が彼の冒険者としての経験を物語っている。
……が、どうやら魔力の扱いに関してはムラがあるようだ。
魔力がすっきりと木剣に収まっておらず、ところどころ抜け出してゆらゆらと揺れているし、密度も均一ではない。
そのせいか、よくよく見ると魔力の薄い部分だけ木剣の劣化が比較的激しい。
ふむ。
こうして改めてじっくり見ると、魔力操作に関しては多分俺の方が上手い自信があるな。
「ねえシュニャ」
「何でございましょうか、ロザリーお嬢様」
金髪に翡翠のような瞳の少女が、俺を膝に乗せたままいつものように耳を傾けてくれる。
「パパって、何してる人なの?」
最早、自力で推理するのは限界だ。
俺は彼女の顔を見上げ、ついにその答えを聞き出すべく口を開いた。
「お仕事の話ですか?
そうですねぇ、簡単に申しますと、村を護る人です」
「あの剣で?」
「だけではございませんよ」
話が端的すぎて、いまいち理解が進まない。
村の警備員、というには資産がありすぎるし、村を護る人で資産が貴族級……となると、やはり男爵とか、そういった領地経営だろうか?
この世界ではまだ魔物を見たことは無いが、冒険者というう職業があることは分かっている。
ならば領地を護るために有事の際は剣を取って戦うこともあるが、普段は机に向かって書類仕事をしていると考えると、いろいろ納得がいきそうな話ではあるのだ。
などと、少々納得いかない顔をしていると、シュニャは笑みを浮かべて
「お父君のお仕事の名前は、男爵と言います。
簡単に言いますと、村のお金のことや食べ物のこと、暮らしのことなどを考えて、どのようにすれば皆が幸せに過ごせるのかを考え実行するお仕事です。
たまに、森の方から魔物が出てくることもあって、それを討伐──退治するための人を村から選んで倒しに行かせたり、様子を見に行かせたりすることもしますよ」
なるほど、町長とか市長とか、なんかそういうのに自衛組織のリーダーみたいなのがくっついた感じの役職なのか。
ということは、やはりここの暮らしは税金で賄われているのだろうか?
……などと、そんなことを考えていたせいだろうか。
「……それって、儲かるの?」
不意に、そんな言葉が口からこぼれてしまった。
「ぶふっ」
吹き出すシュニャ。
きっと、まさか俺がそのようなことを口にするとは思わなかったのだろう。
彼女は俺の怪訝そうな顔を見ながら涙を拭くと、そうですね、と前置きして口を開いた。
「村によりますが、ここは黄金麦の名産地なので、それなりに儲かっていると思いますよ。
御主人様には商売の才能が有りますから」
黄金麦……。
麦の品種だろうか?
「そうなんだ……」
あの親バカに商才がねぇ、と汗をかく父を見やる。
麦の名産地というなら、確かに安定はするだろう。
麦は何にでも使えると言っていいくらい用途が広いし、何より主食の原料だ。
無くては生活が行き届かないくらいには必需品である。
ここの近くにはきれいな川も流れているみたいだし、水車小屋ではきっと今日も麦を挽いてはパンを焼いているに違いなかった。
実家が太くて何よりだな、うん。
……などと、そんなことを話していた時だった。
汗をかいたシモンがタオルで体をふきながら、こちらへと歩いてきた。
「そんなに俺の剣がかっこよかったか?」
どうやら、彼の姿を見ながら話していたのを、そんな風に勘違いして寄ってきたらしい。
俺はその辺の誤解をどう解こうかと少し考えて──ふと、その手に握られた木剣が気になった。
「うん、かっこよかったよ」
俺も、今となってはもう前世のこととはいえ、その魂は男だ。
剣と聞いて憧れないはずもなく、目の前に経験者がいるというのなら、ちょっとくらい振ってみたくなったのである。
「そうか、それはいい!
本当は、息子が生まれたら──と思っていたんだが、今の世の中は物騒だしな。
女でも、ある程度は自衛できるくらいには強い方がいいだろう。
うん、これならレティも文句は言うまい」
レティ、というのは今生の母のことだ。
というのも、彼女は俺に対して極力危険なことはさせたくないという主義らしく、いわゆる淑女教育に夢中なのである。
シモンの立場に立って考えるなら、母の意図を汲んでやりたいのと同じくらい、自分の子供にも自分の剣を教えたいという欲求があるに違いなく、このための言い訳について日夜考えていたのだろう。
そういう事情が、さっきの言い訳めいた言葉と、俺が外に出るたびに『ちょっと休憩』と言いながらこちらに見えるように剣を振っていた言動から容易に推察できてしまって、思わず苦笑いが漏れた。
父のいたずらっ子のような瞳が、シュニャに無言の圧を掛ける。
彼女はと言えば、それを受けて肩をすくめると
「奥様には、ご自分から言い訳してくださいね?」
と、あきらめた表情でそう呟くのだった。
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