「02」誕生
おぎゃあ、と産声を上げたのは、後に聞いた話によると市内のそこそこ大きな病院だったらしい。
生まれて初めて見る異世界の光景はどこかぎらついていて、思ったより現代的だった。
白く照らされるライト。
真っ白なローブ姿の産科医。
ゴム製の手袋が嵌められた手で、文字通りの生まれたままの姿を軽々抱きかかえられるのは、なんとも形容しがたい恐怖感があった。
「生まれましたよ、お母さん!
元気な女の子です!」
実際のところ、何やら音がくぐもっていて何と言っていたのかわからなかったが、おおよそこのようなことを言っていたに違いない。
俺は医者の手によってへその緒を切られ、初対面の我が母の胸へと抱きかかえられる。
「ああ、■■──」
何やら、感動したような顔で笑みを浮かべ、抱きかかえる母。
周囲がやけにぎらつくのではっきりとは顔を見ることはできなかったが、射干玉のような乱れた黒い髪が、出産の厳しさを語っていた。
その顔を見て、ようやく何とか実感がわいてくる。
ああ、俺は新しく生まれ変わったのだ、と──。
***
「ああ、母さん。生まれたよ。
……うん、ちょうどさっき。今病院から念話してる」
一瞬の暗幕の後、物音に目を覚ましてみると、俺はまた別の誰かに抱かれていた。
亜麻色の長い髪の男。
細身だが抱えている腕の筋肉から、それなりに鍛えていることがわかる。
(目が慣れてきたな……)
男が何を言っているのかは、いまいち聞き取れなかった。
さっきよりはずいぶんとはっきり聞き取れるが、何だろう、外国語にしか聞こえない。
どうやら異世界人特典の全言語理解とかそういうものは、俺の場合には与えてもらえなかったらしい。
そういえばあの爺さん、こっちの世界には魔法はあるけどゲーム的なスキルとかステータスウィンドウみたいなものはないって言ってたっけ。
……ということは、これから頑張ってこの外国語を覚えなければならないのか。
俺は、気の遠くなるような話にうんざりといった様子で顔をゆがめた。
「ほら、おばあちゃんだぞ」
よくわからない言葉をまた呟いて、男は金色のラッパのようなものを差し出してきた。
少しさびていて、細い方から何やら管が伸びて壁の大きな四角い箱に繋がっている。
なんだこれは。
そんな風にしげしげと眺めていると、ラッパの口から、知らない女性の声が聞こえてきた。
『はじめまして、おばあちゃんだよ~。
ロザリーちゃん、声を聞かせてほしいなぁ?』
そこでようやく察する。
そうか、これ電話か!
ということは、この女性はこの男の親戚か何かだろうか。
口を近づけているということは、おそらくここに向かって何か話しかけてほしいんだな?
仕方ない、興味ついでに協力してやろう。
そう思って、俺は小さく口を開いて何かを発しようとした──が、多分まだ生まれて数時間と経っていない俺の声帯は弱弱しく、ただ一言『あ』と発音するだけでものすごい体力を要求された。
『あら、かわいいお声!
ちゃんと聞こえたわ、シモン!』
「また今度会いに来なよ。
今すぐは……ちょっと難しいけど」
受話器らしきラッパを取り上げて、男が話す。
「……うん、三年後くらいがいいかな。
しばらくバタつくし……使用人? 大丈夫、足りてるって。
俺が何だったかもう忘れたのか?
……うん……うん……あ、うちの場所覚えてるか?
……そう、コリント領のコーン村。
……うん、うん……そうそう、広い黄金麦の畑があるところ。
観光兼ねてくるなら秋に来なよ……うん……」
なんだかやけに楽しそうだ。
俺はそんな彼の様子を見上げながら、再びまどろみの中へと落ちていった。
***
それから何度か、授乳の時間になっては起こされ、飲んでは眠り、飲んでは眠りを繰り返した。
新生児というのはこんなに短期間で何度も乳を飲むのかと驚いたが、もっと驚いたのは母から直接吸い付くわけではなく、哺乳瓶を咥えさせられての授乳だったことだった。
しかも、与えてくれるのが母ではなく看護師らしき男性。
母は一体どうしたのだろうか?
なんて疑問に思いながら、赤ちゃんばかりが閉じ込められた部屋の中で、手足の自由が利かないことにもどかしい思いをする時間を過ごした。
……それにしても、赤ちゃんって暇だと思っていたが、意外とせわしないんだな。
飲んで動いて寝て。
それだけかと思いきや、周りの赤ちゃんの泣き声に叩き起こされたり、何か棒のようなものを突っ込まれたり、肌に何かを塗りたくられたりと忙しい。
体力がないせいで起きていられる時間が短いせいもあるのだろうが……これは、一体何をされているのだろうか。
前世の記憶がある分、なんというか妙に精神的な疲れがたまってきそうだ。
そんな感じの日々が一体どれだけ過ぎただろうか。
無限にも思える時を過ごして、もう一度母に会えた頃には、俺の顔は心なしかげっそりしていた。
「あら、どうしたのかしら?」
「おそらくですが、お母さんに会えなくて寂しかったんだと思いますよ」
「まあ!」
看護師らしき男性が母と何かのやり取りをしている。
母は、きれいな黒髪の女性だった。
ここしばらくで慣れてきた視界に映る彼女は、想像していたよりもきれいで、紫がかった瞳がこちらを覗いているのを見つけられた。
(なるほど、俺は目以外は母親似なのか)
鏡も見ていないのにどうしてわかるのかというと、それはもちろん、転生前に自分の容姿をしこたま考え抜いたからだ。
故に、自分の容姿というものを──少し未来の姿ではあるが──把握していたのだ。
誰のどの部分が遺伝してくるのかとかは知らなかったけど。
それから俺は母の腕に抱かれ、病院を後にした。
病院を出ると、この世界の文明レベルがどの程度なのかというものが、一層はっきりした。
まず、馬車をあまり見かけない。
ちらほらとは見るが、それよりも型の古そうな丸っこい形の車が何台か走っているのを見かける。
車の数は多くない。
それよりも、歩いている人の方が圧倒的に目立つ。
待ちゆく人々の多くは、よく見知った人間族。
次いで、猫耳や犬耳を生やしたタイプと、二足歩行した動物の姿のタイプの二種類の獣人。
そしてところどころにぽつりぽつりと、髭を生やした小柄な樽のような体の人──たぶんドワーフが数人程度。
地面は舗装されていないし、服装もなんだか現代的というよりちょっと昔っぽい雰囲気だ。
異世界と聞いて中世ヨーロッパをイメージしていたが、どうやら中世は中世でもかなり後半あたり──というよりも、恐らくはもっと後──近代くらいの様だ。
建物を見れば高いレンガ造りの建造物に混じってコンクリート製のものがいくつか見えるし、ガラスだってふんだんに使われている──中世世界ならこうはいくまい。
(いや、魔法がある世界だし、前世と同じような進行速度で文明が進んでるとも限らないか)
この辺は、きっと考えれば考えるほどきりがないに違いない。
俺は笑みを浮かべる母を見返しながら、これからの人生に思いをはせることにした。
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