八話
「……オレ、何分ぐらい寝てたっスか?」
「十五分くらいかな。そんなに長くなかったよ」
突然飛び起きるように頭を上げたナツメに、すかさずコーヒーを差し出したカズヒサは「大変だったね」と笑顔を見せる。ナツメは辺りを見回してアキチカとマツカゼの姿を探すが、その様子に感付いたカズヒサがすぐに答えを導く。
「アキチカさん達なら、会議で班長室にいるよ。今後の配置替えとか諸々のね」
「配置替え、って……?」
急に表情を強張らせたナツメに、カズヒサは笑いながら手を横に振った。
「違う違う。班長は、僕とマツカゼさんで新しく現場係を作るらしくて。何か今回も『名物副班長』が関わってたみたいでね、もうアテにならないから案内班から自立しよう、って話になったんだ」
「……それって、人事異動っスか?」
「少し違うかな……僕は、向こうの副班長の逆を行こうって事だと思ってるよ。ま、きっと僕やマツカゼさん達の仕事が多少変わるだけだから、ナツメさんは心配しないで」
そう笑顔で言われ、ナツメは俯きながらも安心したように顔を綻ばせる。今回の自分の行い故に何か起こるのだろうかと心配したが、そうではないと分かって嬉しく思った。
そんな彼女の姿を微笑ましく見ていたカズヒサは、ナツメの前にコーヒーの入ったカップを差し出す。
「それ飲んだら、一緒に製造係へ遊びに行かないかい? とは言っても、新しい注文と費用の算出を伝えに行く『ついで』なんだけど」
「オレ……いいんですかね?」
「どうせ、あの三人は暫く出てこないよ。難しい事はベテラン達に任せて、君は少しでも身体を休ませておかないと。気分転換にもなるしね」
「……はい、了解っス」
ナツメはカップを持ち上げ、熱いコーヒーを少し吹いてから口を付ける。その瞬間、口の中に感じた味に心底怪訝そうな顔をした彼女は、目の前で湯気を揺らめかせる黒い液体をじっと見つめた。
「……これ、ココアにシロップか何か入れたんスか?」
「ただのコーヒーだよ? いつもの、班長の差し入れで戴いた豆だけど」
「いやいや、ココアっスよ?」
「粗塩ひと匙でそんなに甘く感じるなら、それだけ君の『核』が疲れている証拠だよ。美味しくないだろうけど、一応全部飲み切っておいてね。回復が早くなる」
「……了解っス……」
ココア、と言うには唾液腺が痛くなる程に甘い、なのに匂いは苦さを感じる変なコーヒーを、ナツメはカップを呷って一気に飲み下す。口の中に微妙な味が広がり若干気分が悪くなるが、何故か、不思議と身体にのし掛っていた倦怠感が幾分か楽になった気がした。
カップをナツメから受け取り、小さな流し台に置いたカズヒサはデスクの上に立てられたファイルを何冊か選んで、左腕に抱える。
「じゃあ、行こうか。マツカゼさんには言ってあるから」
「はい」
ナツメが席を立つのを確認し、二人はロッカー室へと向かう。入ってすぐ右にある黒いドアのノブを回して手前に引くと、中は下へと続く階段が伸びているだけだ。薄暗い空間の中、長く続く階段を一番下まで降りると、突き当りの右側に、先程と同じ黒いドアがある。
電子ロックの掛けられたドアは九つのボタンとその上にある液晶のパネルが他者の侵入を防いでおり、カズヒサが液晶パネルに右手で触れると、二回の電子音と共に液晶パネルが緑色に点滅した。
「こんにちはー、トシユキさん、いますかー?」
「おー、カズ坊かいな」
いろいろと積み上げられたデスクから顔を覗かせ、保護用ゴーグルを持ち上げながらカズヒサの挨拶に気さくに答える。
回収班で唯一『スカウト』で入社した、製造係のトシユキだ。
「ん? 今日は珍しいのも来とるなぁ。いらっしゃい、ナツ坊」
「お邪魔しまーす。トシさんの周りは相変わらず散らかってるっスねー」
実は回収班で一番の新入りであるトシユキだが、他の班員達とは違い、元々は一般の案内対象としてこの送還所にやってきた。大小問わずの電子機器を開発していた会社の主任科学者だった彼を、偶然に案内班の受付で見つけたヨシナガが声を掛けた事で入所してきた。
入所当時は引く手数多、未だに各部署からの開発依頼も絶えない若き天才の彼が、神格化さえも断って何故回収班を選んだのか。それは、「誰の影響下も無く、好きな時に好きなだけ機械弄りが出来る環境」という希望を唯一叶えたのが回収班だったからだ。
さらにヨシナガは「スーツは動きづらいから嫌だ」と言ったトシユキの言葉すらも見事に通してみせた。彼は黒いツナギの袖を腰で巻き、白いTシャツすらも黒く汚しながら、爽やかな笑顔と独特な口調で二人を出迎えた。
「ナツ坊はいつもと全然違ゃうやんけ。取り柄の元気がどっか行っとるっちゅー顔しとんぞ?」
「ちょっと疲れてるだけっスよ。だから休憩がてら遊びに来たんス」
「おお、ほうか。ほな存分に遊んでけ、新作も何個か上がっとんじゃ」
「マジっスか! どんな感じのっスかね?」
「よっしゃ、説明したんわ。先行って見より、ほの代わり触られんで」
「了解っス!」
嬉しそうに笑って、広い作業室をナツメは走っていく。「あんな顔面蒼白でも元気じゃな」と溜め息混じりに笑ったトシユキに、カズヒサが一冊のファイルを差し出した。
トシユキは、そのファイルを感謝の言葉と交換に受け取る。
「今回の予算、見たら驚きますよ」
「ん? どういうこっちゃ」
カズヒサの言葉に首を傾げながら、渡されたファイルを開く。その算出された製造係の予算費用の数字を見て、トシユキは思わず目を剥いて驚いた。
「ほぉーっ、どないなっとん。倍んなっとんで」
「前回の納品分、相当評判良かったみたいですよ。また注文入ってますし」
その言葉にトシユキは、高笑い、というには些か下品な笑い声を上げた。
「ほんま頭回ってへんねやのぅ、案内班は。『外』での位置照準モニターや、ウチで何年使とる思とんじゃろか」
「まぁそう言ってやらないでくださいよ。僕達の生活は、案内班よりもずっと『外』に近い。その上で貴方の様なエキスパートが居るんだから、技術が進んでるのは当然です」
「んなけんど、予算いうても結局は必要物資の調達とか、最新の情報を案内班に発注できるいうだけなんよな。ワシは自分で取りに行きたいんに」
「それも相手の作戦でしょうね。トシユキさんは元々『スカウト』入所だから、あまり『外』へは出られない。だから、トシユキさんにとって都合のいい誘い文句で己が陣地に引き入れようとしてるんですよ。貴方が望めば、僕達には引き止める権利もありませんから」
「……ほんなら、もしかして……案内班入ったら『何でも』持ち込み自由?」
「トシユキさん、まさかとは思いますが、生きてる女性とか『お持ち帰り』してきたら即『回収』しますからね。そのおつもりで」
トシユキの表情が一瞬引き攣り、「冗談やし」と頭を掻きながら笑顔を見せる。カズヒサはそんな彼に、ひとまず「貴方はまだ冗談すら言ってませんが」とツッコんでおいた。
「ほれよりじゃ、今日ナツ坊は何かあったんけ? だいぶ調子悪そやったけんど……」
「あれでも大分マシになった方なんです。今日初めて『使えた』そうだから」
「あー、噂の『道具』いうヤツか。師匠がアキチカの旦那じゃったら、その内あの子も化物んなりそうななぁ」
「……『道具』の正しい使い方さえ、ちゃんと理解していれば大丈夫ですよ」
カズヒサが物憂いげに見つめる先には、目を輝かせながら「まだか」と此方に視線でせがむナツメの姿がある。トシユキは返事を返し、奥の作業場にいる彼女の元までカズヒサと移動する。
「待たせたの、ナツ坊」
「トシさん、これは何に使うんスか? バズーカみたいで格好良いっスね」
「まだ基本的なモンしか入れれてないんやけどな。行く行くは照射目標の空間を歪めれるようにして、十五秒か三十秒、対象の『動き』止めれるようにすんねん」
「スッゲェー……これが完成したら、みんなが無傷で回収出来る様になるっスね」
「ほれが最終目標やけんなぁ。皆が安全に仕事出来る様にするんが、ワシの仕事じゃ」
まだ試作段階の新発明を手にしながら笑顔を見せるナツメだが、やはり顔色の悪い彼女に小さく溜め息を吐き、少々乱暴にナツメの髪を撫でた。
「ナツメさん、トシユキさん。そろそろ午後のミーティングだから上へ戻ろう」
楽しげに笑い合う二人に、カズヒサが声を掛けた。
「ほうやな。丁度キリええトコやけん、一旦終いして上ぇ行こか。今、班長らは?」
「今日の反省会、っていうよりは新案の会議でしょうかね。今日の班長、何だか楽しそうでしたから何かあるかも知れませんよ」
「今日はマジで大変だったっスー……でも、今回は容器壊しませんっしたよ!」
「ほお、珍しい。是非、ほの調子で頑張ってもらいたいのぅ、ナツ坊?」
「ちゃんとわかってるっスよ、もう大丈夫っス!」
片付けを終わらせたトシユキも一緒に、作業室を出た三人はロッカー室への階段を上り始める。
「なぁなぁ、上ぇ行ってあのクソ副班が待っとったら笑わへん?」
「うえぇ、それってマツさんの事言ってるんじゃないっスよね?」
「トシユキさん、アレは噂をすれば必ず居る人です。その話はやめましょう」
「はっはっ、冗談冗談」
「笑えねぇっスよー」
最後にもう一度カズヒサが注意して、ロッカー室へ続くドアを引く。その瞬間けたたましい音量で響いてきた声に、その場にいた誰もが深い溜め息を吐いた。
※




