六話
「……わ、私達から、離れて! あっち行って、近寄らないでっ!」
「その調子よ、カヨちゃん……頑張って。みんなも頑張ってるわ」
少女から手を離して立ち上がったマツカゼは、背中に携えた刀を下ろし、腰元へと構える。深紅に塗られた鞘から、柄を親指で僅かに持ち上げた。
僅かに覗いた桃色の刀身が、生きているように美しく輝く。
「……乃風、お願い。この子を助けて」
次の瞬間には、目にも止まらぬ速さで抜刀された刃が少女から伸び出た黒い影を斬り跳ばした。
少女から斬り離された黒い影は耳を裂くような奇声を上げながら、瞬く間に鳥居から出ていき、おそらく本体のある公園の方へと走り去っていく。
マツカゼが急いで少女の元へと駆け寄ると、切り離しの際に多少なり衝撃があったのか、気を失ったらしい少女は石段の上でくったりと横たわっている。しかし少女が消滅せずにいるという事は、引き剥がしには成功したと言っていい。マツカゼは部下に向けて叫んだ。
「剥離完了! 頼んだわよ二人共!」
「了解!」
公園で対峙していた黒い影は、神社にて少女と離された時点で攻撃をやめ、苦しげにのたうち回っている。その隙にアキチカは周囲に素早く護摩粉を撒き、その間ナツメはアキチカへと狙いが向かないように、ロープを構えて呼寄を吹き続ける。
その時、黒い影が急に姿を収縮させ、小さな蛇へと姿を変えた。飛んできた蛇を躱すと、ロープを振り上げ蛇に狙いを定める。しかし、その瞬間聞こえた声に振り上げた腕が止まった。
「ま、待ってくれ! 殺さないでくれ!」
「えっ、喋ったっ?」
ナツメは驚いて一歩退くも、弱々しく震える小さな蛇に恐る恐る近付く。蛇はニョロニョロと身体をくねらせているが、逃げようとも襲ってこようともせず、のた打っているように見える。しかし頭をナツメの方に向けると、か細く高い声で、見下ろしてくるナツメに必死で命乞いを始めた。
突然の事で唖然とするナツメを他所に、彼の通信機が拾う蛇の声に、アキチカとマツカゼ、そして通信室のヨシナガも聞き取ろうと耳に神経を集中させる。
回収対象が話せるとは思いもしなかったナツメは、つい蛇の言葉に耳を傾けてしまう。
「待ってくれ。ほら、俺はこの通り、見てくれもちっぽけなただの蛇だ。お前さんは、こんな小さなか弱い小動物を殺すってのかい?」
「……オレ達は殺すんじゃない、回収班だ。それに、お前はもう死んでるよ?」
「同じだ! 呼び方が綺麗なだけで、結局は俺達を捕まえて殺してるのと同じだろ!」
「……でも、お前はあの子の両親を喰ったじゃないか。生者を、それも関係の無い人まで」
「さっ……三人目のオッサンは、悪かったと思ってるよ。でも! それは仕方ない事だろっ? 俺達は腹が減ったら我を失っちまうんだから! それに、神社に居た子供は俺が保護してやってたんだ。あの殺人カップルだって、俺があの子の仇を取ってやったんだぞ!」
ナツメの表情が強張る。何も言わなくなったナツメに、聞いていたアキチカは僅かに危機感を覚えた。
彼はまだ回収任務に関して新人に近いし、そして何より、とても優しい。案内対象と離れた今、たとえこの蛇を見逃しても自分達の身に何かが起きる訳ではないが、逃した回収対象はきっとまた同じ事を繰り返すだろうし、ナツメにとっても回収班にとっても、それは最大の汚点となってしまう。
卑劣な小蛇に、彼はどう出るか。アキチカは手を止めてナツメに視線を向ける。
「……可哀想に、あの子は親のせいで病気になっちまって、真冬のベランダに裸で放り出されて死んだんだ。母親があの子供を抱いたのは、後にも先にも死んだ身体を運ぶ間だけだったんだぞ。俺はずっと見てた。あの子供が死ぬ所も、神社に埋められる所も。だから、喰ってやったんだ。あの子供の恨みを晴らしてやったんだよ!」
蛇の話を聞いている内、ナツメの構えていたロープを握る手に力が籠る。イヤホンの向こうからは二人分の舌打ちと、アキチカがナツメの名を呼ぶ声が聞こえた。
しかし、ナツメに湧き上がる感情が一切の呼び掛けを遮断する。握り締めた拳が震え、足元でのた打つ蛇から目が離せない。
「だ、だから、今回ぐらいは見逃してくれてもいい筈だろっ? もう二度と、生きた人間は喰わないと誓うよ。腹が減ったら、俺と同じような『悪い奴』を狙うようにする。そうすれば、お前等も仕事が減って楽できるだろ。なぁ頼むよ、俺はまだ死にたくないんだ!」
「……もういい」
「へっ?」
「もういい。聞きたくない」
会話を聞いていた全員に戦慄が走る。マツカゼとヨシナガがアキチカに応援を叫ぶが、そんな上司達にアキチカは何故か、少し待つように制止した。
打って変わったような違和感。空気を凍らせるような緊張感。先程まで、自分と共に戦っていた優しい後輩とは思えない程の、禍々しい、怒りに似た気迫。
逃がすどころか、より鮮明になった『殺意』にアキチカは目を見張った。
「……ははっ」
思わず漏れる声。蛇もその殺意を感じ取ったようで、瞬く間に姿を元の巨大な影に戻した。しかしナツメは全く怯んだ様子も見せず、振り上げたロープを黒い影へ向けて飛ばすと、意思を持ったように動いたロープは影をあっという間に縛り上げてしまった。
回収班の道具は、『殺意』を持つ事によって本来の力を発揮する。狂気に笑うアキチカの声を聞いた上司達は、何があったのかをすぐに察した。
《アッキー、ナッちゃんの様子は?》
「取り敢えず『もう大丈夫』でしょ。今から俺も1Cの回収に当たります」
《……アキちゃん、わかってるでしょうね? ちゃんとナッちゃんを『守る』のよ》
「わかってます。『そのための俺』ですから」
アキチカはそう言うと、影に向かって走り出す。自在に長さを変え、強く締め付けるロープの中で影は藻掻き暴れている。ナツメがとどめを刺そうと手に力を込めたその時、強烈な衝撃がロープを伝ってナツメの手に走った。
思わず、ロープから手を離してしまう。しまったと思ったナツメだったが、次の瞬間には巨大な影は消え失せ、護摩粉を撒いていた筈のアキチカが本体である蛇をその右手に捕まえていた。
ロープ越しにアキチカの蹴りを受け、再び蛇となった相手は逃れようと身体を懸命にくねらせている。しかし蛇を握るアキチカはものともせず、そのままナツメに歩み寄って「お疲れさん」と笑顔で声を掛けた。しかし、未だ怒りの冷めないナツメはアキチカに掴み掛からんばかりに睨みながら詰め寄る。
「……アキさん、オレが殺ります。その蛇を渡して下さい」
「ごめんな、初めて『道具』を使った班員には、『回収させてやれない決まり』なんだ。こいつがまだここに居る内に、そのロープを片付けな」
「オレに殺らせて下さい!」
「ナツ、俺達は殺しに来てるんじゃないんだ。目を覚ませ、落ち着け、そんでもって頭冷やせ」
「アキさん!」
蛇を無理に取り上げようとしたナツメに、アキチカは何故かその細い首を掴み、片腕で軽々と高く持ち上げた。足が地上から離れ、苦しさと痛みで顔を歪めるナツメに、アキチカは低く静かな声で諭す。
「約束を忘れたのか? 俺の指示に従うと言っただろ」
「ですけど……っ!」
「回収は『その感情』を制御できるようになってからだ。お前は『お前の道具』を早く使いこなせる様になれ。ナツなら必ず出来るから」
その瞬間、首に触れるアキチカの皮膚が焼け付くかと思う程に冷たくなった。サングラスの奥から、その瞳に潜む『闇』を見たナツメは、首から身体を巡る恐怖にぐっと歯を食い縛って「すみませんでした」と声を振り絞る。すると、首を締め付ける力が緩み、ナツメはようやくアキチカの手から解放された。
アキチカが道具を持たない理由は、『名を持たない強い何か』が彼自身でも制御出来ない故だった。『道具』の原動力である殺意とは全く違うその恐ろしい感情は、敵味方関係無く、手に触れるもの全てを傷付けるのだと、ナツメは以前、彼自身からそう聞いた事がある。直に感じた彼の『恐怖』に、ナツメはいつの間にか怒りも殺意も消え失せていた。
「……オレ、出過ぎた真似したッス。ごめんなさい」
「ナツの気持ちもよく分かるよ。昔と『同じ事』言われりゃ、怒りたくもなるさ」
数度咳を溢したナツメが自らの首を摩った時、蛇がアキチカの手の中でか細く高い声を上げて元気よく動き出す。
「……何だよ、何だよ! せっかく下手に出てやったってのに、急に襲ってきやがって! この、この薄情者!」
蛇の言葉を聞いても、ナツメの心はもう動かなかった。しかし、対して大きく笑ったアキチカに、ナツメは思わず呆気にとられる。
「ナツ、薄情者だってさ。お前も遂に、回収対象から苦情を言われるようになったかぁ」
「……笑う事じゃないと思うッスけど……」
「お、おいメガネのあんちゃん! アンタは助けてくれるんだろっ?」
「いやぁ、俺って酷い男だからなぁ」
すると何の前触れもなく、唐突にアキチカは蛇の頭を掴んで引き千切った。同時に握り潰された頭は黒い炭のようになって砕け散り、ナツメが驚く間もなく蛇は空へと高く昇っていく。
何が起こったのか、ナツメは少し混乱した。
「……そんな、あっさり……さっきはオレを止めたのに」
「おいおい、こいつに同情の余地は無いだろ。それとも、まだ自分で『殺りたい』と思ったか?」
アキチカの表情からは、もう先程のような冷たさは微塵も感じない。しかし、これ以上追求しても仕方が無い気がして、ナツメは首を横に振った。
「……もう大丈夫ッス。迷惑、かけちゃったッスね」
「まぁ、絶対に楽しい任務じゃない事だけは確かだよ。だからナツにはゆっくり成長して欲しかったんだけど……ナツ、俺達は『回収』に来てるんであって、『殺し』に来てる訳じゃない。そこだけを間違えないでくれれば、今回はそれで上出来だ」
優しく微笑むアキチカに、ナツメは少し落ち込んだ様子で俯いた。色々な事が頭に浮かび、言葉にしようと口を付こうとするものの、急激な倦怠感を感じてナツメは言葉を喉の奥へと飲み込んだ。
「さぁ、撤収しよう。副班長、1Cの回収完了しました」
《私、あの子の『案内』があったから先に帰ってきてるわ。あなた達も早く帰ってきなさい、お疲れ様》
「了解」
アキチカは通信を切り、ナツメもイヤホンを耳から外す。二人は公園の公衆トイレ脇にある道具箱のドアの前に立つと、『サーチャー』の黄色いスイッチを同時に押し、ドアを開けた。
※




