四話
ロッカーの奥にあるドアには電子ロックのような入力装置が付いており、アキチカがヨシナガに渡された書類を見ながら位置情報を打ち込んでいく。入力し終えてからドアのノブを回して手前に開くと、その先に見えた物は雲の流れる空と柵、そして風に揺れる真っ白な布だった。
一歩、ドアの向こうへ足を踏み入れる。どうやらそこはビルの屋上のようで、はたはたと靡く大きな白い布は衣類には見えない。
布団、否、シーツのような物だろうか。
「ここは……病院か? 高さのある建物のようだな」
「そうッスね……アキさん、あの外付けの階段から降りていけそうッスよ」
「まぁ、動く前にまず位置確認をしてもらおう。半径二キロ以内って事は分かってるんだけど、曖昧な位置情報でランダムに出てくるこのシステム、もっとどうにかならないモンかなぁ」
アキチカとナツメは、同時にサーチャーの三段目にある緑色のスイッチを押す。すると、装着していたイヤホンから明るい声が二人に届いた。
《はいはーい、通信室のマツカゼでーす》
「副班長、ここから目標地点までの距離と、道順教えてくれると有難いです」
《あら、迷子? えーっとね、回収対象の行動範囲内には……あっ、そのホテルの向かい側が目標地点の神社よ。そこから見えるんじゃない?》
「ここ、ホテルなんスか?」
二人は柵に近付き、眼下に見える街を見渡しながら神社を探す。すると、ちょうど真正面の建物に隠れるように、古く小さな鳥居が顔を覗かせていた。
ここから見ても、その土地自体が異様な空気を放っている。両側を背の高い建物に挟まれながらも尚、姿を留めているその神社はいかにも『曰く付き』である事を窺わせている。
同時に目に入った現在地の外観は、どこか遊園地を思わせるような派手な壁に鮮やかな外装、今は昼間のため灯りは付いていないが、大きく掲げられたネオンの看板を見て二人はここがホテルである事を納得した。
「あー成る程、ラブホテルだったんスねぇ。このシーツはそういう事ッスか」
「最近、こういう宿屋をよく見かけるけど流行ってるのか?」
《アキちゃん、そこは宿屋というより出逢茶屋みたいな所よ》
マツカゼの言葉を聞いた瞬間、顔を引き攣らせたアキチカが柵から手を離す。
「マツさん、出逢いチャヤって何スか?」
《昔のラブホテルみたいな所をそう呼んだの。さぁお二人さん、そろそろお仕事始めちゃって頂戴》
「副班長、あの非常階段使えますかね?」
《ええ、大丈夫よ。降りたら目の前の歩道橋を渡って、道路の向かい側に渡ってね》
二人は柵から踵を返し、非常階段から下へと向かった。鍵の掛けられた格子を飛び越え、従業員用の駐車場に出る。道なりにホテルの敷地を出た所で、二人は歩道橋を前に歩道の脇で一息ついた。
「副班長、今ホテル出ました」
《了解、見えてるわ。その歩道橋渡ったら、右に二十メートル移動して。そこが目標地点の神社よ》
「了解」
二人は彼女の指示に従って歩道橋を渡り、神社に向けて足を進める。その間にナツメは上着の懐から『レベルレーベル』という検査機を取り出し、電源を入れて針の動きを見る。
「今回、意外と近かったッスね。前回が遠過ぎただけかも知れないッスけど」
「昨日は三十分歩いたもんなぁ。いやぁ、これはちょっと本気で考えてもらわないと困るなぁ」
神社の鳥居が見え始めた時、『レベルレーベル』の針が右に大きく揺れた。「あ」と声を出したナツメに、アキチカが目を向ける。
「ナツ、ランクは?」
「……やっべー。見た事無いランク出ちゃったッスよ」
引き攣るような笑みを見せたナツメの反応に、アキチカは僅かに眉根を寄せる。
「もしかして、2A超えた?」
「1Cッス」
「……そりゃ確かにヤバいな」
ランクが1の回収対象は滅多に現れないのだが、その分、決して生易しい獲物ではなかった。
下手をすれば多大な被害を受けかねない程の大物であり、経験豊富なアキチカとて一筋縄では行かない強敵である。
「1以上は護摩粉の結界が効かないからな……副班長、そっちから中の様子って確認出来ますか?」
《アキちゃん、相手はおそらく『私達の存在』を知ってる頭の良い奴よ。その神社から半径五メートルの範囲で磁場が狂わされてて、モニターがさっきから言う事聞いてくれないの。きっと境内に入った瞬間、完全に通信が途絶える事になるわ》
「……了解。まぁここからは回収だけなんで、何とか気張ってみます」
《気を付けて。ケンちゃんも、アキちゃんの傍から離れちゃダメよ》
「了解ッス。気を付けて行ってきます」
一歩、また一歩と近付く度に、イヤホンからはノイズが流れ始めた。『レベルレーベル』の反応は正しかったようで、神社に近付くほど空気は淀み、重苦しくなっていく。
特に、初めてランク1の回収対象の存在を体感するナツメは、締め縄の吊るされた鳥居の前に立って初めて、その禍々しさに生唾を飲み込んだ。
「……怖いか?」
アキチカが苦笑しながらナツメに問う。
「怖いッスけど……オレは、平気ッス。ちゃんと、アキさんの指示に従うッスよ」
「よし。じゃあ、行こう」
二人は警戒しながら鳥居を潜り、神社の境内に足を踏み入れる。しかしその瞬間、何故か先程の禍々しさが嘘のように消え失せ、何の変哲もない小さな社が、目の前にそびえ立つだけだった。
ナツメは、その変貌ぶりに思わず己を疑う。
「そんな、なんで……っ?」
「ナツ、油断するな。前をよく見てみろ」
促され、ナツメは目を凝らして社に視線を注ぐ。すると、先程は気付かなかった存在が、賽銭箱の前に小さく座り込んでいた。
女の子だ。髪をおさげに結い、青いTシャツと白いミニスカートを履いた女の子が、すぐそこに座っている。
「……『最近』の子、みたいッスね……?」
ランドセルを背負ったままの少女は、ぼんやりとした目でこちらをじっと見つめている。その姿は明らかに『現代を生きていた』子供であり、とても邪悪な回収対象とは思えない。
「ナツ、ランクはどうなってる?」
不審に思ったアキチカが、レベルレーベルの再確認をナツメに指示した。すると、次の瞬間にはナツメが驚愕に目を見開いている。
「そんな、B5だってっ? ここに来るまでは確かに、1Cを指していたのに……っ!」
「……嫌な予感がする。ナツはここで待機、回収準備はしとけよ」
「りょ、了解ッス……」
鳥居を入った所でナツメを待たせ、アキチカは少女の近くへと歩み寄っていく。傍まで来た所で屈み、目線を低くして少女に笑いかけた。
その様子を、ナツメは不安そうに見守る。
「……こんにちは、お嬢さん」
少女は少し驚いたように肩を竦め、辺りを見回す。自身を指差す少女に、アキチカは大きく頷いた。
「……おじさん、私が見えるの……?」
少女はどこか怯えた様子で、まるで隠れるように辿たどしく話す。アキチカは腰を落としてしゃがみ込み、少女を見上げなから返事を返した。
「ああ、もちろん見えるよ。おじさんの名前はアキチカって言うんだ。お嬢さんの名前は?」
「……私、カヨ。オノダ、カヨ」
「カヨちゃんか。カヨちゃんは、いつからここに座ってるの?」
「……わからない。もう、ずっと」
「……そっか」
首を横に振る少女に、アキチカは少しだけ、憐れむ様に目を細めた。
この少女は、おそらく書類にあった被害者の一人だろう。アキチカは一度下を向いてサングラスを上げ直すと、再び少女に笑顔で向き合う。
「カヨちゃんは、家に帰りたいと思う?」
少女は小さく頷く。その無言の返事に、アキチカも大きく頷き返す。
「よし、じゃあ君の家に帰ろう。おじさん達が、一緒に行ってあげるよ」
アキチカが少女に手を差し伸べると、少女は悲しげに目を潤ませ、頭を抱えて首を振り始めた。突然の反応にアキチカが伸べた手を引いた瞬間、後ろの方で聞き覚えのあるブザー音が三度、等間隔に鳴り響いた。
やはり、嫌な予感は的中した。咄嗟に立ち上がった時、少女が「無理なの」と頭を振りながら、膝を抱えて泣き始める。
「カヨちゃん?」
「帰れないの。帰りたいけど、帰っちゃダメなの」
「……どうして?」
「『彼』が、帰っちゃダメって言ったの。ここから離れると危険だから、って。悪い奴らが私を狙ってるから、私を守ってくれるって『彼』が言ったの」
少女から放たれる、冷たい妖気。アキチカはゆっくりと後退るが、少女を取り囲む禍々しい靄のような黒い影が、段々と社を超えるほどの巨大な蛇のような形へと変貌していく。
その時、鳥居の前で見ていたナツメが叫んだ。
「アキさん、変異種だ!」
次の瞬間、完全に形を成した黒い影が、アキチカ目掛けて鞭の様な体躯を振り下ろした。間一髪の所で後ろに下がって避けるが、その『影』の攻撃で境内の石畳は砕け、土が抉れて辺りに弾ける。
すぐに体勢を立て直したアキチカは踵を返し、ナツメの待つ鳥居へ向かって全速力で駆け出した。
「無理無理、こんなの! 聞いてないって!」
「アキさん、アイツは……!」
「いいから逃げるぞ! ほら止まるな行け行け行け行け行け行けぇーっ!」
走ってくるアキチカの後ろに見える圧縮された妖気を見たナツメも、後ろを向いて神社を飛び出した。二人は必死になって道路沿いの歩道を逃げるが、境内を出ても尚、巨大な影は二人の後をもの凄い速さで追い掛けてくる。全力で走りながらも上着の右ポケットに手を入れたアキチカは、機敏な動きでターンを決めると影に向けて何かを投げ付けた。
ばさ、という砂の音と共に、錆びた蝶番の様な奇声を上げた影はその場でのたうち回り始める。その隙に二人は更に対象との距離を広げ、たまたま近くにあった霊園の中へと身を潜めた。様々な感情が蠢く墓地に居れば、多少なり気配を隠せるからだ。
念のためを考え、一時の休息の間にもアキチカは己とナツメの身体に残りの砂を振り撒く。
「……これ、護摩粉ッスか? さっきアイツに撒いたのも……」
「半分以上使ったのに、やっぱり目眩まし程度にしかならなかったな……副班長、もしさっきのを見てたんなら班長を呼んでくれ。1Cの変異種だなんて聞いてない」
《もう呼び出してるわ、三十秒だけ待って》
回収対象は五つのランクの他に、更に大きく二種類に分けられている。
一つは固定種。この種は完全に変貌した悪の魂の成れの果てであり、その姿はほぼ生者だった時の原型を留めていないものが多い。ランクが上がる程にこの限りではないが、昔の人々が『鬼』や『悪魔』と称した、そのままの姿をしている。その存在自体は移動容器の劣化版といった所であり、故に回収班はその個体を捕縛し、その個体の動きを止める……つまりは頭部、もしくは心臓部を破壊して、『殻』の機能を停止させる事で魂を『回収』している。
しかし、厄介なのが変異種と呼ばれる種類だった。変異種とは、悪の魂が善の魂を取り込んで変異したものであり、善の魂を唆したり操ったりして思うままに動いている。
送迎所の絶対規則では、善の魂は必ず『救済』しなくてはならない。善の魂を『回収』してしまうと、たとえ神格化した所員であったとしても、『罰』として悪の魂に変貌してしまう恐れがある。良くて消滅、最悪の場合は回収対象と成り果ててしまうため、変異種は悪の魂から善の魂を引き剥がし、別々に回収、案内するというのが変異種の対応だった。
しかし、変異種の回収は少なくとも三人以上の人員が必要な仕事でもある。善の魂を先に引き離さなければ、悪の魂を先に回収しようとすると善の魂は道連れになってしまう。その為、危険を考慮して二人以上が回収対象を引き付け、その隙に案内対象を分離させる事が必要最低限の過程だった。
そのための、案内班の下見係だというのに。下見係が種類を見極め、固定種ならば回収班へ申請し、変異種ならば案内班との合同で人選や時間などの処理を行わなければならない。引き剥がした後の善の魂を案内するのも案内班の仕事であるのに、こんな不手際があっては回収班の班員に危険が及んでしまう。
《今変わった。ヨシナガだ》
「班長、一体どうなってんですか。あんなのを固定種と間違うなんて、下見係は何を見てたんだ」
イヤホンから聞こえる声が低く変わった瞬間、アキチカが静かな怒りを声に込めた。
「有り得ないでしょ、余程の素人でなけりゃ一目で分かる変異種だってのに。あちらさんの嫌がらせだとしても、俺達を『消し』に掛かってるとしか思えない」
《すまねぇ、そればっかりは書類を疑わなかった俺の責任だ。詳しい事は後できっちり落とし前付けるが、今は目標をどうするか直ちに検討する。でなきゃ、お前等も帰って来れねぇからな》
「でも班長、案内班にはもう連絡したんスか? オレ達だけじゃ、どうする事も……」
《残念だが、そんなヒマは無ぇ。今、マツカゼが早急にそっちへ向かってる。案内対象は彼女に任せて、お前等は回収対象を出来る限り神社から離すんだ》
命令を受け、了承に頷くナツメの横でアキチカは顔色を変える。
「ちょ……ちょっと待ってくれ班長。ナツに1Cの相手しろってんですかっ?」
《アッキー、見つけた相手が変異種である限り、逃げられない事はわかってるだろ。それにナッちゃんにはお前がいるんだ、アッキーが手本見せてやればいいだろ》
「……了解」
渋々、というよりは断腸の思いで了承したアキチカは、腰からロープを外すナツメに向けてロッカー室での約束に釘を刺す。
「……ナツ、絶対に俺の傍から離れるなよ。こうなった以上、変異種を見逃せば俺達も回収対象だ。俺の動きをよく見て対応するんだぞ」
「了解ッス。ちゃんと分かってるッスよ」
ナツメが笑顔で頷いた時、先程は通信機越しに聞いていた高い声が空から響いた。
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