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三十一話



「……全ては、ほんの少しの違和感からだった」


 最初は己の置かれた立場に疑問を持った。『英霊』と崇め奉られ、幾多の魂を次の世へと案内し送り出してゆく……神故の役割、英霊故の使命。そう思っていた中で芽生えた、ほんの小さな一欠片の違和感。

 何の変わり映えも無い流れの中、『英霊』となった己は、この世界の『神』として永遠に『囚われ』なければいけないのだろうか?

 うつつは目まぐるしく変われど、何十年何百年と何も変わらぬこの世界。憂鬱な時を四世紀ほど見ていたある頃、この世界に一つの変化が起きた。

 生者の世に合わせてこの世界も進展を遂げ、神として、英霊として、現世の鬼を退治する『回収班』の発足……その頃は、退治に行く者に名称など無かった。むしろ皆、幾何時振りの現世を恐れ、鬼を恐れ、傷付くのを恐れて『汚れた役目』とさえ罵り始めた。

 その差別に憤り、とても情けなく思い恥じた。あの頃に信じたものが、全て空虚に思えてならなかった。この変わらぬ時空の中で、変貌する時代へと果敢に挑む彼等を蔑む弱者達。神を気取るかつての仲間も、何も出来ない無力な己も許せなかった。

 そんな時、取り仕切る者達が目を付けたのが、既に所内で数人存在していた『殺意』を戦う力に変える事の出来る善き魂だった。鬼を退治するためだけに集められた彼等は、鬼でも神でも、ましてや人でもない。そんな意味を込め、無に近しい存在として『零』と呼ばれた。


「悔しかった……彼等は皆、美しかった。殺意に身を歪ませることのない強さ、その気高さ、純粋さが……老いた無能共は知っていたんだ。死して尚戦う事の出来る彼等こそ、君達こそ英霊なのだと」


 強い戦闘力を持っていても、暴走せずに自我を保っていられるには理由がある。己には無い強さを誇る彼等を嫉妬し、取り仕切る者達は『零』という侮蔑を持って、己等の保身のために彼等に危険な仕事を押し付けた。

 気高き筈の彼等が貶められ、多くの救われるべき魂が散って往く。見ていられず、数十年経って遂に、その無力な手を挙げた。

 彼等に変わる強き戦士を、と。


「総会議で提案しても、私の話を聞いてくれたのはセキモト君だけだった。いつか実る努力と願い、我々だけで続けていた研究に目を付けたのが案内班と科学班の班長達だ。彼等の饒舌な説得で皆が動き、研究は試運転段階まで行ったのだが……結果はご存知の通りだ」


 その直後、科学班は廃班処分を受けて人員は各班に分離移動、当時の班長は科学班班長と共に『地獄』へ墜放され、発案者であるイシカワは事務班庶務係に実質左遷となった。


「成る程ね……当時のあんたは副班長だったが、ヒラだったセキモトを引き入れて研究してたって事か。だがまぁ、指示が無いと動けねぇ下っ端にスッ飛ばされても、たった三年で班長まで上り詰めたってのは流石だぜ」

「お褒めに与り光栄だよ。その最短記録も、君に抜かれてしまったが」

「ハッ、よく言うぜ」


 手許の用紙一枚を、小さく千切っては丸めてゴミ箱へ投げ入れる。百発百中の技を見ながらイシカワは苦笑しているのか、正方形の結界に閉じ込められたガラス玉の中で深紅の煙がゆっくりと揺らめいた。

 あれから後、送迎班の警備係に通報した回収班は、球体に守られる核のみとなったイシカワの身柄を引き渡した。やってきた警備係の者達は丁寧に頭を下げ、巻き込んでしまった輝翔に謝罪、寺を修復する約束をして負傷した班員達を搬送していった。

 人造奇形種として利用された案内班、事務班の犠牲者は全員で十五人。その内で助かったのはヤナハラ班長を含め『剥離ガン』を使用した三人だけだったが、一時でも他対象と融合してしまった影響か、三人とも廃魂状態のまま回復させる事は不可能だと診断された。哀れな彼等は強制的に引退扱いとなり、成功する可能性は極めて低いとされたが、生者として転生する事が正式に決まった。

 同じく実験に利用されたナツメは、検査と調査のため、すぐに事務班の医療回復係へ収容された。しかし彼女が『零』であった故か中枢への被害は見られず、イシカワの様に赤く気化し始めていた表面の復元を少し行っただけで、彼女は瞬く間に元気になった。

 ただ、紅に染まってしまった髪と瞳だけは、どうする事も出来なかった。

 容器起動中に右脚を失ったヨシナガも魂自体に損傷は無く、翌日には回収班へと復帰した。しかし危うく吸収されかけたトシユキは既に変化し始めていた核を無理矢理歪められ、所内に残るためには、これ以上の『外』への空間移動を一切禁じられた。


「……なぁ、イシカワさんよ」


 床に落とされた己の名に、イシカワの核がガラス玉の中で回り揺れる。


「なんで今頃、こんな事しようと思った?」


 一連の動機を、トーンを落として問うヨシナガに先程までの冗談めかした雰囲気は一切無い。イシカワが沈黙すれば一切の表情が読み取れなくなるが、「なぁ」と急かし、鋭い眼差しを向けたヨシナガにイシカワは小さく苦笑を零す。


「……なんて事はない。そこに組み立てれば動かせる歯車があった、それだけだ」


 己の想いは、怒りは、羨望は、計画が破棄決定されたあの日に終わった筈だった。自分自身でも、諦めたと思っていた。

 だが己以上に憤怒の烈火を抱く、久々に逢った『同志』の話を聞いて、見えぬ所で燻ぶっていた熱が、炎を吹いて再び燃え上がるのを感じた。

 科学班の再興、人造奇形種実験の復活。あの悲劇を知っている人間ならば吐き気を催すようなその叛逆思想は、既に次の階段を上り始めていると知った時、思わず動悸を感じるほど魅力的に見えた。


「作戦失敗を告げられ、私が事務班に移された時から彼の再試行リトライは始まっていたんだ。私とは動機が違うし、きっと誰よりも……何よりも、君達回収班を壊したくて堪らなかったんだろう。セキモト君の目的は、私よりも遙かにシンプルで簡単なものだからな」


 回収班の解散や廃止などではなく、望むのは班員達の完全なる壊滅。度重なる嫌がらせの行為は実験から目を逸らさせる目的もあったが、少しずつでも魂の活動力を削ぎ、一人ずつ確実に消し去る事が、セキモトの立てた作戦だった。


「彼の歪んだ復讐心が、私の望みを動かす切欠になってくれたんだ。まぁ、義弟を殺めた『松風太夫』も『零』だとは知らず、彼女に色を寄せていたようだがね」

「……変異種をウチの実行係にけしかけたのは、あんたか?」

「提案したのは彼で、まだ案内班に提出されていない変異種を持ってきたのは私だ。彼の嫌がらせには正直反対だったが、その醜い程の執拗さが好機を生む事もある。私は『知らぬ存ぜぬ』を通して目を瞑っていたよ。……ナツメ君を、連れてきた時もな」

「その件、アッキー達から聞いたぜ。とんでもねぇクソ野郎だ」

「……本当に、な」


 ナツメは勿論、セキモトは様々な仲間に声を掛け、以前の同志達や新たに唆した者、自ら志願して参加した者等を集めて科学班を再編成、実験を繰り返した。イシカワもまた元案内班係長であったと同時に、現事務班班長である立場を利用して様々な人材……ヤナハラ班長すらも騙して、実験材料として集めていた。

 回収班の壊滅が目的だったとして、それ自体はセキモトのみの動機なのだろう。ヤナハラ班長やナツメ、その他の者を実験台にしたのはセキモトの独断だったとして、ヨシナガは、どうしても理解できない事が一つだけ残っていた。


「……で? 結局、あんたは何がしたかったんだよ?」


 ヨシナガの質問に、イシカワは溜め息に似た笑みを吐き出す。


「……『君達』に、なりたかったんだろう」


 心から憧れ羨んだ、己の目指す『象徴』に。


「君達こそ、英霊と呼ばれるべき存在だ。『零』等と蔑んではいけない存在なんだ。美しく強い魂、誇り、力、気高さ、私は全てを望んだ。私は……君達の様な、本物の『神』になりたかったんだ」


 捲し立てる様な口調で語ったイシカワに、ヨシナガは呆れた眼差しで小さく笑った。


「本当に、とんでもねぇ野郎だぜ……『俺達』は、そんな崇高なモンじゃねぇんだよ。イシカワさん」


 『こっち側』に居る奴は皆同じだ。そんなヨシナガの言葉を、イシカワは何も答えずに聞いている。


「……『こっち側』で働く人間は、全員免罪のために働いてる。『神格化』なんて耳当たりの良い言葉で隠しちゃいるが、その分、人間は転生が遠のく……それだけ、手前の罪は重いって事なんだろうな」


 神格化、という言葉自体が、送還所に入所した者を縛り付ける枷である事を、罪を知る回収班の班員達は気付いていた。この言葉が出来たのは、戦国の世に自刃した者達を鎮めるための偽りであり、覚悟の末に腹を切った者達に、己が英霊であると信じ込ませるために当時の所長が考えた嘘である事も。

 目を細めたヨシナガが、己の手に残る破れた用紙を一気に丸める。


「この世の理で定められた、最も重い罪を『俺達』は犯した。だから転生も出来ねぇで送還所に留められてる。俺達の役割が神と崇められる行為だとしても、命ある者は皆、誰であれ授かった命を決して粗末に扱っちゃならねぇんだ。送還所は元々、『己を殺めた者達』が集まる監獄……そんな世界で、俺達『零』が神様だと? 冗談じゃねぇよ」


 如何なる場合としても、絶対に奪ってはいけないものが『命』だ。正当防衛、戦争の英雄……ましてや誇りある死などある筈がなく、授かった肉体を奪う、もしくは捨てる行為はどの場面においても一番の重罪である。平和な世に生きていても尚自らの命を軽んじる者は少なくないのが今の現状で、案内班の人数が途轍もなく多いのはそういう理由からだった。

 そうして彼等の世界で働く事になっても、結局彼等は決して神に成れる筈のない存在。ただ、彼等を不憫に思った『あちら側』が、贖罪の機会を与えるために用意した場所こそが冥府公認遺留者送還所という魂の通関所だった。


「俺達が留まり続ける世界は、決して天国なんかじゃねぇ。罪を背負った亡者が再びこの大地へ生を受けるために、辛うじて落とせる泥を濯ぎに来る『刑務所』なんだよ。『零』の能力だって、実際は生きてた頃のヘマを償わせるために掛けられた枷であって、この能力が消えない限り転生なんざ夢のまた夢、俺達は『鬼の契約』と呼んで疎んでるぐらいなんだ」


 罪人である死人が神だ仏だと騒ぎ立てた所で、毎日何処かで何かが大勢命を落とし、大勢生を受けて生まれてる広大な『命の流れ』を、何か変えられる訳でもない。神格化した者達も、『零』と呼ばれる者達も、結局は罪を抱えた一つの魂でしかない。


「その内、あんたも気付くだろうよ。相変わらず回り続ける世界の中で、『神』ってのが一体何を差す言葉なのかを」


 イシカワはガラス玉の中から、送迎班の職場に隣接した窓を見下ろす。その向こうでは、いつもと変わらず皆が各々の仕事をこなし、沢山の魂達が次の世を目指して導かれて往く。


「……私は、君達のように強くなる事など望んではいけなかったのか? 決して叶わない世迷い言を……無意味な夢を、追い掛けてしまったのか?」

「俺は、あんたが目指したのは『俺達』なんかじゃねぇと思うぜ。紙芝居の悪党を、正義の味方と勘違いしちまったがために自滅した。その結末が、今のあんただ」

「……………………」

「無関係の魂にまで手を出した時点で情状酌量の余地は無ぇ。残念だが、あんたは地獄に堕とされて消滅破棄される事になる。……ナッちゃんが憤慨してたよ、一番悪いのはセキモトなのに、なんでイシカワ班長が処分されなきゃいけないんスか、ってな」


 イシカワは何も答えない。ヨシナガは俯き、丸めた紙玉をゴミ箱へ向けて投げ飛ばす。


「……本当に、あんたはクソ野郎だぜ。イシカワさん」

「…………そうだな。その通りだ」


 そうとだけ答えた声は、泣いているようにも響いてヨシナガの耳に届く。最後に投げた大きめの紙玉は、ゴミ箱の縁を弾いて床に転がった。



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