三十話
その瞬間に、誰もが目を見張る。『スローマー』の効力が切れ、砂利の音を立てて地面へと落下したイシカワは呻きと奇声を上げ、喉を掻き、身体を反らせてのたうち回りながら苦しみに喘いでいる。
「おのれ……絶対、絶対に……許さ、な……っ!」
苦しみ故か、既に誰の感情かも分からない怨恨を混ぜて青い体液を吐き出し、イシカワは力を振り絞る様に右腕をうねらせ、真っ直ぐに狙いを定めてトシユキへと触手を伸ばした。驚いて悲鳴を上げたトシユキを捕まえると瞬く間に身体を巻き取り、イシカワは天高く触手を持ち上げる。
「野郎、吸収強化する気かっ?」
「トシユキさんっ!」
カズヒサは地を蹴り、素速い動きでイシカワの背後に回ると右肩の筋にナイフを突き立てる。イシカワは振り払おうとするが既に余力も尽き始めているらしく、その弱まった触手の動きをカズヒサは見逃す事なく、深く刺し、抉り、その骨を砕いて肉を裂いた。二秒も掛からずイシカワの巨大な右腕を切断したカズヒサはイシカワの後頭部から口へとナイフを貫通させ、直ぐ様引き抜いて地面に降りるとトシユキの巻かれた触手の先端の方へと走る。右手から切り離された触手は蠢いて形を変え、ドロドロと肉塊へと溶けて変わると黒い砂と成り果てていった。
倒れ込むイシカワの脇、難を逃れたトシユキは駆け付けたカズヒサの手を借りて立ち上がるが、多少なり影響を受けてしまったのか力無く地面に膝を着いてしまう。カズヒサは慌ててトシユキに肩を貸し、倒れそうになるのを何とか助ける。
「トシユキさん……っ」
「……ワシはいける。カズ坊よ……コレ、頼めるかえ」
トシユキは『スローマー』をカズヒサに差し出す。カズヒサは一瞬戸惑うが、「頼む」と手を握られ、決意を固めて強く頷く。
それを見ていたヨシナガはカズヒサ達に声を投げた。
「カズっち、やれそうかっ?」
「……差し支えありません! 『剥離ガン』をアキチカさんに委ねる許可を!」
「許可する! 全員構え、作戦を実行に移す!」
カズヒサは固定種を踏み潰して回収していたアキチカの名を叫んで『剥離ガン』を投げ渡し、力無く足を引き摺るトシユキをヨシナガの傍へ避難させる。固定種を回収し続けているナツメだが、いつ暴走するとも分からない状態で近付くのは危険との判断で、ヨシナガの合図で『スローマー』を使用するためにカズヒサもアキチカの元へと急ぐ。
固定種も残り三体となった時、遂にヨシナガが叫んだ。
「今だ、やれ!」
カズヒサが『スローマー』を照射。牡山羊の動きが鈍くなった瞬間、アキチカが彼女の背に飛び乗り、後頭部に『剥離ガン』を打ち込んだ。
二人は数歩距離を取り、残りの固定種を回収したヨシナガと壁を背に休んでいるトシユキも牡山羊に注目する。しかし彼女を取り込む怪物はそれから何の反応も見せる事は無く、『スローマー』の効力が切れると、そのまま地面に音を立てて倒れ込む。
息を切らしたままのアキチカが、戸惑った様子で口を開いた。
「……何だ、動かないぞ……?」
「そんな、まさかっ? 絶対に、効力はある筈です!」
「間違い無いんじゃ……来い、ナツ坊……!」
反応を見せない対象に皆が不安を感じつつ見守るが、その心配を他所に、牡山羊の背が不自然に盛り上がる。殆ど条件反射でアキチカとカズヒサが飛び退いた時、まるで身体の中から押し上げるように膨れ、その巨体が震え始めた。
次の瞬間には、背の肉を裂いて中から何かが頭を上げる。赤と青の混ざる液体に塗れ、姿を現したのは赤い髪と小柄な白い身体、そしてこの場にいる、全員が知っている顔だ。
「ナツ!」
思わずアキチカが走り出すが、その時、彼女は突然頭を抱えて苦しみだす。
「待てアッキー、様子が変だ」
「でも、班長!」
ヨシナガがアキチカに制止を掛け、様子を伺う。
側頭部を両手で押さえ、もがき苦しみ出す少女の姿に皆が固唾を呑む。状況が分からず誰も手が出せない中、ふと、その少女が低く唸るような声を出した。
「……絶対に……絶対に、許さへん……!」
「えっ?」
聞こえた声は、この少女の物ではない。しかし、同時に発せられた言葉に、ヨシナガが何かに気付いて声を張った。
「……この恨み、今……違う、違う違う! オレは何も……必ず、復讐したる……!」
「変異種だ! 全員ナッちゃんから退避、誰かマツカゼ起こしてこい!」
全員に戦慄が走る。今この場に居る班員ではどうする事もできない現状に、アキチカが悔しげに舌打ちをしながら寺へと足を向ける。
しかし、その時だった。
「皆、ナッちゃんを応援してあげて! 抵抗する力が足りないと剥がせないわ!」
「副班長っ?」
いつの間に目を覚ましたのか、廊下を走って出てきたマツカゼが叫ぶ。美しく輝く桃色の刀を鞘から抜き、縁側を降りて駆け寄ってくる。
「『妹』から全部聞いたんだから……よくも、やってくれたわね!」
マツカゼの指示で全員が一致団結し、ナツメを応援しては名を呼んで声を投げ掛けた。皆の声に反応するように、彼女は低く呻き苦しそうに頭を抱える。段々と呻く声は大きくなり、遂に、ナツメは身体を仰け反らせて大きく叫んだ。
身体から弾き出されるように、ナツメの核に入れられていた、もう一つの魂が姿を現す。その正体を知った全員が、驚愕に目を見開いた。
苦痛と憎悪に顔を歪ませ、怨恨と憤怒に嘆くその魂は苦しそうに地面の上を暴れている。
「ヤナハラ班長……っ?」
思わず名を呼んだヨシナガの声に動きを止めた『それ』は、また直ぐにナツメの身体へ向き直る。再び入り込もうとする彼に気付いたマツカゼが、刀を構えて地を蹴った。
「乃風、お願い!」
半透明に薄くなったその身体へ向け、刀を一気に真下へ斬り裂く。正に一刀両断の一撃は、見事ナツメに癒着していた魂を剥がす事に成功した。
班員達が唖然とする中、ヨシナガとマツカゼは変わり果てた案内班班長の様子を注意深く警戒したが、切り離した後すぐに人の形を成して地面に倒れた後、彼は俯せになったまま全く動かなくなった。
同じく動きを止めたナツメは、糸が切れたように怪物の上へと倒れ込む。急いでアキチカとカズヒサがナツメの元へ駆け寄って彼女の身体を怪物の肉から引っ張り出すと、アキチカが上着のポケットに入れてあった『サーチャー』をナツメの腕に嵌め、電源を入れて青いスイッチを押した。
怪物の体液に塗れていた身体が容器を纏った事で綺麗になる。しかしその身体は寺の安置室に運び入れた男達の様に蒼白で、アキチカは上着を脱いで彼女の肌に掛け、上半身を抱き起こすとその頬を軽く打った。
「ナツ。おいナツ、起きてくれ。頼む、目を開けろ」
その身体を揺すり、何度も繰り返し声を掛ける。皆が固唾を飲んで見守る中、その閉じられた瞼がゆっくりと持ち上げられた。
赤く染まってしまった瞳が動き、自分を見下ろす仲間を捉える。
「……アキさん」
彼女の声を聞いたマツカゼとカズヒサは手を打ち合って喜び、傷付いた上司達もやっと笑顔を見せた。アキチカもナツメの身体を優しく抱き締め、サングラスの奥に涙を滲ませながら仲間の無事を喜ぶ。
耳元で漏らされる彼の嗚咽に、ナツメもその赤い瞳を揺らした。
「ナツ、言った通りだっただろ? ……皆で帰ろう」
「……了解っス……っ」
皆が感動に心を震わせていたその時、境内に響いた唸り声に緊張が走った。全員が視線を向けた先では、呻きながらも微かに笑いを漏らすイシカワがゆっくりと仰向けに転がる。苦しげに呼吸を荒げるその姿を見て、カズヒサが「まさか」と冷たい汗を浮かべた。
「確かに核を狙ったのに……!」
魂の核は、どの対象にも存在している魂の中枢を流れる思考の源である。姿形問わず脳幹から腰椎までに位置し、この核の破壊を以て回収対象は『感情エネルギー』のみを残し四散、回収班はこの『エネルギー』を回収している。
謂わば後頭部から背中にかけてが、肉体を持たない彼等の唯一の急所であり、人造奇形種も『零』である回収班の班員も、核を傷付けられれば只では済まない。
空を見上げたまま咳込み、青い液体を吐き出しながらイシカワは小さく笑っている。
「……わざわざ醜い身体を選んだのも、核を変形させるためだったのに……あの分解剤には参ったよ。時間を掛けて組み合わせた魂魄が……一瞬で、バラバラにされてしまった」
その笑みは、正に自嘲。愉快そうに微笑むイシカワを皆が沈黙して見つめる中、ナツメを優しく横たわらせたアキチカが、ゆっくりと腰を持ち上げた。憎しみと疑問を胸にその男の右側から頭元へ歩み寄ると、見下ろすように顔を傾ける。
「……イシカワ班長。どうしてナツを……何故、俺達の仲間をこんな目に」
イシカワには、反射したサングラスが邪魔をして彼の眼差しから感情は読み取れない。無表情にも見えるが声は悲しげで、自分の処遇をどうしようか迷っているようだ。 そんな彼にイシカワは眉を下げ、苦笑に声を漏らした。
「私は、君達が憎い。慈悲の無い世界に敗北した君達が、慈悲によって『この世界』に存在している。それが許せないんだ」
『我々』には与えられなかった『慈悲』。彼等の愛しい心が、美しい強さが、尊い力が、眩しく、羨ましく、妬ましく、憎い。イシカワは、微笑みの中で語った。
「何を話しても……過保護な君は、きっと理解しないだろうな」
「……俺は、あんたを信じていたかった」
アキチカはヨシナガに目を向ける。すると視線の先の上司は、溜め息混じりに顎で促す。
「丁寧にやれよ、アッキー」
その返事に俯き、右手の指を鳴らしたアキチカはイシカワの胸に腕を突き立てた。全員が見守る中、引き抜かれた右手には青い体液に濡れたガラスの様な透明の球体が握られており、球体の中心では真紅の煙が弱く揺らめいていた。
黒い塵となって消えゆくイシカワの身体を見届け、ヨシナガに歩み寄ったアキチカがそのガラス玉を彼に手渡す。
「……よく割らなかったな。成長したじゃねぇか」
「これは尋問に掛けるべき、でしょ?……皆無事だった、俺にはそれで十分ですから」
「……そうだな。その通りだ」
ガラス玉を見つめ、ヨシナガは大きく溜め息を吐き出した。
「お前等、一旦撤収するぞ。俺は疲れた」
そう、見渡せば皆、満身創痍だ。ボロボロになった班員達は互いの顔を見合わせ、気が抜けたのか、誰かが小さく笑ったのが聞こえた。
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