二十八話
カズヒサと共に、ヨシナガは『外』へと繋がった扉の前で待ち構える。追い詰めたと思ったセキモトは「とどめだ」と牡山羊に命令を下し、忠実な下僕となっている彼女はその掌から触手を伸ばしてしならせた。
薙払う様な攻撃に素早く受身を取り、触手の動きを流す事で最小限の衝撃に抑えた二人は扉を壊して向こう側へと吹き飛ぶ。すぐに後を追い掛けた牡山羊の怪物は触手を上手く操ってカズヒサの足を絡め取ろうとするが、カズヒサはナイフでその触手を切り落とし、その瞬間にヨシナガによって左手を撃ち抜かれてしまう。
だが一切の怯みを見せない牡山羊は地面に向かって右手の触手を伸ばすと、地中を這わせ、ヨシナガとカズヒサの死角から足元を襲って同時に捕らえる事に成功した。肩から腰までを巻き取られ、宙に高く持ち上げられる二人の姿を見て、セキモトも、右目から青い血を流すイシカワを肩で支えながら扉から『外』へと姿を現した。
「待て菅田、まだ殺すな」
二人の身体を締め上げる触手の動きが止まる。ヨシナガが撃ち抜いた左手は既に回復し終わり、その掌からは新たに生成された触手が不快な動きをしながら蠢いている。
正面の障子戸に繋がった扉は壊れた事で機能を果たせなくなったのか、セキモト達が出てきた瞬間に見えていた研究室の景色が閉じた。近付いてくるセキモトに、焦りを隠せないカズヒサが苦しげに声を出す。
「班長、トシユキさん達は……っ?」
「……今は部が悪い。奴の気が俺に向いている内に、カズっちは様子見て隙を突け」
セキモトは持ち上げられた二人を見上げ、強く睨みながらも込み上げる笑いを堪えているようだ。何とか抜け出そうと抵抗を見せるヨシナガに対し、挑発するように嫌味を述べる。
「よせよせ、ヨシナガ。無理をすると、ご自慢の容器が壊れるぞ?」
「言ってろ。こいつはウチの製造係の自信作だ、そう易々と壊れたりしねぇぜ」
「なら、試してみるか? 貴様の不思議な能力なら、無傷かも知れんからな」
セキモトが彼女の名を呼ぶと、すぐに左手の触手が動いた。牡山羊の触手は一瞬でヨシナガの右脚に巻き付いて締め上げ、瞬きする間もなく膝から下を潰して断裂させる。
「班長っ!」
カズヒサは悲鳴に近い声で叫び、ヨシナガは声にならない呻きを上げた。激痛に顔を歪め、耐える彼にセキモトは満足げに顎を撫でる。
「ほう、回収班の容器はよく出来ているな。痛覚まで感じるのか」
「もう止せ、セキモト副班! これ以上は、自分達の首を絞めるだけだぞ!」
思わず叫んだカズヒサに、セキモトが冷めた視線を向ける。
「っ止めろセキモト!」
咄嗟に、隣でヨシナガが制止する。締め千切った彼の脚を捨てた触手が今度はカズヒサの首に絡み付き、ゆっくりと絞め上げ始める。
カズヒサは息を詰まらせ、僅かに苦しげな声を漏らした。
「君こそ、他人の事が言えた義理かね? 己が殺した恋人の名を呼ばれただけで逆上とは、性格破綻も甚だしい。君のような人殺しこそ、今ここで消滅させてやってもいいんだぞ」
「このクソが……!」
次の瞬間には、ヨシナガも見た事がない程にセキモトの口が歪に歪む。
「……そうだな、丁度良い。仲間想いのヨシナガ班長に、部下が死ぬ所を見てもらおうか。イシカワ殿の仇、そして私の大事な『完成品』にも、元同僚を忘れ去るいい機会になる」
「何……っ?」
「構えろ菅田。カズヒサ経理の首を」
「待て、殺すなアッキー!」
ヨシナガが叫んだその瞬間、セキモトは身体を貫くような冷たい気の流れを、後頭部から喉に突き抜けていくのを感じた。
それは、確実に自分へと向けられた『殺意』。たった今、自分は死ぬところだったのだと戦慄いたセキモトは、全身から湧き上がる恐怖に振り向く事すら出来なくなる。
この感覚は、以前あの廊下で感じたものとは似て非なる物だった。
「……やらせてください班長……こいつの、せいで……!」
「ダメだ、絶対に殺すなよ。セキモト、テメェも死にたくねぇなら早く部下を開放しろ。後ろにいる奴が俺の手に負えるのは、今の内だけなんだからな」
突然の形勢逆転。舌打ちを一つ、セキモトは小さく「降ろせ」と呟いた。
目の前の怪物は触手をカズヒサの首から解き、彼をそっと砂利の敷かれた地面へと降ろす。咳き込みながら身体を起こすカズヒサを見て安心したような溜め息を後ろに聞いたが、それでも尚、背後の冷たい気配はセキモトから離れない。
「班長も降ろせ。今すぐにだ」
「……君は『我々の争い』から身を引いたんだろう。口出ししないで戴きたい」
その途端、後ろから後頭部を掴まれたセキモトの身体は軽々と宙に浮く。ヨシナガの制止も聞かず、アキチカは凍るような冷たい手を相手に食い込ませながら低く冷めた声を放つ。
「早くしろクソ野郎……俺が、正気を保っていられる内に」
「その通りだな。でなければ、フェアではない」
「!?」
アキチカの頬を掠め、目の前の背に突然何かが突き刺さる。肉の裂ける音と共にアキチカの手から白いスーツが離れていき、苦しげな呻きを上げたセキモトに誰もが目を疑った。
「テメェ……血迷ったか、イシカワ……!」
「何を言う。私は君を助けてやったというのに」
その巨大な爪で胸を背中から貫かれ、セキモトは痙攣を起こしながら嘔吐の様な声を上げる。見開かれた目はもう何も捉えておらず、輝きを消し空虚を見つめていた。
唖然と口を開けたままその光景を見ていたアキチカだったが、セキモトが突き刺さったまま薙払いを仕掛けてきた爪に気付いて慌てて身体を倒して躱す。しかし牡山羊がゆっくりとヨシナガを石畳の上へ降ろすのを見て、カズヒサと逃げ下がってきたアキチカは急いで傷付いた上司の元へと駆け寄った。
右脚を失ったヨシナガは、二人の肩を借りて何とか腰を持ち上げる。
「くそ、痛ってぇな……アッキー、トッシーは?」
「ちょっと護衛人数が増えまして、皆で安置室に居てもらってます。それより、何がどうなってるんですか? なんでイシカワ班長が奴を……あの身体は、一体」
右手の甲から伸びる触手をセキモトの全身に巻き付け、すっかり変貌を遂げたイシカワは空に持ち上げた触手を少しずつ締め上げて小さくしていく。その様子を気味悪そうに見つめたままアキチカは問うが、説明している暇は無い、とヨシナガが首を振った。
「……アッキー、今すぐトッシーを呼んでくれ。この奇形種が……」
「菅田、全員を集合させろ」
ヨシナガの言葉を遮って、イシカワが牡山羊に声を放った。その瞬間、この場にいた誰もが思わず耳を塞ぐ。
轟音、と言う台詞すら生易しいと思う程の、巨大過ぎる怪物の遠吠え。何処か近くに居るらしい怪物達が応えるように一斉に叫び出す中、三人は牡山羊の怪物が放つその声の衝撃波にバランスを崩して地面に倒れ込む。
遠吠えが止んだ時、耳鳴りの続く彼等に聞こえたのはイシカワの不気味な笑い声だった。
「そうか、セキモト君……君は素晴らしい同志だよ。その悲しい怨恨も、燃える憤怒も、君の想いは必ずや私が叶えて見せよう」
既に降ろされたイシカワの触手にセキモトの姿は無く、潰れて閉じられていた右目は完全に見開かれている。変型した右腕は更に肥大して大きくなり、赤く染まったその瞳は、まるで人の姿をした奇形種そのものだった。
おぞましく非道な『行為』に、強烈な嫌悪と嘔気を感じたヨシナガは小さく咳き込む。
「野郎……っ!」
やりやがった。
その言葉にカズヒサは愕然と言葉を失い、アキチカは眉間に皺を寄せる。
イシカワは右手の触手からセキモトの魂魄体を全て吸収し、己の修復、進化のための糧としていた。1A級回収対象と成り果て、セキモトの記憶すらも我が物にしたイシカワは、まるで体内で会話でもしているかのように何度も相槌を打ったり頷いている。
「そうか、なんと残酷な……セキモト君は我が子を無惨に奪われた上、その罪を被せられ全てを失った。己の置かれる立場も、君達の存在も認めないと言っている。彼の作戦によれば、『殺人鬼』さえ居なければ形勢が此方に傾くそうだ。それは、アキチカ君の事かな?」
その瞬間、牡山羊の触手がアキチカ目掛けて伸び、貫こうと鋭い突きを繰り出す。アキチカはヨシナガ達を巻き込まないよう彼等の反対側に飛び退くと、相手の気を逸らす事も兼ねてどんどん二人から距離を広げて離れていく。
「菅田、そして親愛なる同志達よ。篠山秋哉をこの世から消し去れ」
アキチカの後を追う牡山羊に加え、周辺から聞こえる怪物達の声が、段々とこの寺へ向かって近付いてくる。この境内で全ては躱しきれないと感じたアキチカは、遂に寺の外へとその足を走らせた。
ヨシナガは悪態を吐いて、カズヒサに指示を出す。
「俺の事はいいから、カズっちはトッシーを呼んでくれ。早くしねぇと、あの二人を戦わせるのはマズい」
「わかりました。班長は……」
「ここで降ろせ。こっちの相手に回る」
「はい」
カズヒサはヨシナガを植木の傍に座らせ、『サーチャー』から通信要請のスイッチを押す。許可が下りて話をしている間にも、群がってくる怪物や回収対象達に対してヨシナガの銃が音を立てて火を噴いた。
「カズっち、終わったら向こうに行ったアッキーの援護を頼むぜ。ナッちゃんは、保護したら出来るだけ無傷で連れてこい」
「ええ、了解です。ご武運を」
「そっちもな」
植木の裏を通って走る後ろ姿を見届け、ヨシナガは目を閉じる。瞼の向こうに見える敵の数を数えながら、『呼寄』を咥えて銃を空に構えた。
*




