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二十六話



「……汚い所ですね」

「瘴気のせいで空間が朽ち始めてんだ。こんな所に長居はしたくねぇな」


 永い時間、整備の行き届いていないこの空間は、外部から漏れ入る瘴気のために数歩部屋へ入るだけで彼等の視界を奪う。はっきりと見えない足場を注意しながら進むと、数本の蛍光灯や電気類の光が山積みにされた古い機材の向こうに見えた。

 二人は廃材の影に入り、明かりの灯る奥を覗き込む。研究や実験のための機械がたくさん置かれているが、見渡す限り、人の気配は感じられない。

 足音一つ立てないように動いている機材の裏まで近付いたヨシナガとカズヒサは、二手に別れて影の中を静かに進む。すると、聞き覚えのある怒鳴り声がヨシナガの耳に届いた。

 数本立ち並ぶ、水槽のような円柱形の物の間から向こう側の様子を探る。するとそこには髪の赤い二人のナツメが、電源の落ちた機械人形のように立ち尽くしていた。

 ここからでは見えないが、そのすぐ傍にセキモトも居るようだ。直立不動で真っ直ぐに前を向いたままの少女達に悪態を付きながら、何か作業を続けているように思える。ふと片方の少女の姿を見たヨシナガは、その痛々しい姿に思わず険しい表情を浮かべた。

 上腕から下が無理矢理引き千切られたような、無残な右腕。青い液体を滴らせながら尚も無表情を貫くこの異様な姿を見て、怒りに魂を凍らせていた部下は何を思っただろうか。

 その時、二手に分かれてから一周してきたカズヒサが後ろからヨシナガの肩を叩く。

 どうだった、という口の動きだけの問いに、カズヒサも訝しそうに首を横に振る。この不可思議な結果に、ヨシナガは「どういう事だ」と眉間に皺を寄せた。

 部下も己も、この即席の研究室を守る敵の把握に務めたのだが、どういう訳か他の研究員達は何処にも見当たらない。科学班に在籍していた過去から見ても、確かにセキモトは豊富な知識や技術を持ち合わせているだろう。だとしても、これだけの設備、ましてや奇形種の研究など、とても独りで出来るような規模ではない事は一目瞭然であるのに。

 隣では、二人のナツメを見たカズヒサが微かに息を呑んだのが聞こえた。


「くそ……くそっ! あの人殺しめ、私の大事な兵士達を……!」


 響いてきた声にヨシナガが位置を変えて隙間を覗くと、セキモトは何やらモニターを見ながら画面に向かってブツブツと呟いている。

 よく見れば、旧式のヘッドフォンに卓上マイク、そしてモニターの数。まさか、この寂れた環境下で『エリアシステム』を即席に自作するとは。

 腐っても鯛か。ヨシナガは心の中で舌を打った。

 しかしセキモトがあれ程までに苛立っているという事は、おそらく『外』にいるアキチカ達が頑張っているのだろう。ヨシナガは、少女達の後頭部に狙いを定めた。

 数発の銃声と共に、驚いて立ち上がったセキモトの隙を突いたカズヒサが彼を後ろから取り押さえる。崩れ落ちる少女達と同時に床へ押し倒されたセキモトは、影から出てきたヨシナガがとどめの銃弾を二つの紅い髪に撃ち込んでいる姿を見て微かに唸る。

 機能を完全に停止した少女達は、さらさらと砂塵と化して何処かへ流れていった。


「……この、死に損ないめ……っ」


 カズヒサに腕を捻り上げられ、俯せに倒れ込んでいるセキモトの声にヨシナガはわざとらしく鼻で笑い返す。敵を見下げ、くるくると両銃を回しながらその頭元へ歩み寄ると、嘲笑に顔を歪めたままその頭元へ屈んでしゃがむ。


「なんてザマだよ、セキモト副班長殿。手前の立派な能力をアホな事に使いやがって」

「……貴様等『零』などに頼らなくとも、我々だけで送還所は動かしていける。それを証明する事が、私の使命なのだ。貴様如きが我々の邪魔をするな」

「そんな誰も望まねぇ使命なんざクソ喰らえだぜ。形式的な事はそっちの班長にきっちり落とし前付けてもらうとして、テメェは大人しくナッちゃんの居場所を教えな」


 ヨシナガは、その銃口をセキモトの額に押し付ける。しかし、セキモトは乾いた笑い声を小さく零した。


「居場所だと? 貴様の小さな部下なら、さっき自分で殺してしまったじゃないか」

「アレはナッちゃんの複製に『不純物』だらけの受信器をぶっ込んだお遊び人形だろ。早く言え、俺は気が短ぇぞ」

「……わかった。その代わり、私を立たせてくれるかね? 彼女は大事な『発信器』であり、貴重な実験材料だ。見えない所に隠してある」


 ヨシナガは、目でカズヒサに合図する。頷いたカズヒサは相手の腕を捻り上げたまま身体を起こし、セキモトが示す機械の前に立たせる。

 その間も、ヨシナガの銃口はセキモトから離れない。


「……おい君。自分の上司に、いい加減その物騒な物を下ろすよう頼めないか? 気になって動きづらいんだがね」

「こう言ってますよ班長」

「笑えねぇ冗談だな。副班長殿、寝言は地獄に落ちてからでも遅くねぇぜ」

「……これは冗談ではなく、警告だ」


 セキモトが機械のパネルに、文字列を打ち込む。すると、ちょうど真後ろの床から緑色に光る水槽が二つ、ゆっくりとせり上がってきた。

 その中には液体に揺らめくナツメの姿と、もう一人の意外な姿がある。その顔を見たカズヒサは言葉を失い、ヨシナガは眉間にきつく皺を寄せた。


「いっ……イシカワ班長、まで……っ?」

「……なんてこった」


 あの手記で読んだ通りなら、この機械はおそらく培養容器だ。後頭部を電極プラグの様なもので繋がれたイシカワは既に右半身が変形しており、巨大な爪に、手の甲からも触手のような部位が見受けられる。一方、首輪のような物を嵌められてはいるものの、たった今入れられたような姿のナツメは、眠っているような顔で緑色の中にゆらゆらと浮かんでいる。

 セキモトが最後に何かのスイッチを押すと、水音を立てながら、ナツメの入っている水槽からみるみる内に液体が抜けていく。水槽の中から緑色の液体が全て引いた時、ガラスの部分が横にスライドして開き、ナツメの身体が床へと転がった。

 カズヒサはセキモトの腕を離し、急いでナツメの元へと駆け寄る。不思議な事に、先程まで液体に浸かっていた筈のナツメに濡れた様子は無い。

 変わらず銃を向けられたままのセキモトは、両手を挙げて薄ら笑いを浮かべている。


「彼女は返したぞ、ヨシナガ班長殿。まだ何か要望があるのかね?」

「最後に質問だ。テメェが誘い込んだ『元』科学班の班員はどうした?」

「彼等は私の同志だ。研究のためとあらば皆、自らの魂すら差し出す覚悟がある者達だよ」

「じゃあ、まさか……バケモン共の稼動源は、テメェの部下をベースに……っ?」

「彼等は進んで、実験台の候補に名乗り出てくれたのだ。私とて、後悔はしていない」


 そう語るセキモトに、最早、人としての道徳や理念などは感じられない。冷めたその黒い瞳に、ヨシナガは初めて彼に対して冷たい何かを背中に感じた。


「……本当に、堕ちる所まで堕ちたなセキモト」

「全てはこの時、この瞬間のためだ。覚悟しろヨシナガ」


 その時、後ろでカズヒサが何かを叫んだ。瞬時に振り向き銃を構えるが、その光景にヨシナガは思わず己の目を疑う。

 気付けば立ち上がっていたナツメは、金から赤へと髪が染まり、足から順に服を裂きながら黒い毛皮を纏っていく。獣の足、胴を残して腕と首を長い毛が覆い、全身の骨格を変えながら最後に頭が音を立てて大きく変貌する。遂には、牡山羊の頭をした人造奇形種へと変わり果ててしまった。

 怪物と化したナツメは、掌から生えた鞭の様な物を振り回してカズヒサを弾き飛ばす。しかし彼も瞬時に腰からナイフを抜き、応戦の構えを取って備える。

 その様子に驚愕するヨシナガだったが、背後で気味悪く笑うセキモトに向かって足早に歩み寄る。殺意をその眼差しに称え、胸ぐらを掴むと銃口をその喉元に突き付けた。


「テメェ、よくも……自分が何したかわかってんのかっ?」

「ああ、わかっているとも。彼女こそが完成品、彼女こそが我々の最高傑作だ。回収対象でもない、ましてや案内対象でもない彼女の魂は、素晴らしい安定感と吸収力を持ってして、研究に貢献してくれた」

「ふざけやがって……!」

「彼女を見ろ。彼女さえいれば、貴様等などすぐにでも廃棄処分だ。否、貴様等だけじゃない、この送還所自体が必要無くなるのだ!」


 狂ったような笑みを浮かべる相手に、ヨシナガは愕然と目を見開く。目の前の男が何を望んでいるのかも理解に苦しく、全身を虫酸が走るような感覚が襲う。

 この男、この世界で神にでもなろうと言うのか。


「今更命乞いしても、私は貴様を許しはしないぞ。菅田、この男を始末しろ!」


 セキモトの声に反応した怪物のナツメは、セキモトからヨシナガを剥がす様に触手を伸ばす。ナツメの能力そのままの動きをする鞭のような触手は自由自在に動き、伸びてはしなり、巻き付こうとしたりと、ヨシナガとカズヒサを翻弄した。

 怪物の巨体を盾に勝ち誇った高笑いを響かせるセキモトは、必死に攻撃を躱す二人を狙って手当たり次第にナツメへ攻撃を指示している。カズヒサはモニター横に積み重ねられた機材の山に身を隠し、その数メートル先には、ボンベの影に隠れるヨシナガを確認した。

 彼は愛銃に己の殺意を装填し直しながら、冷静に相手の様子を伺っている。それぞれに反撃のチャンスを狙っていた二人だったが、その時、興奮していたセキモトの声にふと冷静さが戻る。


「……ただ、我々の目的を履き違えられては困るな。我々は『神』に成りたい訳ではない」


 同時に聞こえた、巨体を引き摺るような音。ヨシナガがボンベの隙間からそっと奥を覗き込むと、その異様な光景に我が目を疑う。

 セキモトが恭しく頭を垂れ、崇めるような眼差しを送る相手は。


「遂にお目覚めになりましたか。お待ちしておりましたぞ」


 そんな、まさか。思わずカズヒサは呟いた。変形した右半身を床に着け、引き摺りながらも重さを感じさせない足取りで彼はセキモトへと歩み寄る。変わり果てた己の右手をまじまじと見つめ、まるで呆れたようにイシカワは深く溜め息を吐いた。


「まったく……醜いな。やはり馴染まなかったか」

「何を仰りますやら。あの『零』のガキですら『混ぜ物』無しでは安定しなかった核魄の合成強化ですぞ。多少の変型は致しましたが、これぞ快挙と言わずに何と申しましょう」

「ふん、まぁ仕方無い」


 二人の会話を見ながらも、ふと、ヨシナガが腕の『サーチャー』に触れる。消音に設定していた自分の『サーチャー』が赤いランプを点滅し始めたのを見たカズヒサは、ヨシナガからの通信要請が来ている事に気付いた。

 すぐに許可を出すと、小声でヨシナガの声が腕から聞こえてくる。

《カズっち、俺が『兎と遊んで』る間に『亀を引っくり返し』て『走れ』。なるだけ『甲羅』は傷付けねぇようにな》

「班長、『亀の腹』は『捌かない方が良い』んですか?」

《あの狡い頭を甘く見ねぇ方が良い。トッシーに見せるまで何とか頑張れ》

「了解。班長も御武運を」


 カズヒサは、セキモトを守るようにして立ち尽くす牡山羊の怪物に目を向ける。ヨシナガもボンベの影から、変型したその姿に銃口を向けて引き金に指を掛けた。


「っ!」


 三発の連続的な発砲。二発はイシカワの右肩を捉え、残り一発はセキモトの顔を掠めた。頬に焼けるような痛みを感じたセキモトは、その傷の原因にすぐさま激昂する。


「……絶対に許さん、あの卑怯者めが……っ!」

「落ち着けセキモト殿、彼が遊んで欲しいのは、恐らく私の方だろう」


 銃撃を受けても平然と佇むイシカワに「もう一人を」と言われ、セキモトは悔しげに歯噛みしながら視線をボンベから離す。イシカワが此方へ歩み寄って来るのを確認したヨシナガは、二丁の銃を構えてボンベの影から勢いを付けて飛び出した。

 牡山羊となったナツメと同じく、鞭のような触手を巧みに操りながらの激しい猛攻。高身長ながらも前後左右へと身軽に飛び回って避けつつ、ヨシナガは銃撃を関節や四肢に加えながら今度は水槽脇の物影に身を隠す。


「さすがは『隼』。素速い動きや射撃の腕は健在のようだな、橋本義長少尉」


 僅かに笑みの混じる口調で声を掛けられ、廃棄された機材の影で息を整えるヨシナガは嘲った笑いを漏らす。


「そんな大昔の話、古すぎて忘れたぜ。あんたもそうだろ、イシカワ班長殿?」

「私はもっと知っているぞ。君が特殊殲滅部隊の指揮官だった事も、己の上官六人を射殺した後に敵軍本部で玉砕した事も」


 イシカワは触手をうねらせ瓦礫を突き崩しながら、逃げるヨシナガを追い詰めていく。壁伝いに移動しつつ廃棄物で己の位置を撹乱させ、ヨシナガは跳弾も駆使してイシカワの弱点を絞っていくが、器用に爪を盾に使うイシカワには銃撃すらも中々届かない。手強い相手に、息を乱す狙撃の名手はタンクを背に舌を鳴らした。


「何人殺した、橋本少尉? 君の『能力』は、何人の命と引き換えに手に入れたんだ?」

「さっきからベラベラと、気色悪ぃ事ばっか聞いてくんじゃねぇよ!」


 二丁の早撃ちに、巨大な爪は上部を主として防御を行っている。頭蓋が急所と睨んだヨシナガは繰り返し発砲して相手の隙を測り、イシカワの触手を躱しながらその機会を探った。

 一方で、二人から離れた反対側ではセキモトが己の苛立ちをカズヒサにぶつけ続けていた。怒鳴るような指示に牡山羊は従順に答え、カズヒサは必死に身を隠しつつ逃げ回る。作戦の合図を待つ間に、牡山羊を傷付けないようセキモトを仕留める事が自分に課せられた命令ではあるが……。

 一寸たりとも近付けない状況に、カズヒサも必死になって触手の攻略を試みていた。


「相手にならないぞ経理殿! 机仕事ばかりの君など、我々の前には無力も同じだ!」


 素速い追撃を何とか避けきり、砕けた水槽裏に身を隠して息を整える。逃げ続ける此方に相手も気分を良くしたのか、見下した笑いと罵りを遠くから投げ付けているようだ。

 それを無視し、いっそ合図まで乗り切ってしまおうか、とカズヒサが考えていた時だった。


「しかし何と言ったかな、あの男? 確か、いそ……違うな」


 『いさな』。

 その響きに意識の奥で何かが外れ、衝動的に身体が動く。カズヒサはたった一蹴りで数メートル先に立つ人影へ飛び掛かり、その刃を逆手に振り構えた。

 突然目の前に現れた相手に言葉を失ったセキモトだったが、牡山羊に組み込んであった自動防御システムによって入った触手の盾により、その切っ先は紙一重で届かない。しかし、安心するどころか何が起こったのかも分からない状態で立ち尽くすセキモトは、此方を睨む眼差しに動く事すら忘れている。

 レンズ越しに真っ直ぐ見据えるその目は、己という獲物を前にした鰐のように写った。


「……軽々しく呼ぶな……!」


 殺意に研がれるカズヒサのナイフは、セキモトを守る牡山羊の触手すらも少しずつ圧し始める。すると、様子に気付いたヨシナガが咄嗟に叫んだ。


「カズっち、止せ!」


 牡山羊を攻撃して体力を削いでしまうと、使えなくなったと判断したイシカワが自身の強化にナツメを取り込もうとしてしまうかも知れない。自分の声は怒る部下に届いていないようだが、しかしその時、己を狙っていた筈のイシカワの視線が動き、向こうの二人を捉えた。

 今しかない。

 即座に決断を下したヨシナガは、イシカワの足下に転がる瓦礫の一つを狙撃する。的確に撃ち当てられた瓦礫の破片は弾丸を弾いて砕け散り、直角に曲げられた弾道は逃す事無くイシカワの下顎右側を通って眼球を破裂させ、頭蓋まで真っ直ぐ撃ち抜いた。

 突然の衝撃にイシカワは少し仰け反った後に顔をその醜い腕で押さえて呻き、二、三歩後退さって膝を着く。その音を耳にしたセキモトは振り返って直ぐ様イシカワに駆け寄り、もう一発、耳許を掠めた銃声にカズヒサは我に返ってヨシナガに目を向ける。


「今だ、『走れ』!」

「は、はい!」

「おのれ、皆殺しだ! 全員殺せ! 殺してしまえぇ!」


 命令に動いた牡山羊の狙いがカズヒサへ向かないよう、囮となるべくヨシナガが影から飛び出した。本体を避けて触手を迎撃しながら、身軽な立ち回りで少しずつ『ある方向』へと牡山羊の怪物を誘導する。

 崇拝しているのであろうイシカワを傷付けられた事に激怒するセキモトも、夢中になって叫んでいる。その隙に、機材の裏をぐるりと走って移動したカズヒサは『その扉』の前で立ち止まった。

 回収班ロッカー室の奥にあるドアと同じ、パネルが付いたその扉。目にも止まらぬ早さでパネルに数字を打ち込むと、アンロックの緑色が光った事を確認したカズヒサは上司の名を大きく叫ぶ。その声を聞き、待ってました、と口角を上げたヨシナガはカズヒサのいる扉の方へと全力で駆け出した。




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