二十一話
神格化された者のみが、立ち入る事の許された案内班事務室。広大な案内班の事務室は様々な部の受付が配備され、役所のような作りになっている。
書類の受け渡し、その他依頼等は基本的に事務班を介して行われているため、受付を通さなければ要人と話すら出来ない回収班の班員が案内班を訪れる事など、まず無いと言っていいだろう。
何十年とこの送還所に勤務しているアキチカも、案内班に来るのは初めてだった。辺り一面、班員の服すら真っ白の空間。重苦しさすら感じるその雰囲気は、自分達の存在をはっきりと拒絶しているようにも思えてくる。
「失礼します。セキモト副班はどちらに」
徐に受付の若い女性へ近付いたカズヒサが、迷う事無くあの男の名を出した。
「副班長様は、ただいま席を外しております。ご用件がございましたら、お伝えいたしますが……」
「急用なんです、今すぐ呼んで頂けますか。ヤナハラ班長でも構いません」
「班長様も、今回の人造奇形種の件で確認のため『対岸』へ出張しております。副班長様にも、こちらへ戻ってくるまで連絡はしないようにと仰せつかっておりますので……」
まるで台本を読むような受け答えに、カズヒサは思わず舌打ちする。「上からの指示なので」を言い出すと、受付に座る彼女達はもう何を言っても受け付けてくれなくなる。
まったく、これだからマニュアルで動く組織は。
彼がそんな悪態を吐きかけた時、後ろで待機していたアキチカが受付の女性に歩み寄った。カウンター越しに女性の手を取ると、サングラス越しに彼女の目を真っ直ぐに見つめて低く訴え掛ける。
「頼む、お嬢さん。どうしても急がなければならない事があるんだ、今すぐ君の副班長殿をここに呼び出して欲しい。どれだけ俺を悪者にしてくれても構わない……だから、少しでも俺達が哀れだと思うなら、どうか頼みを聞いてくれ」
アキチカの甘い声に女性は顔を紅く染め、言葉も無く一度だけ縦に首を動かした。彼がそっと手を離すと、受付の女性は辿たどしく受話器を持ち上げて番号を押し始める。その様子を横で見ていたカズヒサは、唖然と口を開けて驚いていた。
その口説き方が作戦でなく素であれば、きっと彼は天性のタラシなのかも知れない。その『特技』は、屋内のケースも多い回収任務でもさぞ役立っている事だろう。
しばらく困ったような顔で応対していた女性が、数度返事をした後、溜め息を吐きながら受話器を置いた。
「……どうだった?」
アキチカが女性に問う。
「あの……申し訳ありません。やはり、副班長様は多忙のようで……」
「追い返せ、って言われた?」
受付の女性は、俯きながら無言で頷いた。しかし、アキチカは優しく笑みを見せる。
「俺達のために、ありがとう。でも、もう一度副班長殿に繋いでくれないか」
「し、しかし、これ以上は……っ」
「大丈夫、今度は俺が直接話すから。受話器を貸してくれ」
恐る恐る、女性は受話器をアキチカに渡すと、再び番号を押した。アキチカの耳元で数度呼び出し音が鳴り、途切れたと思った瞬間、劈く様な男の怒鳴り声が受話器から響いた。
《煩いと言っているだろう、この役立たずが! こっちは仕事で忙しいんだ!》
「クソッタレの仕事など知った事か。今すぐ、そこに居るウチの班員を連れて回収班に来い」
《……っ? 何故、貴様がこの電話をっ?》
思った声ではなかった事に、電話の向こうで話す相手は驚いているようだ。次の瞬間には、アキチカの瞳が暗く据る。
「お宅さんの受付嬢は、何とも仕事熱心な女性だ。何度言っても繋いでくれないから、少々手荒な手段を使わせてもらったよ」
その言葉に驚いたのは、当の本人である受付の女性だった。困惑する彼女に、カズヒサがすかさず「静かに」と指を立てる。
《フン……遂に手段を選ばなくなったのかね、班長代理殿》
「そっちこそ言えた義理かよ、セキモト副班長殿。案内対象に手を出しやがって」
沈黙が走る。先に口を開いたのはセキモトだった。
《……どういう事かな》
「異国の言葉が理解できるのは他にもいるって事だ。あんたが探してた本は、今俺達の手元にある。こんなクソみたいな内容の本なんか返してやるから、早く仲間を返してくれ」
《……わかった、出向いてやろう。回収班の事務室だな》
「ああ。絶対条件はナツが居る事だ。さもなくばこの本の存在を所長に知らせるぞ」《理解した。今すぐ向かおう》
アキチカは相手の通信が途切れるのを待って、受話器を受付の女性に返した。しかし、女性は戸惑ったように彼を見上げる。
「あの……どうして……」
「ん?」
「私は何もされていません……何故、あんな嘘を?」
アキチカとカズヒサは顔を見合わせ、苦笑した。
「俺に出来る事は、君のような優しい人を『役立たず』なんて言う奴から護る事ぐらいしかないから。君は俺達の恩人だ、本当にありがとう」
そう言い残して去っていく二人に、女性はしばらく呆然とその背を見つめていた。
一方、足早に事務室に戻った二人を待っていたのは、セキモトと事務班班長のイシカワだった。ナツメの姿が無いと判断するや否や、立ち止まる事なくセキモトに歩み寄ったアキチカは、誰の声も聞かずに憎きその男の胸ぐらを掴み、左腕だけで軽々と高く持ち上げる。
「クソ野郎……ナツは何処だ」
「っ離したまえよ……わざわざ出向いてやったというのに、その態度は何だね……っ」
「つまりは条件の反故だな。取引は決別、今ここで死ね」
アキチカは空いた手を握り締め、拳を構える。しかし、その瞬間にカズヒサとイシカワがそれぞれ腕に飛び付き、何とか彼を制止した。
しかし身を焼くような冷たさは服を通して肌に伝わり、初めて触れた彼の『何か』にカズヒサは少し動揺する。
「待つんだ、アキチカ君! 君達、どういう事なのか説明してくれ!」
「……アキチカさん、落ち着いてください。今のあなたが本気で殴ったら、その男は本当に消滅してしまいます」
魂自体が回収道具のような存在であるアキチカが、回収対象以外の霊体を傷付けてしまうとどうなるのか想像に難しくない。修復できないほど重度の損傷を核に負えば、肉体の無い魂など簡単に消滅してしまう。
その腕を下ろさせようと力を込めた瞬間、カズヒサは凄まじい『何か』をアキチカから確かに感じた。彼は間違いなく、本気でこの男を消し飛ばす気だったのだろう。
「彼を降ろしてください。まだ……聞かなければならない事が山程あるんですよ」
分かっているでしょう。そう言ったカズヒサをアキチカは一瞥した後、再び掴んだままのセキモトを見上げる。小さく舌打ちし、放り投げるように相手を離した。
解放されたセキモトは床に落ちると、咳き込みながら立ち上がり、近くにあった椅子に腰掛ける。急に静まり返った空気を最初に打ち破ったのは、未だ戸惑った様子を見せるイシカワだった。
「一体、何がどうなっているんだ……会議の時から双方が穏やかではない事は気付いていたが、突然掴み掛かるなど君らしくないぞ、アキチカ君」
「イシカワ班長、今は見逃して頂ければ幸いです……しかし、貴方が何故ここへ?」
セキモトを睨み付けたまま、黙り込んでいるアキチカの代わりにカズヒサが弁明する。イシカワは、カズヒサの質問に横目でセキモトを見やりながらここに来た経緯を説明した。
「……私は、セキモト君に呼ばれて出向いたんだ。回収班に言い掛かりを付けられ、脅しを掛けられているからその証人になって欲しい、と……」
「先に仕掛けてきたのはセキモト副班です!」
とんでもない、と慌ててカズヒサは反論を唱える。
「むしろ、我々の集めた証拠をご覧頂きたい! イシカワ班長、この男は……っ」
「だから落ち着いて、もっと冷静になれ。先程も、私はアキチカ君が暴行を働こうとしていたのを目撃してしまった。協力するとは言ったが、このままでは君達が不利になる一方だぞ」
そう諭され、歯を食い縛って俯いたカズヒサにセキモトが笑みを浮かべたのが見える。アキチカは、イシカワに「俺達の話を、是非聞いていて貰いたい」と口を開いた。
「……セキモト副班長。我々も、あなたの嫌がらせを班長の命令で受け流してきました。だが、今回ばかりは見過ごせない所まで来ている。どうか仲間を返してください」
「イシカワ班長、鵜呑みにされない方が懸命ですぞ。私は正直、彼等が何を言っているのかさっぱり理解出来ない」
サングラス越しにアキチカの目が暗く淀む。そんな筈は無い、とカズヒサが目線を合わせて声を荒げた。
「何をとぼけた事を……! 僕は、あなたが書物庫へ人造奇形種の手記を取りに来たのを見たんですよっ? あの後、あなたはナツメさんと絶対にすれ違っているはずだ!」
「人造奇形種だとっ?」
その単語を聞いて顔を強張らせたイシカワとは違い、セキモトは一切反応を変えずに答えを返す。
「……あの金髪のお嬢さんになら会ったよ。最初はあのお嬢さんが、私の大事な手帳を盗ったのだとも思った。勿論、人造奇形種など関係無い、今までの仕事内容を綴った手帳だ」
「この期に及んで嘘を……っ!」
「嘘なものか。だが彼女は、どれだけ追求しても『知らない』と言い張った。だから離してやって、それきり見ていない」
「……僕には、その時にあなたが彼女を誘拐したとしか思えない。正直に言ってください、ナツメさんは何処なんですか!」
「私は知らないと言っているだろう!」
セキモトは椅子から立ち上がる。
「それに、お前等が盗んだ私の手記は、あくまで考察として纏めた物だ。そんな『お遊び』を書物庫に隠していた私も悪いが、決して実行には移せるような内容ではない。なのに君達はそんな手記を使って、私を脅しに掛けているではないか!」
公表するなら、するがいい。そう捲し立てるセキモトに、カズヒサは言葉を詰まらせた。
間違い無くこの男が犯人だというのに、それを証明する証拠は今現在どこにも無い。命懸けで手に入れたこの手記ですら、所長に提出したところで先程のような言い訳をされては事態は錯乱するばかりだろう。
次の手に考えを巡らせるカズヒサの肩に、その時、アキチカがそっと手を置いた。
カズヒサは己より背の高い彼を見上げる。しかし、その暗い目を見て背筋が凍るような感覚を覚え、何も言えずに見つめ返す事しか出来なかった。
最早、その顔に感情は無い。長年一緒に仕事をしてきて、カズヒサが彼のこのような表情を見るのは初めてだった。
「……もういい、カズ。俺達が甘かった」
「アキチカさん……っ?」
「セキモト副班長殿、俺はこの分離活動から離脱します。今までご無礼、失礼しました」
「あ、アキチカ君っ? 何を言い出すんだ!」
突然の宣言にカズヒサは絶句し、イシカワは目を見開く。あからさまな溜め息を吐き、これでもかというほど口端を引き上げたセキモトは「今更降参を認めたか」と意気揚々と襟を正した。
「だが私が受けた無礼の数々、降参するだけでは許しがたいな。貴殿はどう責任を取ってくれるのかね?」
「……班長代理を降りましょう。全てが片付いた暁には、土下座もして詫びもします」
「駄目だ、アキチカ君!」
「フン、まぁそれでいいだろう。満足には至らないが、覚悟は認めよう」
いけしゃあしゃあ、という言葉が似合うセキモトの言動と、全てを捨てたような表情のままのアキチカのやり取りを、カズヒサとイシカワは愕然と見つめる事しか出来ない。
「お聞きになられましたか、イシカワ班長殿。アキチカ班長代理は、役職を降りられるそうですぞ」
困惑の表情を浮かべるイシカワに、してやったりの笑みを讃えるセキモトは白々しく同意を求めてくる。イシカワは何とか言葉を返そうとするが、反論する理由も無い状態で同意を拒否する事は難しい。
イシカワは歯を食い縛り、悔しげにセキモトを睨み付けた。
「……私を利用するのか、セキモト殿……っ!」
「利用などと、何を仰られるやら」
憤りを隠せないイシカワにすら、セキモトは鼻で笑ってみせる。
「それに、当人の意思は尊重すべきというのが事務班の班則なのではありませんか、イシカワ班長殿? まぁ、本人が宣言した時点で地位は返納されていると思いますが」
その言葉に、イシカワの顔色が変わる。彼は「所長に確認と撤回を申し入れる」と班室を飛び出していくが、セキモトがその後ろ姿に「無駄な事を」と呟くのが聞こえた。
しかし、本当にアキチカはナツメの事を諦めてしまったのだろうか。助けようとは、思わないのだろうか。
そうカズヒサが思った時、脇をすり抜けたセキモトをアキチカが呼び止めた。
「……セキモト副班長殿。一つだけ、教えて頂いてもいいですか」
「この期に及んで何かね? 私は忙しいんだよ、負け犬殿」
悪態にカズヒサは思わず立ち上がるが、アキチカは変わらず何の感情も見せない。
「大事な後輩は……ナツは、実験体として役に立てていますか?」
三人しか居ない空間が、一瞬の内に凍りついた。全てを悟ったカズヒサは力無く壁に寄り掛かり、セキモトは質問者を嘲り笑う。
「……君には特別に教えてやろう。彼女は、本当に素晴らしい能力の持ち主だ。回収班に置いておくのが惜しい程にね」
「……そうですか。手間を取らせました」
「結構。それでは諸君、これで失礼するよ」
静かになった事務室に、ドアの閉まる音だけが響き渡った。
遂に、カズヒサが床に座り込む。激しい怨恨と後悔だけが、カズヒサの中に残った。
「……僕が、こんな物に気を取られたから……あの時、廊下から書物庫を出ていれば……」
「過ぎた事だ、カズ。お前は何も悪くない」
「アキチカさん……っ僕は、僕は……!」
「カズ」
カズヒサの前に、アキチカが腰を落とす。その表情に、カズヒサは遂に涙を溢れさせた。
何も感じ取れなかった。彼には怒りも、悲しみも、何も無い。
それ故に、自分の中で自責の念だけが大きくなっていく。
「カズ、泣くな。後はお前だけが頼りなんだ」
「僕には、とても……もう無理です……っ!」
「心配しなくても、あと二、三日で班長も戻ってくる。それまで、回収班として居てくれるだけでいい。トッさんにも、状況を伝えておいてくれ」
「……アキチカさんは、どうするつもりなんですか」
「俺は、『俺の出来る事』をするのみだ。班長に状況報告をしてから、独自に動く」
アキチカは立ち上がり、ロッカー室へのドアノブを握った。すると不意に、後ろから震える声で名を呼ばれ、一時その動きを止める。
「……何か、お手伝い出来る事は……?」
「班長が戻ってくるまででいい。回収班を、頼む」
そう言い残したアキチカは、涙に頬を濡らすカズヒサを残して班室を後にした。
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