十九話
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ヨシナガが倒れ、マツカゼが休暇に入って五日。
「疲れたーっ!」
「いやぁ、毎日歩き通しはツラいなぁ」
作業室に入ってきた実行係の二人に、作業中だったトシユキが労いの言葉をかけた。
「二人とも、お疲れさんやなぁ。どんな? 何ぞ成果あったけ?」
その問い掛けに、ナツメが首を横に振る。
「まるで無しっスよ。カズさんが持ってくる資料によれば、絶対にまだ何体か居る筈なんスけどねー……」
「砂浜の中から米粒探す様なモンだよ。気が遠くなりそうだ」
作業室隅に置いてある、製造係専用の休憩用ソファに並んで腰掛けた二人は同時に溜め息を吐く。
資料の置いてある書物庫には、所長から正式に任命された班長もしくは副班長しか入室を許可されていない。代理とはいえ、正式な許可を貰ったカズヒサは少しでも怪しいと思った資料を片っ端から掻き集め、人造奇形種の捜索に利用していた。
しかし、資料にあるのは目撃談や少数の被害報告だけで、移動する目標を捉えるには少々情報が足りなさ過ぎる。イタチごっこを繰り返している事は、実行係の二人だけでなく、カズヒサも既に気付いてはいた。
決定的な証拠、情報を仕入れるために、副班長代理は今も書物庫に籠っている。
「ワシもキリええとこで休憩しよか。旦那もナツ坊も、何か飲むん淹れよかえ?」
気を利かせたトシユキの笑顔に、二人も笑顔で頷く。事務室から持ち出してきたコーヒーメーカーを弄る彼の後ろ姿を見ながら、ナツメが溜め息混じりに苦笑した。
「トシさんも一緒に探せたらいいんスけどね。探索とか、人数多い方が早く済むのに」
ナツメが不満そうに口を尖らせるも、皆も苦笑で返すしかない。
「ワシ等はおまん等と違て『零』でないけんなぁ。ほんま言うたら、『外』へも行ったらアカンのでよ」
カップを持って戻ってきたトシユキは、溜め息混じりに言葉を続ける。
「入所届出す時に姐さんに言われとってん。一回ここへ『案内』されたら、また『外』へ戻るんは低級固定種になる危険がある、て。今でこそ移動容器で『外』へも出れるようになったけんど、頻繁に行ったり来たりは核にええ事ないみたいでな」
「でも、案内班に入班すれば容器無しでも外に出られるようになるよ。トッさんにとっては、そっちのが羨ましいんじゃないか?」
「まさか!」
アキチカの言葉に、トシユキは大きく首を横に振った。
「旦那よぉ、ワシは『この班』やけん成仏せんとここに居んねんぞ。ワシはな……いや、ワシだけでないと思う。皆が、このメンバーが好っきゃけん、今も身ぃ削って頑張いよんじゃ。ほうじゃろ?」
トシユキの力ある台詞に、アキチカとナツメは顔を見合わせ、お互い照れ臭そうに笑った。
「いやぁ、さすがトッさんの言葉は重みがあるなぁ」
「班長やマツさんのためにも、頑張らなきゃ駄目っスね」
「俺達もまだまだ……おっと、もう無かったのか」
二杯目を入れようと立ち上がったアキチカが、コーヒーメーカーの蓋を開けて中を覗き込む。残り少なかった事には気付いていたが、いつの間にか豆を使い切ってしまったらしい。
「なぁトッさん、豆ってまだ残ってたっけ?」
「一袋は残っとった思うけど……作業場の備品以外は、カズ坊に聞いてみな分からんな。行って見てきた方が早いかも知れん」
「オレ、見てきましょうか?」
ナツメが腰を上げる。
「ついでだからカズさんも呼んでくるっスよ。帰ってきた事も伝えないと」
「んー、じゃあ頼もうかな?」
せっかくだから、とアキチカは頷く。行ってきます、とドアに向かうナツメを、アキチカは呼び止めた。
「ナツ、気を付けていけよ。余程の事じゃなければ、話しかけられても無視していいからな」
「了解っス」
頷き、ナツメは作業室のロックを解除した。
一方、日が暮れても書物庫に居るカズヒサは、棚に並ぶファイルの背表紙一つ一つに目を通しながら役に立つようなデータを探して歩いていた。
案内班の班長は、確か『百年程前に全て回収した』と言っていた。なら、実験が行われていたのは百年前か、その前後の年の筈だ。
背表紙にあるかどうか分からない『人造奇形種』の文字を探しつつ、気になるファイルがあれば手に取り、片っ端から開いては閉じて戻すを繰り返す。そんな中、ある一つのファイルの中に、極秘情報と書かれた紐綴じの本が挟まれているのを見つけた。
「冊子……いや、辞書か? なぜこんな物がここに……?」
つい先程作られたかのような、真新しい紙質の本。その本の表紙裏に挟まっていた一枚の黄色い紙には、あの怪物の姿がスケッチの様に描かれていた。
カズヒサは息を呑む。ペンではなく細い筆を使って筆記された異国の文字を慌てて読み進めていくと、その内容に、思わず愕然と目を見開く。
「……そんな、まさか……!」
全文英語で記されたその中身。カズヒサは己の手が震えるのを感じる。
その時、書物庫の大きな扉が開く音を聞いた。広い書物庫は、年代別に振り分けられた棚が所狭しと並べられ、その中にぎっしりとファイルや本が収められている。カズヒサは急いで本を懐に忍ばせてファイルを元の場所へ戻すと、入ってきた人物から隠れるように、棚の影に身を潜めた。
入ってきた人物は、何か独り言を言いながらこちらに向かって近付いてくる。聞き覚えのあるその声に、カズヒサは思わず耳を疑う。
(セキモト副班……っ?)
独り言の内容は、やはりマツカゼの事と人造奇形種についての様だ。ああだのこうだの、カズヒサが聞き取れない程の速さと音量で呟く彼は、迷う事なく真っ直ぐにカズヒサの居る棚へとやってきた。
カズヒサは、彼の様子を影からそっと覗く。何かを探すようにファイルの背表紙を流し見ていると思えば、あるファイルを手に取り、徐に開いて書類を捲り始めた。
あのファイルは、確か……。
急に不安が彼を襲い、あのファイルに挟まっていた本をカズヒサはスーツ越しに強く抱き込む。その時、セキモトは突然ファイルを強く閉じた。
静かな書物庫に大きな衝撃音が轟き、肩を飛び上がらせたカズヒサは素早く身を引いて棚を背に天井を仰ぐ。息を止め、相手の気配と動きを感覚で探っていたその時、彼は確かにはっきりとその男の言葉を聞き取った。
「……回収班……っ!」
セキモトはファイルを持ったまま踵を返し、足早に棚の間をすり抜けていく。書物庫の扉が閉まった音を確かに聞いたカズヒサは、安心に胸を撫で下ろした。
「驚いた……早く、班に戻って皆に伝えないと」
しかし、セキモトが外で待ち構えているという事も有り得なくはない。様々な結果を考慮し、カズヒサは入口の扉ではなく、奥の古い階段へと向かう。何百年も前の書類や巻物が積み重ねられた資料倉庫を降りて行き、本の山を抜けて突き当たりのドアの先には、作業室へと続く『抜け道』となっている。
カズヒサは大きく息を吸う。ここから先は、ほぼ整備されていない『あちら側』の空間であるため、覚悟を決めて扉のカンヌキを外した。
しかしその頃、ちょうどカズヒサを迎えに書物庫へ向かっていたナツメは、廊下の向こうからズンズンとこちらへ歩いてくるセキモトを発見してしまう。隠れる場所はなく、真っ白な壁に己の黒いスーツはあまりにも目立つ。回収班である事が一目瞭然であるこの状況に、ナツメは仕方なく、しかし自然にすれ違う決心を固める。
最悪、『上司』から無視してもいいと指示は受けている。しかし気付かない訳もないセキモトは、数メートル先から大きな声でナツメに声を掛けてきた。
「これはこれは、回収班の金髪少女じゃないか」
「……うっス」
軽く頭を下げて、通り過ぎようと歩みを速める。しかし脇をすり抜ける瞬間、ナツメの袖をがっちりと掴んだセキモトは嫌味ったらしい話し方で文句をつけてきた。
「目上の人間にそれだけかい? 機嫌の一つでも伺ったらどうだね金髪君」
うっぜぇーっ!
ナツメは思わず声に出しそうになった。
だがその時、相手の表情に何処か違和感を感じてナツメは抵抗する動きを止める。この男、何か焦っているような……?
しかし、いちいち構っていられるほど、自分に余裕がある訳でもない。
「い、急いでるんで、また今度……」
「奇遇だな、実は私も急用なのだよ」
相手はヨシナガほど長身ではないが、小柄なナツメには、その手から逃れる術は限られてくる。どうにも離してくれない一番嫌いな相手に、彼女は溜め息混じりで言葉を返した。
「……離してくれないっスか? セクハラで所長に訴えるっスよ」
「女扱いするな、と言ったのは君の方ではないか。まぁいい、質問に答えてもらおう。この廊下を、誰かと擦れ違ったりしてないかね?」
「してないっス」
「班室では? 誰か、出入りがあったとか」
「今は誰も居ないっス。しつこいっスよ」
「本当に? 何か隠してないか?」
「何なんスか一体。何か、事件でもあったんスか?」
苛立ちの混ざり始めたナツメに、セキモトはやっと、掴んだ上着の袖を離す。
「……これは失礼したな、金髪君。私の勘違いだったようだ」
「もういいっス。……じゃ、オレはこれで」
自由になり、上着を軽く直して足早にセキモトの横をすり抜ける。その時、後ろからセキモトの声が聞こえてナツメは立ち止まった。
「金髪君、詫びと言っては何だが、一つ、いい事を教えてやろう」
「は?」
思わず後ろを振り返る。しかし、背後を確認する間もなく、ナツメは顔面に何かを噴射されてしまった。
突然の事で後ろに飛び退くが、次の瞬間には思考が止まり、身動きが取れなくなる。床に膝を付き、崩れ落ちるように倒れ込むと、ナツメはそれっきり動かなくなった。
彼が噴射したのは、生者の世界にて案内中の対象が抵抗した際に使用する、案内班現場係が開発した催眠ガスの類だった。床に転がるナツメを見下ろしたセキモトは一人、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「……この女を抑えれば、あの班長代理も無闇に動けなくなる事間違い無しだ。設計書の取り返しも、このランクならきっと『納得してもらえる』筈……」
セキモトは軽々とナツメを抱え上げると、不敵に口角を釣り上げた。
「君が『消滅するのが怖い』と言っていたのを聞いた方がいらっしゃる。喜びたまえよ、金髪君。君が二度と、消滅の恐怖に慄く事のない様にしてやろう」
意識の無いナツメに届かぬ台詞を投げ掛けながら、セキモトは何処かへ向かって廊下を歩み始めた。
その一方で、回収班の作業室にいるアキチカは少しの不安に足を小刻みに揺らす。先程の結果報告や現在開発している案などを話し合いながらも、彼は独り、二人の遅い帰りに嫌な予感を巡らせていた。
「……遅いな……」
「書物庫行っとんじゃろ? 二人で話込んどんと違ゃうんか?」
「だとしても、遅過ぎる。書物庫はそんなに遠くない」
「ほな、上に居るんかえ?」
「……確認してくる」
立ち上がったアキチカは作業室のロックを開けて部屋を出た。階段を上り、ロッカー室を通って事務室に入っても、誰一人としてそこには存在しない。
第一、ここで居るくらいなら作業室に降りてくるだろう。
「……なんで、お前まで戻ってこないんだよ……」
カズヒサの帰りは遅くとも、呼びに行ったはずのナツメが戻ってこないのは明らかにおかしい。自分も様子を見に行こうかと悩みながらも勝手に出て行く訳にもいかず、再び作業室へ降りると、ドアを開けた瞬間にアキチカは我が目を疑った。
先程まで和気藹々としていた筈のソファに、トシユキの姿すら見えない。すると奥から慌ただしい声が響いてきて、アキチカは彼の声がする方へ早足で向かった。
すると、重い鉄の扉のカンヌキが外され、トシユキは必死に扉を開けようとしている。アキチカは思わず焦る。この扉の向こうは、『あちら側』の無垢な瘴気が漂う『黄泉の道』だ。
案内対象は瘴気によって来世への力を付けるが、その瘴気は転生を許された魂以外を受け入れる事なく、少しずつ削り分解していく。
「ちょ、何してんの! 開けちゃ駄目だろ!」
「ええトコ来た! 旦那も手伝うてくれや!」
彼を制止しようと身を乗り出した時、トシユキの言葉にアキチカは唖然とする。腰を落として全力で扉を引いていたトシユキは、更に続けてアキチカに叫ぶ。
「この向こうからカズ坊の声がしたんじゃ! 早よ助けな消えてまう、頼むわ旦那!」
状況を何とか飲み込んだアキチカはトシユキを脇に寄せ、鉄の扉の取っ手を掴む。腰を落として体重を後ろに掛けると、彼はありったけの力を振り絞って扉を引き開いた。
通常六人掛かりでやっと開く重い扉が、アキチカの力でゆっくりと手前に動き出す。トシユキが口を開けて驚く中、その隙間から摺り抜ける様に、カズヒサが姿を現した。
「カズ!」
思わず目を見開く。満身創痍と言っても過言ではないほど疲れきっている彼は床にへたり込むと、息を荒げ、大きく呼吸を繰り返していた。
アキチカが扉を押して閉め直している間、トシユキが慌てて彼に駆け寄った。
「おいカズ坊、しっかりしなぁや! 旦那、ワシは粗塩構えるけんカズ坊をイスぃ寝させ!」
「了解!」
扉を閉め切り、カンヌキも掛け終わったアキチカが動けないカズヒサの脇を抱えて、彼をソファまで運ぶ。紫色に染まり始めていたカズヒサの顔色は少しずつではあるが元に戻り、呼吸も整ってきているようだ。
粗塩を溶かし込んだ水を用意したトシユキが、動けないカズヒサに代わり少量ずつ口に含ませてやる。心配そうに見つめていたアキチカが、口を開いた。
「何だって、あんな所通ってきたんだ? 『黄泉の道』って、知らない筈ないだろうに……」
黄泉の道。
彼等がいるこの世界が『あちら側』と『こちら側』に分かれている事は前述したが、厳密に言えば彼等は、地球と宇宙の境目にある宇宙船の中に居るようなものだ。人類が成層圏で生存出来ない様に、彼等もまた、瘴気立ち込める浄化され過ぎた空間での存在は侭ならない。
『黄泉の道』と呼ばれるこの通路は何世紀も前に断念した増築の名残であり、故に瘴気が入ってこないように、鉄の扉で固く閉ざされている。たとえ移動容器を纏っていても、長時間その空間に居れば魂はやがて分解され、塵となった回収対象同様、闇に溶け落ちる事になるだろう。
そんな危険を冒してまで、何故カズヒサはここを通ってきたのか。アキチカは、ナツメの事が頭を過ぎった。
「どんなじゃ。話せるけ?」
トシユキの問い掛けに、カズヒサは無言で頷く。深呼吸を数度繰り返し、最後に一度、深く息を吐いた。
「……心配かけて、すみません。もう、大丈夫です」
「カズ坊、何があったんね? どないやってここの作業場まで来てん?」
「……この扉は、書物庫の地下にも繋がっているんです……ちょっと、会いたくない奴に見つかりそうになりまして、ね」
「あのクソ副班かえ」
カズヒサは頷く。アキチカの表情が明らかに堅くなった。
「……カズ。お前を迎えに行ったきり、ナツが戻ってこない。会ったか?」
「いえ、書物庫でこの本を見つけた直後にアレが入ってきて……見かけてから、すぐに地下へ向かいましたから」
「本?」
カズヒサは、上着の中から一冊の本を取り出す。紐綴じの本を受け取ったトシユキは、表紙を開いた瞬間に表情を強張らせた。
「ちょお待てぇ、これ……!」
「とあるファイルに挟まってました……きっとアレは、その本を取りに来たんだと思います。無いと気付くやいなや、アレは書物庫を出て行ったので……もしかしたら、ナツメさんはアレと鉢合わせた可能性が……」
「……まさか、ナツは……」
しかし、トシユキは内容を読み進める度に首を捻り、文章を眺めては眉間に皺を寄せる。
筆を走らせ記された文字は、全て英単語やアルファベットだった。英文の内容が簡単に理解できる訳もなく、本を渡されたトシユキは、ただ首を傾げるしかない。
そんな様子の彼に苦笑したカズヒサは、ゆっくりと身体を起こして少し乱れた髪を掻き上げた。
「今から全速力で、日本語に翻訳しておきます。その時に、ちゃんと説明しますが……おそらく、その本が人造奇形種の全てでしょう。製造方法、導入時の様子、失敗作の結果、その後の処理、そして被害総数まで……怪物の全てが、その本に記載されている筈です」
「……カズ、俺はナツを探しに行く」
「わかりました。ですが僕は先に、この本のコピーを取って翻訳に掛けます。アレがナツメさんを連れ去った可能性を考えると、間違いなくアレは、彼女とこの本を交換条件に持ち出す筈ですから」
「……すまない、急いでくれ。……俺が、アイツを一人で行かせたばかりに……」
「ご自分を責めないで下さい。直ぐに仕上げて、僕も探します」
それでも、アキチカは自責の念に両手で顔を覆い、深い溜め息を吐く。
この時、アキチカの魂に潜む強い『何か』が少しずつ動き始めた事に、本人を含め誰も気が付いていなかった。
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