十六話
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数時間後。
日付も変わり、ヨシナガは両手を打って皆の注目を集める。
「お前等、そろそろ撤収するぞー。帰る準備しろよー」
「はーい」
班員達は素直に腰を上げ、マツカゼは遊んでいたカードを丁寧に片付けて輝翔に渡した。
「今日は本当にありがと、キッちゃん。また来るわね」
「あ……どうも」
「超美味しかったっスよ。もう次来るのが楽しみっス」
「ほな、去んで来るわな。ここの酒はほんまに旨いけん離れがたいけんど」
皆が各々に輝翔へ別れを告げながら、再びトイレの前に集まる。全員が『サーチャー』を確認し、マツカゼがトイレのドアを開けようとノブに手を掛けた時だった。
「……アキさん?」
「しっ。何か聞こえる」
ナツメが、不意に立ち止まったアキチカに気付いて振り返った。後ろを向き、天井を見上げるアキチカはサングラス越しに何かを辿る様な動きで辺りを見渡している。
動かない二人に、怪訝に思った皆が後ろを向いた時だった。
けたたましい音量で響く、低い遠吠えとも汽笛とも取れるような音。中庭方面から聞こえたと思ったその瞬間、何かが近くに落ちてきたような地響きが寺中を揺らした。
誰もが、血の気が引いていくのを感じる。感じた事のない悪寒に皆冷たい汗を流す中、ヨシナガだけが小さく舌打ちする。驚くマツカゼに目で合図し、二人は顔を見合わせて頷いた。
「……全員、位置情報を解除して靴履け。実行係とカズっちは直ちに戦闘準備。俺を先頭に目標を誘い出すから、トッシーはマツカゼの指示に従って周辺の安全確保と『護摩粉』の散布だ。『護摩粉』の予備はキッちゃんが場所を知ってる」
マツカゼが輝翔に振り向くと、彼は辿たどしく視線に答える。
「……勝手口の、倉庫に置いてあります」
「よし。トシちゃん、キッちゃんは私に続いて。いいわね?」
急に雰囲気の変わった二人に皆は戸惑う。しかし、経験の豊富なアキチカを筆頭に、告げられた命令をすぐに飲み込んだ班員達は、何も言わずに静かに頷いた。
『サーチャー』のベルトを引くと、ゆっくりと吹き出した煙の中から専用の回収道具が現れる。各々が装備を終えて体勢を整えるも、通信機器は持ち合わせていないため、取り敢えず班長のヨシナガとマツカゼだけは『サーチャー』の通信機能を起動させて回線を繋いだ。
リーダーのハンドサインで実行係達四人は中庭を目指し、マツカゼ達は『護摩粉』を確保するために一度勝手口の倉庫へ移動して、そこでヨシナガの合図を待つ事になった。
廊下を抜け、一度玄関から外に出て境内をぐるりと回る。縁側から中庭に面した居間へ入ると、月明かりに映るその影に四人は同時に息を飲んだ。
人とは思えぬ、馬とも牛とも取れるその頭部。二メートル以上はあるであろう巨体は、裸の上半身に毛皮を纏ったような脚……正に、伝説通りの姿をした『鬼』であった。
その化け物は荒い息を立てながら、しかし、ぴくりとも動かずに立ち尽くしている。此方の気配を探しているのか、はたまた既に察知し、誘い出しているのか。
隅に集まった四人は、ハンドサインを交えながら作戦を確認する。
「アッキーとカズっち、俺とナッちゃんで分かれる。俺達が囮になるから、アッキーが主体になって目標を回収。出来るな?」
「班長、もし知っているならアレの注意点を教えてくれ」
「……先に俺が目を潰しておく。だが奴等は修復能力があるから、半径二メートル以内で奴の目が赤く光りだしたら絶対に目を閉じろ。目標は1Aだ、油断するんじゃねぇぜ」
三人の部下達は同時に頷く。ヨシナガは上着のホルスターから二丁の銃を抜き、ロープを構えたナツメの肩を叩いて「ついてこい」と合図した。
ヨシナガ達は一度縁側へ出て、中庭の様子を伺う。ヨシナガのカウントで三つ数えると、一斉に化け物の前に飛び出した。
ナツメがロープでその巨体を縛り上げ、ヨシナガが左右の同時射撃で相手の両目を撃ち抜く。一撃に聴こえた二発の発砲音のすぐ後で、班長の叫びが各班員に届いた。
「今だ!」
勝手口前のマツカゼ達が動き出したと同時に、障子戸を突き破ってアキチカ達が標的目掛けて飛び掛かった。
アキチカは目標の足を薙ぎ払って巨体を転倒させ、その上からカズヒサが額の中心を狙って自身の『道具』を奥深くまで突き刺す。刃渡り三十センチ程の巨大なフルタングナイフは見事頭部を貫通し、化け物の戻り始めていた目の輝きを消し去った。
最後に木霊した身震いするような断末魔と、その巨体が地面に沈み込む音は、外を回っていたマツカゼ達三人にも届く。
「気色悪い声じゃ……さっきから何がとえよん(叫んでいるん)な?」
「化け物……だと、曾じい様は言ってましたが」
「化け物てなぁ……なぁ姐さん、あのし等はいけるんかいの?」
二人が『護摩粉』の入った鉢を持って懸命に灰の線を引く中で、マツカゼが心配そうに境内を見やる。左手首に視線を落とせば、まだヨシナガとの回線は正常に繋がっているようだ。
「ヨシナガ、みんな! 聞こえてる?」
《マツカゼ、作戦は成功だ。目標は倒したが、やっぱり『持って帰る』しかなさそうだぜ》
「そう、良かった……」
その瞬間だった。
マツカゼは、空から屋根を超えて飛んできたその恐ろしい姿を捉える。その着地地点は、境内の裏に当たる場所だ。
あそこは、まさか。マツカゼは声の限り叫んだ。
「みんな逃げて――――!」
角の生えた牛頭の化け物が降り立ったのは、丁度ロープを纏めていたナツメの真後ろだった。着地の際に感じた地響きと背中に走る悪寒に、思わずナツメが振り返ろうとした時、牛の目が赤い光を灯し始める。
「ナッちゃん、見るな!」
四人に戦慄が走った。急いで駆け寄るも、その少女との距離はどこまでも遠い。
もう、間に合わない。誰もが悲鳴に似た叫びを上げた。
「ナツメさんッ!」
「ナツ――――――ッ!」
彼女の目が後ろに向いた瞬間、ナツメの視界は真っ暗に閉じた。顔を覆ったその手の暖かさに驚く間もなく、直後に身体を強い風圧が襲う。反転しながら後ろへと大きく吹き飛ばされ、しかし、何かがクッションとなりナツメは地面に落下する痛みを感じなかった事に違和感を抱く。
その光景をただ見ている事しか出来なかったアキチカとカズヒサは、ナツメを抱えたまま仰向けに地面へ落ち、芝生を数メートル削って停止した上司に向かって叫んでいた。
横たわったその姿にいつもの覇気は無く、目を閉じていたとしても真正面から目の光を強く受けてしまったヨシナガは四肢を投げ出したまま動かない。二人の傍に駆け寄ったカズヒサに、アキチカが戦闘態勢を構えて言った。
「カズ、二人を頼む」
「アキチカさんはっ? まさか一人で……!」
「あの目標物の気を引いとく。副班長にも報告を」
そう告げた瞬間、目で追えない程の速さで化け物に駆け寄ったアキチカは瞬時に腕を振り上げ、大きな一撃をその頭部に食らわせた。その驚異的な衝撃で牛の左目を側頭部ごと潰したが、右目の発光を腕で遮りながら、尚もアキチカは攻撃と回避を繰り返している。
高ランクの回収対象との戦闘に慣れているアキチカですら、傍目からは少々苦戦しているようにも見えた。ナツメもすぐに身体を起こして状況を把握したようだったが、そのショックからか、呆然とヨシナガを見つめたまま座り込んでいる。
カズヒサは『サーチャー』からマツカゼに通信要請を出すと、すぐに許可されてマツカゼの声が聞こえた。
《カズちゃんっ? 何があったの、ヨシナガはっ?》
「緊急事態です! 班長が、アレの赤い光を食らったっきり全く応答しません!」
もうすぐ『護摩粉』を撒き終える所で、マツカゼの顔から血の気が引いた。
彼女もまた、人造奇形種回収作戦に参加した一人だ。あの光を目に入れた仲間がどうなったのか……あの悲劇を知っている者は、今となってはもう数える程しかいない。
その時、マツカゼは全てを悟る。昼間の一件で、実行係の二人を襲った得体の知れない回収対象も、きっと、あの化け物のせいで。
「……カズちゃん、ヨシナガに何か変化は?」
《ありません。ですが……指先から徐々に、身体に黒い痣の様なものが広がっているような気も……》
まだ、間に合う。咄嗟に、彼女はそう思った。
すぐに駆け付ける事を告げて通信を切ると、通信中に『護摩粉』を撒き終えた二人に向けてマツカゼは命令を出す。
「二人共よく聞いて。向こうの班に負傷者が出たの」
「……え……」
「負傷者っ?」
「私達の主任務は終わったから、私とキッちゃんは負傷者の手当に行く。トシちゃんは、実行係の援護に回ってあげて」
「姐さん、その負傷者いうんは……っ?」
瞬間、僅かに瞳を揺らした彼女の反応をトシユキは見てしまった。これ以上の問い掛けは無用と悟り、歯を食い縛って足を踏み出す。
「……了解。二人も、どうか気ぃ付けて!」
トシユキは鉢を置いてマツカゼと輝翔に背を向け、正門へと駆け出していく。マツカゼは心の中でトキユキに礼を言うと、輝翔を脇に抱え、塀を飛び越えて中庭に入った。
彼等の姿を見つけて駆け寄り、その光景を目の当たりにした彼女は唇を噛んで潤む視界を耐える。倒れたまま動かない曽祖父の姿に、輝翔が傍に膝をついた。
曾じい様、とヨシナガを揺すろうとする輝翔の姿を見てか、今まで何も言わなかったナツメが口を開いた。
「……ごめんなさい……オレの、せいだ……オレのせいで、班長が……」
「ナツメさん……」
嗚咽を漏らし始めたナツメの肩に、カズヒサがそっと手を置く。マツカゼの姿を見つけたナツメは、涙を流し、許しを請うように項垂れる。
「マツさん、すみませんでした……っ! オレが、オレがあの時……!」
「泣かないでナッちゃん。後で、ちゃんと聞くわ」
無表情のマツカゼは背中の愛刀を抜くと、仰向けに横たわるヨシナガの真上に構える。
誰もが、その様子に目を見張った。
「……お願い乃風。彼の中から、悪いモノを全て取り除いて」
皆が静かに見守る中、マツカゼはヨシナガの胸の中心にその長い刀を深く突き立てた。しかし、彼女は神妙な面持ちでヨシナガを見下ろし、様子を確かめている。
その時、カズヒサがその変化に気付いた。
「黒い痣が……っ?」
刀の刀身が黒くなる毎に、ヨシナガの手を染め始めていた黒い痣が薄くなっていく。それを確認したマツカゼは、ナツメの前に膝をついた。
怯えたように身体を震わせたナツメを、彼女は優しく包み込むように抱き締める。突然の事に、少女はその濡れた目を見開いた。
「あなたは悪くないわ、ナッちゃん。自分を責めるのは間違ってる」
「……マツさん……でも……」
「悪いのはあの怪物だもの。アレが彼をこんな目に遭わせたの。あの怪物はね、私達の大切なものを全て奪うために生まれてきた、愚かで可哀想な悪鬼なのよ」
マツカゼは、そっとナツメから離れる。その大きな瞳を見たナツメが彼女から感じ取ったものは、強烈な憤怒と、はっきりとした殺意だった。
目の前の上司は、大変怒っていた。
「護りたければ、戦って。失いたくなければ、全身全霊を以て戦うのよナッちゃん。こうしている今にも、あの怪物はあなたから、私達から何かを奪っているかも知れない……あなた達にしか出来ない事なの」
私の代わりに、あの怪物をやっつけて。
彼女の言葉を心に刻みつけたナツメは、確かに、大きく首を縦に振った。
「カズちゃん、ナッちゃんをお願いね」
「……了解しました。班長の無事と、マツカゼさんの御健闘を祈っています」
「行ってきます、アキさん」
二人が中庭を去ったのを見届け、マツカゼはヨシナガに寄り添っていた輝翔にそっと声をかける。
「キッちゃん、この刀に溜まった『怨恨』を浄化できる?……彼を、救える?」
「……任せてください。それこそが、自分の仕事です」
「ありがとう、キッちゃん」
輝翔はぐったりと力の抜けたヨシナガの身体を軽々と抱え上げると、本殿の中へと運び込む。その時初めて、マツカゼは輝翔の後ろで頬を伝う涙を拭った。
一方、アキチカは依然として苦戦を強いられていた。非戦闘員であるトシユキが自作の発明品で何とか標的の気を引いてくれるものの、如何せん相手の身体が頑丈過ぎて素手では全くと言っていいほど歯が立たない。骨を折れども目を潰せども、その驚異的な回復力故にまた一からの攻撃となってしまう。
「……参ったな……っ!」
「どないしたらええんじゃ……んなけど、アレぁまだ試作段階やし……っ」
一撃一撃が『回収道具』と同じ力を持つアキチカは、目に見えて体力を消耗しているように思える。唯一の救いは、近距離から赤い光線を食らっても、サングラスに阻まれた光が彼には効かない事ぐらいだ。その事は相手も理解しているようで、向こうが肉弾戦に持ち込んだ瞬間、その強さにアキチカは圧され始めていた。
その時、一瞬の隙を突いて化け物の薙ぎ払った左腕がアキチカの顔を捉える。大きく右に飛んだ彼は近くの茂木に突っ込み、はみ出た足が僅かに動く。
殴られた時に弾け飛んだか、植木の影に身を隠していたトシユキの足元に見覚えのあるサングラスが転がった。
「旦那、早よ逃げぇ!」
トシユキの声はアキチカに届いていただろうが、その前に、茂木の中へと手を伸ばした化け物に首根を掴まれた彼は、その身体を高く持ち上げられた。頬に三つの爪痕が残るその顔に、勿論サングラスは無い。
首を鷲掴みにされ、苦しげに呻きながらもアキチカは必死に抵抗する。しかしその間にも、牛の目は赤く光りだしていた。
目を閉じて防いでも、この距離であの衝撃波を喰らえば間違いなくヨシナガと同じ被害を受けるか、頭が飛んで無くなるだろう。トシユキの叫び声を聞きながら、アキチカは覚悟を決めて固く目を瞑った。
その直後、牛の頭から僅かに呻くような音が漏れる。異変を感じて僅かに目を開けたアキチカが見たものは、頭部全体にぎっちりと巻き付いたロープの束だった。
同時に、上半身のちょうど中心から、見覚えのある巨大な刃が肉を裂いて突き出ている。
「くっ……頭でなければ駄目か」
化け物の背後から、カズヒサの低まった声が聞こえた。
しかし次の瞬間には、化物は痛がるように腕を振って抵抗し、ロープが外された事でカズヒサはナイフを抜いて巨体から離れる。捕まっていたアキチカは門の近くまで投げ飛ばされるが、偶然近くにいたトシユキが茂みから出てきて間一髪の所でアキチカを受け止めた。
彼を引き摺って再び植木の影に身を隠したトシユキは、声を張って皆に叫ぶ。
「皆ほいつから離れ! 試作六号、行くで!」
トシユキの合図で、応援に駆け付けたナツメとカズヒサは化物から数メートル距離を取る。トシユキは『サーチャー』からバズーカ砲のような物を同時に取り出すと、急いで標的の後ろから構えた。
その間、僅か数秒。化物の動きが止まった瞬間、隙を見逃さなかったトシユキが「照射」と強く叫んだ。
空気の抜けるような音と同時に、何故か化物の動きが極端に遅くなる。まるで『その場所だけ』時間が止まっているかのようにも見えるが、この好機を逃す手は無い。
直ぐ様、ナツメとカズヒサが動いた。
「カズさん、トドメを!」
「分かってる! ナツメさん、転倒させてくれ!」
ナツメは化物の背後に回り、相手の口と首を巻き取ると全体重を掛けて手前に引く。化け物はゆっくりと仰向けに倒れ、その上へカズヒサが迷う事無く飛び乗った。
間髪入れず、その眉間にナイフを突き立てる。化け物はロープの奥でくぐもった断末魔を上げ、目の光を完全に消沈させた。
「……どうなった……?」
「……終わりましたよ。皆、出てきて大丈夫です」
終わった。カズヒサの一言で、皆が一斉に溜め息を吐く。
茂みからトシユキと、そして彼に肩を借りたアキチカが姿を現す。
「……なぁトッさん、俺の時も、アレ使って欲しかったなぁ」
「んなけん、まだ試作品なんじゃって。照準機能がちゃんとしてないんに、もし旦那へでも当たったら弱るでぇだ」
「アキさんっ!」
植木の影から出てきてすぐ、アキチカの元へナツメが涙を浮かべて駆け寄ってきた。左頬に大きな裂傷を負ったアキチカの顔を見て、ナツメは遂に泣き出してしまう。
「ごめんなさいアキさん。ごめんなさい、オレのせいで、こんな……!」
「泣くなよ、お前のせいじゃないって。これは、俺がちょっと油断しちまって……」
「でも、でも、班長だって……っ!」
「班長がどないかしたんが?」
涙ながらに話すナツメの言葉に、トシユキが首を傾げた。その時、ふと思い出したように彼は辺りを見渡す。
「なぁ、ほういや姐さんが言よった負傷者っちゃ誰なん? 姐さんは?」
トシユキの質問に、三人は視線を下に落とす。カズヒサが、その重い口を開いた。
「……班長が、この牛の赤い光を受けて意識不明に陥っています。マツカゼさんと輝翔殿が容態を看ていますが、回復するかどうか……知識不足の僕には、まだ何とも……」
誰もが、沈黙した。
俯いたまま、ナツメが嗚咽を漏らす。アキチカも無表情のまま地面を見つめている。
「……ちょ、ちょう待てや。んな、これから……この班どないなんね……?」
トシユキが放った言葉を最後に、それ以上、口を開く者はいなかった。
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