十五話
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送迎所一○五二五支部が担当している地域の一角に、周宝寺、という寺がある。
決して大きくもなく、特に有名でもないその寺では、住職がたった一人で細々と懸命に切り盛りを続けていた。
その寺を護る住職は、数年前に世襲で代を引き継いだばかりの若い僧侶だった。しかし、物静かだが誰に対しても分け隔てなく接する優しい人間性は、近所の住人からも厚い信頼を寄せられるほど、既に地域に馴染んでいた。
しかしその反面、奥手とも言えるその性格のせいで未だ嫁も居ない彼に、近所の住人は心配もしているのだが。
そんな僧侶も、今晩は来客の予定がある。連絡をもらった時は本日の務めも終えていたし、真面目な彼は夕方には準備を整え、熱めに淹れた緑茶を啜りながらテレビを見て時間を潰していた。
取り敢えず、先に手洗は済ませておくか。
思い立った僧侶は腰を上げ、廊下を奥に進んでトイレのノブを回そうと手を触れる。まさにその瞬間、彼が触れる前にノブが勝手に回り動いた。
独りでに開いたドア。そこから出てきた黒い影に、僧侶は一瞬悲鳴を上げる。自分と目が合ったその男性は、自分とよく似た顔を此方に向けて柔かに笑った。
「おう、キッちゃん。さっきぶり」
「ビ……ビックリした……ど、どうも……」
「今日は世話になるぜ。もう準備出来てんの?」
「あの、はい。では大広間の方へ……」
邪魔するぞ、と黒いスーツの男がその場で靴を脱いで廊下を進みだすと、その後に続くように、次々と黒いスーツの人達がトイレから出てくる。
「こんちはー」
「お邪魔しまーす」
各々が僧侶に挨拶と会釈をする姿を、僧侶は何も言えずに呆然と見過ごしていく。最後に出てきた美しい女性が僧侶の腕に抱き付くと、手洗に来た筈なのに、行けず仕舞いで広間の方へ引っ張られていってしまった。
「キッちゃんたら、年取るごとにヨシナガと瓜二つになってきたわね」
「え……はあ……」
「その内、キッちゃんも曾お祖父ちゃまの歳を追い抜いちゃう時が来るのよ? 早く可愛い女の子捕まえて、ヨシナガに子孫を残してあげなきゃ」
「いや……その、まぁ……」
女性が苦手な僧侶は、終始引け腰でしどろもどろに彼女の話に答えていた。
僧侶、橋本輝翔が住職を務めるこの寺は、何を隠そう班長のヨシナガが生まれ育った実家であった。輝翔はヨシナガの直系に当たる曾孫であり、たくさんの食事と酒が構えられた大広間には、軍服を着た『橋本義長』としての写真が、曾祖母の遺影の隣に飾られていた。
班員達はこの寺へ遊びに来る度、その古い写真を見ては顔をニヤつかせている。
「おいナツ坊、これじょだ言よったヤツ。ほんま俳優さんみたいでない?」
「うっわー超キマってんじゃないスか。やっぱ班長カッコいいっスねー」
「いつ見ても、いい感じに顔が引き攣ってますねぇ。確か出兵前でしたっけ?」
「そうそう、最期の写真だって。いいなぁ、写真機なんか見た事も無かったのになぁ」
「お前等いい加減俺の写真茶化すのヤメれ。『わー男前ぇー』で終わらせとけよ」
「もーすっごく格好いいー、私もあの隣に飾られたーい」
「テメェは家族の前でそういう事言うのヤメれ」
各々が、好きな場所に腰を下ろす。と言っても必然的に班室と同じ席位置に着くのだが、上座に座るヨシナガの指示で、輝翔は言われるままマツカゼの向かい側に着席した。
皆が目の前のビール瓶を手に取り、栓を開ける。伏せられたグラスを手に取り、向かい側に座る仲間に注ぎ合うと、琥珀色に輝く酒を目上に掲げた。
徐に、ヨシナガが座布団の上に立ち乗って咳払いをする。
「えー、俺はこういう演説とかがスゴく苦手です」
「嘘ばっかりー!」
マツカゼの野次に、全員から笑い声が溢れる。
「嘘じゃねぇ、緊張しいなんだよ俺は。えーと、我等がキッちゃんのおかげで、実行係の『リクエスト』も無事間に合いました。お前等の目の前にある屋形船が証拠だ。鯛とヒラメ、フグもあるんだぜ」
「あの……もうすぐ、ホッケが焼けます」
「だ、そうだ。文句あるか実行係」
向かい側に座るアキチカとナツメは、顔を見合わせて楽しげに微笑む。上座から見下げてくる我等が上司に、二人は満足げな笑顔を向けて同時に礼を言った。
「あざーっす! 味わって食べます!」
「もう何も心残り無いっス! 頑張った甲斐があったっス!」
「なら良し。じゃあ行くぞ、全員整列!」
「はいッ!」
全員が声を揃え、姿勢を正す。
ヨシナガが叫んだ。
「目の前にあるのはっ?」
「御供物です!」
「出された理由はっ?」
「御供養です!」
「出された物はっ?」
「残さず食べます!」
「感謝の心はっ?」
「忘れません!」
「それでは静粛に、乾杯っ!」
「いただきまーすッ!」
全員でグラスを掲げ、皆が一気に飲み干した。一斉に箸を割り、取り皿を片手に各々が食事をつつき始める姿を見て、輝翔はホッケを取りに台所へ向かった。
通常、魂のみの存在である彼等にとって食事は不必要なもののため、移動容器を装備していても味も温度も感じず、何の意味も持たない行為である。しかし、少々俗世に未練のあったトシユキが決死の努力で開発、改造を繰り返し、『御供養品』として出されたものなら味を感じられるようになっていった。
摂取した物は全て移動容器の組織再生、強化に役立てられるため、勿論だが排泄や嘔吐なども無い。吸収に余ったエネルギーは『サーチャー』のバッテリー部に備蓄され、仕事中に移動容器を破損した際など、トシユキが修理や改良に利用している。
「どうだ、ナッちゃん。容器の感じは」
日本酒を盃に注ぎながら、マツカゼの隣に座る部下へヨシナガが声をかける。先達ての回収作業で大きな負傷をしたナツメだったが、「もう平気っス」と笑顔を見せた。
「結構違和感は無くなってきたっスよ。トシさんが頑張ってくれたのもあるし、前に食い溜めてたのが役に立ったみたいで」
「そりゃ良かった。今もどんどん食っとけよ」
「了解っス!」
「あの、ホッケ焼けましたが……」
「ハイハイ、俺です」
皿を持ったまま戸惑っている輝翔に向かって、アキチカが手を上げる。彼の前に皿を持って行き、皿鉢の間に差し入れるように置く。小さく手を叩いて喜ぶアキチカに、ナツメが美味しそうだと笑うと、アキチカは取り皿に大きく取り分けてナツメに渡した。
「良いんスか?」
「良いよ良いよ。美味いんだよなぁコレが……ナツ、醤油は?」
「あ、オレすだちで」
「酢橘も美味いよなぁ」
「アキちゃんってそんなにホッケ好きだったっけ?」
斜め前に座るマツカゼが、こっそりホッケを取りながらアキチカに問う。
「好きですよ、ご馳走でしたもん。いやぁ、よく妹が焼いてくれてましてねぇ」
嬉しそうに語るアキチカの言葉に、ヨシナガの表情がほんの僅かに固まった。何も知らないナツメは、初耳だった事実に関心を寄せる。
「アキさん、妹いたんスか?」
「うん、そう。双子の妹。でも今思えば、双子なのに俺と全然似てなかったなぁ……料理上手で働き者で、よく出来た美人な妹だったよ」
「美人だったって、マツさんとどっちが美人っスか?」
「え、ええ? 私?」
急に話を振られたマツカゼは目を丸くする。
「何言うのよ、ナッちゃんも可愛いじゃない」
「オレは論外っスよ。むしろ格好良くなりたいし」
どちらが美人か、という質問の答えを再びナツメが催促すれば、アキチカは頭を掻きつつ、苦笑にも似た笑みを浮かべた。
「んー、どっちかって言えば、そりゃやっぱり副班長っしょ。細くて背が高くて、髪も長くて綺麗だし……俺も結婚とかしなかったけど、それでも副班長は格段に別嬪だと思うなぁ」
「おおー、アキさんが言う程だから、マツさんは本当に美人なんスね。トシさんは、今まで出逢った事のない絶世の美女だって言ってたっス。輝翔さんはどう思うっスか?」
「……自分も、お、お綺麗だと思います……」
「や、やだぁ、何なの突然? 煽てたって何も出ないわよ?」
アキチカは頷き、ナツメは関心に目を輝かせ、輝翔は顔を真っ赤にして視線を下げる。突然の言葉責めに、マツカゼは頬を両手で押さえて顔を逸らした。
一瞬ヒヤリとしたが、話題の中心はいつの間にかマツカゼに。その様子を見ていたヨシナガは、マツカゼの頭を小突いて駄目押しするように茶々を入れる。
「何照れてんだよ。日頃から言われ慣れてるクセに」
「こんな純真無垢な子達に、いきなり言われたら私だって照れるわよ! 貴方にだって、気の利いた言葉の一つも言われた事ないのに」
「なんで俺が言わなきゃいけねぇんだよ。だから家族の前でそういう事言うのヤメれって」
「もう、イケズ」
皆で笑い、また酒を注ぎ合う。談笑しながらも食事は進み、皿鉢や料理皿の底が見え始めた頃だった。
ふと、ヨシナガが隣で烏龍茶を飲んでいた輝翔に声をかける。大方食べ終えた他の班員達は、テーブルの空いたスペースで花札を始めている。
「……なぁキッちゃん」
「はい、曾じい様」
「最近、何か変な話とか檀家から聞いてねぇか?」
「変な話……ですか?」
「良い噂でも悪い噂でも、近所で起きた怪談話みたいなの」
「……そうですね……」
普段、皆でこうして食事に来たり、個人的に遊びに来た時に、ヨシナガは自身の曾孫からこの辺りの噂や異変を情報として収集していた。
周宝寺近辺はヨシナガと輝翔の力で回収対象が寄り付かないため、この近辺で噂の立った怪現象は、貴重な資料であり重要な案件である事が多い。
今日の夕方、実行係が巻き込まれた異変を不審に思ったが故に聞いてみた質問だったが、しかし、いつもは「特にありません」と帰ってきた返事も、今回ばかりは違っていた。
「……では、近頃相談を受けた話を」
「相談?」
「この近くの土手周辺で、『牛の頭をした人間』を見た、という話があったんです。何か不吉な事が起こるんじゃないかと……ここ数日で数件、相談を受けました」
「……牛の頭、だと?」
曾孫の言葉に、ヨシナガは驚愕に目を見開く。
牛の頭をした『人間』。この国でも牛頭鬼と馬頭鬼の伝説は有名だが、死者達を冥界へ案内するため、不吉な事の直前に現れるという話とは少し違う。
生者が俗に言う『あの世』のシステムは、皆が思っているほど高性能ではない。災害や戦争の予知など出来る筈がないし、これから亡くなる人間の特定もまず不可能だ。基本は善き魂も悪しき魂も、肉体を離れれば自動的に案内班の受付を通り、審査基準に法って『あちら側』へ移送される。しかし、己の死を理解出来ずに現世を彷徨う魂がいるために、それ等を案内、回収するのが送還所に勤める彼等の仕事なのだ。
移動容器が開発される前は、動物の姿を借りて業務を行っていたと文献には残っているらしいが……しかしヨシナガには、その奇妙な存在の正体に心当たりがあった。
「まさか……人造奇形種、か」
「……曾じい様、それは……?」
「固定種を掛け合わせて、非人道的実験の末に生み出された負の産物だ。回収班を発足したてだった当時、案内班のバカ共が科学班を取り込んで回収班の『代わり』を作ろうとした。だが結果、出来上がったのは動物の頭をした知能の無い化け物ばかりだったと聞く」
逆らわず、忠実に、最強の実行部隊を。
高ランクの回収対象は、固定種、変異種共に知能を持つ者が多い。結局は自我が消滅してしまう回収対象の魂ならば、低い知能で育った動物の魂と掛け合わせれば、忠実な戦士を作る事は可能なのではないだろうか。
案内班の出した案は当初、勿論のごとく却下された。しかし、一人の男によってその却下が覆される事になったのだ。
男は言った。回収班の班員達も、元は回収対象になる筈だった魂。いつ裏切らないとも限らない、と。
そして回収班は一時解散、試運転として、悪しき企画は火蓋を切ってしまった。
当初、五十体の忠実な戦士達は正に忠実に働いた。回収対象は瞬く間に姿を消し、最初の目論見だった、回収班の仕事を奪う事に成功した。
しかし、回収対象が居なくなれば自動的に『あちら側』へ帰還する筈だった戦士達は、少しずつ暴走を始めていく。
「案内班は、魂を掛け合わせた時に生まれた悲劇の能力に気付いてなかったんだ。元々、自我が無いとはいえ現世に未練を残した欲深い人間と、本能のままに獲物を捕食し動く動物の魂……標的が居なくなった奴等は案内対象を高ランクの回収対象に変え、勝手に『魂刈り』をし始めやがった」
救うべき善の魂が、自分達の作り上げたものの手によって化け物に変えられ回収されていく。事態を重く見た送還所の幹部達は結局回収班に『尻拭いの手伝い』を依頼、班の復帰を条件に、『人造奇形種の回収』という全く不名誉な依頼をする羽目になってしまった。
「これは、俺が回収班に入る直前の話だ。俺なんざ右も左も分からねぇ状況で、入所した瞬間にいきなり『化け物を殺してこい』だからな。数分前まで戦場にいたとしても、さすがにアレは焦ったぜ」
「では、今回現れたのは……その残党か何かで?」
「そこなんだよ。俺達は間違いなく五十体全てを回収した。残ってるなんて絶対有り得ねぇ」
「では、何故……」
「……今日、3Cだった回収対象が1クラスに変貌した。それも、『殺せ』と望んだそうだ」
その言葉に、輝翔は目を見開く。
「まさか……っそ、そんな事は……」
「有り得ねぇだろ。それがもし人造奇形種の仕業だったとしても、何故、自ら変貌させた回収対象を放置したんだ?」
盃に揺れる日本酒を一気に飲み下し、ヨシナガは舌打ちした。
「……くそ、酒が不味くなってきやがった。キッちゃん、この辺一帯に結界を貼って、何か現れたり変化があったらすぐに知らせてくれ。俺達が『向こう』に戻ったらすぐだ」
「はい、曾じい様」
己の感じる嫌な予感以外にも、思い浮かんでしまった『最悪の想定』が当たらないように、ヨシナガは燗瓶を傾けながら切に思った。
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