第9話 客席で拍手など、させませんわ
制御室の空気は、ようやく“仕事”の顔になっていた。
補助員が端末を抱えて走り、学院保守の担当者が別回線へ移る。見学席にいた大人たちも、もう野次馬の目をしていない。
結構。
人は本気で危ないと理解した瞬間、急に静かになる。そこから先は、静かな者ほど厄介だ。慌てる代わりに、都合のいい物語を作り始めるからである。
「再調査班は十分後に再開だ」
神崎蓮司が言った。
「九条、森本、雨宮、天堂、白瀬。お前ら五人で第一区画と第二区画の改変点を洗う。保守は補助。黒峰は外を追え」 「了解した」と黒峰景一。 「見学側は?」 「もう客ではない。必要なら使う」
言い切り方が良い。
話の早い大人は嫌いではない。
制御室から現場へ戻る廊下で、白瀬ひかりが凛花の横へ並んだ。
「九条さん」 「なんですの?」 「さっきの紙、気になってる?」 「もちろん」 「私も」
即答だった。
この娘は本当に、ためらわず同じところへ来る。善意だけで近づいてくるなら面倒だが、どうやらそうでもないらしい。
「あなた、なんでも素直に気になりますのね」 「うん。だって、気になるし」 「眩しいですわ」 「よく言われる」 「でしょうね」
遼が後ろでぼそっと言う。
「この二人、会話がいちいちすっと入ってこねえな」 「言葉の選び方が違うのでしょう」と雫。 「それは分かるけど、雨宮までそっち側で解説しないでくれ」
天堂司は何も言わなかったが、歩幅だけは揃えていた。
不機嫌なまま離脱しないあたり、ようやく現場の優先順位を理解したらしい。
第一・第二区画の境界前には、簡易照明が増設されていた。落ちた床の縁、途中で止まった閉鎖壁、刃板の擦過痕。静かな状態の方が、事故の形はよく見える。
「役割を切る」
神崎が言う。
「九条と雨宮は機構と痕跡。天堂は区画仕様の照合。森本は動線確認。白瀬は周囲――人の動きと視線を拾え」 「了解」とひかり。 「了解です」と雫。 「分かった」と天堂。 「俺だけ仕事ふわっとしてない?」と遼。 「お前は一番“そこにいた人間”の動きを覚えてる」と神崎。 「……あ」 「気づいたか。だったら使え」
遼が少しだけ顔を締めた。
よろしい。こういう時に自分の役割へ気づける人間は強い。
凛花は、第二シャッター脇の床へしゃがみ込んだ。
白い粉。
細い車輪跡。
薄い油膜。
その上を横切る二種の靴底痕。
「雨宮さん」 「はい」 「こちらは学院保守の靴ですわね」 「ええ。規格ソールです」 「もう一つは」 「細いです。学院支給品ではありません」
雫がライトを角度を変えて当てる。
影が伸び、止まった位置が見える。
「立ち止まってます」 「ええ。しかも二度」 「迷ってる?」 「いいえ」
凛花は指先で痕跡の先をなぞった。
「見せたい位置を確認していますの。迷った足取りではありませんわ」
少し離れたところで、ひかりが周囲の壁とガラスを見ていた。
「九条さん」 「なんですの?」 「この制御室、外からも少し見える」 「ええ」 「なら、残った人がいたとしたら、今ここに集まるのも見てるかも」 「でしょうね」
ひかりは嫌そうな顔をしなかった。
その代わり、はっきりと眉を寄せた。
「感じ悪い」 「今さらですわ」
天堂が壁面図を睨んだまま言う。
「第二区画の補助電源、ここにも口がある」 「どこですの?」 「この点。通常は封印板で隠れてる」 「現物を」と神崎。 「見ます」と凛花。
封印板の前へ移動する。
塗装は古い。だが縁の右下だけ、ほんの少しだけ削れていた。
見せたくない者ほど、端を雑に扱う。
良い綻びだ。
「開きますわ」 「保守」と神崎。 「はい!」
封印板が外される。
中には補助電源口。そして、その奥に極細の分岐線がもう一本。学院標準の配線色ではない。
雫が小さく息を呑んだ。
「……二系統目です」 「最初の補助盤だけではありませんのね」 「ええ。こっちが本命かも」
遼が肩越しに覗き込む。
「本命?」 「さっきの緊急停止は“触らせるための罠”ですわ」と凛花。 「こっちは?」 「実際に動かすための線でしょうね」
天堂が低く言う。
「見学モードの書き換えだけじゃ、閉鎖壁までは届かない」 「ええ」と凛花。 「だから二段で噛ませた。片方は見せる。片方は動かす」 「その通りでしょう」
ひかりが、そこでふと床の向こうを見た。
「待って」 「なんですの?」 「ガラスに映ってる」
全員が顔を上げる。
制御室の側面ガラス。そこに、調査中の自分たちの姿が薄く映っている。その隅、廊下の奥の角だけに、一瞬だけ何か白いものが揺れた。
人影ではない。
布でもない。
紙だ。
次の瞬間には消える。
「誰かいる」とひかり。 「森本!」と神崎。 「おう!」
遼が廊下へ飛び出した。天堂も反射で続く。神崎が舌打ちしつつ後を追い、雫はその場に残った。
凛花も一歩出かけて、止まる。
「追わないんですか」と雫。 「追いますわ。ですが今は、あちらが“見せた”だけですもの」 「……わざと?」 「ええ。走らせるための影ですわ」
ひかりが凛花を見る。
「行かないの?」 「行きますわよ。ただし、走って追うのはお任せします」 「じゃあ、私は見ます」 「結構」
ひかりも走らない。
代わりに廊下の壁際、角の高さ、監視カメラの向きを見ていた。
良い。
この娘は、光の側の人間なのに、獲物を追う時だけ妙に足を止める。
数十秒後、遼たちが戻ってきた。
「いねえ!」と遼。 「紙だけ残ってた」と天堂が不機嫌そうに言う。 「落とし物ですの?」 「ふざけた落とし物だ」
天堂が紙片を差し出す。
今度は白ではなく、薄い灰色のカードだった。手書きではなく、印字。
『役者は揃いました。では、誰を照らしましょう?』
遼が露骨に顔をしかめる。
「またこれかよ……」 「今回は少しだけマシですわね」と凛花。 「どこが」 「前よりは文章が短い」 「評価そこなんだ」
ひかりがカードを受け取り、数秒見つめた。
「これ、“主役は一人”と同じ人だ」 「分かりますの?」 「言葉の選び方が似てる。人を舞台の道具みたいに言ってる」 「同感ですわ」
神崎がカードを取り上げる。
「挑発文の分析は後だ。今は場所だ。森本、何か見たか」 「走り方は軽かった。男か女かは分かんねえ。でも、角を曲がる時に一回だけ、こっちを見てた気がする」 「気がする?」 「いや……見られてるっていうか、“見せてる”感じだった」 「結構ですわ」と凛花。 「え、俺なんか当たってる?」 「ええ。だいぶ」
遼が少しだけ胸を張る。
単純でよろしい。
雫が補助電源口の奥を照らした。
「九条さん、これ」 「なんですの?」 「線の固定に使ってる結束具、学院保守の在庫じゃないです」 「市販品?」 「はい。しかも型が古い」 「つまり、外から持ち込んだ」 「そう考えるのが自然です」
天堂が低く言う。
「内部協力者が場所を教え、外部が持ち込んだ」 「ええ」と凛花。 「そして外部は、自分の存在に気づいてほしい」 「そういう趣味ですわね」
ひかりが、そこで小さく言った。
「たぶん、これ」
全員が彼女を見る。
「“見てほしい”っていうより、“選ばせたい”んだと思う」 「選ばせる?」と神崎。 「うん。誰を信じるか、誰を主役にするか、誰を見るか。ずっとそれを迫ってる感じがする」
部屋が少しだけ静まる。
なるほど。
この娘は、本当に人の悪意の向きを読む。
凛花はゆっくり頷いた。
「でしたら、なおさら結構ではありませんの」 「なんで?」 遼が聞く。
「選ぶ権利が向こうにあると思い込んでいる時点で、浅いのですわ」 「うわ、強」 「事実ですもの」
神崎が一度だけ口元を押さえ、それから全員を見回した。
「方針を変える。次は相手の置いた札を追うな。こちらで“見てほしくない場所”を洗う」 「逆張りですわね」 「好きか」 「嫌いではありませんわ」
黒峰の端末が鳴る。男は画面を確認し、表情を一切変えないまま言った。
「学内サブネットの中継点、三つに絞れた」 「場所は」 「実技棟北側、旧観覧席制御盤、資料保管庫の脇、それから――」
男は一拍置いた。
「来賓用観覧室だ」
客席。
さっきの言葉が、そこでようやく現実の輪郭を持つ。
凛花は、ゆっくりと笑った。
「ようやく舞台らしくなってきましたわね」
ひかりが横で言う。
「九条さん」 「なんですの?」 「今、少し楽しそう」 「少しだけですわ」 「怖い相手なのに?」 「だからこそです」
凛花は視線を上げる。
客席から石を投げる者。
人を役者扱いする者。
舞台を整えたつもりで、幕の開閉まで自分で決められると思っている者。
そういう相手は嫌いではない。
嫌いではないが、礼儀は教える必要がある。
「神崎先生」 「何だ」 「来賓用観覧室、先に押さえた方がよろしいかと」 「言うと思った」 「当然ですわ」 「行くぞ」
再調査班の空気が、一段だけ締まる。
遼が拳を握り、雫は端末を抱え直し、天堂は露骨に嫌そうな顔のまま歩き出す。ひかりは明るい顔をしているのに、目だけがまっすぐ前を見ていた。
よろしい。
役者は揃った。
でしたら次は、客席まで主役を迎えに行くだけですわ。
---
【主人公ステータス】
名前:九条凛花
前世名:エレオノーラ・ヴァレンティア
職業:悪役令嬢
確認済みスキル:破滅予見/優雅歩法
未解明スキル:瑕疵看破/格位威圧/悪名変換
称号:二度目の悪役令嬢/暫定首位




