第7話 善意の人は、少々まぶしすぎますわ
数秒の沈黙のあと、講習区画は一斉に現実へ引き戻された。
「全員、そこから動くな!」
神崎蓮司の怒声が響く。補助員が境界封鎖に走り、学院職員が見学席との間へ出る。さっきまで“珍しい職業を見に来た”顔をしていた大人たちは、今や誰一人として面白がっていなかった。
当然である。
『舞台は整えました』
あんな文言が出てきて、なお軽口で済ませられるほど、現場は安くない。
もっとも、人間というのは厄介なもので、怖くなると今度は黙りきれなくなる。
「外部アクセスって何?」 「誰かが仕掛けたってこと?」 「講習で?」 「いや、洒落になってないだろ……」
ざわめきが広がる。凛花はその中心に立ったまま、ゆっくり息を整えた。肩も、足も、まだ少し熱い。だが震えはない。
遼が低く言う。
「なあ九条さん」 「なんですの?」 「これ、さすがにやばくない?」 「ええ。かなり」
あっさり言われて、遼は少しだけ顔を引きつらせた。
雫はまだ端末と床を見比べていた。眼鏡の奥の目が、いつも以上に鋭い。
「……見学モード連動だけじゃありません」 「まだ何かありまして?」 「第二系統の安全制限も薄く触られています。これ、偶然の誤作動ではないです」 「でしょうね」
凛花は短く答えた。
偶然でここまで趣味が悪くなるなら、むしろその方が怖い。
神崎が近づいてくる。顔つきは変わっていない。だが声の底が、完全に講習のものではなくなっていた。
「九条、森本、雨宮。お前らは別室だ。今すぐ事情確認に入る」 「かしこまりましたわ」 「うへえ……」 「分かりました」
「天堂、お前も来い」 「……はい」
天堂司の返事は硬い。だが、さっきまでのような見下しの色は薄れていた。代わりにあるのは、苛立ちと悔しさと、少しばかりの居心地の悪さだ。
結構。
人は、正面から負けた直後がいちばんよく育つ。
講習区画を出る時、周囲の学生たちの視線がまた集まった。けれど、もう種類が違う。
「……あの人が?」 「ほんとに全部読んでたの?」 「悪役令嬢って、ああいう職なの?」 「知らないよ。でも外れじゃないだろ、あれ」
最後の一言に、凛花はほんの少しだけ口元を緩めた。
うむ。たいへんよろしい。
評価というものは、崩れ始める時がいちばん美しい。
案内されたのは、実技棟横の小会議室だった。長机、折りたたみ椅子、壁の時計、温度だけ妙に低い空調。いかにも「事情聴取」に向いている、愛想のない部屋である。
神崎はドアを閉めるなり、いきなり本題へ入った。
「順に聞く。九条、最初の異常をどこで拾った」 「事前資料との差分ですわ。通路幅、退避条件、作動範囲。並べると、初心者講習にしては悪趣味でした」 「その次」 「第一機構の誘導線。見せるための罠があるなら、だいたい奥に本命があります」 「第二機構」 「見学モード連動が噛んでいるなら、見せ方に寄ります。鋼糸も刃板も、どちらも“見える位置”がありましたもの」
神崎は端末へ打ち込みながら、わずかに眉を動かした。
「森本」 「はい」 「九条の指示を聞いた理由は」 「昨日、助けられたからです」 「以上か」 「あと……今朝からずっと、九条さんだけは“なんか変だ”って顔してたんで」 「顔に出ていましたの?」 「いや、普通は分かんねえ。でも昨日見たから分かった」
凛花は少しだけ目を細めた。
思った以上に、よく見ている。雑そうでいて、こういうところは案外侮れない。
「雨宮」 「はい」 「九条の見立てに乗った理由は」 「合理的だったからです。資料差分の量が多すぎました。偶然の修正なら、普通はもっと雑に崩れます。でも今回は“殺意だけが綺麗”でした」
神崎の指が止まる。
「殺意、か」 「言い過ぎなら訂正します」 「いや、今の段階では言い過ぎじゃない」
そのやり取りの横で、天堂司だけが黙っていた。
神崎が視線を向ける。
「天堂」 「……はい」 「お前はどう見る」 「設備側の不正アクセスです。少なくとも、現場判断だけで起きる連動じゃない」 「九条の判断については」 「正しかったです」
部屋が少しだけ静かになった。
本人にとって、その一言は相当重いらしい。声は固く、目は逸れている。だが、それでも言った。
凛花は助け舟を出さない。
ここで甘やかすほど、わたくしは親切ではないのですわ。
神崎が短く頷いた、その時だった。
廊下の向こうで、にわかに騒がしい声がした。
「待って、まだ入っちゃ駄目だって」 「でも、あの子たち無事なんでしょう?」 「だから確認中で――」
次の瞬間、会議室のドアが開いた。
白い。
最初にそう思ったのは、光の加減のせいだけではなかった。
肩口で揺れる淡い髪。明るい表情。学院指定の制服を着ているのに、なぜか“正しい主人公”のような空気がある。
白瀬ひかりだった。
「あ、いた」 「……誰が入れてよいと言った」と神崎。 「すみません先生、止めたんですけど」と外の職員。 「でしょうね!」
ひかりはまったく悪びれず、凛花たちを見渡した。
「怪我、なかった?」 「ありませんわ」と凛花。 「そう。よかった」
それだけを、本当に安心した顔で言った。
善意は時に眩しすぎる。
少なくとも、こういう手合いは悪役令嬢の天敵になりやすい。
なにせ、本気で疑っていない目をしているからだ。
「あなたが九条凛花さん?」 「ええ」 「昨日から噂になってる人」 「ありがたくない噂ですわね」 「でも、今日のはすごかった」
ひかりはまっすぐ凛花を見た。
「あなた、怖くなかったの?」
部屋の空気が少しだけ止まる。
遼は「うわ、そこ聞くのか」という顔をし、雫は興味深そうに凛花を見た。天堂司だけは、なぜか少しだけ眉をひそめる。
凛花は一拍置いてから答えた。
「怖くないのではありませんの」 「うん」 「怖いからこそ、崩れないだけですわ」
ひかりは目を丸くし、それから、ふっと笑った。
「そっか」 「ご理解いただけまして?」 「ううん、まだ分からない」 あっさり言われた。
「でも、分かろうとしないのは違うと思った」 「……そうですの」 「うん。だって、助けられたのは本当だもん」
善意が正面から来ると、たいへん調子が狂う。
神はこういう娘を配置する時、たいてい少し楽しんでいる。
悪趣味だと思う。
神崎が額を押さえた。
「白瀬、お前は何しに来た」 「見学に」 「終わった」 「知ってます」 「なら帰れ」 「その前に聞きたいことがあるの」
ひかりは、今度は神崎ではなく黒峰景一の方を見た。いつの間にかドア脇に立っていたのだ。足音の薄い男である。
「ギルド、外部アクセスの追跡やるんですよね?」 「やる」 「だったら、現場再確認にも人が要るでしょう」 「……続けろ」 「わたしも入ります」
遼が「は?」と声を漏らし、雫は眼鏡を押し上げた。天堂司まで顔を上げる。
黒峰は表情を変えない。
「理由は」 「今日、あの場にいたから」 「それだけか」 「それだけじゃ足りない?」
ひかりは少しだけ笑う。
「九条さんが読んだなら、わたしは別のところを見る。そういう組み方もあるでしょう」
凛花は初めて、真正面から白瀬ひかりを見た。
なるほど。
ただ明るいだけではない。
この娘は、人を信じる。だが、考えなしではない。
面倒ですわね。
少しだけ、好ましい意味で。
黒峰が短く言った。
「学院側が許可するならな」 「わたしは許可するつもりはないが」と神崎。 「ですよね」とひかり。 「分かってるなら下がれ」 「でも、必要になる」
その言い方だけが、妙に確信めいていた。
部屋が静まる。
すると、黒峰の端末が短く鳴った。男は画面を一瞥し、そのまま神崎へ向ける。
「学院上層からだ。再調査班を組めと」 「は?」 「九条凛花、森本遼、雨宮雫、天堂司――ここまでは確定」 「なぜ天堂まで」 「当事者だからだろうな」 「で、残り一枠」 「……白瀬ひかりを推す声がある」
今度は神崎が、はっきり舌打ちした。
ひかりはにこっと笑う。
「ほら」 「ほら、じゃない」
遼が小さく呻く。
「なんか話、でかくなってきてない?」 「ええ」と雫が平然と答える。「かなり」 「九条さん」 「なんですの?」 「これ、もう初心者講習じゃねえよな」 「最初からそうでしたわよ」
凛花は静かに立ち上がった。
舞台を整えた誰か。
外部アクセス。
再調査班。
そして、眩しすぎる善意の人。
結構。
誰が何を並べようと構わない。
舞台に上げるのなら、こちらも遠慮なく主役を奪うまでだ。
その時、凛花のスマートフォンが短く震えた。
差出人不明。
本文は一行だけ。
『第二幕を始めましょう』
凛花は画面を見つめ、ほんの少しだけ笑った。
「……結構ですわ」
「九条さん?」と遼。 「なんでもありませんの」
だが、目はもう笑っていなかった。
どうやら相手は、本当に舞台劇のつもりらしい。
でしたら教えて差し上げなくてはなりませんわね。
悪役令嬢がいる舞台で、脚本どおりに終わると思うな、と。
---
【主人公ステータス】
名前:九条凛花
前世名:エレオノーラ・ヴァレンティア
職業:悪役令嬢
確認済みスキル:破滅予見/優雅歩法
未解明スキル:瑕疵看破/格位威圧/悪名変換
称号:二度目の悪役令嬢/暫定首位




