第4話 その罠、笑って踏むものではありませんのよ
「伏せなさい!」
凛花の声が、通路の空気を裂いた。
遼は反射的に身を沈め、雫は壁際へ滑り込む。次の瞬間、左奥の曲がり角の向こうから、重い唸りを上げて何かが飛び出した。
鉄骨の先端に、黒い打撃塊。
振り子だ。
本来、初心者向け区画で使うのはもっと軽い模擬罠である。速度も軌道も、どう見てもおかしい。
「うわっ!?」
遼の頭上を、振り子が凶悪な勢いで薙いでいく。風圧だけで前髪が跳ねた。
だが、そこで終わらなかった。
壁面が、かちり、と鳴る。
「二段目ですわ! 頭を上げないで!」
凛花が言い切るより早く、左壁の隙間から細い金属杭が三本、斜めに射出された。ついさっきまで遼の首があった高さを一直線に貫いていく。
悲鳴が上がる。別班の生徒が後ずさりし、誰かが壁へ肩をぶつけた。半落ちだった退避シャッターが、鈍く震える。
凛花は視線を走らせた。
床の細線。
振り子の戻り。
半落ちのシャッター。
左壁の射出口。
まだ終わっていない。
見えた。
次は振り子が戻る。
戻った先で床が沈む。
その反動で、シャッターがさらに落ちる。
遅れた者の肩を潰す。
「森本さん!」
「お、おう!」
「次の戻りでシャッターが落ちます! 正面に立たないで、右から肩で受けて! 正面は潰れますわ!」
「はい!?」
「雨宮さん、左壁の下! 三番目の固定具、色が違います!」
雫が息を呑んだ。
「停止系統?」 「補助停止ですわ! 押してから半回転! 逆だと噛みます!」
振り子が最奥まで振り切れ、戻り始める。
「今ですわ!」
遼が飛び出した。正面ではなく、指示通り右側から半落ちのシャッターへ肩を当てる。重戦士の職が乗った体が、ぎり、と金属を軋ませた。
「っ、ぐ……重っ!」
「右足を半歩引いて、腰を落としなさい! 腕で支えない!」
「わ、分かった!」
遼の姿勢が変わる。戻ってきた振り子が床を打ち、その衝撃でシャッターがさらに落ちようとして――止まった。完全ではない。だが、一瞬止まれば十分だ。
その隙に雫が壁際へ滑り込み、しゃがみ込む。
「これ、ですか!?」
「押してから!」 「回します!」
雫の指が三番目の固定具に食い込む。塗装の違う小部品は、最初だけ異様に重かった。
かちり。
一拍遅れて、区画全体の機構が低く唸る。振り子の軸が止まり、射出口が閉じ、半落ちのシャッターが途中で固まった。
静寂。
残ったのは、金属の余震と、遼の荒い呼吸だけだった。
「……止まった?」 「止まりましたわね」 「マジで死ぬかと思った……」
遼はシャッターから離れ、膝に手をつく。肩で息をしているが、崩れてはいない。上出来だ。
神崎が前へ出てきた。
「全班、その場で待機! 九条、森本、雨宮、動くな!」
声に逆らう者はいなかった。別班の生徒たちも完全に固まっている。見学席まで、先ほどまでの好奇心まじりのざわめきが消えていた。
「怪我は」 「ありませんわ」 「肩が痺れたくらいです」 「私は平気です」
神崎は短く頷き、止まった機構を見上げた。
「振り子、射出杭、半自動退避シャッター……ここまで連結させた覚えはない」 「覚えがないで済ませるには、少々悪趣味ですわね」 「同感だ」
見学席の空気が変わっているのが分かる。
“面白い珍職”を見る目ではない。
“本当に何かある”と理解した者の目だ。
黒峰景一は腕を組んだまま動かない。ただ、その視線だけがまっすぐ凛花を捉えている。少し離れた若い男は面白そうに目を細め、穏やかな笑顔を浮かべていた女性は、もう笑っていなかった。
結構。
笑って見物するには、少し危なすぎたらしい。
「九条」
「はい」
「どうやって読んだ」
「どこまでのことをお尋ねですの?」
「今の全部だ」
凛花は床の細線へ視線を落とした。
「最初の誘導線が、資料より半歩手前に置かれておりました。踏ませるために見せる罠は、だいたい奥に本命があります」 「続けろ」 「振り子の重量に対して通路幅が狭すぎます。あれで終わるなら、退避シャッター条件の追加は不要ですわ。ですから戻りか二段目があると考えました」 「壁の停止系統は?」 「塗装差と摩耗です。交換部材だけ馴染みが浅かった」
神崎は数秒黙る。
「雨宮」 「はい」 「九条の見立てに乗った理由は」 「合理的だったからです。差分が多すぎました。講習の変更にしては、隠し方が雑です」 「森本」 「はい」 「九条の指示を聞いた理由は」 「昨日助けられたんで」 「率直でよろしい」
神崎の口調は相変わらずだが、目は完全に講習用のものではなくなっていた。
その時、別班の方から乾いた声が飛んだ。
「大げさでは?」
天堂司だった。
班の中央に立ったまま、腕を組み、こちらを見ている。整った顔立ちに露骨な苛立ちが浮いていた。
「シャッターが半分落ちた。追加罠が出た。だからなんだ。学院の設備不良なら講習を止めて終わりだろう。そこまで殊更に――」
遼が言い返すより早く、凛花が一歩前へ出た。
「でしたら天堂さん」
声は静かだった。だが、通る。
「いまから同じ位置を、資料どおりに歩いて差し上げます?」
空気が張る。
「……何?」 「大げさだとおっしゃるのなら、再現できるのでしょう。もちろん、今度は射出口の確認を済ませてからで結構ですわ」 「そういう話じゃない」 「そういう話ですわ」
凛花は真正面から言い切った。
「分からないものを、分からないままにしておいて、“騒ぎすぎ”で片づけるのはたいへん楽ですもの。ですが現場では、その楽をした人から怪我をいたします」
しん、と静まる。
天堂司の顔が僅かに強張る。怒っている。だが、反論しきれない。そういう顔だった。
神崎が低く言う。
「天堂。口を挟む前に見ろ。見てから言え。以上だ」 「……失礼しました」
口では謝っている。
だが納得はしていない。
それでよろしい。簡単に折れては味がない。
神崎は端末を操作し、区画ログを呼び出した。
だが、そこで話は綺麗に進まなかった。
「……おい、何だこれ」
画面を覗き込んだ補助教員が顔をしかめる。
「神崎先生、ログの一部が飛んでます」 「飛んでる?」 「更新履歴はあるのに、適用者IDが抜けてる」 「そんなことあるか」 「普通はありません」
周囲がざわつく。
「誰か触ったの?」 「講習前に?」 「いや、それなら申請通すだろ」
神崎が舌打ちし、別画面を呼び出す。
「……今朝五時台に手動更新。共有なし。承認ログも薄いな」 「薄い?」 「消しかけた跡みたいになってます」と補助教員。 「は?」
凛花の胸の奥を、細い冷たさが通った。
ただの不具合ではない。
ただの古い設定の残りでもない。
少なくとも、誰かが触っている。
見学席の空気がまた変わる。
面白い見世物ではなくなった瞬間、人間は急に真顔になる。
「講習は一旦中断――」
神崎がそう言いかけた時だった。
通路のさらに奥、第二区画との境目で、がしゃん、と重いロック音が鳴った。
全員の視線が一斉にそちらへ向く。
「……今の何?」 「第二シャッター?」
雫の顔色が変わる。
「先生、第二区画の連動、今日の資料にありましたか」 「ない」 「ログには?」 「入ってない」
神崎の声が低く沈む。
凛花の視界の奥で、まだ閉じているはずの第二区画の先が、細く、赤く、裂けるように見えた。
来る。
今度は、こちらへ。
「全員、壁際へ!」
凛花が叫ぶ。
その瞬間、閉じていたはずの第二区画シャッターの隙間から、金属光が走った。
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【主人公ステータス】
名前:九条凛花
前世名:エレオノーラ・ヴァレンティア
職業:悪役令嬢
確認済みスキル:破滅予見/優雅歩法
未解明スキル:瑕疵看破/格位威圧/悪名変換
称号:二度目の悪役令嬢




