第3話 初講習で、さっそく侮られましたわ
翌朝、都立第一ダンジョン総合学院の実技棟前は、初心者向け講習の日とは思えないざわつきに包まれていた。
理由は分かりきっている。
昨日、職業授与式で前例ゼロの《悪役令嬢》が出た。しかも、その当人が訓練場の事故を止めた。学院の噂としては、少々派手すぎたのだ。
「来た」 「ほんとに来た」 「悪役令嬢」 「昨日のってやっぱ偶然じゃないのか?」 「でも今日で分かるだろ。使えるかどうか」
好奇、警戒、値踏み。
向けられる視線の種類は多かったが、凛花にとってはどれも見慣れたものだ。人は理解できないものを笑い、理解できそうなものを品定めする。前世でも今世でも、その点だけは大して変わらない。
だから凛花は、歩調を変えない。背筋を伸ばし、肩を揺らさず、視線は正面へ。見世物にされた側が乱れれば、見る側はそれだけで満足する。
もっとも、今日の彼女は満足させてやるつもりがなかった。
「九条さん!」
森本遼が、いかにも元気よく駆け寄ってきた。昨日より露骨に距離が近い。
「おはようございます、森本さん」 「おはよう。いや、その……昨日はほんと悪かった」 「きちんと謝れたのなら結構ですわ」 「朝から刺さるなあ……」
へこたれないのは長所だろう。たぶん。
そこへ、もう一つ静かな声が重なった。
「……おはようございます」
雨宮雫だった。眼鏡の奥の目は少し眠そうなのに、観察している時だけひどく鋭い。
「おはようございます、雨宮さん」 「昨日の匿名メッセージ、私にも来ました」 「同じ文面ですの?」 「たぶん。『明日の講習、通常枠ではありません。気をつけて』」
遼が眉をひそめる。
「俺には来てないぞ」 「送り分けですわね」 「感じが悪いです」と雫。 「同感ですわ」 「ちょっと待て、俺だけ除外?」 「情報の扱いが雑そうだからでは?」 「否定できねえ……」
軽口の形をしているが、三人とも緊張していた。その程度には、今日の空気が妙だった。
実技棟の自動扉が開く。
「私語をやめろ。遅刻者は置いていく」
神崎蓮司。実技教官。朝から機嫌が悪そうなのではない。おそらく、それが通常運転である。
「これより初心者向け実地講習を開始する。初心者向けだが、安全が保証されていると思うな。講習だから安全、学院だから安全、教官がいるから安全――そういう考え方をしてる奴から順に怪我をする。昨日の事故で学んだ奴は、少しだけましだ」
そこで一瞬、視線が凛花と遼を掠めた。遼が即座に姿勢を正す。たいへん分かりやすい。
「本日は三人一組の小班で行動する。単独行動は禁止。勝手な判断も禁止。自分の勘が世界一信用できると思ってる天才は、今ここで退出しろ。現場で死なれるより事務処理が楽だ」 ひどい言い草だが、正しい。
背後モニターに班分けが表示される。
第一小班:九条凛花/森本遼/雨宮雫
「やっぱりか」と遼が呟いた。
雫は小さく息を吐く。
凛花にとっては悪くない組み合わせだった。少なくとも、話の通じない相手ではない。
少し離れた位置で、天堂司が露骨に眉を寄せた。班は別らしい。だが、こちらを見る目が、分かりやすく面白くなさそうだった。
「……よりによって、か」
聞こえるような聞こえないような声だった。
凛花は視線を向けるだけに留める。
神崎が資料を配る。
「講習内容は第一訓練区画の踏破、簡易罠の確認、退避判断。戦闘訓練ではない。格好をつけたい馬鹿は、そういう職に就いた教官を探せ。私は違う」
資料を受け取った瞬間、凛花の指先がわずかに止まった。
紙ではない。
紙の向こう側に、薄い嫌な気配がある。
「……変です」
先に気づいたのは雫だった。
「どこが?」 「北側通路の幅。昨日の事前配布版より狭いです」 「ほんとだ」と遼が顔を寄せる。「こっち二・五メートル、昨日のやつ三メートルだった」 「退避シャッターの条件も増えています」と雫。「初心者講習で直前変更する内容じゃありません」 「模擬罠の作動範囲も、少し深いですわね」
凛花は図面を追う。
通路幅の変更。
退避条件の追加。
作動範囲の拡張。
ひとつひとつは小さい。
だが、並ぶと違う。
判断を誤ると詰む形へ寄せてある。
胸の奥を、冷たいものが掠めた。
「九条さん?」と雫。 「ええ。あまり好きな資料ではありませんわね」 「俺も嫌だぞ。こういう“ちょっと違う”のが一番嫌だ」 「珍しく賢い感想ですわ」 「珍しくは余計だろ」
神崎の声が飛ぶ。
「そこ、何かあるか」
雫が資料を持ち上げた。
「事前配布版と通路幅、退避条件が違います」 「気づいたか」 「変更理由は」 「講習中に理解しろ」
周囲がざわつく。
「え、なにそれ」 「普通に怖いんだけど」 「初心者講習だよな?」
神崎は切り捨てるように言った。
「現場は資料通りに動かない。設備側の不備、人為ミス、判断の遅れ。その場で頭を使えないなら潜る資格はない」
正論である。
正論だが、たいへん胃に重い。
「なお、本日は見学者が多い。理由は聞くな。どうせろくでもない。視線に飲まれるな。特に珍しい職業を引いた奴」
たいへん分かりやすい名指しである。
凛花が見学席へ目を向けると、黒峰景一が腕を組んで立っていた。その少し離れた位置には、見慣れない若い男と、穏やかな笑顔の女性。企業かクランか、あるいはその両方か。どちらにせよ、善意だけで来る顔ではない。
「第一小班、前へ」
凛花たちは一歩前へ出た。
「九条」 「はい」 「昨日の事故、最初に異常を察知したな」 「結果としては、そのようになりますわ」 「便利な言い方だ。いい。今日はその“結果として”を期待している」 「期待はご自由に」
遼が横で目を丸くした。教官相手にその返しをする学生は多くないのだろう。
「森本」 「はい!」 「九条の指示を聞け。昨日の件で学習していないなら今すぐ帰れ」 「聞きます!」 「雨宮」 「はい」 「九条の見落としを拾え。見える奴は、ときどき見えすぎて雑になる」 「……承知しました」
神崎は本当によく見ている。扱いは乱暴だが、見る目だけは乱暴ではない。
「行け」
第一訓練区画へ続く扉が、低い音を立てて開いた。
内部は人工通路だ。コンクリートと鉄骨で組まれた、ダンジョン模擬区画。学院製らしい均質さがある。だからこそ、綻びは浮く。
「昨日より普通に嫌な感じするな」と遼。 「同感です」と雫。 「珍しく意見が合いますわね」 「嬉しくない一致だ」 「わたくしもですわ」
凛花は一歩、区画の中へ踏み込んだ。
その瞬間、ざらつきが鋭くなった。
正面通路。
左の角。
その先の、まだ見えていない場所。
薄い嫌な気配が、そこに集まっている。
「止まって」
凛花の声で、遼の足が半歩宙で止まった。
「え?」 「左の床を見なさい」
遼が視線を落とし、雫も同時にしゃがみ込む。
「あ……」 「線」
床の継ぎ目に沿って、ほとんど見えない細い金属線が走っていた。資料に記載された簡易罠の位置より、半歩手前だ。
「昨日の図面にありません」と雫。 「見学者向けの演出にしては、趣味が悪いですわね」
その時、後方で「あっ」と誰かの声がした。別班の生徒が不用意に一歩踏み出したのだろう。
ぴん、と細い金属音。
次の瞬間、区画奥の退避シャッターが半分だけ落ちた。
重い金属音が響き、場の空気が一斉に凍る。
「なっ……」 「今の誰!?」 「まだ何もしてない!」
見学席までざわついた。
神崎の声が飛ぶ。
「全班、その場で停止! 九条、そっちはどう見える!」
凛花は金属線を見たまま答えた。
「資料記載より手前に、追加の誘導線がありますわ。通常枠ではありません。少なくとも、初心者に黙って踏ませる配置ではありません」
見学席がざわつく。
黒峰は動かない。だが、その目だけが鋭くなった。
遼が低く言う。
「これ、普通じゃねえな」 「だから申し上げましたわ」 「いやもうほんと、昨日からずっと正しいな九条さん」 「光栄ですわね。でしたら次は、足も止めていただける?」 「はい」
たいへんよろしい返事である。
凛花は左前方の曲がり角を見た。まだ何も起きていない。だが、あそこに薄い破れ目がある。紙一枚向こうに、こちらへ転がり込んでくる不具合が待っている。
これは講習だ。
だが、ただの講習ではない。
誰かが仕掛けたのか、事故の余波か、それとも見学者向けの試験か。理由はまだ分からない。だが少なくとも、ここから先は“配られた資料通り”では済まない。
凛花は静かに息を吸った。
「森本さん、雨宮さん」 「おう」 「はい」
「どうやら、講習開始早々に歓迎していただけるようですわ」
その言葉と同時に、左奥の曲がり角の向こうで、何かが噛み合う音がした。
嫌な音だった。
機械仕掛けの罠が、予定より早くこちらへ牙を剥く時の音に似ていた。
次の瞬間。
凛花の視界の奥で、まだ見えていないはずの左通路が、赤く裂けた。
落ちる。
来る。
「伏せなさい!」
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【主人公ステータス】
名前:九条凛花
前世名:エレオノーラ・ヴァレンティア
職業:悪役令嬢
確認済みスキル:破滅予見/優雅歩法
未解明スキル:瑕疵看破/格位威圧/悪名変換
称号:二度目の悪役令嬢




