第2話 珍職扱いは、お断りですわ
国家認可ギルド学院支援センターの窓口には、気まずい沈黙というものがよく似合う。
もっとも、今日は少々よく似合いすぎていた。
「……申し訳ありません。確認いたしますので、少々お待ちください」
「ええ、どうぞ」
九条凛花は差し出された番号札を受け取り、受付前の椅子へ腰を下ろした。背筋を伸ばし、膝の上で手を重ねる。その座り方まで妙にきれいなのが、かえって場違いである。
職員たちは、ちらちらとこちらを見ていた。珍しい生き物を見る目だ。無理もない。仮登録用紙の職業欄には、何度見てもこう書いてある。
《悪役令嬢》
受付担当の女性は奥へ引っ込み、そのまま五分戻らなかった。代わりに、パーティションの向こうでひそひそ声だけが忙しい。
「前例なし?」 「検索にも出ません」 「認証水晶の記録は一致しています」 「いやでも、“悪役”って」 「印象が悪すぎるでしょう……」 「企業推薦、初手ではまず無理では」
現代社会は未知に対して二種類の反応を示す。ひとつは面白がること。もうひとつは、責任を取りたくないので距離を取ることだ。
支援センターの職員たちは、いま明らかに後者だった。
もっとも、理解できなくもない。窓口でいきなり前例ゼロの珍職を渡されて、「では通常枠で処理しますね」と笑える人材はそういない。人類は昔から、名前の分からないものを嫌う。肩書きが人生の査定材料になる社会なら、なおさらだ。
凛花は静かに息を吸った。
授与式からまだ一時間も経っていない。
珍職。外れ。事故。推薦は無理。企業は取らない。
たかが数十分で、ずいぶん都合よく値札を貼ってくれるものだ。
――もっとも、昔の貴族社会も似たようなものだった。舞踏会でも学園でも神殿でも、人間は値踏みが好きだ。衣装、家柄、婚約、将来性。時代が変わっても、札の種類が増えただけで、本質はあまり変わらない。
凛花の前世名は、エレオノーラ・ヴァレンティア。
値札を貼る側に立っていた娘だった。
だからこそ、貼られる側の冷たさがよく分かる。
「……お待たせしました、九条さん」
ようやく戻ってきた受付女性は、先ほどより笑顔が慎重だった。業務上の柔らかさに、明らかな防御が混じっている。
「確認いたしましたが、やはり前例がありません。したがって、通常の職種別推薦枠や既存適性判定は適用できません」
「結構ですわ」
「……よろしいのですか?」
「分からないものを、分かるふりで分類される方が不愉快ですもの」
受付女性が、一瞬だけ言葉を失った。窓口でそこまで真顔で返されるとは思っていなかったのだろう。だが凛花は構わず続ける。
「必要な手続きだけを教えてくださいませ。仮登録、講習、実地適性確認。順に受けます」
「は、はい。では仮登録は可能です。ただし、正式評価には明日の実地講習参加が条件になります」
「存じております」
「その……危険ですので、無理はなさらないよう」
慰めなのか、牽制なのか。たぶん半分ずつだ。
凛花は受付票を受け取り、かすかに微笑んだ。
「ご心配なく。無理をするのは、忠告を聞かずに突っ込む方の担当ですわ」
支援センターの片隅で、書類を抱えていた青年職員が吹き出しかけ、隣の先輩に肘で小突かれていた。
その時、待合スペースの奥から低い声がした。
「面白い返しだな」
凛花が視線を向ける。そこにいたのは、四十代後半ほどの男だった。飾り気のないスーツに、無駄のない立ち姿。目だけが妙に鋭い。
「ギルドの人間だ。黒峰景一」
「九条凛花です」
「知ってる」
でしょうね、と凛花は思った。
黒峰は受付台の端に置かれた仮登録用紙へ目を落とす。
「前例なし。既存適性不明。推薦枠なし。企業スカウトの初期優先対象外」
「見事に歓迎されておりませんわね」
「現状ではな」
「現状、ですの?」
「珍しい肩書きに価値はない。結果が出るまでは、ただの扱いづらい未知だ」
遠慮のない物言いだった。
だが、おべっかよりは好ましい。
「なるほど。ずいぶん親切に冷たいことをおっしゃるのですね」 「優しい言い方に価値はない。現場で役に立つかどうか、それだけだ」
黒峰はそこで、周囲の気配を一瞥した。職員たちは忙しいふりをして耳をこちらへ向けている。男は気にした様子もなく続ける。
「昨日の訓練場の映像は見た。お前、あの位置から床の連動不全を読んだな」
「結果としては、そのようになりますわ」
「便利な言い方だ。見えたのか」
声は穏やかだが、試す色が濃い。
凛花は目を細めた。
この男は、珍しいから興味を持ったのではない。使えるかどうかで見ている。そういう目だ。
「お答えする義務が?」
「今はない」
「でしたら、今は申し上げませんわ」
黒峰は黙った。普通の学生なら、その沈黙に押されて余計なことを喋るだろう。凛花は喋らない。必要がないからだ。
やがて男は、わずかに口元を動かした。
「いい。そういう手合いは嫌いじゃない」
「光栄ですこと」
「明日の実地講習、見学に行く」
「奇特なことですわ」
「暇じゃない。見込みがあるか確認するだけだ」
「でしたら、よくご覧になるとよろしいです」
「自信家だな」
「いいえ」
凛花は男を真っ直ぐ見返した。
「自信がないままでも、立ち止まらないと決めただけです」
黒峰は一瞬だけ黙り、それから短く息を吐いた。
「そうか。なら、ひとつだけ忠告しておく」
「どうぞ」
「明日の講習、見学者が増える。ギルドだけじゃない。企業とクランも来る」
「ずいぶん早いですわね」
「珍しい職業は、使えるなら早く囲いたい。使えないなら早く切り捨てたい。そういう連中だ」
言葉に棘はない。だからこそ、現実として冷たい。
「最初から好意を期待しておりませんもの」と凛花は言った。「機能で見るのなら、機能で黙らせるまでですわ」
黒峰の目が、そこで初めて少しだけ変わった。
「……大したもんだ。折れてない」
「一度目で懲りましたの」
「そうか」
その返事だけ、ほんの少しだけ低かった。
踏み込みすぎない大人の声音だった。
支援センターを出ると、夕方の光が学院のガラス壁を赤く染めていた。凛花は受付票を封筒へしまい、校門へ向かう。
スマートフォンが震えた。母からだ。
『終わったら連絡を』
たったそれだけの短文だが、綾乃の文面はいつも余白が多い。責めず、急かさず、だが逃がさない。
凛花は少し考えてから返信した。
『職業は予想外でしたが、帰宅してお話しします』
送信して三秒で既読がついた。
恐ろしい。母は仕事中でも娘の気配にだけは異様に敏い。
九条家の屋敷は、古い日本家屋と現代建築を無理なく接続したような造りをしている。門を抜け、玄関へ入ると、見慣れた静けさが凛花を迎えた。
その静けさを真っ先に壊したのは、妹だった。
「お姉さま、おかえりなさいませ!」
九条美月がぱたぱたと駆けてくる。まだ授職前の高校生で、今どきの軽さと姉への過剰な敬愛を見事に両立した少女である。
「結果どうでした!? 《剣姫》!? 《指揮官》!? まさか《女帝》!?」 「最後のひとつは、たぶん職業ではありませんわね」 「惜しい」 「惜しくはありませんわ」
居間へ入ると、綾乃がソファに座っていた。誠一郎はすでに帰宅しており、膝の上でタブレットを閉じたところだった。
母は娘の顔を見て、まずそこだけを確認した。
「泣いてはいないのね」 「泣いていた方がよろしかった?」 「いいえ。あなたが自分で決めていない泣き方は、あまり好きではないわ」
相変わらず、美しくて容赦がない。
誠一郎が静かに言う。
「職業は」 「《悪役令嬢》ですわ」
一秒、沈黙。
美月が最初に「えっ」と声を漏らし、次に誠一郎が眉を上げた。綾乃はまばたきを一つしただけだった。
「珍しい、では済まなそうね」と綾乃が言う。 「済みませんでしたわ。授与式はだいぶ凍りました」 「そうでしょうね」
その声は、ほんの少しだけ柔らかかった。
誠一郎がタブレットを机に置く。
「意味は分かっているのか」 「いいえ。少なくとも、この世界の意味では」 「だが、当てはある」 「あります」
凛花は立ったまま父を見た。
「前世で、一度その名で間違えました」
「……そうか」
誠一郎は、それ以上詳しくは聞かなかった。凛花の前世について、家族は断片的にしか知らない。それでも九条家は、娘の言葉が軽くないことを知っている。
綾乃がティーカップを置く。
「それで」 「はい」 「逃げるの?」 「いいえ」 「結構」
母は一言で頷いた。
「では、その名に負けない振る舞いをなさい」 「はい」 「ただし」
綾乃の目が少しだけ鋭くなる。
「自分の誇りを、言い訳に使っては駄目よ」 「……承知しております」 「ならよろしい」
誠一郎が続けた。
「ギルドの反応は」 「前例なし、推薦枠なし、既存適性不明。たいへん明快でした」 「企業側は動かないだろうな」 「でしょうね」 「なら、自分で実績を作るしかない」 「はい」
そこで誠一郎は一拍置き、さらに言った。
「九条の名でも、結果がなければ守れん」
居間が少しだけ静かになる。
それは冷たい言葉ではなかった。現実の形をした支えだった。
「承知しておりますわ」と凛花は答えた。「守られるつもりも、あまりありませんもの」 「そう言えるなら結構だ」と誠一郎。
美月が、おずおずと手を挙げた。
「あの」 「なにかしら」 「悪役令嬢って、かっこよくないですか?」
居間の空気が一瞬だけ止まる。誠一郎が咳払いをし、綾乃は視線だけで続きを促した。
「だって、なんか強そうですし。気品あるし。お姉さまに似合うし。ほら、みんな知らないだけで、実はすごい職業かもしれませんし」 「美月」 「はい、お母さま」 「あなたはいつも、少し早いわね」 「えへへ」
綾乃はため息をついたが、ほんのわずかに口元を緩めた。
凛花は、そこでようやく肩の力が少し抜けたのを感じた。授与式のあと、初めてだった。
だが、甘えてはいられない。
「明日、実地講習があります」 「もうか」と誠一郎。 「ええ」 「出るのね」 「もちろんですわ」
誠一郎が短くうなずく。
「車を回そう」 「ありがとうございます」 「結果を持ち帰れ。珍しいだけでは、誰も黙らない」 「はい」
綾乃が最後に言った。
「凛花」 「はい」 「見下されるのは、別に構わないの」 「……はい」 「ただし、自分で自分を見下しては駄目よ」
その言葉は、妙に深く刺さった。
前世でいちばん遅く学んだことを、今世の母は短く言い当ててしまう。まったく、母というものは厄介だ。
夕食のあと、凛花は自室で実地講習用の資料を開いた。
初心者向け第一訓練区画。安全管理付き。学院監督下。危険度は低。建前としては、そう書いてある。
だが今日の件で分かった。
建前は、事故の前では驚くほど脆い。
ページをめくる。通路構造、罠の基礎、緊急停止位置、講習の流れ。そして最後の参加者リストに、見覚えのある名があった。
森本遼
雨宮雫
天堂司
なるほど。明日も退屈はしないらしい。
そこでスマートフォンが、短く震えた。
差出人不明。
本文は一行だけだった。
『明日の講習、通常枠ではありません。気をつけて』
凛花の指が止まる。
いたずら、にしては悪趣味が過ぎる。警告、にしては説明が足りない。だがその瞬間、胸の奥を、ほんのわずかに冷たいものが掠めた。
似ている、と思った。
今日、階段の上で訓練場の事故を見た時の、あの感覚に。
はっきりした予見ではない。だが、紙一枚向こうに破れ目があると知った時のような、嫌な薄さ。
凛花は資料へ視線を戻す。参加者リストの端には、あとから追加されたような小さな注記があった。
見学者増員予定
昼間、黒峰は言っていた。ギルドだけではない、企業とクランも来る、と。
世界はまだ《悪役令嬢》という職業を知らない。知らないから笑う。知らないから値踏みする。けれど、知らないままで済まなくなる日は意外と近い。
なにしろ明日の講習は、もう“ただの初心者講習”ではなさそうなのだから。
都内ダンジョン関係者向けの非公開チャットで、今日の事故報告書が共有された時。添付された現場メモの末尾には、短い追記があった。
『対応生徒:九条凛花/職業:《悪役令嬢》/危険察知能力、要注視』
面白い。
そう呟いた者が、少なくとも二人いた。
ひとりは黒峰。
そしてもうひとりは、別の場所にいる。
だが、今はまだその名を出すには早い。
まずは明日だ。初めての実地講習。そこで凛花は、自分の職業が単なる奇名ではないことを、もう一度証明しなければならない。
誰も知らない職業なら。
その価値は、自分で作るしかない。
凛花は机上の受付票に視線を落とした。白い紙の上で、職業欄の四文字だけがやけに鮮やかに見える。
《悪役令嬢》
もう、さっきほどは嫌ではなかった。
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【主人公ステータス】
名前:九条凛花
前世名:エレオノーラ・ヴァレンティア
職業:悪役令嬢
確認済みスキル:破滅予見/優雅歩法
未解明スキル:瑕疵看破/格位威圧/悪名変換
称号:二度目の悪役令嬢




