第11話 客席で、幕は勝手に上がりますのね
来賓用観覧室を出た時、実技棟の廊下は妙に明るかった。
昼の光ではない。人が増えた時の明るさだ。
学院職員が行き交い、保守担当が工具箱を抱え、見学に来ていた企業やギルド関係者も、もう帰る気配を見せていない。事故の現場には、だいたい二種類の人間が集まる。
本当に片づける人間。
片づくまで見ていたい人間。
後者の方が、たいてい人数は多い。
もっとも、本人たちはそう思っていない。
自分はただ状況を見極めているだけだ、と言い張る。客席に座る者ほど、いつだって自分を物語の外に置きたがるものだ。
「神崎先生」
補助員の一人が駆け寄ってくる。
「学院長代理から連絡です。本日の実地講習は全停止。ですが、来賓側への説明のため、十分後に簡易会見を設けたいと」
遼が顔をしかめた。
「簡易会見? もうそんな段階かよ」
「そういう段階だ」と神崎。「事故は隠し切れん。隠さないなら、先に話をまとめた方がましだ」
ひかりが小さく息を吐いた。
「客席って、そっちか」
「ええ」と凛花は答える。「相手は親切ですわね。次に“見せたい場所”まで教えてくださるのですもの」
天堂司が露骨に嫌そうな顔をした。
「親切ではないだろ」 「比喩ですわ」 「分かってる」
結構。
少しずつだが、会話の速度が合ってきた。嫌な顔のまま歩幅を合わせられる人間は、案外強い。
神崎はその場で決めた。
「会見には俺が出る。学院側説明は最低限だ。だが、来賓側が現場の感触を欲しがるなら――」
黒峰が低く聞く。
「なら?」
神崎は凛花たちを見た。
「再調査班も同席だ」
数秒、空気が止まった。
「は?」と遼。 「俺ら、会見ってやつに出るの?」 「嫌なら帰るか」 「いや帰らないけど! でも急すぎるだろ!」
雫は眉を寄せた。
「それ、黒幕の思うつぼでは」 「だろうな」と神崎。 「だから利用する」
凛花は静かにうなずいた。
正しい。
舞台を整えたつもりの相手なら、こちらが勝手に台本を書き換えればいい。
「九条」と神崎。 「はい」 「お前は何を出す」 「出す?」 「相手が“白と黒を並べたい”と言うなら、並んでやる。だが、どこまで見せる」
凛花は一拍置いた。
「見せるのは、結果だけで十分ですわ」 「説明は」 「必要最低限に。安い挑発へ丁寧に付き合うのは趣味ではありませんもの」 「結構」
黒峰がそこで口を開いた。
「白瀬」 「はい」 「お前は」 「人の顔を見ます」 「何を見る」 「九条さんを見たい人と、白黒を比べたい人と、ただ面白がってる人の違いです」
黒峰は短くうなずいた。
「森本」 「お、おう」 「お前は余計なことを喋るな」 「急にひどくない!?」 「顔に出せ」 「それは得意」
遼がそう言うと、雫が小さく頷いた。
「向いてます」 「雨宮までひどいな!?」
天堂司だけが黙っていた。だが、その沈黙はさっきまでとは違う。拗ねて黙るのではなく、何を言うべきか選んでいる沈黙だ。
神崎が促す。
「天堂」 「……事実だけ言う」 「何の」 「現場で何が起きたか」 「感想は」 「要らないだろ」 「正解だ」
よろしい。
少しずつだが、役割が形になってきている。こういう時の班は強い。誰か一人が全部やるより、よほど強い。
簡易会見の場は、実技棟一階の来賓控室だった。
もともとは休憩用の広い部屋らしい。ソファと長机が端へ寄せられ、正面には即席の説明卓。学院側、ギルド側、企業側。座る位置まで、たいへん分かりやすく序列が見える。
美しくはない。
だが、現実というものは、だいたいこういう形をしている。
凛花たちが入った瞬間、部屋の視線がまとめてこちらへ向いた。
興味。警戒。打算。
そして、少しばかりの期待。
結構。
見られること自体は構わない。何を見せるかだけが大事だ。
ひかりが小声で言う。
「白と黒、ほんとに並んじゃったね」 「ええ」 「嫌じゃない?」 「少しだけ」 「少しなんだ」 「主導権がこちらにあるうちは」
ひかりは一瞬だけ黙り、それから小さく笑った。
「やっぱり、そこなんだ」 「どこですの?」 「勝つか負けるかじゃなくて、誰が舞台を持つか」 「ええ」 「面白い」
遼が後ろで呻く。
「また始まった」 「もう慣れてください」と雫。 「まだ早いって……」
神崎が前へ出た。
「手短に行く。本日、第一・第二区画において複数の異常連動が発生した。現時点で、学院外端末を経由した不正アクセスの痕跡が確認されている。詳細は調査中だ」
ざわめきが広がる。
そのざわめきの中で、黒峰の隣に座っていた若い男が口を開いた。
「現場判断をした学生は?」
「いる」と神崎。 「再調査班の一人だ」
「名前は?」
神崎が答えるより先に、黒峰が言った。
「九条凛花だ」
部屋の空気がまた少し動く。
もう隠す段階ではない。結構。ここから先は、隠すより立った方が早い。
企業側の代表らしい女が、静かに凛花を見た。
「九条さん。あなたは、あの場で何を見たの?」
部屋が静まる。
ここだ。
相手は、答えを聞きたいのではない。
どう答えるかを見たいのだ。
凛花は一歩前へ出た。
「綻びですわ」 「綻び?」 「資料との差分、罠の置き方、逃げ道の不自然さ、停止系統の偽装。整えたつもりのものほど、少しだけ歪みますもの」 「それを、あなたは全部見た?」 「全部ではありませんわ」
凛花は静かに答えた。
「ですが、見落としてはならないものは見ました」
良い返しだ。
全部見たと慢心せず、だが弱くもない。こういう場では、過剰な自信より、選んで立つ方が強い。
女は少しだけ目を細めた。
「《悪役令嬢》という職業は、そういうものなの?」 「まだ分かりませんわ」 「分からない?」 「前例がありませんもの」
凛花はほんの少しだけ口元を上げる。
「ですが、少なくとも今日の時点では――」
視線を、部屋全体へ向けた。
「見下されて終わる職ではありませんでしたわね」
遼が後ろで「強ぇ……」と小さく漏らし、雫はわずかに目を伏せた。ひかりは隣で、なぜか少し嬉しそうな顔をしている。
若い男が、今度は白瀬ひかりを見る。
「君は?」 「はい」 「君は九条さんをどう見た?」
ひかりは少し考えた。
「怖い人だと思いました」
「白瀬さん?」 遼がびっくりした声を出す。 「なにその感想」
「でも、怖いのに崩れない人だとも思った」
ひかりは続ける。
「私、人を見る方だから分かるんです。あの場で一番怖かったの、たぶん九条さんです。でも、一番先に立ってたのも九条さんでした」
部屋が少しだけ静かになる。
凛花はひかりを見た。
なるほど。
この娘は、本当に正面から言う。
だから厄介で、だから好ましい。
そこで、正面席にいた年配の男が初めて声を出した。
「面白い」
学院長代理だ。眼鏡の奥の目だけが、妙に澄んでいる。
「白と黒を並べたい誰かがいる、と」 「現時点では、その可能性が高いですわ」と凛花。 「ならば、次に来るのは“比較”ですな」 「でしょうね」 「片方を持ち上げ、片方を落とす」 「雑な手ですわ」 「雑でも効く時はある」
その通りだ。
人は比べたがる。
比べて、安心したがる。
そして誰かが下へ落ちると、自分が上へ上がった気になる。
たいへん安いが、よく効く。
「でしたら」と凛花は言った。 「次は、その比較ごと壊して差し上げればよろしいのですわ」
学院長代理が、初めて少しだけ笑った。
「よろしい。気に入った」 「光栄ですわね」 「学院としても、これ以上“舞台”にされるのは不愉快だ。再調査班には、次の現場確認を正式依頼とする」 「学院長代理」と神崎。 「よろしいのですか」 「よろしくないが、よろしいことにする」 「雑ですね」 「今は速度を優先する」
結構。
その判断は嫌いではない。
その時だった。
部屋の照明が、ふっと一段落ちた。
全員の視線が上を向く。
瞬断。
次の瞬間、来賓控室の正面モニターが、誰も触れていないのにひとつだけ点いた。
真っ黒な画面。
白い文字。
『それでは、次は選んでいただきましょう。』
部屋が凍る。
ひかりが小さく息を呑み、遼が「またかよ」と呻き、天堂が露骨に舌打ちした。
文字が増える。
『白を信じますか。黒を信じますか。』
そして、最後に一文。
『次の現場で、お待ちしております。』
ぶつり、と画面が消える。
数秒、誰も動かなかった。
やがて神崎が吐き捨てるように言う。
「……喧嘩を売ってるな」 「ええ」と凛花。 「しかも、ずいぶん安い喧嘩ですわ」
ひかりが静かに聞いた。
「九条さん」 「なんですの?」 「白と黒、だって」 「ええ」 「どうする?」 「決まっておりますわ」
凛花は、真っ暗になったモニターを見たまま答えた。
「選ばせて差し上げますの」
「何を?」 遼が聞く。
凛花はゆっくりと振り返った。
「自分が誰を敵にしたのか、ですわ」
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【主人公ステータス】
名前:九条凛花
前世名:エレオノーラ・ヴァレンティア
職業:悪役令嬢
確認済みスキル:破滅予見/優雅歩法
未解明スキル:瑕疵看破/格位威圧/悪名変換
称号:二度目の悪役令嬢/暫定首位




