第7話
征西軍――ライルたちの軍がバスカル城砦についた翌日。
散乱した瓦礫が片付けられた訓練場では、すでに剣戟の音が響き渡っていた。その音を奏でているのは、金髪をなびかせた一人の女兵士だ。
気迫と共に彼女は相手に踏み込み、鋭く剣を走らせる。相手を務める兵士は滑るように後退し、振り抜いた隙を狙う。だが、すでに彼女は手首を返し、剣を構え直している。あまりの隙の少なさに相手は苦笑し、間合いを取り直した。
その一連の攻防に観戦する兵士たちは思わず感嘆の声を上げる。
「すげぇな、アリシアちゃん」
「隙が全くねえ。なんだか誰かさんの剣技を見ているみたいだぜ」
「エーヴェも反撃しづらいだろうな、おい」
じり、じりと立ち位置をわずかに変えながら対峙するアリシアとエーヴェ――両者の実力が拮抗しているのは、見ている全員が理解していた。
ライルも最前列で観戦しながら、ふむ、と目を細める。
(腕を上げたな。アリシア。近衛にいても慢心せずに剣を磨いたか)
学院時代は一撃一撃が軽いのが弱点だったが、今のアリシアはエーヴェの剣を弾き、体勢を乱させるだけの重さを備えている。型稽古をよく積み、剣の力の載せ方を学んだのだろう。そうなると対峙しているだけでもかなりの圧がある。
事実、エーヴェは少しずつだが、気圧されるように後退している。
「ふふ、さすが若の自慢の後輩ですな」
「――若は止めろ、パラオッド」
横に立った中年の兵士に半眼を向ければ、愛想の良い笑みを見せながらひょいと頭を下げた。
「これは失礼をば。ただ、アリシア殿は良き剣の師に恵まれたようで。非常に堅実な立ち回りで好感が持てますな」
「本人の努力のおかげだ。一つ一つの助言をきちんと理解し、身に着けている」
「の、ようですな。ですが、少しまだ動きが固い。もう少し大胆に攻められれば良いものを」
パラオッドの指摘は的を得ていた。アリシアはいつもならもっと大胆に果敢な攻めを見せる。だが、今の彼女は間合いを測り、確実に倒せるように動いているようだ。
(それも悪くないが――足許を掬われかねんぞ)
ライルが腕を組みながら見ていると、ふとエーヴェの視線が一瞬ライルに向いた。何かを窺うような眼差しに、好きにしろ、とライルは手を振る。
エーヴェは申し訳なさそうに眉を寄せつつも、軽く頷く。
それを隙と見たのか、鋭くアリシアが動き出した。下段に構えた刃を跳ね上げさせながら鋭く踏み込む。一瞬で間合いを詰め、エーヴェに斬り掛かり。
瞬間、エーヴェの足が一閃された。足元の石が蹴り飛ばされ、アリシアの剣を直撃。
「――っ!」
その想定外の一撃にアリシアの手から剣が弾け飛んだ。刃が宙を舞い、彼女は無手――そこにエーヴェは容赦なく踏み込み、諸手突きを放つ。
兵士の誰かが悲鳴を上げ、落胆の声もこぼれだす。
だが、ライルとパラオッドは目を細めていた。
「いや、これは――」
アリシアの瞳はエーヴェの動きを見据えている。
直後、彼女の身体が一気に低くなった。なびいた金髪を突きが貫いた瞬間、アリシアはエーヴェの懐に飛び込み、彼の諸手突きの腕を絡め取っている。
そのまま突きの勢いを利用し、彼の身体を投げ飛ばし、地面に叩きつけた。
「変則的な背負い投げ、ですな」
「ああ、よく勝負に踏み切った」
ライルとパラオッドが言葉を交わす間に、アリシアはエーヴェの首筋にナイフを押し当てていた。それにエーヴェは痛みで顔を顰めながら声を上げた。
「降参です。参りました」
「――ありがとうございました」
ナイフを引き、鞘に納めながらアリシアはエーヴェに手を差し出す。彼はその手を取って立ち上がりながら苦笑をこぼした。
「強いですね。まるで隊長――ああ、いや、将軍とやり合っているようでした」
「それは何よりの誉め言葉です。将軍の教えの賜物ですから」
握手と言葉を交わした二人を兵士たちが拍手で称える。ライルはその傍に歩み寄ると、アリシアとエーヴェはそれに気づいて敬礼した。
「崩して構わない――二人とも見事な戦いぶりだった」
「負けてしまいましたがね。いや、悔しいです。卑怯な手まで使ったのに」
「エーヴェはそういう搦手の方が得意だからな。仕方がない」
ライルはエーヴェの肩を軽く叩き、慰めの言葉を掛ける。それからアリシアを見れば、彼女は背筋を伸ばし、表情を引き締めた。
一方で、その目は褒めて欲しそうに輝きを放っている。
その目を見つめ返し、ライルは一つ頷いて微笑んだ。
「アリシアもいい戦いぶりだった。卒業後もたゆまず訓練を積んだのがよく分かった」
「あ、ありがとうございます。将軍」
「最後の投げ技も見事だった。よく、あそこを勝負に踏み切ったな」
直前までは堅実な立ち回りであり、エーヴェのフェイントをよく見切っていた。だが、最後は打って変わって大胆な動きで投げ技を仕掛けた。
「石の攻撃も本当は捌こうと思えば、捌けただろう」
その言葉にエーヴェは息を呑むが、アリシアは苦笑い交じりに首を振る。
「意表を衝かれたのは、事実です。ただ、エーヴェさんが勝負を仕掛けてきたのは一瞬で理解できたので――」
「敢えて剣を手放し、隙を作った。エーヴェを釣り出す、絶好の機会を」
つまり、あの剣は弾かれたのではなく、敢えてアリシアは手放しただけなのだ。アリシアは小さく頷くと、すみません、と軽く肩を縮めた。
「剣を手放すのは、実戦ではあり得ないことです。ですが、互いに傷つかずに試合を終わらせる絶好の機会だったので」
そこで言葉を切ると、付け足すように彼女は上目遣いで続けた。
「その、先輩ならこうするかな、と思って」
「そ、そうか……まぁ、確かにそうかもしれないが」
何となくライルは面映ゆくなって視線を逸らす。それをにやにやした笑みでエーヴェが見てくるので、ライルは半眼を向けて告げる。
「エーヴェ、敗者なら未熟さを噛みしめる時間が必要だよな」
「――え、あ、いや」
「城砦の外周、十周だな。行ってこい」
ライルが笑顔で告げると、エーヴェは表情を引きつらせながらため息をこぼした。
「相変わらず隊長は鬼だ……」
「ついでに城壁の外側が崩れていないかも確認しておけ」
「了解です。行ってきまーす……」
エーヴェは意気消沈しながらも軽快な足取りで駆け去っていく。ライルはそれに頷きながら何気なく周りの兵士たちに視線を向ける。
「さーて、仕事に戻るかー」
「部隊長、次の仕事はなんすかね」
その視線に嫌な予感を覚えたのか、兵士たちは早足に立ち去り始めた。全く、とライルは吐息をこぼしてから、アリシアに視線を戻した。
もじもじしていた彼女は慌てて背筋を伸ばす。崩していい、と合図しながら、ライルは目を細めて告げる。
「合格だな。アリシア」
その言葉にきょとんとする彼女に、ライルは言葉を続ける。
「今回の訓練は兵たちの実力を見ることが目的だが、同時に俺の右腕になる副官を見極めることも兼ねていてな」
一人はパラオッドに決めていた。場数を踏んだ実力と経験に加え、兵たちも好かれ、部隊長にも顔が利く――補佐役にはぴったりの人材だ。
だが、もう一人は誰にするか、まだ迷っていたところだったのだ。
ライルの言葉にアリシアは目を丸くすると、では、と声を弾ませる。彼は頷き返し、彼女にはっきりとした言葉で命を下す。
「アリシア、お前を俺の副官に任ずる――やってくれるか?」
「謹んでお受けします! 将軍!」
アリシアの声は嬉しそうに響き渡った。その笑顔に釣られてライルも笑みをこぼしながら、軽く肩を叩いて告げる。
「俺の副官は大変だぞ。覚悟しておけ」
「大丈夫です。むしろ、ライル将軍のお仕事を減らせるように頑張りますので!」
意気込みを見せるアリシアは頬を上気させながら、拳を握りしめる。その様子に表情を緩めながら、よし、とライルは声を掛ける。
「なら、最初の仕事だ――この城砦内は修復が必要だ。特に中央の城塔は大分ひどいのは、その目で見たと思うが」
「はい、野獣が出たくらいですからね」
「その城砦内の修復を、任せたい。どうだ? アリシア」
その言葉にアリシアはきりりと表情を引き締めて大きく頷いてみせた。
「お任せください。防衛拠点として機能するように努めていきます……!」
「よし、任せた。兵たちと上手く連携して事を進めてくれ。パラオッドがいい相談役になってくれると思う」
「はい、承知しました」
アリシアの目はすでにやる気に満ちていた。彼女は一礼すると、すぐさまパラオッドの方に駆けていく。それに目を細めながら視線を城塔に移した。
崩れかけた石壁、ところどころ抜け落ちた窓、野獣が潜んでいた暗い内部――これらを修復していくには時間も労力も掛かるだろう。だが、かつては征西軍の拠点として立派に活用された堅牢な拠点だ。
(その分だけ時間が掛かるだろうが、お手並み拝見と行くか)
静まり返った城砦の中が次第に活気に満ちていく。その中心には若い副官の姿がある。それを頼もしく思いながらライルは小さく吐息をこぼした。
「さぁ――ここからだな」
左遷先の城砦は廃墟同然。それでも頼もしい仲間たちがいる。
その彼らの声はこの地での新たな始まりを思わせてくれた。




