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左遷先に優秀な女騎士がついてきたのだが  作者: アレセイア
終章

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第30話

「――ここは風が気持ちいいですね」


 城塔の屋上――そこに出ると、アリシアは心地よさそうに目を細めた。ああ、とライルは頷きながら水筒を取り出し、軽く口に含む。

 それから彼女にそれを手渡すと、彼女は両手で受け取ってそのまま口に運んだ。

 こく、こく、と水を飲む小さな音がライルに聞こえてくる。

 それに耳を傾けながら、ライルは視線を夜の荒原に向けた。荒原は淡い星明りに照らされ、大地が白く輝いているように見える。そこから吹く冷たい風も、乾いた匂いもいつの間にか慣れてきた気がする。


(意外と馬たちも順応が早かったし、意外と馬が過ごしやすいのかもしれないな)


 古代人のことわざで『住めば都』という言葉があるが、案外、辺境の地も悪くないと思い始めていた。ライルはアリシアに視線を戻すと、彼女の顔色が徐々に落ち着き始めていた。

 熱に浮かされていた瞳は次第に正気になる。と同時に、何やら落ち込むように顔を伏せさせていた。


「――私、何をやっていたんですかね。リーシェさん相手にムキになって」

「お、少しは酔いが醒めたか」

「……はい、おかげさまで。穴があったら入りたい気持ちです」


 はあぁ、とアリシアはため息をつきながらその場でしゃがみ込む。ライルは苦笑しながら柱に背を預け、軽く肩を竦めてみせた。


「酒の場だ。たまには羽目を外すのも悪くはないだろう?」

「にしても、少し羽目を外し過ぎました。いつもより酒が過ぎましたし」


 そう言うアリシアの瞳は暗闇の中でも物憂げに揺れている。ライルは視線を合わせるためにその場で座りながら、少しだけ目を細めた。


「――人を斬ったのは、初めてか?」


 アリシアはわずかに言葉を詰まらせ――やがて、こくん、と頷いた。


「はい、この前の戦いが初陣でした。無論、人を斬ったのも」

「だろうな。近衛が戦場に出ることはなかっただろうし」


 前線に立つ軍人であれば、仲間の死と人を斬ることは必ず経験することだ。それを経験した新兵は大なり小なり、心が揺らいでしまう。

 だから、ライルはここ三日間、アリシアのことを気に掛けていた。


「平常通りに振る舞っていたが、少し心気が乱れていたな。眠れているか?」

「――酒の力も借りて、一応は」

「そうか。あまり頼り過ぎるなよ。酒には」

「分かっています。でも――目を閉じると、どうしても掌にあの感触が蘇るんです。ライル先輩が斬ったあの男にトドメを刺した、あの瞬間の光景も」


 アリシアは自分の掌を見つめ、深くため息をこぼす。その手が震えているのを見て、ライルはそっと近寄ってその掌を包み込む。

 その小さな手は信じられないくらい冷たい。それを温めながらライルは声を掛ける。


「それは忘れられないだろうし、忘れてはいけないことだと思う。それを忘れたら、俺たちは軍人ではなく、ただの殺人鬼だ」

「――仰られることは、分かります。でも、耐えられるか……」


 そう告げながら彼女は顔を上げる。その表情はいつになく辛そうで、苦しそうだ。弱々しい瞳の光を見つめながら、ライルは思う。


(そういうときは、仲間を頼ればいい――)


 ライルも初陣の後には、命を奪った事実に苦しんだ。敵の首を刎ねた感触、その生首の虚ろな瞳、生々しい血潮の熱――全てが夢になって蘇ってくる。

 そこで支えてくれたのは仲間たちだった。特にパラオッドやセドリックを始めとした古参の兵たちは慣れたもので、彼らの明るさには励まされてきた。

 だから、一人で背負う必要はない。周りを頼ればいい――。

 そう言うべきなのに、ライルは口を開くことができなかった。

 アリシアが他の人を頼っているところを想像した瞬間、何故か胸が締め付けられる。その役目は自分であるべきだ、と心のどこかが叫んでいるのだ。

 気づけば、ライルはその感情のままに言葉を口にしていた。


「俺を、頼ってくれればいい」


 その言葉にアリシアは目を見開いた。濡れた瞳が微かに揺れ、その唇から小さな吐息がこぼれる。その瞳を見つめ返しながら、ライルは彼女の手を引く。

 そして揺れた小さな身体を、ライルは自身の胸の中に抱き寄せた。


「苦しくて、忘れられないことがあるなら――俺の胸の中で癒せばいい」


 アリシアは胸の中でじっとしてその言葉に耳を傾けていた。やがて、彼女は小さく吐息をこぼすと、おずおずと胸の中で視線を上げてライルを見上げる。


「そんなこと……言って、いいんですか?」

「ああ、二言はない」

「言質を与えたら、私、遠慮なく甘えます。先輩を、独占するかも」

「公私を混同しなければ、それでいい」

「つまり、私的な場、なら――?」

「俺が傍にいてやる。その代わり、アリシアを離さないかもしれないが」


 言葉を続けるうちに、自分の気持ちに気づかされる。

 この前の夜にアリシアに『大好き』だと言われてから、落ちつかなかった気持ちが何だったのか。アリシアのことをどう想っていたのか。

 それが胸の中にすとんと落ち、納得して。

 自然と、ライルは言葉を続けていた。


「だから、アリシア、一緒にいてくれるか。副官としてだけでなく、恋人として」

「――っ」


 その言葉を聞いた瞬間、アリシアの瞳が大きく見開いていた。彼女は食い入るようにライルを見上げ、切なげに瞳は揺れている。

 それに吸い込まれるように、ライルはそっと顔を近づけて。


 唇が、触れ合った。


 それはほんの一瞬――だが、長い時間、触れ合っているように感じられた。唇を離して改めてアリシアの顔を見れば、その表情はどこか恍惚としていた。

 頬は朱に染まり、瞳はライルを捉えて離さない。星明りさえ映しそうな美しい瞳に、ライルは束の間、目を奪われてしまう。

 アリシアはそのまま自分の柔らかい唇を確かめるようにそっと指先でなぞる。

 それから自身の認識を疑うようにぽつりと言葉をこぼした。


「……夢?」

「では、ないな」

「なら、もう一度――」


 その言葉を塞ぐようにそっともう一度、唇にキスを落とした。触れ合いの中で彼女の柔らかさを実感しつつ、唇を離す。アリシアは吐息をこぼしながら物欲しげに瞳を揺らす。それに応えるようにライルはさらにキスを繰り返す。

 四回、五回と繰り返せば、ようやくアリシアはその状況を呑み込めたのか、目をぱちくりさせて喉を震わせる。


「ライル先輩、本当に私を……」

「ん、この前の『大好き』の返事になるかな」

「……っ、充分過ぎるくらいです……っ」


 次の瞬間、アリシアの腕がライルの首に抱きついてきた。今度は彼女から唇を押し付けられる。最初は遠慮がちに、だが、次第に大胆に。

 それにライルは応えながら、彼女の身体を抱き締め直す。二人は互いの気持ちを確かめ合うように何度もキスを繰り返していき――。


 気が付けば、互いの身体は寒空の下でも熱を充分に帯びていた。

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