第31話
「ライル先輩」
「ん、何だ?」
「ふふ、呼んでみただけです」
何度も確かめ合うようなキスを繰り返した後、アリシアはすっかりご満悦そうな表情でライルの隣に腰を下ろしていた。
いつしか彼女が居眠りをしていたときのように、ライルとアリシアは肩を触れ合わせ、寄りかかり合うようにして視線を交わし合う。
ライルはその彼女の目を見つめて微笑めば、彼女は幸せそうに目を細めた。
「夢みたいです。こうして私的にもライル先輩のお傍にいられるなんて」
「俺も、まさかこんな風になるとは思わなかった。それに――」
手を伸ばし、アリシアの肩を抱き寄せる。あ、と嬉しそうに声をこぼした彼女の瞳を見つめながら、ライルは少しだけ苦笑する。
「――こんなにアリシアを独占したいと思うようになるとはな」
ただ、ふと思い返してみると、ライルは何かと理由をつけてアリシアを傍に置き、仕事をしているときは気を配るようにしていた。無自覚に独占しようとしていたのだろうか。
「ふふっ、心配しなくても私はライル先輩のものですよ。身も心も」
アリシアは心から幸せそうな口調で言うと、ライルの胸に身を寄せて目を細める。
「ずっと、貴方に惹かれていました。だから、今、すごく幸せです」
「――ずっと、か」
「はい、学院の頃からずっと」
ライルは空を見上げながら、アリシアと過ごした学院生活の日々を思い返す。
アリシアはいつだって剣の鍛錬や軍略の勉強に熱心だった。また曲がったことが許せず、貴族と平民のトラブルにもよく介入していた。
それにライルは振り回されながらも、飽きない日々を過ごしていた。
(もしかしたら――その頃から、俺も惹かれていたのかもな)
そのせいか、卒業後もふとしたときにアリシアのことを思い出していた。ここに彼女がいたらどう考えただろうか、どう行動しただろうか――。
思わず目を細めると、アリシアがライルの目を覗き込みながら首を傾げる。
「もしかして、学院のことを思い出していました?」
「ご明察だ。いつも必死だったアリシアのことをな」
「……そんなに必死でしたか?」
「ああ、本を抱えて走り回っていたと思えば、俺を見ると慌てて姿勢を正して……」
「そ、そんな些細なことを覚えているんですかっ、もうっ」
アリシアは怒ったように胸を叩いてくるが、その瞳は幸せそうに潤んでいる。ライルはその頬を撫でながら軽く笑うと、言葉を続けた。
「おかげで退屈はしなかったな。一緒にいて楽しかったことをよく覚えている」
そこで言葉を切ると、アリシアの瞳を見つめながら訊ねた。
「――これからも傍にいてくれるか?」
「愚問ですね。先輩――私は副官で、貴方の恋人なんですから」
彼女は弾んだ声で言葉を返す。だが、何か心配になったのか、少しだけ眉を寄せる。
「でも――ライル先輩も大丈夫ですか?」
「何がですか?」
「私、結構、重たいですよ? 傍にいたら先輩のこと、独占したくなります。もしかしたら、パラオッドさん相手にも妬いてしまうかも」
その言葉にライルは思わず目を丸くし――自然と口元に笑みがこぼれ出る。
「――そんなこと、今更だな」
アリシアが重たい一面を見せるのは、今に始まったことじゃない。
学院では『ライルの後輩』であることにこだわり、いろんな後輩と張り合っていた。
そして、城砦では『ライルの副官』であろうと必死になっていた。
そのことを鑑みれば、次はどういう風になるかは自然と予想がつく。
「なら、俺としてはアリシアの独占欲を満たせるように頑張らないとな」
「――頑張って、くれるんですか?」
「それはもちろんだ。その代わり、アリシアを独占させてもらうが」
ライルが微笑みながら告げれば、彼女は顔を隠すようにライルの胸板に顔を押し付けて、ぐりぐりしてくる。その反応に表情を緩めながら、彼はその頭を撫でた。
しばらくして、アリシアは顔を上げる。上目遣いで遠慮がちに口を開いた。
「なら、早速ですけど、お願いが……」
「ああ、何だ?」
「その――厳しそうなら、大丈夫なんですけど」
その前置きにライルは眉を寄せる。どうにも些細なお願いではなさそうだ。頷いて先を促せば、アリシアはおずおずと言葉を続ける。
「私の実家――ローズライト家にご挨拶いただけないかと」
その言葉に意表を衝かれる。ライルは瞬きをしてから一呼吸おいて頷いた。
「あ、ああ、いずれはしないといけないと思っていたから、構わないが」
「本当ですかっ」
「もちろんだろ。アリシアを引き抜いた詫びもしておきたい」
ぱっと表情を華やがせたアリシアに苦笑を返しながら、ライルは首を傾げる。
「にしても、早急じゃないか? 今すぐに考えるようなことではないと思うのだが」
「あ、あはは……少しだけ事情がありまして」
アリシアはそこで曖昧な笑みを見せ、視線を泳がせる。ライルはその目を見つめると、彼女は咳払いしてから空々しい口調で続ける。
「その、ローズライト家には大分、便宜を図ってもらいましたよね」
「ん、ああ、物資とかか」
この城砦の復旧用物資はローズライト家から格安で入荷している。もっと言えば、カルガン族の馬の取引の中継もお願いすることになるだろう。
(……ん、待てよ)
何故、そこまでローズライト家が便宜を図ってくれるのか。
以前も疑問に思ったことだが、アリシアはローズライト家がライルに対して好意的だと説明はしていた。ただ、よくよく考えると、事実上の左遷を受けた将軍を支援し続ければ、他の貴族たちを敵に回すことに繋がる。損得勘定に敏い貴族がそんなリスクを踏むはずがない。
となれば、それを補ってあまりあるメリットが何かあるのではないか。
「……まさか、アリシア……」
半眼を向ければ、あからさまに視線を逸らしていたアリシアは観念したように視線を伏せさせ、消え入りそうな小声で告げる。
「その――ライル先輩を口説き落とすため、と説明して援助の確約を……」
(……なんて奴だ、アリシアは……)
思わず呆れ返ってしまう。だが、ある意味では妙手だ。
ついつい忘れてしまいがちだが、ライルは将軍になったことで騎士爵を得て、貴族となった。さらには大軍を打ち破り、北部を平定した立役者という箔もある。
官僚たちから疎まれ、左遷された点を除けば、非常に優良物件なのだ。
その彼を一家に引き入れられるのならば、アリシアを嫁がせる価値はあるだろう。そこまで思考を進めて、ふと思い立って表情を引きつらせる。
「アリシア、もしかして近衛を辞めてもローズライト家が何も言わなかったのは」
「――いえ、何も言われなかったわけではありませんよ? 父は猛烈に反発しました。ですが、母と兄は私を応援してくれましたし」
それは確かに聞いたことだ。頷きかけたライルに、アリシアの言葉が耳に入る。
「ですので、父を当主の座から引きずり落としました。現在は病気と偽って押し込めているので、今の当主は事実上、兄ですね」
「――はい?」
思わず思考が停止した。アリシアは視線を上げながら熱っぽく告げる。
「仕方ないんです。父はライル先輩のことを何も知らないのに否定して、私には別の貴族に嫁がせようと画策していました。ですので、兄に協力を要請して、父を押し込めるしかなかったのです。そうしないと、ライル先輩のお傍には行けませんでした」
アリシアの瞳はいつの間にか湿り気と熱を帯び、ライルをじっと見つめ続けている。絶対に離さないとばかりに腕には力が籠められ始めていた。
「父を押し込めれば、親族からの反発は必至です。そうなれば、後ろ盾になる何かが必要になってくる――そうなれば、ライル先輩の存在感は一際輝きます。兄も先輩の協力を得るために全面的に支援を確約してくれました」
(――ローズライト家で、いつの間にそんなことが……)
社交界に加わっていないライルは知る由もない。当然、征西軍もだ。
そういった動向を知れる唯一の存在が、アリシアだ。その立場を上手く使い、ライルに何も気づかせずに立ち回った。
気づけば、外堀が埋められている感覚にライルは冷や汗を流す。
「ちなみに、ライル先輩には多くの縁談が送り込まれようとしたようですが、それらは全て大将軍に協力していただき、弾かせていただきました」
「だ、大将軍も抱き込んでいたのか」
「はい、実は異動の申請をする際に協力を要請しまして。大将軍もライル先輩に後ろ盾がないことを憂いていたようで、私の頼みを快く引き受けてくれました」
そこで言葉を切ると、アリシアはライルから目を逸らさずに微笑んでみせる。
「ローズライト家に迷惑をかけることを先輩は心配されていましたが――心配はご無用です。もうすでに社交界ではローズライト家とライル先輩は密接な関りにある、という噂が広がっています。兄はその風聞を優位に使い、自身の立場を固めています」
彼女の微笑みは底知れない妖しさが滲み出ていて。
彼女の瞳には親愛と共に知的な光が隠し切れておらず。
彼女の腕はライルを優しく抱きしめながら離そうとしない。
ありったけの感情を込めるように彼女は表情を綻ばせ、優しく言葉を続けた。
「ライル先輩は何のご心配もいりません――全て貴方のために動かせていただきました」
(……アリシア……)
底知れない恐ろしさを感じさせるアリシアの言葉に、驚愕を隠せない。
学院の頃から彼女は優秀だと感じていた。征西軍に所属してからはそれに違わぬ手腕を発揮してくれており、それに満足していたのだが――。
まさか、それを上回る規模で優秀さを発揮しているとは思わなかった。
「……もしかして余計な動きでしたか?」
ライルの反応に少し不安を覚えたのか、アリシアは瞳を微かに揺らす。その瞳の光が陰る気配に、すぐにライルは首を振った。
「……いや、まさか驚いただけだ」
そう――驚いただけだ。アリシアに対して不平や不満があるはずがない。
小さく吐息をこぼすと、ライルはしっかりとアリシアの背に手を回して抱きしめる。それにアリシアは、あ、と嬉しそうに声をこぼした。
彼を離そうとしない彼女を、逆に強く抱き寄せる――こちらも離さないと言わんばかりに。
「アリシアは本当に優秀過ぎるな。ただ、一言相談があっても良かったが」
「それは、その……申し訳、ありません……」
「いや、いい。それは次に活かせばいいだけだ」
ライルはアリシアの目を真っ直ぐに見つめ、頬を撫でる。くすぐったそうに表情を綻ばせた彼女を愛おしく思いながら、彼は柔らかく言葉を続けた。
「アリシアが俺のために動いてくれた。それは充分に理解している」
すでに彼女はここに至るまでに、いろいろな優秀さを見せてくれたのだ。
城砦の復旧作業ではローズライト家の協力を得て、潤沢な資材を確保してくれた。
監察官の視察では城砦の面々と協力して何事もなくやり過ごした。
遊牧民族との交渉ではライルに代わって問題の解決策を提示してくれた。
戦いでは当然のように傍に控え、共に手を血で染めてくれた。
そして――何より近衛という出世道を蹴り、ライルの下に馳せ参じてくれた。
(それがひとえに彼女の想いが成し遂げてくれたのならば――)
「今度は、その気持ちに俺が応える番だ」
迷いなくライルがそう言い切ると、アリシアは瞳を大きく揺らした。その熱を帯びた瞳が潤み、感極まったように吐息をこぼしながら囁いた。
「――本当ですか、ライル先輩……!」
「無論。必要ならローズライト家への挨拶も当然、させてもらう。それ以外に応えられることがあるなら、全力で応じよう」
それがこの左遷された辺境にまでついてきてくれたアリシアに対して、ライルができる唯一の向き合い方だ。むしろ、こういう生き方しかして来なかったのだから。
その断言にアリシアはライルの胸の中で一つ震え、嬉しそうに声を弾ませた。
「相変わらずですね。先輩――本当に真っ直ぐな向き合い方で」
アリシアはほんのりと頬を染めながら、言葉を続けた。
「そんな貴方のことが大好きで、ここまで来たんですから」
「――ありがとう。アリシア」
心からの礼を告げながら、ライルは愛しい女性の身体を改めて抱きしめる。
戦いの果てに辿り着いた、この辺境の大地。
そんな場所でもアリシアはついてきてくれて支え続けてくれている。
彼女と一緒ならば、どんな場所でもついていける――。
そんな確信が愛おしさと共に込み上げていた。
その二人を祝福するように、荒原を照らす星明りが煌め続けていた。




