第25話
アリシア視点
風が、ぴたりと止んだ。静寂の中で響き渡った彼女の声にライルは大きく目を見開いた。アリシアもその目を見つめ返し――不意にかっと顔に熱が駆け上った。
(い、いいい、今、私、なんでこんな大胆なことを――っ!)
口が滑った。彼を励まそうとするあまり、迂闊にも本心がこぼれ出たのだ。
彼も戸惑っているのか、視線を泳がせて言葉に迷っている。その沈黙が彼女の気恥ずかしさに拍車をかけていく。もうこの場から全力で走り去りたい。
だが、もう口から出たものは仕方がない。鋼の理性で己の本能を押し殺し、平然さを保ちながら咳払いを一つ。視線を逸らしながら言う。
「――あくまで、一兵卒としての意見です。悪しからず」
「……そうか。あくまで一兵卒」
「はい、誤解なさらぬように」
「ああ……うん、分かった。ところでアリシア、一ついいか?」
「……なんでしょうか」
視線をライルに戻すと、彼は仕方なさそうな笑みを浮かべ、頬を搔いていた。
「俺もアリシアとはそれなりに長い付き合いだ。お前の癖も分かっている」
「……え?」
「アリシアが冗談を言うときは大体、片目を閉じる癖がある。口調もからかい半分だから分かるが。あとは乗馬の癖、剣の癖なんかもあるが――」
ライルは一息つくと、わずかに視線を逸らしながら言葉を続ける。
「お前が何かをごまかそうとするときは大体、咳払いをする、視線を逸らす、などの癖が見えるな。うっかり本音を失言したときのごまかしによく見える癖だ」
「――っ」
その指摘に記憶がまざまざと蘇る。確かに何かごまかすときはいつも咳払いをしてしまうのだ。それに視線も外してしまう――つまり。
(ずっと、ライル先輩には私の本音が駄々洩れ……っ)
それどころか、今のごまかしも意味がないどころか、本心の裏付けになっているのだ。アリシアの思考が真っ白に染め上がる中、不意に押し殺した笑い声が響き渡った。
見ればライルが口元に手を抑え、忍び笑いをこぼしていた。
「――っ、笑わないでくださいよ、ライル先輩……っ」
思わず真っ赤になりながら抗議の声を上げると、ライルは手を振って告げる。
「い、いや、すまん――アリシアに対して笑ったんじゃないんだ」
「じゃあ、何に対してですか……」
「自分の不甲斐なさに、だな」
ライルはひとしきり笑い終えると、顔を上げる――その表情はどこか吹っ切れたように、不敵な表情になっている。星明りの下の彼の顔に目を奪われていると、彼は静かな口調で言葉を続けた。
「そうだよな。ここまで俺なりのやり方で、いろんな人と向き合い、一緒にやってきたんだ。そのことを忘れて、いろいろと背負い込んでいたな――はは、本当に情けない」
そう告げた彼は大剣を地面に突き刺すように手放す。それから腰に佩いていた剣に手を掛けると、一瞬で抜き放った。冴え渡る剣技にアリシアは思わず吐息をこぼした。
彼はその刃を見据えながら、真剣な眼差しを見せる。
「親父のやり方は親父のやり方だ――俺は、俺なりにやればいい」
「――はい、そう思います」
いつもらしい彼の姿に、アリシアの気持ちも落ち着いてくる。
目を細めながら頷けば、ライルは剣を一閃させてから刃を鞘に納める。いつも通り、惚れ惚れするような所作を見せてから、振り返って笑いかけた。
「アリシア――これからも傍にいてくれるか?」
その言葉にアリシアの心臓が大きく跳ねた。その彼女の表情を見て、ライルはアリシアの真似をするように片目を閉じる。
「無論、副官として、だが」
「――っ、ライル先輩……っ!」
明らかなからかいの言葉にアリシアは思わず声を上げると、悪い、と彼は笑いながら体験を引き抜くと、城塔の方に足を向ける。彼女は隣に並びながら半眼を向けた。
「意地悪を言う将軍には、待遇や意識の改善を要求したいです」
「はは、前向きに善処する」
「それ、絶対しない奴ですよね」
「まぁな――ああ、あとアリシア」
「……はい、何ですか?」
「ありがとう。アリシア。さっきの言葉は本当に嬉しかった」
その言葉に思わずアリシアは足を止めた。一方でライルは足を止めず振り返りもしない。ただ、星明りの中でやや彼の耳が赤い気がする。
そのまま彼はひらひらと手を振りながら、言葉を続ける。
「今日は早めに休めよ。いつムーディ族が攻め寄せるか分からないからな」
アリシアは立ち尽くしながら、彼の背を見送るしかない――やがて、彼女はむくれたように頬を膨らませ、その場で地団駄を踏む。
(――ライル先輩の、ばか……っ!)
そんなことを言われたら、ドキドキして眠れなくなるに決まっていた。
◇
(――驚いたな。アリシアからそんなことを言われるなんて)
夜の散歩から城塔に戻ったライルの胸は不自然なほど高鳴っていた。
原因は分かっている。先ほどのアリシアの真っ直ぐな言葉だった。それを思い起こしながら小さく吐息をこぼす――『大好き』という言葉を。
(慕われているとは思っていたが……そこまで踏み込んでこないとも思っていた)
何せ、アリシアは名門貴族の娘である。平民のライルとは身分が違い過ぎる。だからこそ、彼女が寄せている感情は敬愛に近いものだと思っていた。
だけど、真剣な瞳と言葉は明らかにそれ以上の感情が込められていた。
副官として以上の気持ちが――。
(参ったな。嬉しいんだが、どう向き合ったものか)
廊下を歩きながら苦笑する。口元が緩んで仕方なかった。
そのまま階段を上がろうとすると、その階段の手前で壁に背中を預けている兵士が目に入った。もう一人の副官――パラオッドだ。
彼はにやりと笑うと、肩を竦めて告げる。
「憑き物が落ちたような顔をしておりますな。若。昼間は少し気負い過ぎているようで、心配しておりましたが――杞憂でしたか」
「アリシアに励ましてもらった」
「そのようですな。いやはや、若いというのは羨ましい」
「――お前、見ていただろ」
ライルが半眼を向ければ、はてさて、とパラオッドはとぼけた声で首を傾げる。それからすぐに壁から背を離すと、彼はライルを見つめて目を細める。
「私から言うことはもはやなさそうですが――若、一つだけ」
「……聞こうか」
「ウルス様もよく人を頼られておりましたぞ。それをお忘れなく」
その言葉にライルは思わず目を丸くしたが、やがて小さく苦笑して頷いた。
「ありがとう。パラオッド――俺ももう少し周りを頼るようにしようか」
「そうされると。年寄りの意見も聞いていただければありがたいですな」
「年寄りという歳じゃないだろう、パラオッド」
「はは、若やアリシア殿の眩しさを見ると、歳を実感させられますよ」
「……あまりからかってくれるな」
ライルとパラオッドは軽口を叩き合うと、自然と拳を持ち上げた。そのまますれ違いざまに拳をぶつけ合わせ、笑みを交わし合う。
「では、私も休みますかな。戦いに備えて」
「ああ、頼りにしているぞ。パラオッド」
そう言いながら二人はすれ違い、それぞれの部屋に戻る――いずれ来る戦いの気配に神経を研ぎ澄ませながら。
そして、その二日の早朝――。
土煙と共に軍勢が近づいているのを、放った斥候が補足した。
長らく平和だった荒原に、とうとう戦乱が訪れようとしていた。




