第24話
アリシア視点
兵の報告を聞いたライルの行動は素早かった。
すぐにカルガン族の使者を呼び出すと、ムーディ族の詳しい動きを把握。それと同時に部隊長を招集し、緊急の軍議を開いた。
そして、ほとんど迷うことなく、軍の陣容を決定した。
『ムーディ族の動きから見て、同調する氏族を糾合しながら進軍してくる模様だ。つまり、接敵するのは早くとも三日後になる。それまでに準備を整えるように』
そのライルの言葉に部隊長たちは真剣な表情で頷き、行動を開始する。城砦内の雰囲気は瞬く間に張り詰めたものになり、兵士たちがひりつき始める。
その様子に、アリシアはついていくのがやっとだった。
そして夜――。
「――ふぅ」
アリシアはため息をこぼしながら、ランプ片手に城砦内を巡回していた。
本来は将軍直属の副官がやる業務ではない。だが、部屋にいても落ち着かなかったため、兵の一人から巡回任務を代わってもらっていた。
夜の城砦は一気に温度が下がり、空気も冷たい。その肌寒さが今はありがたい。
彼女は城砦内に視線を走らせながら、耳を澄ませる。
(……今日は一層、静か)
いつもは宿舎の方から騒がしい声が少し聞こえるのだ。夜のわずかな憩いの時間に兵士たちがバカ騒ぎをしているのだが、今日はその声が一切しない。
いつ戦いが起きてもいいように、眠りについているのだろう。
さすが、ライルと共に北部戦線を戦い抜いた兵士たちである。肝の据わり方が他とは違う――近衛だったアリシアはその切り替えについていけていないのだから。
(そういう環境でライル先輩は戦ってきたから、あれだけ毅然に振る舞えるのかな)
昼間のライルの姿を思い返す。指揮を執り始めた彼の姿は今までで見たことがないくらい、気迫と威厳に満ちていて――その背がいつになく遠くに感じられた。
(あの人を心から支えたいと願っていたのに、まだ全然届かない……)
ライルはアリシアを副官として認めてくれているが、アリシアは自身の力が不十分に感じられてしまう。彼女は再びため息をこぼし、とぼとぼと城砦内を歩き――。
ふと、城塔からふらりと人影が出てくるのが見えた。
見慣れた姿――ライルだ。彼は何かを手にして真っ直ぐに訓練場へ向かう。
こんな夜中に鍛錬だろうか。ふと疑問に思いながら、アリシアの足が動いた。彼の後ろを尾けるように、ゆっくり歩いていく。
やがて訓練場に足を踏み入れた彼は、深呼吸して手にしていたそれを抜き放つ――幅広の大剣。いつもの彼の使っている剣とは違う。
それを彼が構えた瞬間、ある姿が脳裏に過ぎった。
(――ウルス様)
これは、彼の父の剣だ。恐らく形見に当たるのだろう。
アリシアも一度、見たことがある。あの大剣を彼は威風堂々と振り回していた姿を。
それと比べると、ライルの姿はあまりにも小さい――だが、その身に宿している気迫はウルス譲りの激しさを感じさせる。
アリシアは固唾を呑んで見守っていると、ふとライルは長い吐息をこぼして大剣を下ろした。それからアリシアの方を振り返って目を細める。
「アリシアか――巡回、していたのか?」
「……はい、兵に代わってもらって」
「アリシアも落ち着かないか。そりゃそうだろうな」
苦笑をこぼしたライルの言葉に、アリシアは思わず目をぱちくりさせた。
「――もしかして、ライル将軍も?」
「ああ、少しだけだがな。何せ、将軍として戦闘の指揮を執るのは初めてだ」
そう言いながらライルは空を見上げる。アリシアも続いて空を見上げた。
その空は雲一つなく、冷たい風ばかりが吹いている。燦然と煌めく星明りの中、彼はぽつりと小さく言葉が続けられた。
「今日は、あの夜に似ている」
「あの夜?」
「ああ、親父が死んだあの日に」
その言葉にアリシアは思わず口を噤んだ。ライルは淡々と言葉を続ける。
「あの日、他の兵が帰ってきても、親父だけは帰ってこなかった。だから俺たちは臨戦態勢を取り、ひたすら交代で夜を過ごしていた」
「――ウルス様が帰ってくるのを、待って?」
「ああ、絶望的なのは分かっていた。だけど、誰もが一縷の希望に縋っていたよ。あの人なら何とか帰ってきて、豪快な笑い声を響かせてくれる、と」
だけど、とライルは続けながら、力なく笑ってアリシアを見る。
「明け方だったかな――友好的な民族が命を賭して届けてくれたよ。親父の遺体を――この剣を一緒にな」
その言葉にアリシアは何一つとして相槌を打てなかった。彼の心境を察するには余りある。彼女はただライルの言葉に耳を傾ける。
「あの日から怒涛の展開だった。振り返る暇もなくここまで来たが、この夜の静けさにふと思い出してしまったんだ。あの日のこととか――その前日、親父と話したこととか」
その彼の声は少し寂しげだった。いつもの頼り甲斐のある、穏やかながら芯のある声とは違う――まるで何かに迷っているような、途方に暮れたような声。
今の彼は将軍ではなく、父を喪った一人の青年だ。
彼は苦笑をこぼしながら大剣を握りしめ、その刃に視線を落とした。
「今の状況なら、親父ならどう動くか――そう考えたら、つい形見の剣を握りたくなってな。これを握れば、将軍だった親父の考えが分かるかも、ってな」
「どうでしたか?」
「重い。いろんな意味でな」
彼は参ったように笑い声を上げる。その声はどこか寒々しく空に響いていく。それに思わずアリシアの胸が締め付けられた。
(――ライル、先輩)
昼間は気迫を漲らせ、部隊長を前にして堂々としていたライル。
だけど、それは肩にのしかかる重さに負けないように、必死に努力していたのだ。今までのように地道に、だが着実に――。
ただ、今の彼は折れそうにも、挫けそうにも見えた。
ライルは視線を空に向けながら、苦笑交じりに言葉を続ける。
「親父のすごさを実感させられるよ――俺なんかじゃ届かない」
(――そんなこと、ないのに……っ!)
歯がゆい気持ちがアリシアの胸に込み上げてくる。
ライルのすごさは、傍にいたアリシアが一番分かっている。
彼はどんなときでも真っ直ぐに人や物事に向き合い続けてきた。相手が貴族であろうと臆せずに立ち向かい、困難な状況でも落ち着いて対応してきた。
気負うことなく、時に仕方なさそうに笑いながら、時に少し面倒くさそうに。
それは将軍になってからも同じで、アリシアや兵たちはもちろん、ハサムにも、リーシェにも向き合い、包み込むような眼差しで見守ってくれる。
(そんな貴方だから、私は支えたいと思ってきた――)
もう背中が遠いとか、思っている場合じゃない。
アリシアはゆっくりと息を吸い込み、冷えた空気を取り込んで勇気を奮い起こす。彼の背中に手を伸ばすための、勇気を。
そして、彼女は顔を上げると、意を決して真っ直ぐに一歩進み出た。
「ライル先輩」
名を呼ぶと、ふと彼は我に返ったように苦笑をこぼし、首を振った。
「――悪い。気弱なことを言った。指揮官失格だな、これは」
「いえ、そんなことはありません。ライル先輩は立派に将軍として皆を支えています。それは私が充分理解していますから」
「そう言ってくれるのは、ありがたいが――親父ならもっと上手くやっただろうし」
「ウルス様はウルス様、ライル先輩はライル先輩ですよ」
アリシアはそう言いながらライルの前に立った。
その背中を追い、隣に立ち続けた彼――その正面に堂々と立って言葉を続ける。
「私もウルス様のことはあまり知りません。会ったのはほんのわずかな時間だけです」
思い起こす。ウルスと会ったのは士官学院の学生時代に二度だけ。
一度は学院のパーティーに来たとき。もう一度はアリシアがライルと共に北部前線に見学で足を運んだときだった。どちらも豪快な笑いが印象的な人だった。
そんな彼にライルも含め、皆が仕方なさそうに笑いながらついていく。
そういった光景が印象的で、微笑ましかった。
「きっとウルス様はその力強さで皆を引っ張り、兵の皆さんはそれを追いかけたくなる――そんな将軍だったと思います」
ライルは目を細めながら微かに頷いた。アリシアはその目を見つめて続ける。
「でも、ライル先輩は違います」
「違う?」
「ええ――先輩は皆の隣に立って導いてくれます」
夜風が静かに訓練場を吹き抜けた。冷たい風が体温を奪う――だが、それに反してアリシアの言葉はさらに熱を帯びていった。
どうかこの気持ちが伝わって欲しい――その衝動のままに、彼女は言葉を重ねる。
「いつだって先輩は人と向き合ってきました。いろんな課題や環境に直面しては、その人と一緒に悩み、苦しみ、それでも前に進もうとします」
その人が誰であれ、ライルは真剣に向き合い続けてきた。
身分の差も年齢も関係ない。貴族や平民にも等しく向き合い、中年の兵士でも若年の兵士でも礼儀正しく向き合う。王城でバカにしてきたあのダビデ・ロベルティに対してもちゃんと向き合い、彼の進路を心配することまでしていた。
「それはきっと誰かを置いていくのではなく、できるだけ多くを連れて行こうとする、人との向き合い方で――」
アリシアは一息ついてから、自然とその先の言葉がこぼれ出た。
「――そんなライル先輩のことが、私は大好きです」




