第20話
「はいやッ!」
訓練場に幼さを帯びた澄んだ声が響き渡った。
それと共に響き渡るのは馬蹄――土埃を舞い上げながら、少女を載せた一頭の馬が軽やかに駆ける。その駆ける先には複数の柵や障害物がある。
だが、馬はそれを次々と跳躍して飛び越えた。少女はその激しい動きでもしっかりと馬に跨り、振り落とされない。それどころか、彼女は手綱も使っていない。
その手に握っているのは弓と矢――素早く彼女は矢をつがえ、馬上から放つ。
空を切った矢は的として置いた丸太の真ん中に突き立った。
その光景に見守っていた兵士たちがどよめく。三つ編みをなびかせる彼女はそのまま、障害物を馬で避けつつ、次々と的を射抜いていった。
最後の的を射抜くと、彼女は弓を下ろして馬の首筋を撫でながら足を緩める。そして、見守っていたライルたちの前で立ち止まり、馬から降りた。
「どうだったかな、ライルさん。私たち自慢の馬上弓術」
「見事の一言に尽きるぞ。リーシェ。正直、感心した」
ライルが手放しで称賛すると、えへへ、とリーシェは嬉しそうに笑みをこぼす。とろけるようなあどけない笑みに、兵士たちはわずかにどよめいた。
「リーシェちゃん、天使だろう――」
「それなのに弓矢まで得意とか」
「あの子の馬になりたい。跨られたい」
「おい、誰だ。変態的発言をしたのは」
思わず聞き咎めてライルは振り返ると、兵士たちはさっと視線を逸らした。そこににこにこと笑顔を見せるパラオッドが歩み寄って告げる。
「雑念が出る程度には、まだ余裕があるようだね。結構、結構――第三、第四部隊、総員訓練場を十周してくるといい」
「えええええ!」
「俺たちじゃないっすよ!」
「はは、でも似たようなことは考えただろう? その雑念を払ってくるといい」
パラオッドが手を叩いて兵士たちを走らせる。その様子にライルの傍に控えているアリシアは額を手で抑えてため息をこぼした。
「全く、ウチの兵士たちは……すみません、リーシェさん」
「んーん、気にしていないよ。アリシアさん。ウチの者たちに比べればかわいいよ?」
「そうなのですか?」
「うん、ウチの者たちは平気で覗きとかするし」
しれっととんでもないことを言うリーシェに言葉を失うアリシア。ライルは苦笑しながら肩を竦め、リーシェに声を掛ける。
「この軍では規律を守っている。覗きをする奴がいたら、容赦なく射抜いて構わない」
「あはは、了解。でもライルさんならいつでも覗いていいからね?」
悪戯っぽく片目を閉じたリーシェに、ライルは手を振ってあしらう。
「冗談は程々にしてくれ。ここには冗談が通用しない奴もいる」
「冗談じゃないのになー」
「ふふ、面白いことを言いますね。リーシェさん。弓の腕も立ちますし、良ければ正式な入隊を歓迎しますよ?」
アリシアがどこかひくひくと表情を引きつらせながらリーシェに声を掛けるが、あはは、とリーシェは愛想よく笑ってそれを受け流した。
「大丈夫だよ。アリシアさん。今の馬の世話役、って身分が気に入っているし。それに正式に入隊したら、こうやって気安く喋れなくなるでしょ?」
ね? とリーシェはライルに対して笑いかけ、ライルは肩を竦める。
(まだ数日だが、リーシェは大分この城砦に慣れたようだな――)
リーシェとカルガン族の若者三十人がこの城砦に来たのはカルガン族に挨拶して一週間経ったある日だった。彼らは約束通り、早速、五十頭の馬を連れてきてくれていたのだ。
カルガン族の若者たちはパラオッドの指揮下に編入した一方で、リーシェは特別に『馬の世話役』という職を設け、非戦闘員として迎え入れた。
リーシェはあくまで馬の面倒を見てもらうために来ており、それに話している限り、軍人には向いていないように思えたからだ。だから、彼女は正式には軍属ではなく、それ故にタメ口で話すことを許可している。
一応、特別扱いということにはなるが、彼女はそれに見合った才能を発揮していた。
厩にいる馬たちを把握すると、たった一人で馬たちの面倒を見ていた。一頭一頭の馬の特徴をすでに把握し、名前も記憶しているのだから凄まじい。
それに馬を水場に連れて行くときは、愛犬を共に伴うことで、一人で馬の群れをコントロールしている。以前までは兵が複数人がかりで馬を誘導していたが、彼女は一人で完全に馬の動きを掌握。群れから外れる馬がいても、彼女の犬が巧みに連れ戻すのだ。
おかげで馬が増えたにも関わらず、兵士の負担は激減――それどころか、かわいらしい少女の登場で兵士たちの士気は上昇していた。
尤も、リーシェは兵士たちの注目を気にしていないようだ。にへら、と笑うと、ライルの方に擦り寄りながら猫撫で声を出した。
「良ければ、ライルさんの世話役も引き受けるよ? 掃除に洗濯とか大変じゃない?」
「それはリーシェさんが心配することではありません……っ!」
「でも、どうするかを決めるのはライルさん次第だと思うけどな」
無邪気に振る舞うリーシェに、表情をさらに強張らせるアリシアと、それを微笑ましく見守るパラオッド――充分、馴染んだ光景に表情を緩める。
(どうあれ、リーシェが来てくれたおかげで、大分雰囲気が明るくなったな)
悪くない変化だと思う。辺境の城砦だとは思えないほど、軍に活気が出ていた。
ただ、リーシェの積極的な姿勢にはアリシアは少し剣呑になっている。リーシェがまたすり寄ってくるので、ライルは軽く手で制した。
「気持ちはありがたいが、大丈夫だ。というか、馬の世話も忙しくて、俺のことまで世話する余裕はないだろう」
「それでもライルさんの身の回りを整えるのは大事だよ? そうすることで仕事の能率も向上するのは間違いない――よね? パラオッドさん」
「む? まぁ、そうですな。それは間違いないでしょう」
突然話を振られたパラオッドは少し目を丸くしながらも頷いて認める。リーシェはにこにこと嬉しそうに頷くと、ライルを振り返って明るく続けた。
「つまり、ライルさんの生活環境を整えるのは軍のためでもあるってこと!」
「それは論理が凄まじく飛躍しているような……」
「まぁまぁ、細かいことは気にしない。要は世話役も重要だよね、ってことだし」
そう言いながらリーシェはさりげなくライルの手を取り、熱っぽく告げる。
「だから、手が空いている私が担当するよ。大丈夫、馬の面倒を疎かにしないし」
その言葉につい苦笑してしまうと、ふとアリシアがそわそわしているのが目に入った。口を差し挟もうとしているようだが、落ちつかずに視線を泳がせている。
その姿を見てほんの少しライルは目を細めると、ゆっくりとリーシェの手を離させる。それからその小さな頭に手を載せて微笑みかけた。
「気持ちだけ、受け取っておく。だが、世話役が必要だとしても、頼むのはリーシェじゃないな。多分、荷が重すぎると思うから」
「そ、そんなことはない……っ」
むっとしたように声を上げかけたリーシェに、ライルは腰から鞘ごと剣を引き抜いて放った。わっ、と彼女は慌てて受け止めようとしてよろめいてしまう。
「重いだろう? 剣一つ、持つだけでも苦労するぞ」
リーシェは少女にしては力があるだろう。弓を引けるし、重たい荷物も持てる。ただ、こういう不意打ちでも剣を受け止めてもらわなければ困る。
「世話役となれば、俺の下にいつでも剣を持ってきてもらわないと困るし、俺の癖も理解していないといけない――百歩譲って今から学ぶとして、馬の面倒も同時に見ることができるのか? リーシェには」
そこまで言葉を続けると、うぐぐ、とリーシェは言葉を返せずに唸り声を上げる。ライルは小さく笑いかけ、もう一度彼女の頭を撫でた。
「繰り返すようだが、気持ちは嬉しい。だから、俺の面倒を見る代わりにきちんとシュバルの面倒を見てやってくれ。そうしてくれた方がもっと嬉しい」
「……うー、そう言われると何も言えないよ。ずるいなぁ、ライルさんは」
「大人だからな。そういうずるさも覚える」
ライルはそう苦笑するしかなかった。彼女も魅力的な女性ではあるが、ライルの心を動かせるには至らない。彼の視線は自然とアリシアの方に向いていた。




