第19話
遊牧民族視点
夕暮れ時――カルガン族の住む場所から少し離れた場所。
そこには別の氏族がテントを張っていた。同じ規模の住民、同じ規模の家畜を抱える彼ら。その族長のテントに一人の若者が駆け込んでいた。
テントには複数の男たちが酒を酌み交わしていたが、入って来た若者の姿に口を噤む。若者は一人の男に駆け寄って何事かを耳打ちする。
それを聞いた男は顔色を変え、上座に座る老齢の男を振り返った。
「族長、王国軍がカルガン族に接触したようです」
「ふむ、やはりか――噂でもしやとは思っていたが」
男の声を聞いた族長は皺だらけの顔を憎々しそうに歪めていた。彼は酒を口に運びながら、低く声を震わせる。
「王国軍がまた軍を置いたのは、我々を再び弾圧しようとしているに違いない。だというのに、カルガン族は暢気に連中へ取り入ろうとしている――全く、度し難い……!」
「しかも、どうやらカルガン族は族長の娘や男たちを王国軍に差し出そうとしているらしいです。自ら氏族だけ王国軍に取り入って生き残ろうとしているのでしょうか」
男の言葉に、テントの中の空気がぴたりと凍りついた。
族長はしばらく黙っていた。酒椀を握る手の節くれだった指が、わずかに震えている。やがて、ゆっくりと息を吐いた。
「……娘を差し出す、だと?」
「はい。それを盗み聞きした男が聞いたそうです。恐らくはまた王国の兵として与し、草原の民に刃を向けるつもりなのかも――」
「ふん、カルガンの老いぼれめ。ついに誇りまで売り渡したか」
吐き捨てるように告げた族長は酒椀を放り投げた。地面の上に酒椀が転がり、乾いた音を響かせた。その周りにいる男たちも不快そうな顔を見せている。
その中の一人が膝を進め、族長の顔を見ながら訊ねる。
「族長、どうしますか。若い衆の間でも噂が広がっています。このままではまた我が先祖のようにこのトリスタの大地を追われることになるのでは――」
「分かっているわ。カルガンの者たちと違い、我らムーディ族は語り継いできたのだ。あの忌々しい王国軍に居場所を追われてきた屈辱を」
その族長の怨嗟の籠った言葉に、男たちは自分のことのように悔しそうに歯噛みをする。一人は怒りの余り、拳を地面に叩きつけているほどだ。
(そう――全ては忌々しい王国軍のせいだ)
王国軍にはかつて多くのものを奪われてきた。
住む場所も、若者たちの命も、多くの財産、家畜たちも――。
その記憶はカルガン族を筆頭に王国軍と協定を交わした後も忘れてはいない。今一度、氏族に手を出すことがあれば、今度こそ討ち払うべし、と語り継いできた。
そして、そのために血が滲むような訓練を課し、戦士たちを鍛えてきたのだ。
(であれば――)
族長は瞳に剣呑な光を宿し、低い声で告げる。
「――若者たちに伝達しろ。武器と馬の手入れを怠るな、と」
「では、やはり……!」
男たちが腰を浮かせかけたのを、族長は掌を持ち上げて制する。
「まだだ。王国軍は憎いが、悔しいことに数がある」
「しかし、あの連中は五百に満たない連中ですぜ。仮にカルガン族たちが同心したとしても、兵数は千も行かないでしょう……!」
「それが狙いなら、どうする」
族長の言葉に数人がぴんと来たように頷くが、大半は疑問符を表情に浮かべた。
「それ、というのは?」
「少数だと侮り、兵を起こさせること――それが狙いだとしたら」
族長の言葉に男たちの表情にはじわじわと理解が及び、息を呑む気配がする。族長は男たちを見渡しながら続ける。
「それを待っていました、とばかりに王国が大軍を動員してくる可能性がある。我らは精強――だが、一万も動員されれば逃げるしかない」
「で、あれば、どうしろというのですか。族長……!」
一人の男が悲痛そうに表情を歪め、訴え出る。それに族長はゆっくりと目を閉じて深呼吸を挟んでから、覚悟を決めた表情を見せた。
「国に対抗するには、他の国を頼るしかあるまい」
「……まさか、帝国を頼るということですか」
「うむ――以前、連中の使者が来たとき『援助を確約する』と言っていた。その約束を果たさせようではないか」
族長がその言葉を告げれば、男たちは複雑そうな表情を見せる。
それも無理はない。以前、現れた帝国の使者はあまりにも傲慢な態度を取っていたからだ。血の気の多い者たちが叩き出そうとしたのを、族長が抑えていたくらいだ。
族長はそれを思いだしたのか、深くため息をついて言葉を続ける。
「確かに聊か業腹ではある。だが、背に腹は代えられぬ。どちらがマシか、ということを考えれば自ずと答えが出よう」
その言葉に男たちは顔を見合わせていたが、徐々に覚悟が決まったように頷き合い、族長に視線を戻した。
「分かりました。族長がそこまでお考えなら、俺たちはそれに従います」
「感謝する――良いか、王国に反旗を翻すのは、帝国の確約を取り付けてからだ。それまでは雌伏の時だ。装備を整え、反乱に同心する同胞たちに人を回すのだ」
遊牧民族たちは誰もがカルガン族のように王国軍を認めているわけではない。
ムーディ族のように王国軍に怒りを抱きながらも、一時的に雌伏している者たちも少なくない。それらを糾合すれば、戦士たちは五千人規模で集まるはず。
そうなれば、王国軍に対抗することも難しくない――。
族長は立ち上がると、入り口まで歩いていき、テントの幕をめくる。そこから差し込んでくるのは夕日の光――荒原に吹く風が馬の嘶きを連れてくる。
それに耳を傾けながら、族長は振り返って男たちを見た。
「今こそ、我らの誇りを取り戻すとき――仕損じてはならんぞ。我が息子たち」
その言葉に男たちは目を光らせて、静かに頷いてみせた。




