第12話
アリシア視点
アリシア・ローズライトがライルのことを知ったのは、入学してすぐだった。
同じクラスの平民の生徒たちが、彼のことを話しているのを耳にしたのだ。
『もし困ったことがあれば、ライル先輩を頼ってみろ』
『ライル先輩は貴族にも臆さず、味方してくれる』
『ただまぁ、少し面倒くさがりなところもあるけどな』
(――そんな人がいるんだ)
思わず興味を惹かれ、いろんな人にそれとなくライルという人物について、アリシアは聞き回ってみた。その結果、分かってみたのは将軍の息子であり、腕が立つこと。
将軍である父は騎士爵を持つ。ただ、それは一代限りであるため、実質的に彼の身分は平民だ。それでありながら理路整然と貴族の生徒に意見するらしい。
当然、貴族生徒からの受けは良くない。散々な悪口を聞かされた。
『平民風情の癖に、貴族に盾突く礼儀知らずだ。俺たちは教育しているだけなのに』
『なまじ腕が立つだけに性質が悪い。あまり絡むべきではない男だ』
『戦い方も泥臭く優雅じゃない。あいつに負けても恥じゃない』
その言い分には思わず同じ貴族生徒でありながらも辟易としてしまった。
きちんと内面を捉えて話す平民生徒に対し、貴族生徒は彼の身分や姿勢に対してしか意見を述べていないのだ。事実、一部の貴族生徒は彼を買っている者もいた。
それだけにアリシアの興味は惹かれ続けた。
(もしかしたら、私が軍人になった際に部下にしてもいいかもしれない)
名門貴族の彼女はこの時、出世して将軍になることを目指していた。まだヴィクトリオ王国の周囲は脅威が多くあり、軍人が活躍する機会は数多くある。
そこで華々しい戦果を出し、名を上げることが彼女の目標だった。
そのために彼女は士官学院では信頼できる部下を探していた。行く行くは自身の部下とするために。
(それには腰抜けの貴族はダメ。むしろ、それに意見できる、気骨のある人物――)
聞く限り、そのライルという人物はぴったりだと感じた。
あとはどれほど腕が立つのか。それを確かめなければならない。
そこでアリシアはライルに会いに行き、剣術勝負を申し出た。
『――構わないが、俺の剣術はあまり美しくないぞ。戦場で培った泥臭い剣で、貴族様にお見せできるものではない』
『構いません。ライル先輩の剣から学ばせていただければ』
そして、学院の訓練場で行われた手合わせ。それには貴族と平民、多くの生徒が見学に来ていた。平民で注目を集めるライルと、名門貴族のアリシアの勝負――注目を集めないはずがなかった。
その中で行われた戦いはまさに互角に見えた。何合も刃がぶつかり合い、火花を散らす。アリシアの剣は何度もライルの身体を掠め、ライルの剣はアリシアの手を痺れさせるほどに重い。その戦いの中でアリシアは気づいてしまった。
(――手加減されている……)
アリシアの隙をライルは敢えて見逃し、ひたすらに防御を固める場所に打ち込んでいるのだ。逆にアリシアの攻撃はわざと紙一重になるようにギリギリで躱している。
その事実に気づいた瞬間、かっと頭に血が上っていた。
雄叫びと共に、アリシアは遮二無二攻め掛かる。その乱撃にはさすがのライルも防御を乱した。押し切れる、と確信した瞬間、不意にライルの目が細められ。
強い衝撃が、手に迸った。それに剣が手から離れた瞬間、重たい衝撃が胴に走り。
そこで彼女の意識はふつりと途絶えた。
(――あの一撃は、応えたな……)
そして目を覚ますと、アリシアはベッドの上に寝かされていて。
視線を横に向ければ、本を読んでいるライルが椅子に座っていた。手元の本に目を通していた彼はすぐにアリシアの視線に気づき、仕方なさそうに微笑む。
「目が覚めたか。アリシア」
そう――こんな風に。
(あれ、でも何だかあの時より近いような――)
アリシアはぼんやりと寝ぼけ眼でライルの顔を見ていたが、彼の服装が軍服だと気づいた瞬間、急速に意識が覚醒した。慌てて身を離し、ライルの顔を見る。
「え、ぁっ、ライル、将軍……っ?」
「おはよう。少しは疲れが取れたか?」
「す、すみません、つい居眠りを――」
「構わない。休憩時間だからな」
ライルは軽く笑いながら背伸びをする。アリシアはその肩に寄りかかっていたことに気づき、頬がかっと熱くなる。
「で、でも寄りかかってしまって――」
「ああ、ソファーもなかったから、俺の肩を代用したが。固かったか?」
「いえ、そんなことは……っ!」
むしろよく眠れた気がするくらいだ。アリシアがぶんぶんと首を振ると、彼は本を閉じながら、ならよし、と頷いてみせた。
「アリシア、茶を飲もうか。冷めちまったが、まぁ、問題ないだろう」
「あ、はい――ありがとうございます」
立ち上がった彼は机の上の鉄瓶を手に取り、そこにあった二つの木のコップに茶を注ぎ入れる。アリシアはその一つを受け取り、口に含んだ。
(冷えているけど、丁度良いかも)
何せ気恥ずかしくて頬が火照っているのだ。それを味わうように飲み、頬を冷やしていると、ライルも茶を口に運びながら目を細めた。
「そういえば、アリシア、夢でも見ていたのか?」
「え?」
「寝言を結構言っていたぞ。先輩ずるいです、とか、手加減しないでください、とか」
「う、ぁ……そんな、ことを?」
「ああ、おかげで落ち着かなかった――耳元で寝言を言われるのは考え物だな」
彼は顔を背けながら言葉を続ける。そのせいで後半は聞き取れなかったが、大分彼に迷惑をかけていたらしい。アリシアは苦笑をこぼしてコップに視線を落とす。
「――ライル先輩と、初めて戦ったあの日のことです」
「ああ、いらん気遣いをしてしまった手合わせだったな」
「いえ――それを察せなかった私も悪かったですし」
あのとき、彼が手加減した理由は、他の観衆を意識していたからだ。
仮にここでライルがアリシアを徹底的に打ち負かせば、ローズライト家の令嬢に恥を掻かせることになる。だからこそ、互角に打ち合うように少し手を抜いていたのだ。
だが、戦いに夢中になっていたアリシアはそれに気づけなかった。
目を覚ました後、傍で見守ってくれていたライルに解説されて初めて気づいたのだ。
「――あそこでああいった気配りをできる時点で、私の負けは確定していたんですね」
「それはどうかな。勝負で気配りは関係ないが」
ライルは苦笑するが、アリシアは目を細めながら小さく吐息をこぼす。
(いいえ、ライル先輩――いろんな意味で私は負けていました)
その戦いの後も、ライルとはいろいろな分野で競い合った。
武術だけでなく、戦術面や問題の解決について――だが、どれ一つにおいても、彼に勝てたと思ったことはない。そのとき、彼女は気づいてしまったのだ。
(視野の広さも、器も違う――この人の方が余程、上に立つのに相応しい)
そして、彼のことを支えたいと思わされたのだ。
そのときから彼女の夢は将軍になることではなくなっていた。ライルの下で働きたいという夢に代わっていたのだ。
「あの時から大分経ちましたが、先輩と後輩としてだけでなく、上官と部下にもなりましたね」
「ああ、まさかこんな関係になるとは、学院時代は思っていなかったな」
「私はそうなりたいと思っていましたよ? 少なくとも仲良くなってからは」
「そうだったのか。いや聞いてはいたが、冗談だと思っていた」
「ふふ、今でも冗談に思えますか?」
「まさか。本気を思い知らされた」
ライルは笑みをこぼしながらお茶で唇を湿らせ、何気ない口調で告げる。
「それに――もう、手放したくないくらいだからな」
「……っ」
その言葉に思わずどきっとし、慌てて自分の心を自制する。
(どうせ、いつものライル先輩の冗談なんだから――)
そう思いながら彼の表情を盗み見るが、からかっている雰囲気はない。それどころか、今までにないくらいアリシアのことを優しい目つきで見つめている。
本心からの言葉。それに気づいた瞬間、頭が真っ白になった。
(え、うそ、本当にライル先輩、私のこと――手放したくない、って……)
この人に必要とされている。独占されている。
その事実にきゅんきゅんと高鳴る胸。真意が知りたくなり、彼女は気づけば口から言葉がついて出てきた。
「ライル先輩――」
「ん? なんだ」
「その――」
私のこと、今はどんな風に思っていますか。
後輩? 副官? それとも――。
その疑問が飛び出す直前、不意に扉が叩かれる音が響き渡る。思わずアリシアは息を詰まらせ、ライルは眉を寄せながら振り返る。
「パラオッドです。将軍、資料をお持ちしました」
「ああ、手伝いに来てくれたか。助かる、パラオッド」
「いえ。入ってよろしいですかな?」
「もちろんだ」
二人がやり取りしている間にアリシアは我に返り、思わず顔を伏せさせる――頬が熱く火照り、恥ずかしさが込み上げてくる。
(今、私は何を口走ろうと――)
羞恥を振り払おうと、頭を軽く振っていると、パラオッドが部屋に入って来た。両手一杯の書類を机に置き、ふとアリシアに視線を向ける。
だが、何も言わずに一つ頷くと、ライルに声を掛ける。
「もう一往復、書類を取ってきます。ライル様、整理をお願いしても?」
「ああ、もちろんだ。悪いな、パラオッド」
「いえ、構いませんとも。アリシア殿、ライル様の補佐をお願いします」
「……っ、はいっ」
気を引き締め直し、アリシアが返事をすると、パラオッドはにこりと笑みを見せてから執務室を出て行った。ライルは机に置かれた書類に手を伸ばしながら、アリシアを振り返る。
「すまない、アリシア。何か言いかけていたようだが」
「い、いえ、その――」
少しだけ言葉に詰まり、ごまかすようにアリシアは咳払いを一つ。視線を泳がせた後に、小さく笑って続けた。
「過去が先輩と後輩、今が上司と副官なら――未来はどうなるか、想像つきませんね、と言おうとしただけです」
「ん、確かにな。立場が逆転しているか、もしくはもっと親しく――」
そこでライルはふと言葉を切り、軽く首を振った。
「何でもない。いずれにせよ、そのときにならないと分からないかな」
「そう、ですね」
アリシアは頷きながらも、彼が少しだけこぼした言葉尻をしっかり捉えた。
(もっと、親しく――か)
そうなれたら嬉しい――いや、是非ともそうなりたい。
副官以上に求められるような存在に。
そう思いながらも、アリシアは思考を切り替えながら椅子から腰を上げた。
「お仕事再開します。まずは何から取り掛かりましょうか」
「なら、帳簿を棚に収めてくれるか。アリシア。お前の方がよく分かっているだろう?」
「はい、了解しました」
いつもの二人のやり取りに戻り、上官と部下としての距離感で仕事をする。
だけど、先ほどの言葉は確かにアリシアの胸の中に秘められている。それに表情を緩めながら、アリシアは書類の仕分けをするべく机に手を伸ばした。




