第11話
「――以上で監察業務を終了する」
「うむ、エルダース監察官、ご苦労だった。リック、見送りを頼む」
「了解しました」
いそいそと立ち去る監察官と、それを案内する兵士――その姿を見送り、アリシアが扉を閉めたのを見てライルは深く安堵の吐息をこぼした。
「お疲れ様です。ライル将軍」
「ああ、アリシアもお疲れ。これで問題なかったか?」
「ええ、充分でした。威厳もありましたし、受け答えも適切でした」
「そうか。アリシアの太鼓判なら安心だな」
肩の力を抜きながらライルは笑みを見せる。
(監察官が来たときはどうなることか、と思ったが)
ライルもアリシアも、それが征西軍に対する嫌がらせなのはすぐに理解していた。何かしらのいちゃもんをつけ、兵力や予算を減らそうと目論んでいるのだろう、と。
それに対し、アリシアはすぐに自身が応対に出ると頼もしく告げた。
『将軍はここでお待ちください。監察官が来たら堂々と受け答えしてくだされば』
彼はその通り、アリシアに案内されてきた監察官に対して堂々と受け答えし、帳簿を提出――それに対して監察官は何も粗を指摘しなかった。
「しかし、もう少ししつこく聞かれるかと思ったが、存外あっさりというか、すぐに監察を終えたな。俺に聞いた少しの質問と、帳簿の確認だけか」
「案内する途中で、城砦内は軽く監察いただいたので」
「そうだったのか。そちらでの問題は?」
「全くなしです。事前に皆に言い含めておいたので、問題ありませんでしたね」
「ああ、そんなことまでしてくれたのか」
確かに監察官が執務室に来るまで長く、少しやきもきしていたのだが。
「皆、きちんと服装をすぐに整えて規律を正してくれましたし、パラオッドさんも非常にいい役割を果たしてくれました」
「――ということは、完全に乗り切ったと考えていいか?」
「はい、間違いなく」
にっこりとアリシアが微笑みながら告げる。良かった、とライルは背もたれに深く背を預けながらもう一度、安堵の吐息をこぼした。
「しかし将軍も楽じゃないな。監察を受ける身分になるとは」
「ウルス様のときは、なかったのですか?」
「あったことはあったが、あそこは常在戦場だぞ?」
戦時中であれば、監察は断ることができるため、ウルスは適度に監察を拒否していた。それでも来る監察官は最前線まで連行し、激しい戦いを思う存分、監察させていた。
(まぁ、そんなことをするから、官僚たちに嫌われるんだろうが)
ただ、ウルスの意図も理解していた。戦場を理解していない監察官など、戦場に来られるだけ迷惑なのである。その護衛の兵力も割かなければならないのだが。
だから、毎回鬱陶しく思っていたのだが――。
「これからは監察官の対応も考えないとな。もうしばらくは来ないだろうが」
「定期的な監察はありますので、それは気にする必要はあります。ですが、我々にやましいところが一つもない以上、堂々としていればよろしいかと」
「なるほど、確かにな」
確かにやましいことがなければ、糾弾されることもない。
仮に言いがかりがあっても、堂々と反論すればいい――少なくとも大将軍はライルたちを支持してくれるはずだ。
「まぁ、万が一のことがあれば、実家の方から協力できますし」
小さな声でアリシアが付け足すのを聞き、ライルは苦笑をこぼした。
「それは最終手段だな。あまり頼り過ぎると、ローズライト家に申し訳ない。ただでさえ、娘さんには世話になっているのに」
「私、役に立っていますかね?」
「ああ、今回の監察も指摘がなかったのは、アリシアのおかげだろう」
「それなら良かったです――えへへ」
頬を染めて笑うアリシアを見ていると、緊張していた心が和むようだ。ライルは釣られて笑みをこぼすと、腰を上げて告げる。
「茶でも飲むか。アリシア。息抜きだ。それから仕事を再開しよう」
「あ、でしたら、ご用意しますよ」
「いや、大丈夫だ。アリシアには充分働いてもらったし、少し休んでくれ」
「そうですか。では、お言葉に甘えて」
アリシアは遠慮がちに頷き、椅子に腰を下ろした。その表情は気が緩んだのか、少しだけ疲れが滲んでいるように見えた。
(さすがに気苦労が募ったかな)
監察官の相手は気を張っただろう。労うように軽くライルは頷くと、執務室を出た。階段を下りていき、外に出て調理場に向かう。
そこでは丁度、パラオッドたちが立ち話をしているのが目に入った。
「パラオッド、訓練は一段落か?」
「はっ、将軍。訓練は終了しました」
声を掛けると、彼らは振り返って敬礼した。ライルは炊事係の兵に茶を頼んでから向き直ると、パラオッドは愛想よく笑ってみせた。
「新しく編成した部隊も兵同士、連携が取れております。ただ、若い連中はやはり粘りが足りないのが課題ですな」
「パラオッドさんには敵いませんって。今日も何回ぶん投げられたか」
「将軍を見習え、将軍を。ライル将軍はパラオッド殿を逆に投げ飛ばせるんだぞ」
兵たちが笑い声を響かせる中、パラオッドは顎髭を撫でつけながらにやりと笑う。
「久々にまた組み手でもしますかな? ライル将軍」
「望むところだが、今は忙しくてな。パラオッドも手が空いたら執務室の引っ越しを手伝ってくれ。書類を動かしているんだ」
「なるほど、了解しました。しかし、ライル将軍の言葉を聞くと、先ほどの若造の骨のなさが伝わってきますなぁ」
「若造?」
「王都からの監察官とやらですよ。訓練を監察しに来たようでしてな」
「ああ、なるほど」
相槌を打ちながら彼らの言葉に耳を傾ける。どうやらやって来た監察官に訓練に参加することを少し強めに提案したらしい。
「そうしたら、面白いくらいに顔色が青くなりましてな」
「パラオッド殿の汗臭さに引いたんじゃないっすか?」
「ははは、面白い冗談だね。カッシル――ご褒美に夕食までに訓練場十周を命じよう」
「げっ、パラオッド殿、冗談じゃないですか……っ」
兵士たちのやり取りに苦笑しながら、ライルはパラオッドに声を掛ける。
「勘弁してやれ、パラオッド。今日はみんな疲れただろうし」
「甘いですな、ライル将軍。その心配りはアリシア殿に向けてはいかがですかな」
「アリシアに?」
「ええ、今日も休みなく働いた上に、監察を無事にやり過ごすために走り回りましたからね。私たちに激しい訓練を擦るように頼んだり」
「大分走り回っていましたよね。部隊長たちに話を通したりしていたみたいですし」
「――そう、だったのか」
思わず目を見開く。確かにアリシアは事前に皆に言い含めたと言っていたが、まさかそこまで精力的に動き回っていたとは。
(それなのに俺は椅子に座っていただけか――情けない将軍だな)
思わず自嘲の笑みをこぼすと、炊事係の兵が声を掛けてくる。
「将軍、お茶が用意できました」
「ああ、ありがとう――じゃあ、これでアリシアを労うとするよ」
「そうされてください。ライル様」
パラオッドの言葉に頷き、お茶の入った鉄瓶を受け取って城塔に戻る。
(こんなお茶だけでなく、どこかのタイミングでちゃんと彼女を労わないとな)
ライルは階段を上がりながら思う。彼女が副官になって想像以上に助けられている。少なくとも彼女がいなければ、この監察を乗り切ることは難しかっただろう。
その事実を噛みしめながら執務室に辿り着き、扉を開け――。
そこに響き渡る、落ちついた寝息にふと開きかけた口を閉ざした。
(――アリシア)
見れば椅子に腰かけ、行儀よく膝に手を載せた状態でアリシアは眠っていた。頭を少し垂れ、今にも体勢が崩れそうになっている。
ライルは鉄瓶を机に置くと、彼女の頭を支える。艶やかな金髪がさらりと手に触れ、少しどきっとしていると、彼女が微かに身動きした。
「ん、む……ライル、先輩……」
「……アリシア?」
小声で問いかけるが反応はない――寝言、のようだ。
(大分疲れていたのかな――)
本来ならばソファーか何かに寝かせたいが、この部屋にはそれがない。仕方なくライルは近くの椅子を引き寄せると、彼女の隣に腰を下ろした。
彼女が寄りかかれるように身体を寄せると、アリシアはこてんと彼の肩に頭を預けた。体勢が安定したおかげか、寝息が一層穏やかになる。
(――しばらく寝かせてやるか)
ライルは目を細めながら執務机に手を伸ばし、書類を手にする。
寄りかかってくる彼女の温もりと感触がどこかくすぐったくて心地いい。その寝息に耳を傾けながら、彼は書類をめくって目を通していく。
束の間の、穏やかな時間が執務室に流れていた。




