第10話
監察官視点
(――何で俺がド田舎の軍の監察に行かねばならんのだ)
軍務省所属である監察官、サイモン・エルダースは不機嫌さを隠そうとしていなかった。ここまでの移動ですでに軍服は砂埃に塗れ、着心地が悪い。
整えた髪もぐしゃぐしゃ、携えた剣はもちろん、自身の徽章にも砂がついており、自身の栄光が汚れている気分にもなる。
王都に帰還したらきちんと清めなければ。それを心に刻みながら、城門の前で苛立ちを露わにしながら傍に待機する兵士をじろりと睨む。
「いつまでここで待たせるつもりなのだ」
「申し訳ございません。誰であれ、入城には許可が必要になります」
その兵士はきびきびと淀みなく答える。エルダースが監察官だと名乗ってもその態度が変わらず、へりくだるような姿勢もない。
(これだから田舎者は)
心中で罵りつつも、まぁいい、とエルダースは思考を切り替える。
(これから好きなだけ、いちゃもんをつけられるのだからな)
エルダースの任務は軍内監査――という名目で、この軍に対して言いがかりをつけることだ。その意図は軍務卿から直々に言い渡されている。
『聞いていると思うが、この新しい征西将軍は武功だけで成り上がった男だ。だからこそ、西方という辺境に追いやったが、どうにも調子に乗っているようだ』
『聞いております。近衛の騎士を勝手に引き抜き、軍務卿の指示に逆らって兵力を増強していると聞きました。新任の将軍にしては身の程を弁えない男だと思っています』
『その通りだ。エルダース。故に、お前に監察を命じる。そして、問題を見つけろ』
(つまり、問題を作れ、ということだな)
軍務卿の言葉を思い出しながら、エルダースは内心でほくそ笑む。
補給の帳簿、兵の規律、城壁の修繕不備――それについては何でもいいだろう。重要なのは問題があったという事実を作ること。
そうすればそれを口実に、軍務卿が処分を下せるのだから。
(――しかし)
エルダースは視線を周囲に向ける。
このバスカル城砦は廃墟同然と聞いていたが、それらはすでに修繕の手が及んでいるようだ。城壁には足場が組まれ、兵たちが忙しなく修繕を実施している。
また城門付近には大量の資材が詰まれているのも、見て取れる。
(修繕不備を咎めるのが楽だと感じていたが、それも難しそうだな)
それを告げたところで、修繕中なのを見せられれば文句はつけられない。想定が外れたことに嘆息していると、ふと城門の向こう側で動きがあった。
視線を向ければ、長い金髪をなびかせた女将校が近づいてくる。
(――彼女は、噂の)
近衛から引き抜かれたアリシア・ローズライトだろう。エルダースが背筋を伸ばして向き直ると、彼女は立ち止まって踵を揃え、敬礼する。
「監察官殿をお迎えに参りました。副官のアリシア・ローズライトです」
「サイモン・エルダースである」
「遠路はるばるようこそお出で下さいました。将軍が中でお待ちです。どうぞこちらに」
「うむ、随分と長く待たせてくれたな」
アリシアの後に続きながら、エルダースがちくりと嫌味を混ぜれば、彼女は冷ややかな視線を向けながら淡々と言葉を返す。
「先触れがなかったものですから」
「先触れがあったのなら、監察にはなるまい?」
「では、お待ちいただくのも致し方ないのも、ご理解いただけるかと。ここは軍事拠点――許可なく人を入れたら、それこそ問題です」
「――うむ、確かに」
(さすがに元近衛だけはある。舌は回るようだな)
エルダースは不承不承頷きながら、厄介なことになった、と内心でまた嘆息した。だが、すぐに気を取り直して粗を晒すべく、視線を城砦内に向ける。
城砦では兵士たちがきびきびと動き回り、アリシアが通りかかると足を止めて敬礼する。服装も正しく規律が乱れている雰囲気はない。
彼らが修繕を続けているのを見て、エルダースは口を開いた。
「彼らが修繕を実施しているのか」
「ええ、これも訓練の一環です。体力作りと同時に、これは野営の訓練にもなります」
「なるほど。それにしては随分と資材が多いようだが」
視線を資材に向けてさりげなく指摘する。
不必要な資材購入を見つければ、容赦なく咎める――そう目を光らせたエルダースに対し、アリシアは淡々とした口調で続ける。
「バスカル城砦は老朽化が激しかったため、全面的な修繕を行っています。これだけ資材があったとしても足りないでしょう」
「それは本当だろうか。確認できるかね」
「無論です。資材の管理は全て帳簿につけ、どの資材をどこに使用するかは全て詳細に記してあります。それをご覧いただければ、適切であることは確認できるかと」
「ふむ、そうか。ならば、後で確認させてもらおう」
「かしこまりました」
アリシアの弁は淀みがない。エルダースは舌打ちをこぼしたくなるのを堪えた。
(これだけ堂々としているからには、恐らく帳簿にも瑕疵がない。仮に何か口実をつけたとしても、堂々と抗弁してくるのは目に見えている)
ならば、と視線を兵たちの動きに向けた。兵士たちは修繕に動くものばかりであり、訓練に専念している者は少ない。
「――兵たちにはちゃんと訓練をさせているのかね」
「もちろん。ローテーションで実施しています。丁度、訓練場を通りますので、その様子をご覧いただけるかと思います」
アリシアの言葉と共に、剣戟の音が響き渡るのが耳に入る。
そちらに視線を向ければ、大きく拓けた場所で剣をぶつけ合わせる兵士たちがいた。全員が猛々しく武器を振るい、時に叫び声を響かせている。
その一角では格闘戦をしている者もいる。多数の兵士が一人の兵士に向かって突っ込んでいくが、その兵士は全てを投げ飛ばしている。その巧みな体術に目を見開いていると、アリシアが手を挙げて合図し、その兵を呼び寄せた。
「パラオッドさん、今よろしいですか」
「おお、アリシア殿、もちろんですとも」
戦いの手を一時止めた兵士が駆けてくる。先ほどの気迫とは一転、どこか気の抜けた優しげな面持ちをしている。敬礼する彼にアリシアは背筋を伸ばして告げる。
「こちらは王都から来たエルダース監察官です。訓練の様子をご覧になりたいと」
「ほほう、我が軍の訓練にご興味が。では、監察官殿も参加されますかな?」
パラオッドがにこにこと微笑みながら揉み手をする。その言葉にエルダースは表情を引きつらせ、いや、と首を振ってみせた。
「私の業務は監察であり、訓練することではない」
「訓練を観察するのであれば、体感するのが一番ですとも。なに、監察官になれるほど優秀な御仁であれば、ついていけること間違いありませんぞ」
固辞するエルダースに対し、パラオッドはぐいぐいと迫ってくる。土埃や汗にまみれた中年男性の気迫に思わずエルダースは後ずさりした。
(け、汚らわしい……っ!)
救いを求めるようにアリシアを見ると、彼女は淡々とした口調で言い添える。
「我々はこの訓練で充分に兵を鍛え上げられていると考えています。もし監察官が不足とお考えならば、一度体験されることをオススメしますが――」
「い、いや、充分なことは伝わって来た。訓練について指摘することは一切ない」
「ご理解いただけたようで何よりです。パラオッドさん、監察官は他に監査する場がございますので、訓練の体験はまたの機会に」
「それは残念ですな。監察官、いつでも訓練の参加は歓迎しますのでな」
そう告げるパラオッドはにこにこと笑っていたが、どこか目は笑っていないように思える。気迫を宿した彼の言葉にエルダースは引きつり笑いと共に頷き、その場から後ずさる。アリシアは一礼すると、再び歩き出しながら告げる。
「征西軍の兵たちはほとんどが北部戦線を生き抜いた精鋭たちです。この軍の兵数がわずか五百にも満たないことがあり、一人で二人分の働きをするという気概を持って訓練に望んでいます。その旨もぜひ軍務省に報告していただければ」
「なる、ほど……ただ、軍務卿の指示に反し、三百以上の兵を従えているのは、正直いかがなものかと思われるが」
せめてもの反撃とばかりにエルダースが告げれば、振り返ったアリシアの視線が鋭く彼に向けられた。どこか激しさを秘めた口調で彼女は告げる。
「では、監察官殿はたった三百の兵数で、西方をどのように守られるのでしょうか。ぜひ良い配置があればご指導いただきたいのですが」
「――それ、は……」
「もちろん、将軍も軍務卿のご指示に否を申し上げるつもりはございません。ですので、何かしらのご高配があって判断されていると信じております。であれば、是非ともそれをご教授願いたく」
「……っ」
(こ、小癪な……っ)
失言を誘おうとした揺さぶりだったが、逆にこちらを指摘してきた。しかも言い回しが巧妙であり、軍務卿に対する配慮もしている。
思わずエルダースは黙り込んだ後、絞り出すような声で告げる。
「私も軍務卿のご高配には考えが及ばない。戻ったら拝聴するようにしよう」
「よろしくお願い致します。監察官」
アリシアは事も無げに頷き、中央にすたすたと歩いていく。エルダースはその後に続きながら、冷や汗を背筋に滲ませる。
(手強すぎるぞ、この娘……)
指摘の悉くを的確な説明と反論で封じ、正当性を主張してくる。
これでは言いがかりどころか、本当に問題点を指摘したところで言いくるめてごまかされそうな気がする。そうなれば、監察官として失格だ。
「ちなみに監察官、ご存知かもしれませんが」
アリシアがさりげなく切り出した言葉に、エルダースは我に返って咳払いする。
「あ、ああ、何だね」
「軍は不当な監察を受けた場合、それを抗議することが可能です。監察官は権限が大きいので、それを濫用しないための措置ですね」
「……まさか、私が不当な言いがかりをしていると言いたいのかね」
思わず眉を寄せたエルダースに対し、アリシアは振り返って微笑んだ。
「いいえ、現時点は職務に忠実な監察官だと考えています――ただ、その熱心さが故に、軍務を妨げるようなことがあれば、そちらはきちんと申し立てさせていただきます」
「……そうか、記憶しておこう」
「ええ、そのように。場合によっては、ローズライト家からも抗議しますので」
「――っ」
表情が引きつりそうになるのを、エルダースは必死に堪えた。
申し立て自体は問題ない。その申告は軍務省に対してされるため、軍務卿が握りつぶせば問題ないのだ。だが、ローズライト家が絡めば話が変わってくる。
何しろ名門貴族家からの抗議――軍務卿では揉み潰せなくなる可能性がある。
(下手をすれば、尻尾切りで俺が更迭される可能性も――)
その可能性を考えれば、迂闊に口を開きづらくなる。押し黙ったエルダースに対し、アリシアは正面を向きながら言葉を続ける。
「監察官は賢明そうなので、適切にご判断いただけると思います。では、将軍がお待ちですので、城塔に向かいましょうか」
「う、うむ――」
エルダースは頷きながら、いつの間にか痛くなってきた胃を摩る。
先ほどまでこんな田舎に辟易して早く帰りたいと思っていたが。
今や別の意味で、ここから立ち去りたくて仕方がなかった。




