第9話
「――驚いたな。本当に綺麗になっている」
城塔の上階に足を踏み入れたライルは思わず目を見開いた。
この前、視察したときは埃に塗れ、家具も扉も全てなくなっていたはずだが、それはすっかり修復され、明るく綺麗に掃き清められていた。
壁にはランプが吊るされ、扉は新しいものが嵌め込まれている。
ここが廃墟だったとは思えないほどに、完璧な修復が成し遂げられていた。
「工兵部隊は優秀ですね。壁が崩れた部分も綺麗に補修しています」
「む、確かに」
一部崩れていた部分は、真新しい石材に入れ替わっている。よく見なければそこが崩れていたとは分からないだろう。思わず感心しながら廊下を歩くと、アリシアは一室の前で立ち止まった。
「ここが執務室の予定で作りました。ご確認ください」
その言葉と共にアリシアは扉を開き、壁際のランプをつける。ライルは頷いて足を踏み入れると、ほう、と吐息をこぼす。
瓦礫や木の残骸が転がっていたはずの部屋は一転して綺麗になり、埃一つない部屋になっている。真新しい執務机や棚まで設えられており、窓には雨戸が嵌め込まれている。
もうすでに執務室として充分、機能を発揮できそうだった。
「しかし、机や棚まで――これも工兵部隊が?」
「はい、皆さんの手際が良くて驚きました」
「まぁ、連中ならできるだろうが――」
征西軍にいる工兵部隊は、北部戦線で激しい戦いを支えてきた面々だ。スコップ一つで瞬く間に塹壕を掘り上げ、拠点を作り上げる能力を有している。
木材の加工ならお手の物だろうが、まさか家具まで作れるとは。
「カッシルさん辺りは、塹壕を掘るよりもこっちの方が余程楽しい、といって嬉々として作っていましたね。今は宿舎の寝台を作ってくれています」
「なるほど、カッシルか。意外な才能だな」
頷きながら執務机の近くの椅子に腰を下ろす。体重をかけても安定しており、しっかりと座れそうだ。机もがたつかず、立てつけは良さそうだ。
「これならすぐに機能を移管できそうだな」
今、執務は訓練場に張った簡易幕舎で行っているが、すぐにここに荷物を移して問題なさそうだ。アリシアは一つ頷き、微笑んでみせる。
「分かりました。引っ越しのお手伝いもします」
「ああ、頼んだ。一応、機密資料があるから他の兵には任せられん」
「承知しております。他の部屋も見ますか?」
「そうだな。案内してくれ。確か、俺の部屋もあるのだろう?」
ライルの部屋はこの城塔に置くことに決めていた。万が一の事態が発生した場合、すぐにここを拠点に指揮を執れるようにするためである。
アリシアはすぐに頷くと、執務室の壁の方を指し示す。
「隣の部屋を、ライル将軍のお部屋のようにしました。こちらです」
アリシアに案内され、廊下に出てから隣の部屋に入る。そちらはまだ家具が運び入れられておらず、寝台だけの殺風景な部屋だ。
だが、雨戸ははめ込まれ、清掃もされている。もうすでに暮らせそうではある。
よし、とライルは頷いて廊下に出ながら、その隣の部屋に視線を向ける。
「ここの部屋は何になるんだ?」
「あ――そこは私の部屋になる予定です」
「……アリシアの?」
思わず目を瞬かせながら振り返ると、アリシアは当然のように頷いてみせる。
「将軍の副官ですから。お傍に控えるためには、ここが良いかと」
「まぁ、そうかもしれないが」
ため息を一つ。確認するようにライルは自分の胸を叩いた。
「一応言っておくが、俺は男だぞ」
「知っていますよ」
何を当たり前のことを、とばかりに眉を寄せるアリシア。その様子にライルの頭が少し痛くなってくる。
「――少しは気にしろ。いろいろとだな」
「気にする、とは?」
「だからその……若い女が男の隣の部屋に住むことは、いろいろな懸念があってだな」
一体、自分は何を諭そうとしているんだ。ライルは困惑する一方でアリシアはふと何か思い至ったように目を見開いた。
「まさか、将軍が私を襲う可能性を懸念しておられる、とか」
「していないわ!」
思いのほか大きな声が出てしまい、慌てて咳払いをする。
「そ、そういう意味ではなくて、だな」
「なら、私が将軍を襲う可能性……? まぁ、あり得ますが」
「もっと違うわ! というか、あり得るんかい……!」
思わず突っ込むと、アリシアは視線を逸らしながら淡々とした口調で告げる。
「――ご安心を。職務中はそういう行為はしませんので」
「職務中じゃなければする、みたいな言い方だな、おい」
ライルは半眼になると、くすりとアリシアは小さく笑い、困ったように首を傾げる。
「まぁ、職務外はプライベートなので。あまり詮索しないでいただけると」
「あ、ああ、悪い……いや、俺が悪いのか?」
彼は思わずため息をこぼすと、軽く手を振って諦め半分に告げる。
「まぁ、アリシアがいいなら、いい」
「ありがとうございます。ご安心ください。決して私生活を覗いたり、聞き耳を立てたりしません」
「当たり前だ。というか、男の生活音を聞いても楽しくないだろうに」
その言葉にアリシアは曖昧に笑みをこぼしながら顔を背け、小さくぼそりと呟く。
「――先輩の生活音なら大歓迎ですけど」
「ん、何か言ったか?」
「いえ、何でも――それより部屋の中は見られますか?」
「いや、大丈夫だ。プライベートをあまり詮索しない方がいい、だろう?」
先ほどの言葉を返せば、仰る通りです、とアリシアは頷いてみせた。
「ただ、一つ確認ですが、緊急時はお部屋に入って構いませんよね?」
「……緊急時? ああ、非常呼集時か」
もし攻め込まれるような事態があれば、それは仕方ないだろう。
「それは構わない。寝ていたら叩き起こしてくれても構わない」
「はい、了解しました――言質はいただきましたね」
(――ん?)
ぼそ、とアリシアが何か言ったのを聞き逃してしまう。ただ、先ほども独り言を言っていたし、咎めない方が良いだろう。
ライルは聞き流しつつ、執務室の方に戻りながらアリシアに声を掛ける。
「今、手が空いているか? アリシア。すぐにでも荷物を運びこみたいが」
「はい、もちろんです。お手伝いします」
打てば響くような声に、よし、とライルは目を細めて告げる。
「なら、さっさと必要なものは運び込もう」
今の執務室はあくまで簡易幕舎だ。ないとは思うが、何かの拍子に盗難、あるいは紛失する恐れがある。それを避けるためにもこの執務室はすぐに活用すべきだった。
ライルは執務室から出ると、ふと階段の方から慌ただしい足音が響き渡る。
眉を寄せてそちらを見ると、兵士が階段を駆け上がってきていた。ライルに気づくと素早く敬礼し、声を上げる。
「失礼します。ライル将軍――城門の外に王都からの使者がお見えになられています!」
「王都からの使者――? 名前は?」
「サイモン・エルダース、と名乗っています。所属は軍務省、監察官だと」
「監察官……?」
不穏な言葉にライルとアリシアは思わず顔を見合わせてしまった。




