第2章冷めた瞳と秘めた炎
夜の帳が邸を包み込む。
大聖堂の祝福の光はもう遠く、蝋燭の揺らめきだけが、邸の廊下や高い天井を淡く照らしていた。
エミリー・ダッチェスは自室の窓辺に立ち、バルコニーの手すりに指先をそっと触れる。冷たい金属が、まるで自分の胸の高鳴りを映すかのように震える。
「……はぁ」
小さく息を吐く。結婚したばかりなのに、心はまだ落ち着かない。
指先に輝く指輪を何度も確認してしまう。
(夢じゃないのよね……)
胸の奥で、彼の横顔がちらつく。
カルロス・アーロッソ
――淡々として、感情を閉ざしたようなその目。
背後から、低く静かな声が響いた。
「窓から何を見ている」
振り向くと、黒の礼服を纏ったカルロスが部屋に入っていた。昼間の大聖堂よりも、ずっと冷たく威圧的に見える。
光がない分、影が彼の輪郭をより鋭く際立たせていた。
「……別に」
エミリーは肩をすくめ、わざとらしく目を逸らす。
「ただ、夜風が気持ちよくて」
カルロスの視線が、鋭く彼女を射抜く。
「夜風のせいで心を乱す者など、この屋敷にはいないはずだが」
エミリーは挑発的に微笑む。
「高ぶるのは、あたしの心だけです」
その瞬間、カルロスはゆっくりと部屋の中央に歩を進める。
「……君の心など、どうせ政略結婚の余興でしかないだろう」
その言葉に、エミリーの胸が跳ねる。
(なにそれ!勝手に決めつけて!)
「余興だと思ってるんですの?」
声に怒りと熱が混じる。
「ふふ、あたしを見くびらないでください」
カルロスは冷ややかに微笑む。
「見くびってはいない。ただ、君がこの結婚に情を持つとは思えないだけだ」
エミリーの手が自然に拳を作る。
(ああ言えばこう言う!)
心の奥で、炎が静かに、だが確実に燃え上がる。
――振り向かせてみせる。あの人の心の奥まで、あたしだけのものにするのよ。
「なるほど。では、あたしの情は、いまのところあなたには不要ということね」
肩をすくめ、意地悪く笑う。
「不要などとは言っていない。情を持たぬ者には、何をしても効果がないと言ったまでだ」
その言葉に、エミリーの瞳が光る。
――冷たい……でも、それがあたしの心を燃やす。
「では、あたしが効果を示してみせます!」
カルロスはゆっくり立ち上がり、部屋の中で彼女の正面に立つ。
その背筋、肩幅、視線――すべてが圧倒的で、でも恐怖ではなく興奮を呼ぶ。
「……君は口先だけで何かを得ようとするタイプだな」
カルロスの声は低く、響くようでいて抑制されている。
「ええ、でも口先だけじゃありませんわ」
エミリーは小さく胸を反らせ、目を逸らさない。
――この目に映る彼の瞳に、必ず何かを刻むのよ。
その瞬間、わずかに指先が触れ合った。
手の甲だけ、偶然か必然か――カルロスは反応せず、触れた手をそっと離す。
「……まだまだ甘いな」
その低く冷たい声に、胸が高鳴る。
「甘くても、あたしはあきらめません!」
エミリーの瞳が揺れる。
燃える炎は止まらない。
カルロスは初めて眉を少し上げる。
――心の奥では、彼もほんのわずか、彼女に興味を抱いているのかもしれない。
だが表情は変わらず、淡々としたままだ。
二人の間に、静かな沈黙が流れる。
言葉にならない感情――嫉妬、挑戦、情熱、微妙な駆け引き――すべてが絡み合い、部屋に緊張の気配を張り巡らせる。
「……夜も遅い。休め」
カルロスは淡々と告げる。
「……あたしは燃えたまま寝ますわ」
エミリーは微笑み、背を向ける。
(あなたを振り向かせるまでは、あたしの戦いは終わらない)
夜の闇に、二人の熱と冷たさが重なり、邸の中に静かで濃密な緊張が漂う。
明日、そしてその先――二人の関係は、より深く、より熱く、巧妙な駆け引きへと進むのだった。




