第93話 勝った馬が強い
『涼しい風が冷たい風と変わってきて、いよいよ秋競馬も本格的になってきました。
府中2000mを駆け抜ける秋古馬三冠の第一戦。
皐月賞馬がいます。ダービー馬がいます。
大阪杯に宝塚記念、今年の主役となった3歳と古馬、多くが参戦した今年の秋の天皇賞。
ジャパンカップ参戦を明言した陣営もいます。
さあ奇数番のゲートインが終わり、偶数番の馬も入っていきます。
今年の皐月賞を制したヴァリアントロア、現在1番人気。
さあ全頭が入って……スタートしました!
まずはカルマインザダーク! 宣言通りの逃げ! 真ん中からどんどんと進出していきます!
続いて二番手にはアトランティック、ややかかっているか』
「どこどこ?」
「真ん中のあたり、ほら黄色い帽子、後ろから四番目?」
オーナーに連れられて千草は馬主席に入っている。
1番人気のオーナーや調教師は、この場所ではちょっと特別である。
日頃の立場がどうであれ、強い馬のオーナーが偉い。
それで偉ぶっていると、軽蔑の対象にもなるのだが。
スタートしてすぐに、コーナーのあるこのコース。
府中の2000というのは、中山2500ほどトリッキーではないが、大外枠にとっては欠陥コースなどとも言われる。
実際に今日は、大外枠の馬が、最初のコーナーで大きな不利を受けている。
完全に追い込みであるならば、開き直ることも出来る。
だが実際問題として、かなりのコースロスにはなるのだ。
向こう正面に一団が出てくる。
カルマインザダークは、かなり思い切った逃げを打っていた。
フォーリアナイトは後方から、というのは変わらない。
ただ今日のペースは、あまり早くないのではないか、と千草は思っている。
先行集団の中では、ボーンクラッシャーが四番手あたりと、いい位置にいる。
だが1000mを過ぎたところで、タイムは1分を切れていない。
カルマインザダークがペースを抑えて、それで二番手との差が縮まっているのだ。
(馬込から、上手く抜けて来れるか?)
優姫の腕は信用している。
それでも不運があれば、前が開かないことなどはあるだろう。
馬群が大欅の向こうに消えていく。
まだ先頭はカルマインザダークで、かなりいい感じで逃げている。
最後までちゃんと、スタミナがもつかどうか。
おそらくはもたないだろうが、あとはどれぐらいの着に残れるかどうかだろう。
(この距離なら勝てるはずだ……)
同じ2000mの中山では勝った。
そして1600mの府中ならば、それも勝っているのだ。
GⅠ馬が8頭というこのレース。
テレビで見ていても、果たしてどうなるのか分からない。
「そんなに気になるなら、見に行けば良かったのに」
調教師の春田はそういうが、甘えるわけにはいかない。
「むしろこちらの方が、見やすいですし」
天音は仕事の合間に少しだけ、厩舎で一緒にこれを見ている。
地方競馬と中央の間は、もうあまり壁はない。
特に南関の馬などは、普通に中央でも戦っている。
それでも芝のレースに出るのなら、移籍するのが当然である。
(ダートとはスピードが違う)
札幌記念の洋芝でさえ、それははっきりとしていた。
この府中のジャパンカップ。
まぎれの少ないと言われる2400mで、アシュレイリンクはこれらの馬と戦うのだ。
(外国馬まで)
今年は2頭だけというが、どちらもヨーロッパで、クラシックディスタンスの距離を勝っている。
天音はまだ競馬を知らない。
熱狂の渦の中にあっても、まだ何も知らない。
ギャンブルなのだと人は言う。
だが馬を生産し、育成し、そして走らせる。
これらは全て、普通の仕事である。
氷の上で、ただ一人で滑っていた。
観客たちの視線に晒されていても、ジャッジする人間は玄人。
わずかな違いで、採点がしっかりとされていく。
ただ競馬のレースの世界は、氷上以上に残酷なのかもしれない。
強い馬が勝つのではなく、勝った馬が強いのだ。
フィギュアスケートも、絶対などない。
一つのジャンプの失敗が、その後に連鎖して点数となる。
一度の失敗で終わるわけではないが、チャンスは限られている。
オリンピックは特に、たったの一度だけ。
相当に運が良ければ、二度の出場も可能だが。
冷たい氷の上なのに、滑っていくのは暑かった。
どの選手も熱量をもって、演技をしていたのだ。
(リンクはあとどれだけ走れるんだろう)
本当に強いなら、10回ほど走って力を証明して、それで引退した方がいい。
4歳までに強さを証明し、繁殖入りするのだ。
競走馬としての価値と、種牡馬としての価値は別物。
アシュレイリンクはその血を、後世に残していかないといけない。
何度も聞かされる、オグリキャップという名前。
天音の生まれるよりも、ずっと昔に亡くなってしまったが、いまだにこの日本の競馬の世界で、あれ以上の馬はいない、と言われる。
ただ強いだけではない。
強さもあったがそれ以上に、魅了する馬だったのだ。
優姫は天音にも、来いと言った。
中央競馬は、道営とは全く規模が違う。
ジョッキーにしても恵まれた、中央競馬の世界へ。
札幌記念の進上金を見て、驚愕したのは天音である。
(次の移籍のために)
同じ舞台で、確実に戦うために。
天音は画面に映る、府中のコースを見つめ続けていた。
このレースで一番危険なのはどの馬であるのか。
普通なら1番人気と考えるし、実績も申し分ない。
ヴァリアントロアをマークする、というのが正攻法であるのだろう。
ただ2頭の4歳馬も、相当強いとは思われている。
一番充実するとも言われる、4歳の秋なのだ。
それぞれ東西の、トップクラスのジョッキー、松川と五十嵐が乗っている。
松川はマジックマイスターの主戦でもあった。
なのにボーンクラッシャーを選んだのだから、ここはボーンクラッシャーの方が強いはず。
他にはアイルランド出身の中央騎手ショーン・リード。
彼の乗っているアトランティックは、やや晩成の傾向がある。
ダービーでは負けたものの、ここでは逆転してもおかしくはない。
重賞は当然のように勝っていて、GⅠでも2着や3着。
こういう馬ばかりが集まって、この秋天が行われている。
牝馬がいないというのは、今年の面子では勝負にならないと思ったか。
もっとも牝馬であれば、普通にエリザベス女王杯を目指していくだろう。
直線に入る前に、おおよその位置取りは決まっている。
末脚の鬼であるフォーリアナイトは、大外に持っていっていた。
ボーンクラッシャーはもう、ほとんどカルマインザダークに並びかけている。
マジックマイスターはまだ動かない。
元から前に位置しているので、ここで動けば最後に脚が残らない。
直線に入ったところで、外からヴァリアントロアを視認するのは難しい。
馬群の中でまだ、前がさばけていない。
こんなレース展開になって、ヴァリアントロアは苛立っている。
しかし無理に行こうとはせず、優姫の指示を待っている。
(大丈夫、まだ届く)
進行方向も、これから開いていくのだ。
マジックマイスターのすぐ、斜め後ろにいるのだから。
ムチが振られてマジックマイスターも前方に進出。
狭い馬の間を、ヴァリアントロアも突き抜けていった。
前にいるのは3頭。
うちカルマインザダークは、おそらく脚色から捉えられる。
好位からの差し馬が、2頭強い。
(ボーンクラッシャー)
宝塚記念では、モーダショーで敗北していた。
敵討ちなどとは言わない。
冷静にただ一つ、勝利だけを考える。
直線はまだ300mは残っている。
空白の芝に向けて、ヴァリアントロアが解き放たれた。
『先頭ボーンクラッシャー! 抜け出しにかかる!
マジックマイスターがそれを追う! 果たして届くのか!
中から来た! ロアが来た! 前の2頭を追う!
大外からはフォーリアナイト! 持ち出したのは鞍上五十嵐!
だが前が伸びていくか! ボーンクラッシャー粘っていく!』
内からは前につけていたボーンクラッシャーとマジックマイスター。
それに遅れて出てきたのが、ヴァリアントロアである。
外はフォーリアナイトに、アトランティックも付いてきていた。
だがこれはフォーリアナイトにとっては、あまり良くない展開のはず。
最後の直線で併せないと、最後の勝負根性が出ない。
ただ成長しているのは、ヴァリアントロアだけではない。
フォーリアナイトも横目で、内側の3頭を見ていたのだ。
ただ抜け出すのではなく、ゴールを通過するまで。
上に乗ったうるさいのが黙るまで、走っていかないといけない。
それがなかなか出来ないからこそ、フォーリアナイトはずっと2着だった。
だがやかましいのを黙らせるためには、もう少し走らないといけない。
2着で終わってしまっても、他の馬を全てもう一度追い抜く。
そうやって五十嵐は、フォーリアナイトに競馬を教えていた。
そのフォーリアナイトを、何度も負かせたのが優姫。
(天海~!)
五十嵐の執念は、フォーリアナイトに伝わっている。
ヴァリアントロアの末脚が爆発していた。
彼もまた併せることで、勝負根性を引き出していくタイプ。
マジックマイスターを抜き去った。
ボーンクラッシャーだけが前にいて、外のフォーリアナイトも迫っている。
(横はもういい!)
ボーンクラッシャーを抜いて、どこまで抜け出せるか。
ヴァリアントロアはそのあたり、好きに走り続ける馬だ。
『並ぶか! 並ぶか! 並んだ! 抜いた!
ヴァリアントロア抜いた! しかし大外フォーリアナイト!
直線はもうない! どちらだ! どちらだ!
ロアか! ナイトか! どちらだ!
どっちだ~~~~~~~!』
ボーンクラッシャーには半馬身、マジックマイスターには1馬身。
だがフォーリアナイトは、内と外で少し難しかった。
優姫は最後、邪魔にならないように、正面だけを見ていた。
なので本当に、どちらが勝ったのかは分からなかった。
スクリーンに最後の瞬間が映る。
ほんのわずか、ハナ差である。
しかし前に出ていたのは、ヴァリアントロアの方であった。
『秋の天皇賞! ヴァリアントロア! 秋の天皇賞を制する!
マイル王座に加えて、中距離王座も獲得だ!
――皐月賞から安田記念、そしてこの秋の天皇賞。
今年に入って三つめ、通算で四つめのGⅠ勝利。
この先はジャパンカップ出走を表明しています。
安田記念の距離から、果たして2400に届くのか。
期待されるジャパンカップは、五週間後です』
3歳馬が安田記念と秋天を勝った。
どちらかだけならば、過去には例があったことである。
また斤量の優位を考えれば、今のレースはフォーリアナイトが勝っていた。
しかし3歳馬の有利は2kg。
最後にわずかな差ではあるが、この時点ではまだフォーリアナイトの方が、強さとしては上であろう。
またも2着を増やしてしまった。
4歳の二強と言われた2頭を抑えて、3歳馬が勝利した。
ボーンクラッシャーの後、4着に入ってきたのはマジックマイスター。
ダービー馬の矜持を、何とか残す順位であろう。
2000mの距離において、コースは関係なくヴァリアントロアには敗北。
だがあと400m距離が伸びれば、果たしてどうなることであろう。
ジャパンカップに出るならば、最初からダービーにも出ておけ。
世代ナンバーワンを決めるのは、やはりダービーなのである。
だが3歳から秋天に出て、しっかりと勝っていく。
ヴァリアントロアはひょっとしなくても、とんでもなく強いのではないか。
「よっしゃよっしゃ!」
馬主席からは関係者が、ウィナーズサークルへと下りてくる。
去年のモーダショーから、今年のヴァリアントロアへと。
優姫が乗った馬が、共にクラシック戦線から活躍してくれている。
2頭ともたいして高くない馬であったのだ。
もっともモーダショーも、スプラッシュヒット産駒ということで、安いというわけでもなかった。
ヴァリアントロアの方は、気性難がひどかった。
それでも自分勝手に走り回り、自然と鍛えていた当歳時代。
この小さな王様はまた一つ、GⅠのタイトルを増やした。
優姫はゆっくりと、ウイニングランを行う。
負けた京成杯や、皐月賞に安田記念と比べても、明らかに相手が強かった。
勝てるか負けるか、という点では微妙なところだったのだ。
だが負けず嫌いという点では、ヴァリアントロアは優れた性質を持っている。
それが過剰に出てしまったら、また気性難と言われるのだろうが。
血統構成としては、むしろダートで通用しそう。
ずっとそう言われていたし、芝で結果が出なければ、体格は小さくてもダートを試すことになっていた。
その初戦から、三連勝で朝日杯を制覇。
本来なら走法としてもダートを走れそうな、パワーのあるスタイル。
だが実際はこうやって、芝の2000mまで勝ってしまった。
おそらく今の日本競馬で、一番強いのではないか。
条件や相手によって、それは変わってくるが。
フォーリアナイトやボーンクラッシャーも、4歳になってから本格化したと言われる。
ヴァリアントロアも当初は、晩成かなどと言われていた。
だが2歳チャンピオンになって、そんな言葉は聞かれなくなった。
これでジャパンカップまで勝ってしまえば、まさに現役最強であろう。
アシュレイリンクの血統などで、夏の札幌以来競馬界は盛り上がっていた。
だが春のことを思い出せば、間違いなく注目度の一番は、3歳で安田記念を勝ったヴァリアントロアであったのだ。
「安くても馬って走るもんなんだな」
そうオーナーは言っているが、これを耳にした競馬関係者は、とにかく苦笑いである。
1:56:8という決着。
歴代の中でもかなり、速いスピードであった。
ただタイムというのは競走する相手によって、より速いスピードが引き出される。
ペースは途中までは平均であった。
だが最後の末脚勝負で、勝負は決まったのだ。
この最強の3歳と、地方からの怪物。
はたしてどちらが勝つのか、ということは競馬ファンを熱狂させる。
もっとも実績で言うならば、ヴァリアントロアは歴代でも最強クラス。
懸念点があるとしたら、それはやはり距離の延長である。
血統的には異端ながら、王道を走っているヴァリアントロア。
深いところに伝説の名馬を持っている、アシュレイリンク。
こういう馬が出てくると、血統論をしっかりと考えて、配合をしているのが馬鹿みたいだ。
別にベスト・トゥ・ベストという配合のわけでもない。
ヴァリアントロアなどは、古い血統にどうにか、更新を狙って言ったもの。
本来ならばダートを走る、大柄な馬を期待していたのだ。
ドバイを目指すにしても、ダートではなくターフだろう。
1800mの距離は、ヴァリアントロアにとって最適のはず。
(来年の話をすると、鬼が笑う)
優姫は油断することなく、ウィナーズサークルに入る。
口取りや表彰式でも、まだ笑わない優姫。
インタビューでもこのレースは、誰が勝ってもおかしくなかった、と言う。
海外からの参戦に、昨年のダービー馬メテオスカーレットも復活。
秋天で走ったメンバーを、さらに上位層だけを掬っていく。
この秋天をさらに、豪華にしたメンバー。
そこにアシュレイリンクも加わるのだ。




