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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
六章 地方から来た怪物

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第93話 勝った馬が強い

『涼しい風が冷たい風と変わってきて、いよいよ秋競馬も本格的になってきました。

 府中2000mを駆け抜ける秋古馬三冠の第一戦。

 皐月賞馬がいます。ダービー馬がいます。

 大阪杯に宝塚記念、今年の主役となった3歳と古馬、多くが参戦した今年の秋の天皇賞。

 ジャパンカップ参戦を明言した陣営もいます。

 さあ奇数番のゲートインが終わり、偶数番の馬も入っていきます。

 今年の皐月賞を制したヴァリアントロア、現在1番人気。

 さあ全頭が入って……スタートしました!

 まずはカルマインザダーク! 宣言通りの逃げ! 真ん中からどんどんと進出していきます!

 続いて二番手にはアトランティック、ややかかっているか』


「どこどこ?」

「真ん中のあたり、ほら黄色い帽子、後ろから四番目?」

 オーナーに連れられて千草は馬主席に入っている。

 1番人気のオーナーや調教師は、この場所ではちょっと特別である。

 日頃の立場がどうであれ、強い馬のオーナーが偉い。

 それで偉ぶっていると、軽蔑の対象にもなるのだが。


 スタートしてすぐに、コーナーのあるこのコース。

 府中の2000というのは、中山2500ほどトリッキーではないが、大外枠にとっては欠陥コースなどとも言われる。

 実際に今日は、大外枠の馬が、最初のコーナーで大きな不利を受けている。

 完全に追い込みであるならば、開き直ることも出来る。

 だが実際問題として、かなりのコースロスにはなるのだ。


 向こう正面に一団が出てくる。

 カルマインザダークは、かなり思い切った逃げを打っていた。

 フォーリアナイトは後方から、というのは変わらない。

 ただ今日のペースは、あまり早くないのではないか、と千草は思っている。

 先行集団の中では、ボーンクラッシャーが四番手あたりと、いい位置にいる。


 だが1000mを過ぎたところで、タイムは1分を切れていない。

 カルマインザダークがペースを抑えて、それで二番手との差が縮まっているのだ。

(馬込から、上手く抜けて来れるか?)

 優姫の腕は信用している。

 それでも不運があれば、前が開かないことなどはあるだろう。


 馬群が大欅の向こうに消えていく。

 まだ先頭はカルマインザダークで、かなりいい感じで逃げている。

 最後までちゃんと、スタミナがもつかどうか。

 おそらくはもたないだろうが、あとはどれぐらいの着に残れるかどうかだろう。

(この距離なら勝てるはずだ……)

 同じ2000mの中山では勝った。

 そして1600mの府中ならば、それも勝っているのだ。




 GⅠ馬が8頭というこのレース。

 テレビで見ていても、果たしてどうなるのか分からない。

「そんなに気になるなら、見に行けば良かったのに」

 調教師の春田はそういうが、甘えるわけにはいかない。

「むしろこちらの方が、見やすいですし」

 天音は仕事の合間に少しだけ、厩舎で一緒にこれを見ている。


 地方競馬と中央の間は、もうあまり壁はない。

 特に南関の馬などは、普通に中央でも戦っている。

 それでも芝のレースに出るのなら、移籍するのが当然である。

(ダートとはスピードが違う)

 札幌記念の洋芝でさえ、それははっきりとしていた。

 この府中のジャパンカップ。

 まぎれの少ないと言われる2400mで、アシュレイリンクはこれらの馬と戦うのだ。

(外国馬まで)

 今年は2頭だけというが、どちらもヨーロッパで、クラシックディスタンスの距離を勝っている。


 天音はまだ競馬を知らない。

 熱狂の渦の中にあっても、まだ何も知らない。

 ギャンブルなのだと人は言う。

 だが馬を生産し、育成し、そして走らせる。

 これらは全て、普通の仕事である。


 氷の上で、ただ一人で滑っていた。

 観客たちの視線に晒されていても、ジャッジする人間は玄人。

 わずかな違いで、採点がしっかりとされていく。

 ただ競馬のレースの世界は、氷上以上に残酷なのかもしれない。

 強い馬が勝つのではなく、勝った馬が強いのだ。


 フィギュアスケートも、絶対などない。

 一つのジャンプの失敗が、その後に連鎖して点数となる。

 一度の失敗で終わるわけではないが、チャンスは限られている。

 オリンピックは特に、たったの一度だけ。

 相当に運が良ければ、二度の出場も可能だが。


 冷たい氷の上なのに、滑っていくのは暑かった。

 どの選手も熱量をもって、演技をしていたのだ。

(リンクはあとどれだけ走れるんだろう)

 本当に強いなら、10回ほど走って力を証明して、それで引退した方がいい。

 4歳までに強さを証明し、繁殖入りするのだ。


 競走馬としての価値と、種牡馬としての価値は別物。

 アシュレイリンクはその血を、後世に残していかないといけない。

 何度も聞かされる、オグリキャップという名前。

 天音の生まれるよりも、ずっと昔に亡くなってしまったが、いまだにこの日本の競馬の世界で、あれ以上の馬はいない、と言われる。

 ただ強いだけではない。

 強さもあったがそれ以上に、魅了する馬だったのだ。


 優姫は天音にも、来いと言った。

 中央競馬は、道営とは全く規模が違う。

 ジョッキーにしても恵まれた、中央競馬の世界へ。

 札幌記念の進上金を見て、驚愕したのは天音である。

(次の移籍のために) 

 同じ舞台で、確実に戦うために。

 天音は画面に映る、府中のコースを見つめ続けていた。




 このレースで一番危険なのはどの馬であるのか。

 普通なら1番人気と考えるし、実績も申し分ない。

 ヴァリアントロアをマークする、というのが正攻法であるのだろう。

 ただ2頭の4歳馬も、相当強いとは思われている。

 一番充実するとも言われる、4歳の秋なのだ。


 それぞれ東西の、トップクラスのジョッキー、松川と五十嵐が乗っている。

 松川はマジックマイスターの主戦でもあった。

 なのにボーンクラッシャーを選んだのだから、ここはボーンクラッシャーの方が強いはず。

 他にはアイルランド出身の中央騎手ショーン・リード。

 彼の乗っているアトランティックは、やや晩成の傾向がある。

 ダービーでは負けたものの、ここでは逆転してもおかしくはない。


 重賞は当然のように勝っていて、GⅠでも2着や3着。

 こういう馬ばかりが集まって、この秋天が行われている。

 牝馬がいないというのは、今年の面子では勝負にならないと思ったか。

 もっとも牝馬であれば、普通にエリザベス女王杯を目指していくだろう。


 直線に入る前に、おおよその位置取りは決まっている。

 末脚の鬼であるフォーリアナイトは、大外に持っていっていた。

 ボーンクラッシャーはもう、ほとんどカルマインザダークに並びかけている。

 マジックマイスターはまだ動かない。

 元から前に位置しているので、ここで動けば最後に脚が残らない。


 直線に入ったところで、外からヴァリアントロアを視認するのは難しい。

 馬群の中でまだ、前がさばけていない。

 こんなレース展開になって、ヴァリアントロアは苛立っている。

 しかし無理に行こうとはせず、優姫の指示を待っている。

(大丈夫、まだ届く)

 進行方向も、これから開いていくのだ。

 マジックマイスターのすぐ、斜め後ろにいるのだから。


 ムチが振られてマジックマイスターも前方に進出。

 狭い馬の間を、ヴァリアントロアも突き抜けていった。

 前にいるのは3頭。

 うちカルマインザダークは、おそらく脚色から捉えられる。

 好位からの差し馬が、2頭強い。

(ボーンクラッシャー)

 宝塚記念では、モーダショーで敗北していた。


 敵討ちなどとは言わない。

 冷静にただ一つ、勝利だけを考える。

 直線はまだ300mは残っている。

 空白の芝に向けて、ヴァリアントロアが解き放たれた。




『先頭ボーンクラッシャー! 抜け出しにかかる!

 マジックマイスターがそれを追う! 果たして届くのか!

 中から来た! ロアが来た! 前の2頭を追う!

 大外からはフォーリアナイト! 持ち出したのは鞍上五十嵐!

 だが前が伸びていくか! ボーンクラッシャー粘っていく!』


 内からは前につけていたボーンクラッシャーとマジックマイスター。

 それに遅れて出てきたのが、ヴァリアントロアである。

 外はフォーリアナイトに、アトランティックも付いてきていた。

 だがこれはフォーリアナイトにとっては、あまり良くない展開のはず。

 最後の直線で併せないと、最後の勝負根性が出ない。

 ただ成長しているのは、ヴァリアントロアだけではない。


 フォーリアナイトも横目で、内側の3頭を見ていたのだ。

 ただ抜け出すのではなく、ゴールを通過するまで。

 上に乗ったうるさいのが黙るまで、走っていかないといけない。 

 それがなかなか出来ないからこそ、フォーリアナイトはずっと2着だった。

 だがやかましいのを黙らせるためには、もう少し走らないといけない。


 2着で終わってしまっても、他の馬を全てもう一度追い抜く。

 そうやって五十嵐は、フォーリアナイトに競馬を教えていた。

 そのフォーリアナイトを、何度も負かせたのが優姫。

(天海~!)

 五十嵐の執念は、フォーリアナイトに伝わっている。

 ヴァリアントロアの末脚が爆発していた。

 彼もまた併せることで、勝負根性を引き出していくタイプ。


 マジックマイスターを抜き去った。

 ボーンクラッシャーだけが前にいて、外のフォーリアナイトも迫っている。

(横はもういい!)

 ボーンクラッシャーを抜いて、どこまで抜け出せるか。

 ヴァリアントロアはそのあたり、好きに走り続ける馬だ。


『並ぶか! 並ぶか! 並んだ! 抜いた!

 ヴァリアントロア抜いた! しかし大外フォーリアナイト! 

 直線はもうない! どちらだ! どちらだ!

 ロアか! ナイトか! どちらだ!

 どっちだ~~~~~~~!』


 ボーンクラッシャーには半馬身、マジックマイスターには1馬身。

 だがフォーリアナイトは、内と外で少し難しかった。

 優姫は最後、邪魔にならないように、正面だけを見ていた。

 なので本当に、どちらが勝ったのかは分からなかった。


 スクリーンに最後の瞬間が映る。

 ほんのわずか、ハナ差である。

 しかし前に出ていたのは、ヴァリアントロアの方であった。


『秋の天皇賞! ヴァリアントロア! 秋の天皇賞を制する!

 マイル王座に加えて、中距離王座も獲得だ!

 ――皐月賞から安田記念、そしてこの秋の天皇賞。

 今年に入って三つめ、通算で四つめのGⅠ勝利。

 この先はジャパンカップ出走を表明しています。

 安田記念の距離から、果たして2400に届くのか。

 期待されるジャパンカップは、五週間後です』




 3歳馬が安田記念と秋天を勝った。

 どちらかだけならば、過去には例があったことである。

 また斤量の優位を考えれば、今のレースはフォーリアナイトが勝っていた。

 しかし3歳馬の有利は2kg。

 最後にわずかな差ではあるが、この時点ではまだフォーリアナイトの方が、強さとしては上であろう。

 またも2着を増やしてしまった。


 4歳の二強と言われた2頭を抑えて、3歳馬が勝利した。

 ボーンクラッシャーの後、4着に入ってきたのはマジックマイスター。

 ダービー馬の矜持を、何とか残す順位であろう。

 2000mの距離において、コースは関係なくヴァリアントロアには敗北。

 だがあと400m距離が伸びれば、果たしてどうなることであろう。


 ジャパンカップに出るならば、最初からダービーにも出ておけ。

 世代ナンバーワンを決めるのは、やはりダービーなのである。

 だが3歳から秋天に出て、しっかりと勝っていく。

 ヴァリアントロアはひょっとしなくても、とんでもなく強いのではないか。

「よっしゃよっしゃ!」

 馬主席からは関係者が、ウィナーズサークルへと下りてくる。

 去年のモーダショーから、今年のヴァリアントロアへと。

 優姫が乗った馬が、共にクラシック戦線から活躍してくれている。


 2頭ともたいして高くない馬であったのだ。

 もっともモーダショーも、スプラッシュヒット産駒ということで、安いというわけでもなかった。

 ヴァリアントロアの方は、気性難がひどかった。

 それでも自分勝手に走り回り、自然と鍛えていた当歳時代。

 この小さな王様はまた一つ、GⅠのタイトルを増やした。


 優姫はゆっくりと、ウイニングランを行う。

 負けた京成杯や、皐月賞に安田記念と比べても、明らかに相手が強かった。

 勝てるか負けるか、という点では微妙なところだったのだ。

 だが負けず嫌いという点では、ヴァリアントロアは優れた性質を持っている。

 それが過剰に出てしまったら、また気性難と言われるのだろうが。


 血統構成としては、むしろダートで通用しそう。

 ずっとそう言われていたし、芝で結果が出なければ、体格は小さくてもダートを試すことになっていた。

 その初戦から、三連勝で朝日杯を制覇。

 本来なら走法としてもダートを走れそうな、パワーのあるスタイル。

 だが実際はこうやって、芝の2000mまで勝ってしまった。


 おそらく今の日本競馬で、一番強いのではないか。

 条件や相手によって、それは変わってくるが。

 フォーリアナイトやボーンクラッシャーも、4歳になってから本格化したと言われる。

 ヴァリアントロアも当初は、晩成かなどと言われていた。

 だが2歳チャンピオンになって、そんな言葉は聞かれなくなった。

 これでジャパンカップまで勝ってしまえば、まさに現役最強であろう。




 アシュレイリンクの血統などで、夏の札幌以来競馬界は盛り上がっていた。

 だが春のことを思い出せば、間違いなく注目度の一番は、3歳で安田記念を勝ったヴァリアントロアであったのだ。

「安くても馬って走るもんなんだな」

 そうオーナーは言っているが、これを耳にした競馬関係者は、とにかく苦笑いである。


 1:56:8という決着。

 歴代の中でもかなり、速いスピードであった。

 ただタイムというのは競走する相手によって、より速いスピードが引き出される。

 ペースは途中までは平均であった。

 だが最後の末脚勝負で、勝負は決まったのだ。


 この最強の3歳と、地方からの怪物。

 はたしてどちらが勝つのか、ということは競馬ファンを熱狂させる。

 もっとも実績で言うならば、ヴァリアントロアは歴代でも最強クラス。

 懸念点があるとしたら、それはやはり距離の延長である。


 血統的には異端ながら、王道を走っているヴァリアントロア。

 深いところに伝説の名馬を持っている、アシュレイリンク。

 こういう馬が出てくると、血統論をしっかりと考えて、配合をしているのが馬鹿みたいだ。

 別にベスト・トゥ・ベストという配合のわけでもない。

 ヴァリアントロアなどは、古い血統にどうにか、更新を狙って言ったもの。

 本来ならばダートを走る、大柄な馬を期待していたのだ。


 ドバイを目指すにしても、ダートではなくターフだろう。

 1800mの距離は、ヴァリアントロアにとって最適のはず。

(来年の話をすると、鬼が笑う)

 優姫は油断することなく、ウィナーズサークルに入る。

 口取りや表彰式でも、まだ笑わない優姫。

 インタビューでもこのレースは、誰が勝ってもおかしくなかった、と言う。

 

 海外からの参戦に、昨年のダービー馬メテオスカーレットも復活。

 秋天で走ったメンバーを、さらに上位層だけを掬っていく。

 この秋天をさらに、豪華にしたメンバー。

 そこにアシュレイリンクも加わるのだ。



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