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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
七章 巡る世界

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第109話 太陽の夜明け

「めんこい馬だなあ」

 思わず方言が出てくる千草である。

 栗毛の牝馬で、鬣の色も黄金。

 いわゆる尾花栗毛(※1)というやつだ。

 目もくりくりしていて、言ってはなんだが三白眼のヴァリアントロアとは比べ物にならない。

「ソーラードーン……」 

 血統としてはドバウィ系であり、ガリレオの血も入っている。

 ヨーロッパの牝馬としては、まず一流の成績を上げているものだ。

 ここまでの成績は8戦6勝。

 驚くべきはその勝ち鞍の中に、オークスと呼ばれるGⅠが三つも入っていること。

 英オークス、愛オークス、ヨークシャーオークス。

 いわゆる欧州牝馬三冠(※2)である。

 もっとも現地においては、こんな呼び方はされない。


 戦績と相手を見て、千草は自然とうなってしまう。

「無茶苦茶強いな……」

 負けたレースは凱旋門賞の3着と、ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフの2着。

 凱旋門賞までは、6戦6勝というものであった。

「本当に強いな……」

 負けたとはいえアメリカの芝で2着なら、高速馬場の適性もあるということだ。


 ヨーロッパの2400mを勝てるタフさ。

 牡馬と混合の凱旋門賞で3着。

 さらにアメリカに渡っても、2着という適応力。

 このアメリカの後にドバイを使うというのは、かなり適切なものであろう。 

 高速馬場から高速馬場へ、というルートになっているからだ。


 現地ではヨークシャーオークスを勝った時『雷鳴の夜は去り、今、太陽の夜明けがやってきた!』などと言われたらしい。

 しかしよくこんな強い馬を、日本の女性騎手に任せるな、とは不思議に思った。 

 単純な話で、ソーラードーンが3着に負けた凱旋門賞。

 その2着馬が昨年のジャパンカップ、ヴァリアントロアとアシュレイリンクの2頭に軽くひねられているからだ。

 またほぼ互角か、あるいはやや上の牡馬が、主戦で同じく出走する、ということも関係しているというか、こちらがメインの理由である。


 欧米では種牡馬ビジネスのため、一流の馬は3歳で引退してしまう。

 それは確かであるが、中東のオーナーは比較的、ブランドとしてのタイトルをまだ必要としているのだ。

 また牡馬はそれでいいとしても、牝馬はまた別の話である。

 年に一頭しか産まないのが牝馬。

 ならばその牝馬を使って、名誉を取りに行くというわけだ。


 父である種牡馬にはスピードなど、能力の絶対値。

 だがマーケットに出すならば、むしろ母の繁殖牝馬のタイトルこそが重要となる。

 種牡馬はその成績で、いくらでも自分の評価を更新する。

 だが牝馬は繁殖として、15頭も産めば多いぐらいだ。

 つまり走らない馬が生まれても、たまたまなのか遺伝が弱いのか、そこが分からない。

 そのために現役時代、どういう成績を残したのかが重要となる。

 もっとも産駒に重賞馬が出れば、それで評価は上がるのだが。




 なるほど、と頷く関係者たち。

「まあボーンもマジマイもうちの馬じゃないし、やっちゃいなさい」

「やってやるぜ」

 ドバイのメイダンの華やかな様子に、優姫もある程度は昂っている。

 それは前日に調整ルーム入りのない、ドバイのシステムがゆえ。

 前夜の食事も、やってきたオーナーたちと普通に食べている。


 しかしSSRC所属の馬が、2頭も出ているのだ。

 特にヴァリアントロアは、1番人気となっている。

 芝のレベルの高い日本で、3歳ながらジャパンカップに勝った。

 ヨーロッパからも参戦していたが、全くいいところがなかった、去年のジャパンカップで、である。


 そのヴァリアントロアと、タイム差なしのハナ差2着であったアシュレイリンク。

 こちらもかなりの人気にはなっている。

 ただ今年はアメリカから、強い騙馬が出場している。

 ついこの間のサウジカップで勝って、その勢いのまま参戦しているのだ。

「対戦相手はチャンピオンズステークス勝ってたり、ブリーダーズカップクラシック勝ってたり、魔境だな」

 千草としてはさすがに、馬の勝ちレースの名前だけで、くらくらとしてくる。


 歴史の重みが違う。

 日本が江戸時代であった頃から、存在していたレースもある。

 ただそれでも出走してくるメンバーを見れば、ある程度のレベルが分かる。

 それに優姫の言っていたこともだ。

 ヨーロッパはもう、レースが種牡馬選定の機能を、あまり有していない。


 シーマクラシックはまだ分かる。

 ヨーロッパから出てきている、2400で結果を残している馬。

 ただターフの方で、ヴァリアントロアの有力なライバルと見られている馬。

 こちらはヨーロッパではなく、香港の馬であるのだ。

「GⅠ11勝って、なんだかバグってるだろ」

 社長がそう言うが、香港ならばそういうこともある。

 騙馬を走らせるため、限界まで賞金を獲得しに行くのだ。


 ターフ、シーマクラシック、そしてワールドカップ。

 3レース連続で、優姫は乗ることになっている。

 夕方からレースは順番に始まっていくが、この3レースは第7レースから第9レースと最後に集中している。

 世界のレベルで乗るのが3レース。

 消耗は激しいだろうが、勝てば報酬はとんでもない。




 日本のジョッキーは恵まれている、と言われる。

 だが本当にトップクラスになれば、海外の方が上であったりする。

 経済原理に従い、強い者が本当に巨大な富を築く。

 もしもこの3レースの全てに勝てば、その賞金は20億を超える。

 そしてドバイの場合、1着である場合は特に、騎手の取り分が10%となる。

 つまり3レースに乗っただけで、2億を稼ぐことになるのだ。


 優姫は基本的に物欲が少ない。

 商売道具には気を遣うが、乗っている車も普通に、ジムニーを使っている。

 CMに出た時に、高級車を報酬の一環として手に入れることもあった。

 だがそちらは実家に渡して、母が主に乗っている。

 しかし金を貯めることは、後のことを考えれば、重要な優先事項だ。


 ここでドバイの大馬主との関係が出来るのも、後の役に立つ。

 牧場を作る時に、一番重要なことは何か。

 もちろん牧場本体や、働く人間も重要だ。

 しかし一番はやはり、肌馬になるのだ。

 それを海外から仕入れる、ルートを作れるかもしれない。


 ジャパンカップは国際レースであるし、有馬記念はお祭り騒ぎ。

 だが競馬を一つのショーとして演出している面は、海外の方が上手いことが多い。と

 もっとも日本の場合は、そんなものも必要とせず、勝手に盛り上がってくれるということもあるが。

 大規模なショーと、庶民の文化。

 日常の中に競馬があるというのは、実はとてもすごいことなのである。

 つまりハイセイコーとオグリキャップは偉大だ、と言うことに帰結する。


 レース当日。

 ドバイミーティングの面白いところは、アラブ馬のレースもあることである。

 昔は日本にも、アングロアラブの競走というものがあった。

 アラブ種はサラブレッドに比べ、神経に繊細さが少ない、とも言われた。

 しっかり長く走れるので、戦後の需要はかなりあったのだ。

 それが中央から消えていき、サラブレッドに統一される。 

 なお今のサラブレッドの中にも、アラブの血が混ざっているのは普通の話。

 そもそもサラブレッドの元が、アラブ馬なのだから。


 ジョッキーたちには個室が用意される。

 また直前までは普通に、ホテルの部屋に滞在していてもいいのだ。

 ドバイのレースに出走する馬は、王族同士が別に所有していたりもする。

 このあたり本当に、国策事業だなとも思われる。

 日本の場合も大きなマーケットだが、こういった感じではない。


 そしていくら国策で盛り上げようと、生産の拠点は現地ではない。

 気候的に馬が生育するのは、厳しい季節が多いからだ。

 サラブレッドは暑さに弱い。

 そのため空調が完全であることを求められるし、そういった設備は常時稼働が難しい。

 世界の各国で、中東の馬が走るわけである。




 外国産馬の恐怖に晒されていたのが、90年代の話。

 サンデーサイレンスのおかげで日本の競馬は、他国とは差別化することに完了した。

 もちろんサンデーサイレンスばかりではなく、人間の努力もあったが。

 まずはドバイターフ。

 日本の偉大なるシルバーコレクター、フォーリアナイトが参戦。

 これはもちろん侮りがたい相手であるが、本命の対抗は香港馬。

 6歳馬ドリームナイト。

 晩成ながらGⅠ6連勝など、いまだに一線級の実力を誇っている。


 今年も既に香港のレースで、GⅠを勝っている。

 ただ一番勝ち鞍が多いのはマイルで、2000だと勝率が落ちる。

 この1800mという距離が、どれぐらい向いているのか。

 28戦16勝という怪物。

 前でレースをするタイプ、だとは分かっている。

 日本のものとは違う、この海外のレースの雰囲気。

 ヴァリアントロアの戸惑いは、耳の動きからも感じられた。

「ロア君、今日は夜のレースだから、緊張してるのかな?」

 耳の動きが止まった。


 ヴァリアントロアの視線は、フォーリアナイトに向けられている。

 その首筋を叩いて、優姫は指差す。

 ドリームナイト。香港の黒鹿毛馬。

 バランスの取れた体格は、マイルから中距離向きだな、と確かに見ているだけで分かる。

 だがその距離なら、ヴァリアントロアも無敗なのだ。

 そもそも2000mで一度負けただけで、あとは全て勝っているのだから。


 タマを取ってしまえば、とヴァリアントロアは2歳時には言われていたものだ。

 それだけ気性が荒く、競走馬になれないかもと思われていた。

 だが多くの人々が、今は取らなくて幸いだと思っている。

 この気性難の悍馬が、どこまで勝つことが出来るのか。

 そしていずれは繁殖入りして、どのような産駒が生まれてくるのか。


 ゲートを前にしてようやく、ヴァリアントロアもやることが分かったようであった。

 これは調教ではなく、レースなのだと。

 ディープインパクトにキングカメハメハ、そしてストームキャット。

 既に日本の主流と世界の主流が一つ、その血統の中に入っている。

 だがそれでもこの馬には、種牡馬となる価値がある。

 自分でそれを証明した。

 輝くばかりのライトの中で、ヴァリアントロアはゲートから飛び出した。




 後方で脚を溜めて、そこから一気に追いかける。

 キレもあれば、並んでからの勝負根性もある。 

 そんなヴァリアントロアが、今日は前めの競馬をしている。

 フォーリアナイトは今日も変わらず、後方からの競馬。

 そしてヴァリアントロアがマークしているのは、やはり前で競馬をするドリームナイトである。


 上から見ていると、はっきりと分かる。

「前すぎないか」

「問題なく折り合ってます」

 千草もしっかりと、その様子を見ている。

 ヴァリアントロアの気性難。

 とにかく前に行きたがるその気性。

 普段なら前に壁を作って、そこで脚を溜めておく。

 だがこの距離ならば、一気に押し込んでいけると踏んだか。


 計測されているラップは早いはず。

 ここで脚を使って、果たして最後までもつのか。

 裂蹄は完全に治ったが、これが復帰後初のレース。

「あ……」

 その千草の声に、周囲の視線が集まる。

「鳴神先生、何か?」

「いや、今日はわざと、末脚勝負には持ち込んでいないんじゃないかなと」

「それはどうして?」

「裂蹄でロアはスピードの最大値を出すのを怖がるようになったかもしれません。だから最初からスピードを出して、ラスト3ハロンの瞬発的なスピードを使わない展開にしているのかなと」

 優姫はただ、前で行くかもと言っただけだ。

 だがその予想は、理屈としては妥当性があるだろう。


 ヴァリアントロアの気性難の改善。

 それは走れる距離を、伸ばすことに成功した。

 だがもっと重要なのは、ペース配分を調整すること。

 ハイペースの競馬であっても、それについていくこと。

 そして最後の脚を残しておくのだ。


 最後の直線の半ばで、ドリームナイトを差しにかかる。

 だがあちらもまだ抵抗してくる。

 圧倒的な能力は、前で競馬をしても平気で、最後に二の脚を使ってくる。

 集団から抜け出した2頭。

 しかしそれを追いかけて、馬群を割ってくる馬もいた。


 フォーリアナイト。

 シルバーコレクターと言われながらも、現在の日本の馬では、トップ3に入るのではないか。

 それが崩れたのは、あのジャパンカップ。

 1着と2着に、ヴァリアントロアとアシュレイリンクが入ったレース。

 このレースにもそのヴァリアントロアと、香港の怪物がいる。

 だが結果は違う。


 ヴァリアントロアとドリームナイトが並ぶ。

 そして後ろからそれを差すのが、フォーリアナイト。

 ナイト2頭に挟まれそうなヴァリアントロア。

 だが両方からの荒ぶる気配は、むしろヴァリアントロアの魂を爆発させた。


 残り50mほど。

 ヴァリアントロアのストライドが、一際大きくなる。

 半馬身から、一馬身への一瞬のリード。

 フォーリアナイトの勝負根性の、反応速度を上回る。

 かくしてヴァリアントロアは、6個目のGⅠを制したのであった。




 ドバイのレースは終わるごとに表彰がある。

 ターフの場合もやはり、ここで表彰されるのだ。

 王族と共に与えられたのは、ブリーダーズカップ・マイルへの招待状。

 全て無料で参加できる(※3)、というものであった。

 もっともヴァリアントロアで、それに出ようとは思わない。


 マイルで最強を名乗りたいなら、香港マイルにでも出走する。

 実際に芝のマイルであれば、あれが一番だと優姫は思っているのだ。

 それに準じるのが、日本の安田記念。

 もちろんヨーロッパにも、マイルの伝統的なレースは多い。

 だが賞金が低い。


 結局のところ、賞金が高いレースに勝てば、それだけ価値は上がる。

 賞金が高いレースがあるのに、それに出走しないこと。

 それはもちろん適性の違い、というのは明白にある。

 だが負けるのが怖いのだ、と一般的には感じられても仕方がない。

 そのあたり業界の認識と、一般人の認識はかなり違う。


 次のレースは何に出るか。

 日本に戻って安田記念か、あるいはヨーロッパに移動するか。

 ただヨーロッパのレースは、普通に招待競走などは少ない。

 凱旋門賞などでは、馬券売り上げのために、ある程度の日本馬に便宜を図っていることはあるが。

 最終的に決めるのはオーナーだ。


 そしてターフが終わり、次にはシーマクラシック。

 外国馬に自分が乗り、日本の最強クラス2頭と対決するのは、想像もしていなかった構図だ。

(それにこの仔……)

 何度も調教で乗ったが、とんでもなく強い。

 これで凱旋門賞に勝てなかったのは、馬場の適性がなかったのか、あるいはまだ成長中であったのか。

 今年はソーラードーンは、また凱旋門賞に出る予定だという。

 日本馬がもしも、それに参戦したとしたら。

(とんでもなく、強いライバルになる)

 それでもヴァリアントロアや、アシュレイリンクが負けるとは思わない優姫であった。

 ※1 尾花栗毛

 栗毛の中でも特に、鬣や尾が白に近い金髪であるもの。

 めっちゃ可愛い。


 ※2 欧州牝馬三冠

 実際の三冠体系は、一つの国の中で成立する。

 ただ英愛オークスを勝った馬はオークス・ダブルと呼ばれることはある。

 実際にイギリスを勝った馬が、アイルランドにも出走することは珍しくない。


 ※3 ブリーダーズカップ

 実際は出走権は与えられるが、全てが無料になるわけではない。

 マルシュロレーヌやエバヤンの活躍により、待遇が変化しているという設定である。

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