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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
七章 巡る世界

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第110話 世界をつなぐ

 ドバイミーティングのような、一日に複数のGⅠが行われるレースでは、優姫は香港に乗った。

 しかしあれはモーダショーで、香港ヴァーズに乗ったのみである。

 終盤の3レースに全て乗る。

 しかもどのレースも、相手は超強豪。

 シーマクラシックには、日本馬も2頭参戦。

 ボーンクラッシャーとマジックマイスター。

 グランプリ馬と、ダービー馬の出場である。


 マジックマイスターは、ヴァリアントロアが回避したからこそ、ダービーを勝てた、などと言われている。

 だがその後のGⅠレースでも、全く凡走はしていない。

 ただヴァリアントロアに、アシュレイリンクという、極めて逸脱した存在が、同じ世代にいたのは不運であったろう。

 被害者の会代表になるには、取ったダービーというタイトルが巨大すぎるが。


 ボーンクラッシャーも、故障に泣いたクラシックシーズン。

 古馬になってようやく、宝塚記念を勝った馬。

 だがやはり秋のGⅠ戦線は苦しかった。

 この二年ほどの日本競馬は、明らかにレベルの高い馬が数頭、突出していたと言えるであろう。

 それを一人で抱えている、優姫の存在はおかしい。

 ただ過去を見てみれば、平成三強の全てに乗った若手などというのもいるのだ。


 ボーンクラッシャーもマジックマイスターも、本当は松川のお手馬である。

 このように超有力馬を、一人のジョッキーが独占しているのはおかしくはない。

 ただ今回の場合は、オーナーの意向が強く働いて、両方をシーマクラシックに出している。

 1800mの距離でヴァリアントロアと戦うよりは、ずっとマシという判断なのだ。


 ところがこの層が厚い2400mの距離に、優姫が参戦してきた。

 ソーラードーンという、4歳の牝馬。

 だが英愛オークスを勝っていて、ヨークシャーオークスも勝っているというのは、欧州の2400m牝馬では最強ということである。

 さらに凱旋門賞で3着し、これがヨーロッパ外2走目。

 一番厄介な馬に、王族連中は優姫を乗せたのだ。


 牝馬だから、と甘く見ることは出来ない。

 2kg減量の恩典はあるからだ。

 54.5kgというのは、かなり軽く乗れるGⅠ。

 対してボーンクラッシャーは57kgで、マジックマイスターは56.5kg。

 わずかではあるが、この差がどう影響してくるか。


 同じ日本人だから、という甘い観測は出来ないであろう。

 それに他にも、強い馬はしっかりと出てきている。

 勝っているGⅠの数が、三つはあって当たり前。

 アメリカの芝馬も出走しているのだ。

 もっともGⅠの数に関しては、日本が少なすぎる、とも言える。

 オーストラリアのように無秩序に増やすよりは、よほどマシだとも思えるが。




 ソーラードーンはブリーダーズカップに出走してから、このドバイで調整を行っていた。

 そんな地の利まで考えて、圧倒的な有利とも言える。

 それでも完全にダントツ1番人気にならないのは、やはり牡馬との混合戦で勝っていないから。

 もっとも日本のオッズでは、1番人気になってしまった。

 優姫が乗ることが決まったことで。


 豪華なイルミネーションに彩られた、夜のメイダン。

 レースが進むごとに、その祭りは進んでいく。

 シーマクラシックはレースレーティングだけならば、ワールドカップよりも出やすい傾向がある。

 そのレースにおいて、1番人気となってしまうこと。

 ただ優姫には有利なこともある。

 海外の人間はまだ、優姫の異常さをしっかり認識していないのだ。


 優姫からするとむしろ、日本馬2頭が強敵だと分かっている。

 ただ比較的長くこちらで調整できたことで、有力馬は他にもマーク出来ている。

 それこそ同じ中東王族が、送り込んできている馬がいるのだ。

 ヨーロッパの馬と違って、それらはしっかりと、ここの芝への適性を確認してある。

 

 UAEの公用語はアラビア語だが、基本的に英語も通じる。

 ヨーロッパのホースマンは、およそが英語で通じるのだ。

 日本人は若く見られるが、優姫は実際に若い。

 21歳であるが、まだ中学生ぐらいに見られる。

 ちびっこの多い競馬の世界で、これはちょっと珍しいことかもしれないが。


 競馬の世界は実力が全て。

 年齢も性別も関係ない、というのが建前になっている。

 だが実際のところは、かなり人間関係が重要になっている。

 日本の競馬の世界など、親子三代がジョッキーなどということもある。

 親が厩務員や調教師のジョッキーは、それよりもずっと多い。

 その中ではやはり、優姫は異質であるが。


 クラシックディスタンスのシーマクラシック。

 ゲートに誘導されていくのも、ソーラードーンは落ち着いていた。

 日本馬も松川などは、海外遠征の経験が多い。

 そしてマジックマイスターの乗り替わりとなったリードなどは、日本をメインにしてはいるが、外国出身の騎手なのだ。

 果たしてどの馬が、一番強いのか。

 もしも負けたとしても、まだ日本馬はこの距離なら、ヴァリアントロアとアシュレイリンクが残っている。




 ドバイワールドミーティングは、確かに巨大なイベントだ。

 しかし日本で話題になるのは、相当の人気馬が遠征したか、それか勝った時である。

 高額な日本の賞金より、さらに巨額の1着賞金。

 ジャパンカップと有馬記念なら、おおよそはそれに近かったりするが。

 今年の場合は馬もだが、ジョッキーが注目されていた。

 ヴァリアントロアとアシュレイリンク。

 おそらく今の日本の王道路線で、最強クラスのこの2頭。

 これに優姫が乗るからである。


 さらにシーマクラシックへの騎乗が、現地で決まったという。

 こういった強い馬へは、中東の王族オーナーは、契約した騎手を乗せるのが一般的である。

 この例外的な騎乗は、それだけにニュースにもなった。

「遠いなあ……」

「まあ仕方ないね」

 大井の厩舎では、天音がこのレースを見ていた。


 時差は五時間。

 だが競馬中継は、専門チャンネルでリアルタイムで行っている。

 中東も産業として育てているので、日本の巨大市場は、無視するわけにもいかない。

 実際に日本にも、中東の巨大グループの、日本支場が存在するのだ。

 日本人騎手が、しかも女性騎手が、この世界的な大レースで勝つということ。

 それだけでも充分に、大きなニュースにはなる。


 日本の数多くの名馬も勝ってきたシーマクラシック。

 イクイノックスもまた、このレースの勝者であるのだ。

 欧州の最強馬は、特に牡馬は3歳で引退し、この時期にはもう種牡馬として活動している。

 逃げやがって、と思う気持ちは日本人の中にはある。

 それがビジネスだと言われれば仕方がないのだが、虚業で人気が落ちるのを無視していれば、やがては崩壊するであろう。


 モニターの中では、ゲートが開いてスタートする。

 好スタートのマジックマイスターとボーンクラッシャー。

 優姫の馬にはあまり、注目が集まってはいない。

 日本語の実況も、やはり日本馬が中心。

 だが優姫の乗っている馬も、2400の距離では欧州最強の牝馬なのだ。


 中団の位置取りで、周囲を他の馬に囲まれている。

 これはちょっとまずいのではないか、と天音は優姫の視点で見ていた。

 道営をはじめ日本の地方競馬は、前で勝負することが多い。

 比較的後ろからも届く、この大井競馬場でさえ、前に位置するのが基本とも言える。

 この不安を、果たして優姫は消してくれるのか。

 一方的にライバル視している相手でも、簡単に負けてくれたら困るのだ。




 客観的に見ることが出来る。

 調教師の千草としては、モーダショーなどの自分の厩舎以外の馬でも、優姫が乗っているだけというだけで、客観性からは遠くなっていた。

 それでもさすがに外国馬に乗って、日本の代表2頭を相手にする。

 これならばどうにか、客観的に見られるのだ。


 SSRC関係者は、注目はしていた。

 自分たちの馬でなくても、優姫にどれぐらいのレースが出来るのか。

「囲まれちゃったな」

「鳴神先生、これじゃあ厳しいのでは?」

「いえ、この距離で直線も長いですし……」

 とは思っても、どうやって勝つかは聞いていない。


 競馬というのはなんだかんだ言いながら、先行して強い馬をマークし、最後にそっと差すのが一番安定している。

 大外一気や追い込みなどは、確かにパフォーマンスとしては派手であるが。

 絶対能力が高いなら、逃げてしまっていい。

 進路がクリアなのだから、なんらかの紛れもなくなる。


 最近のモーダショーは、比較的最初からやる気を出してくれている。

 だから先行や逃げという戦法も取れている。

 スタミナの塊であるから、他の馬の脚を削って、自分は最後まで粘り込む。

 そんな戦法で勝つためには、トップスピードもある程度必要であるし、距離が長い方がいい。

 春天の連覇が、果たしてなるか。


 SSRCに関係があるのは、これから走るアシュレイリンクだ。

 だがシーマクラシックでは、普通に日本馬を応援する。

 日本の馬産全体のレベルが高くなれば、本来なら世界をリードする立場になりうる。 

 ただ競馬という世界は、極めて閉鎖的なもの。

 日本も閉鎖的であるが、最初に作られた構造が、それを超えて閉鎖的であるのだ。


 などと考えている間に、馬群を縫ってソーラードーンがやってきた。

 牝馬らしい一瞬のキレを、この最後の直線で使ったわけだ。

 平坦なメイダンでは、前の馬が残る展開が多くなるはず。

 しかしソーラードーンは、その予想を上回ってきた。

「うわ……」

 日本の2頭のみならず、5頭ぐらいの接戦となった最後の直線。

 クビの上げ下げで、勝敗は決まったのであろう。


「どれが勝った?」

 ゆっくりとした映像による判定。

 頭半分ほど、ソーラードーンが先にゴールを切っていた。


 相手が日本馬であろうが、自分の馬が最優先。

 当たり前のことを、優姫はやっただけである。

 かくして表彰式では、記念品の時計(※)なども送られる。

 一日でGⅠを2勝目。

 これぞGⅠレースが集まった日のある、海外でしか出来ないことだ。

 そしてワールドカップがやってくる。




 アメリカの本当の一流馬は、3歳で引退する。

 結果がちゃんと出ていれば、それでもう種牡馬入りさせてしまうのだ。

 だがドバイワールドカップに出てくるのが、全て二流馬かというと、それも違う。

 晩成馬と騙馬は、ここでも能力を証明するか、賞金を稼ぐ必要があるのだ。


 現在の馬産は、巨大なグループにおいては、種牡馬ビジネスが最大のものとなっている。

 強い馬を作るのではなく、いかに金を儲けるかが重要となる。

 ある程度であればそれは、間違いでもないのだ。

 ヨーロッパと違ってアメリカでは、スピードの絶対値とブランドの比較が、誤っている割合は小さい。

 だが4歳になってようやくしたような晩成馬は、早熟志向の現代馬産では嫌われる。

 そういった馬が種牡馬入りするには、今度は成長性を見せなければいけなかったりする。


 ファイナルチャプター。

 3歳はせいせいがGⅡを勝ち負けしていた馬である。

 それが4歳になってから覚醒し、GⅠをいくつも勝った。

 ただ晩成であるというのは、現代競馬では明確なマイナス。

 そのためさらなるタイトルを取って、種牡馬入りを狙っているというわけだ。

 5歳となって完全に、充実したパフォーマンスを発揮する。


 他にも騙馬が2頭出ている。

 地元の王族の出している馬もいて、今年は合計で14頭での出走。

 中東ダート適性が高いと思われれば、ヨーロッパの芝馬も出ていたりする。

 こんな怪物の中を、アシュレイリンクが勝てるものなのか。

 それを言えば香港のドリームナイトも、圧倒的な怪物のはずであるのだが。


 おそらくあのレースで、ヴァリアントロアのレーティングはさらに上がった。

 もしかしたら世界でも、トップかその次ぐらいに。

 血統的に微妙な配合で、種牡馬になっても扱いは微妙。

 そういう評価であったが、圧倒的な実力とGⅠのブランドは、それを覆す。

(ロアのパワーなら……)

 千草は計算するのだ。

 ヨーロッパの重い馬場でも、充分に勝てるのではないか。

 距離の計算は問題になるだろうが。

 

 初期はマイラーかとも思われたヴァリアントロア。

 今はヨーロッパでも、マイルから中距離の価値が高くなっている。

 種牡馬として成功するために、そのあたりのブランドがほしい。 

 実際にはGⅠを1勝だけでも、充分な大成功種牡馬になったりするのだが。




 そしてワールドカップが始まる。

 去年のブリーダーズカップ優勝馬に、それと肉薄する馬が2頭。

 本来は芝馬であるが、充分に強いと思われる馬が何頭もいる。

 国際GⅠに限っては、2勝しかしていないアシュレイリンクは、むしろ弱いとさえ評価される。

 だが評価軸は様々だ。

 東京大賞典で勝利したソウルハンターを、フェブラリーSで撃破。

 ドバイターフで完勝したヴァリアントロアと、ジャパンカップではハナ差の勝負。


 まだタイトルの数は多くない。

 だが実力は間違いなく、とんでもないものがある。

 4歳馬が8戦7勝なのだから、弱いはずもない。

 また実は、成長途中の馬なのだ。

 しかしここで勝てるのかどうか。

 それは未知数のものである。


 日本のダートでは勝った。

 だが日米の、あるいは中東とのダートとは、全く別のものである。

 馬を長く、しかも短い間隔で使うため、クッションの利いた砂を使う。

 それが日本のダートであり、実際に年に10回以上走る馬など、地方ならばいくらでもいるのだ。

 このドバイのダートは、芝に近い。

 故障を恐れたクッション性はあるが、それよりは日本の芝に近い。

 そんな注目の中で、レースはスタートした。


 スタートダッシュは良かったが、無理に先頭に立つことはない。

 それでも三番手で、高速のラップについていく。

 先頭は地元の馬がいて、二番手にはファイナルチャプター。

 このレースにおいても、さすがに1番人気のブリーダーズカップ・クラシックの王。

 おそらく現役では、最強のダート馬と言ってもいいだろう。

 しかもダートの2000mという距離の。


 アメリカタイプの競馬は、最初から飛ばしていくことが多い。

 スプリント戦に近いというのはさすがに言いすぎだが、平坦なために最後で脚が止まらない。

 なので前の位置を占めて、コーナーをしっかりと回っていかないといけない。

「よし、左回りはいい」

 思わず千草は声に出している。

 ハイペースによって、スタミナを削り合う。

 そのくせ最後に脚を残していても、追いつけるとは限らないのだ。


 最後の直線、ファイナルチャプターは上手く、先頭の馬を利用していた。

 三番手のアシュレイリンクの、進路をわずかに塞ぐようにする。

 ただここまで既に、四番手との差がある。

 優姫は迷わずに、外に出していたのだ。

 そこからは圧巻であった。


 ほんの数歩で、一気にファイナルチャプターを抜き去る。

 そして逃げていた馬もあっさりと抜き、単独の先頭へ。

「おいおい……」

「ええ……」 

 脚が止まってしまうこともない。

 ゴールを過ぎた段階では、2着まで上がってきていたファイナルチャプターと、5馬身もの差がついていたのであった。


 アシュレイリンク、ドバイワールドカップを圧勝。

 いまだに極東の島国の、有力馬の中の1頭。

 その印象を覆す、圧倒的な勝利。

 実力が世界一なのかどうかは、まだ分からない。

 だがこの日アシュレイリンクは、世界に自分の名を刻み付けた。


 ※ 記念品の時計

 スイスの時計メーカーであるロンジンが、シーマクラシックには特に名前をつけている。ロンジン・シーマクラシックというように。

 ここで配られる時計は100万円以上の高級モデルだが、単に高いというだけならもっと上の時計はある。

 しかし優勝記念の刻印がある時計は、当然ながら世界に数本。

 ある意味でははるかに貴重な時計となる。

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