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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
七章 巡る世界

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第105話 彼の背中

 アシュレイリンクが入厩したのは、年明けで金杯が終わった後である。

 有馬記念を激走し、見事に勝利したアシュレイリンク。

 なおJRA賞の各賞が決まっていた。

 年度代表馬と最優秀3歳牡馬には、文句なしでヴァリアントロアが選出。

 また安田記念しか走っていないのだが、最優秀マイラーにもかなりの票が入っていた。

 そちらはさすがに、桜花賞とNHKマイルC、マイルCSを勝ったファムダンサントが選ばれたが。

 おそらく彼女に直接対決で勝ったことが、原因であろう。

 さすがに去年はマイルを一度しか走っていないので、投票するのも迷ったということであろうか。

 ちなみに彼女は、最優秀3歳牝馬にも選ばれている。


 最優秀4歳以上牡馬には、モーダショーが選出。

 春天とメルボルンCの他に、安定して走り続けたことが評価されたらしい。

 他の古馬がどれも、GⅠを一つしか勝たなかったことが、この選出理由でもあるだろうが。

 なおGⅠを勝っているのに、名誉シルバーコレクター会員のフォーリアナイトにも、相当の票が入っていたらしい。

 そして特別賞に、アシュレイリンクは選ばれた。


 地方所属馬が、有馬記念を勝つ。

 もちろんそれは間違いなく、偉業ではあるのだ。

 だが絶対にあるな、と思われたのは一つ。

 オグリキャップへの忖度である。

 ただ札幌記念で、モーダショーに勝つ。

 ジャパンダートクラシックでのソウルハンターを撃破。

 ジャパンカップではレコード決着。

 最後に有馬記念である。


 なんとも美しすぎる戦いではないか。

 全てを勝っているのではなく、敗北したレースもある。

 だがそれで格落ちすることがなかったのが、オグリキャップである。

 年度代表馬以外、アシュレイリンクに勝つことが出来なかった。

 それこそまさに、1988年の再現だ。


 なお最優秀ダートホースに、ソウルハンターは選ばれなかった。

 NAR(※1)のダートグレード競走特別賞には選ばれたが、やはり中央のGⅠを勝っていないというのが理由であろう。

 チャンピオンズカップを勝っていたら、必ず選ばれたはずだ。

 優姫は今年、お手馬にGⅠ馬が4頭いることになる。

 もっともヴァリアントロアは、まだ療養中であるが。


 アシュレイリンクを乗り込んでいく。

 有馬記念で乗ったが、まだ乗り味が充分ではない。

 鞍のはまりのいい馬。

 体重などもオグリキャップに似ている。

 だがマイラーではなく、ステイヤー体型に近い。

 それで短距離も走れるのだから、やはり絶対能力で強いのだ。




 アシュレイリンクはSSRCが10億円で買収した。

 富田林の元にはとんでもない金が入ったわけである。

 しかしここから稼いでいく賞金だけでも、おそらくはそれをペイする。

 来年には富田林とSSRCが、共有の馬主となっていく。

 そのために富田林は、今年も馬を買ってもらうことになるわけだが。


 現役時代のみはSSRCが所有、という形なら一応、今も問題はない。

 だが富田林が中央の馬主資格を持てば、また権利を半分渡す、という約束。

 ここは相当に微妙なところで、名義貸しと取られかねない。

 なのでどうも、契約書はお互いがこっそりと持っているのだとか。

 もっとも富田林は既に、賞金と売却代金で、既に余生を過ごすだけの金を持っている。

 SSRCがこの約束を破れば、おそらくJRAが本気で怒る。

 企業の倫理観という点でも、問題なく守るはずだとは思える。

 しかし人間の考えることは、色々と欲望で動くものなのだ。


 優姫や千草のような、牧場出身の人間は分かる。

 アシュレイリンクはむしろ、引退してからがビジネスの本番だと。

 血統的に父トラブルブレイカーは、代替種牡馬としてそこそこの実績がある。

 だが本当に重要なのは、母方の血であるのだ。

 オーストラリアに存在した、スプリント系種牡馬を大量に含んでいる。

 そのため多くの日本の在来繁殖に、問題なく付けられるというものなのだ。


 ここもまた皮肉な話である。

 五代グループなどは今、まさにオーストラリアなどからも、繁殖を輸入している。

 しかしスプリント系の繁殖からは、まだ明確な成功配合は出てきていない。

 間違いなくスピード血統ではあるのだが、ミスプロやストームキャットほどは分かりやすくないということだ。

 そしてこのアシュレイリンクは、むしろ日高の方に需要がある。


 オーストラリアの種牡馬は、基本的に早熟単距離が最大の需要。

 それに比べると中距離の種牡馬は、価格が抑えられる。

 またシャトル種牡馬の存在により、価格が高騰しにくいという側面もある。

 アシュレイリンクの母系には、短距離に偏りすぎない、しかしスピードのある種牡馬が、代々つけられてきた。

 とは言っても充分に、短距離種牡馬が多かったのだが。


 母系がオーストラリア血統。

 世界中から繁殖牝馬を輸入している、五代などと日高の中小牧場は違う。

 ある程度は血統の更新も行っている。

 だがまだ欧米血統が多く、オーストラリアまでは集まっていない。

 それを言うなら五代にしても、オーストラリア以外の血統と、配合すればいいのだが。




 最近の血統評論家は、かなり苦しくなっている。

 よく分からないところから、強い馬が出てきているからだ。

 晩成だったホワイトウイングから、早熟でクラシックを勝ったシュガーホワイト。

 短距離からマイルが中心だったスプラッシュヒットから、長距離砲のモーダショー。

 晩成のダート馬から、2歳王者で3歳年度代表馬のヴァリアントロア。

 そして今度は代替血統から、オグリキャップの血を引くアシュレイリンクである。


 確かにサラブレッドは、何が成功するのか分からない、とは言える。

 サンデーサイレンスにしても、ヘイローから出た活躍馬は、そこまで多くはなかったのだ。

 今はサンデーサイレンスの血を、世界が欲しがっている時代。

 実際にヨーロッパでもオーストラリアでも、かなり血が拡散してきている。

 それでもここのところは、限度があるだろうと言いたい。


 もっともこういった馬が、種牡馬として成功するのか。

 最近では血統ではなく、スピードの絶対値などを考えることも多い。

 アメリカあたりではそれが顕著で、たとえGⅠを勝っていなくても、スピードの絶対値で種牡馬入りさせている。

 ヨーロッパはそれに比べると、まだしも血統のブランドを重視する。

 同じヨーロッパでも、一つにまとめてしまうのは雑なのだが。


 どこに持っていっても、それなりに戦えそうなアシュレイリンク。

 モーダショーやヴァリアントロアと同じく、サラブレッドに特有の繊細さがあまりない。

 どこでものんびりしているモーダショーや、人間の好き嫌いが激しいヴァリアントロアは、それなりに違う方向の気性難。

 だがアシュレイリンクは相対的に、かなり扱いやすいのは確かだ。


 ダートのレースに出すために、改めてダート適性を確認する。

 曳いて歩くぐらいならともかく、本格的に乗るのは初めて。

 そしてやはり確信する。

 下手くそが乗れば、アシュレイリンクは走れない馬だと。

 体の柔軟性が高いのだ。

 そのため鞍上も、かなり動きが激しくなる。


 バランスを取って、しかも自分の体の推進力を使う。

 身体操作が分かっている人間でなければ、全力を出し切れない。

 もっともそれは、どの馬にも言えることだ。

 アシュレイリンクはそれが極端というだけである。

 暴れん坊のヴァリアントロアに比べれば、ずっとましなことは確かだ。




 今年のモーダショーの最初のレース。

 これもまた重要なことである。

 香港から帰ってきて、少し外厩で休ませた。

 そして様子を見に行けば、牛のように太っていたりする。

「何これぇ……」

 優姫ではなく、担当の厩務員の言葉である。


 馬は普通、移動するだけで体重が減る。

 それが本当は心配なのだが、モーダショーは逆である。

 運動をしなかったため、太ってしまっている。

 検疫の期間は運動も、ある程度制限されてしまう。

 そんな短期間に、でっぷりと太ったというのか。

 むしろストレス太りなのかもしれない。

 便は出ているし、馬は平気な顔をしているが。


 去年は阪神大賞典から始動した。

 だがもうスタミナの証明は充分なのだ。

 斤量を考えると、やはりもうGⅠだけを走るべきなのだろう。

 すると大阪杯が視野に入ってくる。

 そこからまた、春天を目指すというのが、段階的であるとは思う。


「どうしようかねえ……」

 三ツ木も悩んでいる。

 今年はフォーリアナイトとボーンクラッシャーが、ドバイに出走予定で春のメンバーが薄くなるのだ。

 マジックマイスターもドバイに向かうという。

 モーダショーのいいところは、使いべりしないところだ。

 だからGⅡを叩いてから大阪杯、というのもいいだろう。

 もちろん春の最大目標は、天皇賞であるが。


 スタミナタイプのステイヤー、というのがモーダショーの評価である。

 体型はどちらかというと、中距離を走りそうであるのに。

 もちろん優姫はその走法から、長距離を走っているのだと分かっている。

 このまま種牡馬入りした時、果たしてどういう扱いになるのか。

 ブランド価値はちょっと微妙。

 だが試したいと思っている生産者は、かなり多いはずである。


 種牡馬需要というのは、価格やブランドだけで決まるものではない。

 それは一部分でしかないのだ。

 重要なのは期待値との乖離である。

 ミスターシービーやラムタラといった、評価としては大失敗種牡馬。

 だが実は勝ち上がり率などは、そこまでひどかったわけではなかったりする。


 モーダショーも2400前後の距離で、3着以内に入っている。

「最後に坂のない京都記念を使うとか」

 そういう理由で斤量不利を含めても、GⅡ京都記念を使うことにしたのだ。

 様子を見ながら大阪杯、そして春天。

 宝塚までこなせたら、それだけで充分。

 昨今の馬にはない、タフネスという要素が、強力な売り文句になるかもしれない。




 今年はクラシック戦線で、大きく活躍できる確信が、お手馬に持てていない。

 だからこそ古馬で、大きなところを勝っておきたい。

 なおそのお手馬の中で、ちょっと問題が一つある。

 問題と言うよりは、ありがたい展開とも言えるが。


 ソウルハンターの今年のレース選択である。

 国内で走らせるならば当然、フェブラリーSは選択に入る。

 しかし優姫はアシュレイリンクで、そちらに参戦の予定。

 ではラインから他に騎手に、乗り替わることになるのか。

 普通ならばそうである。


 だがソウルハンターは、3歳ダート二冠に、チャンピオンズC2着。

 さらに東京大賞典という、国際GⅠを勝利している。

 つまるところ登録しておいたら、ちゃんと招待されたのだ。

 世界最高金額の、サウジカップに。

 オーナーは即決で頷いたらしいが、ソウルハンターは日本のパワーダートに向いたタイプ。

 期待しすぎるのも良くない、と優姫は思っている。


 ただサウジカップは香港などと同じく、おいしいレースであるのだ。

 日本のレースにおける、ジョッキーの取り分は5%である。

 しかし中東や香港は、なんと10%(※2)となっている。

 もっとも1着になった勝利ジョッキーに限るのだが。

(う~ん……)

 馬場の適性がどうなのか、ソウルハンターは考えてみる必要がある。

 だがサウジカップなら5着でも、日本のダートGⅠ並である。


 アシュレイリンクとどちらを取るのか、その問題がなくなったのはありがたい。

 しかしサウジカップで、本当に上位に入着出来るのか。

 いくら賞金が高いといっても、それは上位に入着してこそ。

 ただサウジカップは招待競走で、完全にあちらが経費を負担してくれる。

 なので馬主としては、諸手を挙げて賛成である。


 サウジカップで優勝すれば、それだけで進上金が1億を軽く超える。

 なんならこれだけで、あとは一年乗らなくてもいいぐらいだ。

 ただここは他の騎乗予定のオーナーに、断りの話をしないといけない。

 そういった仕事をするのが、エージェントの城崎である。


 ぶくぶくと太ったモーダショーを、しっかりと絞っていく。

 京都記念で一叩きして、そこから大阪杯へ。

 春の一番の目的は天皇賞。

 この流れにアシュレイリンク、ソウルハンター、ヴァリアントロア、そして3歳のクラシック組が入ってくる。

 レース選択は千草や、城崎と話し合って決めているのだ。


 強力なお手馬が多いと、むしろ大変になる。

 ただ今年は海外遠征が、去年よりも多いはずだ。

 優姫としてはそれは、ドバイと香港を中心としたい。

 今年はもう、メルボルンカップはいいかな、と思っている。

 去年の優勝実績により、さらに斤量が増加するからだ。




 馬のことだけを考えていたい。

 しかし優姫は人間なのである。

 時々……でもなく、しょっちゅう忘れそうになるが。

 スポーツに関連した、個人や団体の表彰。

 儀礼的に参加してみれば、見知った顔がある。

「……コノアイダハハコンデモラッテアリガトウゴザイマシタ」

「おう」

 2mの巨漢は、全く気にしていないようであった。


 日本国内での知名度で、ほぼトップクラスのアスリート。

 男女それぞれのトップ、と言ってもいいであろうか。

 もっとも女子の場合は、ゴルフのメジャー大会で勝った選手もいて、日本女子ゴルフ黄金時代になっていたりする。

 そちらはそちらで三人ほどが競い合っていて、誰か一人が突出しない、という状況もあるだろう。


 優姫が女子のアスリートで、一番突出して目立つ理由。

 それは競馬という競技の特殊性にあるだろう。

 毎週の週末には、そこそこ大きなレースが行われる。

 頻度としては多いが、しかし大きなGⅠであっても、3分ちょっとで終わるのだ。

 これは短い時間で、結果を得たいという現在の文化と、ものすごく相性がいい。


 まず馬があってこそ、と優姫は思っている。

 だが実際のところ、やはり喋らない馬よりは、喋る人間が可視化しやすい。

 もちろん馬には馬なりの、意外性という圧倒的な武器もあるのだが。

 しかしこの二人が並んでいると、担当のカメラマンがフラッシュを焚いたりする。

「フラッシュは焚かないで」

 思わず習慣でそう言ってしまったが、ここは競馬場でもトレセンでもない。


 誰かの意図なのか知らないが、二人の席は近くにあった。

「なんか面倒なマスコミがいたけど、そっちは大丈夫だったか?」

「私はトレセンに籠城すれば、だいたい守ってもらえるから」

「ふうん。競馬ってのはそういうものなのか」

「そちらは?」

「俺は元から周りはうるさいし、もう少ししたらアメリカに戻るし」

 そう、活躍の舞台はアメリカなのだから、接点はあまりなくなる。


 優姫が競馬に乗るのは、およそ年間100日強の週末。

 加えて地方競馬と、毎日の調教などとても忙しい。

 対して野球もMLBであれば、シーズン中はほとんど休みがない。

 ただオフがあるだけ、まだしも自由はあるだろうか。

 とは言ってもジョッキーも、平日はかなり自由が利くのだが。


 生き物相手の世話は大変だな、という話になった。

「将来的には牧場をしたい」

「ふ~ん、千葉のあんな感じに?」

「いや、北海道で馬産をしたい」

「北海道はいいな」

 札幌近辺しか知らないが、これは本音であった。

「クマ猟したいんだよな。俺も30歳までには引退するつもりだし、その時には拠点にさせてくれよ」

「……熊を撃ってくれるなら歓迎するけど……」

 特に急激に親密になるというわけではない。

 だが双方への理解は、少しずつ高まっていく二人であった。


 ※1 NAR(地方競馬全国協会)

 中央競馬(JRA)とは別に、都道府県や市区町村(地方公共団体)が主催する競馬を統括・管理する公設の公益法人。


 ※2 10%

 日本の場合は進上金は、賞金の5%となっている。

 一方で海外では、1着ならば10%で、それ以下は5%という場合がある。

 またヨーロッパではレースによって違い、順位が低ければ5%よりさらに低いということもあったりする。

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