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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
六章 地方から来た怪物

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103/139

第103話 グランプリの夜

 ヴァリアントロアの出走回避は、ぎりぎりであった。

 つまりぎりぎりまで、祝勝会の準備もそのままであったのだ。

 キャンセルするか、という話にもなっていた。

 だがどうせなら今年の成績全体を含めた、内々のパーティーにするかとも考えた。 

 キャンセルしなくて良かったな、と今ならば思える。

「おめでとうございます」

「はあ……はあ……」

 間違いなくこのパーティーの、主役の一人である、オーナーブリーダーの富田林。

 しかし面々の中では、かなり浮いているのも確かであった。


 有馬記念の終了後、アシュレイリンクの所有権は移った。

 SSRCの馬となり、大井で数日休んでから、今度は栗東に送られる。

 牧場から道営へ、はさほどドナドナ感はない。

 しかし道営から大井へ、はとても遠かった。

 そしてまた栗東に送られる。


 秋天、ジャパンカップ、そして有馬記念。

 秋古馬三冠を制した優姫。

 だが最終レース終了後、しっかりと注意は受けている。

 一応は騎乗停止など、そういったことはなかったが。

 注意をする職員の方も、必死で何かをこらえていたとは思う。


 優姫はあまりネットを重視しない。

 しかし今回は、完全に意図的に、材料を提供した。

 果たしてアナウンサーが、優姫のノリを認めてくれるかどうか。

 そこは賭けであったし、別にダメならダメで、それは問題なかったのだ。

 だがどうでもいい賭けには勝った。

 結果としてバズっていて、早くも動画が作成されていたりする。


 右手を上げた(上げてない)天海優姫。

 まるで山本の(言ってない)名言である。

 最大のライバルとも言える馬に乗って、テン乗りで有馬記念を制覇。

 これで残る八大競走は、桜花賞とダービーのみとなった。

 その次に重視しているジャパンカップも、もう勝っているのだ。


 アシュレイリンクの乗り味。

 最後のコーナーで包囲が解かれるまで、我慢していたアシュレイリンク。

 あそこから一気に出ていって、1馬身差の完勝。

 タイムは平凡なものであったが、強さは見せつけたものである。

 基本的には前進気性を持っている。

 だがジョッキーの指示に従う、賢さも持っていたのだ。


 あれは本当に相当に強い。

 そんなアシュレイリンクを、来年はどうやって使っていくか。

「とりあえず様子を見ながら、フェブラリーS」

「ダートなの?」

 病院に寄ってから、この会場に来ている天音。

 少し休めということで、今日は回復のためにも、もりもりと食べている。


 アシュレイリンクは芝ダート両対応だ。 

 だが優姫としては、絶対的な大舞台での戦いを考えている。

「フェブラリーSに勝てば、ドバイに招待してもらえる」

「……ワールドカップ?」

「そう。その時までに調子が戻っていれば、ロア君もターフに出走させればいい」

 2400(※2)よりは、1800の方が適した距離だと思うのだ。




 優姫のお手馬は、古馬に強いものが揃っている。

 またクラシック戦線も、戦えそうな馬がいる。

 だが本命になれるか、とまで言われると厳しい。

「モーちゃんはどうするんだい?」

 ここにも呼ばれている千草が、そんなことを尋ねてくる。

「春天連覇」

「シーマクラシックには出さないの?」

「……厳しいと思う」

 香港ヴァーズでは、2着には入っていたのだ。

 しかし春天の連覇の方が、可能性は高いということか。


 一応日程的なことだけを言えば、ドバイを使ってから春天に出走することも出来る。

 だが調整期間を考えれば、現実的なものではない。

 向こうに行ってからの、調教のことを考える。

 来年の優姫は、リーディングは取れないかもしれない。

 海外遠征には、そういったリスクがある。


 だいたい年始からは、日本では大きなレースは少ない。

 この時期は香港が盛んであるが、輸送してまで使うべきであるか。

 そう考えるとやはり、中東なのである。

 欧州の強豪馬も参戦するだけに、勝てばブランド価値が高くなる。

 オーストラリアなどは、スプリント路線ならば確かに、世界最高レベル。

 しかし中距離以上は、空き巣狙いに近いとも言われる。


 やはり中東が、この時期は重要なのだ。

 ブランド価値を考えるなら、欧米でもおかしくはない。

 ただそちらになると、コースの適性が苦しくなってくる。

 またほんの一部を除いて、日本の重賞を普通に走った方が、賞金は稼げる。

 ケンタッキーダービーやブリーダーズカップクラシック、あるいは凱旋門賞となると別の次元になるが。


 アシュレイリンクで、本当に中東のレースに勝てるのか。

 勝てる、と優姫は思っている。

 ヴァリアントロアは450kg前後、アシュレイリンクは500kg前後。

 この2頭に共通しているのは、パワーである。

 中東は芝もダートも、ほんの少しだが日本よりは重い。

 それだけにパワーが必要で、この2頭にはそれがある。


 坂はないので、そういう方向のパワーではない。

 だが日本の高速馬場に、完全に対応してしまっていてはまずい。

 日本の芝はむしろ、アメリカのダートに近いとは言われる。

 そのアメリカのダートでも、パワーで推進力を得る必要はあるのだ。




 優姫は考える。

 勝つべき舞台はどこなのかと。

 日本馬はもう、スピードは証明した。

 スプリント路線はそもそも、主流ではないので無視していい。

 少なくとも今は。

 なのでヨーロッパ。

 やはり凱旋門賞、ということになってくる。


 今は昔よりも、凱旋門賞に勝つことは、むしろ難しくなっているのでは、とも言われている。

 優姫の感覚としても、それは間違いではないと思うのだ。

 欧州と日本の、馬場の乖離。

 同じ芝同士よりもむしろ、アメリカなどのダートの方が、馬場としては近い。

 日本馬の適性が、そちらにもあったのは20世紀の末から、2010年代前半まで。

 それ以降は一級の馬でも、勝ち負け出来ていない。


 スタミナとパワー。

 同じパワーと言われても、アメリカのタイプのパワーとは違う。

 本当はもう、ヨーロッパなど無視してしまってもいいのだ。

 単純に、日本では比較的少ない、血統の供給源。

 生産者としての立場からすると、そう思えてしまう。

 ヨーロッパは馬場によって、鎖国していると考える。

 もっとも日本の方も、馬場は高速特化で鎖国しているのだが。


 凱旋門賞を勝っておくべきか。

 かつてはさっさと勝とうと思っていた。

 だがもうそこまでの価値はないな、とすら思えているのだ。

「あまねるはフィギュアやってた頃、海外にも行ってたのかな?」

「行ってましたよ。そりゃあもう」

「フランスとかイギリスにも行った?」

「フランスには何度か。イギリスには行ってません」

 そこで天音はうろんげな目になるのだ。

「貴女も行ってるでしょ?」

「私はアメリカに一度行っただけだから」

「え? 世界大会とかは?」

「だいたい辞退した」

 くらりとする天音である。


 フランスには行った経験があるというのは、優姫にとっては高評価である。

 出来れば自分がもう、呪縛を解いてしまいたいと思っている。

 だが引退までに間に合わなければ、他の誰かに任せなければいけない。

「私が凱旋門賞勝てなかったら、あまねるに任せるからね」

 この言葉を聞いて天音より、むしろ周囲がぎょっとしたものだ。


 凱旋門賞。

 権威などからすると、エプソムダービー(※1)やキングジョージも、最上位となっている。

 だが昨今のヨーロッパでは、2000mまでしか走らなかった馬を、普通に最強馬にレーティングしている。

 イクイノックスが世界一になった時、ある意味ではもう日本競馬は完結したのであろう。

 もちろん怪物的な馬は、数年に一度は現れる。

「本当はもうどうでもいいんだけど、勝っておかないと座りが悪いから」

 優姫の物言いに、凱旋門賞の価値を知らない天音は、なんとも不遜なものを感じた。


 


 千草は二人の会話を聞いていた。

 目標はダービー、とは誰もが口にすることだ。

 凱旋門賞はちょっと、色々な意味で存在が遠い。

 だが優姫は普通に勝てるな、と思っているのだ。

 けれどもし勝てなかったらお願いね、という感じの口調。

(いったい何度……)

 優姫に驚かされれば、千草は慣れるのであろう。


 少しは以前にも言っていた。

 日本との馬場の違いなど、二人の間には会話が成立していた。

 だがもう優姫は、こういう半ば公の場で、それを宣言してしまってもいいのか。

 クラシックを二年連続で複数勝利。

 秋古馬三冠という、とんでもない記録をジョッキーとして達成した。


 ヴァリアントロアのパワー。

 あれはダートのコースで、それなりに調教されていることもある。

 ものすごいパワーで砂を掻きわけていたから、ダートでも通用するだろうなとは思っていた。

 そして日本のダートで走れる馬でないと、ヨーロッパの芝には対応できないのではないだろうかと。

 預かっているという立場のアシュレイリンクとは、ちょっと事情が違う。

 ヴァリアントロアで、凱旋門賞を狙うのではないか。


 馬をどう使うのか、決めるのは調教師。

 実際のところ現代では、大手のオーナーの意向が一番である。

 だがジョッキーの意見が、大きく参考になることはある。

「鳴神センセ、凱旋門賞に走らせるんですか?」

 そう朗らかに質問してきたのは、SSRCの社長。

 分野は違うが他のスポーツで、世界の頂点を知っている人間だ。

「あ、いや、普段からあの子は夢想家で」

「勝てるなら行きましょう」

 やる気である。


 社長だけではなく、会長も来ているこのパーティー。

 アシュレイリンク祝勝会に、優姫の秋古馬三冠達成、そして今年のお疲れ様会が早めに行われているわけだが、関係者は多い。

「天海騎手、ヴァリアントロアかアシュレイリンクで、凱旋門賞を勝てますか?」

「可能性はそれなりに高いけど、勝ってもあまり意味はない」

 会長のかけた言葉に、優姫は無表情で答えた。

「凱旋門賞は昔と違って、最強馬決定戦でもなんでもない、どうでもいいレースになってきているから」

 この言葉には、周囲の競馬関係者全員が凍った。




 凱旋門賞が世界の最強馬決定戦。

 そんなこと最初から、アメリカは認めていない。

 もちろん凱旋門賞に参加した、アメリカの馬もいる。

 だが馬場などの環境が完全に違うため、結果も出ない。

 2000mがメインで生産・調教された馬に、坂のある芝を走らせるのは、無理があると冷静に考えれば分かるはずだ。

 アメリカではブリーダーズカップで、最強の証明をすればいい。


 そもそもの、話である。

「ヨーロッパ最強と言われる馬が、凱旋門賞を走らないのは、もうかなり前からよくある話」

「ではなぜ、いまだに凱旋門賞と言っている人間が多いのかね?」

「いくつか理由はあると思う。権威主義、コンプレックスの解消、それとこれが一番大きいと思うけど、下手に何度か2着にはなったから」

 しかもその時代はまだ、凱旋門賞が最強馬決定戦であるという、幻想がそれなりに残っていたのだ。


 周囲の純粋なホースマンは固まっている。

 だがビジネス的に考える会長は、優姫の意見を理性的で分析的だと判断した。

「それでは君は、最強馬決定戦は、どれだと思うのかい?」

「厳密に言えば存在しないけれど、強いて言うならドバイ。それもシーマクラシックではなくワールドカップ」

「サウジカップではないのかね?」

「もう少し未来になれば、そういう評価になるかもしれない」

 価値観は時代によって変わるのだ。


 会長は微笑んでいる。

 珍しくも、悪い笑顔ではないな、と周囲の人間は思っている。

「理由を聞かせてくれ」

「中東の王族が、ヨーロッパを主戦場にした上で、そこで結果を残した馬を中東のレースに出すから。ダートもあるためアメリカが回避する理由にしにくい」

「中東の王族がヨーロッパで勝つから?」

「欧州の巨大サラブレッドビジネスグループは、2000ギニーやダービーを勝ったら、キングジョージやサセックスステークスにジャック・ル・マロワ賞を勝てば、結果は残せたとして凱旋門賞は回避する傾向が年々高くなっている」

 ふむ、と会長は少し顎に指を当てた。


 現在の欧米は完全に、種牡馬ビジネスなのだ。

 むしろ日本こそが、例外であると言ってもいいだろうが。

 賞金などよりもはるかに、種牡馬としてシンジケートを組んだ方が、大きな金額が動く。

 そのため競走能力を証明したら、あとはもう負けて種牡馬価値を落とすリスクを考える。

 だから凱旋門賞の、名誉や賞金は必要ない。

 そもそも最強馬決定戦でなくなっている、というのも事実である。


「それでも勝つつもりはあると?」

「一回勝っておいたら、もう日本人の洗脳も解けるだろうから」

 この言葉に会長は、声を出して笑ってしまった。

「なるほど、洗脳か」

「言葉が強すぎれば、思い込みと言ってもいい」

「いや、そう考える人間でないと、凱旋門は勝てないのかもしれない」

 千草などはその言葉に、安堵で胸をなでおろした。




 優姫が本当に強い馬と戦うなら、どこがいいかとは実は言わなかった。

 今の世界では、香港国際競走の、スプリントかマイルで勝った馬が、おそらく世界最強を名乗るのにふさわしい。

 なぜならば、騙馬が多いからだ。

 長期間の安定した活躍をすることで、相対的な実力が絶対化される。

 その馬に勝てるかどうかで、評価するのが妥当である。


 ただ日本の場合は、スプリントやマイルの地位が、そもそもそこまで高くない。

 これは文化的な継続性の問題であり、日本もマイルやスプリントで強い馬を作れ、という話ではないのだ。

 結果的にスプリンターやマイラーで強いものが出たら、それで挑戦すればいい。

 ロードカナロアなどが、また生まれてくる可能性はある。

 来年はおそらくファムダンサントも、香港マイルに出るのではないか。

 牝馬斤量の彼女が勝つ可能性は、それなりに高いであろう。


 素質のある馬を見極めて、ある程度の期間を使って、ヨーロッパのレースに出す。

 これで勝てるだろうな、と優姫は考えている。 

 もちろん例外的にその年、歴史的な名馬が、ヨーロッパにいたりすることもあるであろうが。

 オルフェーヴルやエルコンドルパサーは、そのために敗北した例である。

 この両者に共通しているのは、ある程度のダート適性。

 つまりパワーだ。


 ヴァリアントロアは、復帰にいつまでかかるか分からない。

 アシュレイリンクはドバイの後は、日本国内に専念するべきだ。

 海外の、特にGⅠを勝つことは、日本を呪いから解き放つことになる。

 しかしそれ以上に、アシュレイリンクは日本の競馬を、マーケット全体を拡大する役目がある。

 体調次第であるが、挑戦するとしたら5歳になってから。

 斤量的にも4歳と5歳は変わらないのだから。


 ちょっと口が軽くなった。

 珍しくアルコールを、少し摂取したからだろうか。

「おっと」

 ふらついた優姫を、力強い手が支えてくれる。

「大丈夫か」

「あまり大丈夫ではない。感謝」

 優姫が見れば、身の丈2mはありそうな巨人である。


 彼は言った。

「世界一を目指すのか」

「目指すのは結局、私ではなく馬だけど」

「なるほど。世界一のピッチャーでも、試合に勝つのはチームだしな」

「その理解はかなり適切だと思う」

 椅子に座って、くぴくぴとグラスの飲料を飲む。

「水でも取ってきてやろうか?」

「圧倒的感謝」

 その優姫の酔っぱらった反応に、世界最強のピッチャーは笑いをこらえるのであった。


  第六章 地方から来た怪物 了

  第七章 巡る世界 へ続く

 ※1 エプソムダービー

 イギリスダービーのこと。彼らはダービーがそもそも自国発祥のため、英ダービーなどとは言わない。

 ゴルフの全英オープンも、彼らは「ジ・オープン」としか言わない。


 ※2 2400

 実はシーマクラシックの距離は、2410mである。

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