第7話 知略と『実行』
仲間の骸を、まだ土に還してはいない。
時間が経てば経つほど、蘇生の可能性は消えていく。焦る心を抑え込み、俺は瓦礫の中で静かに腕を組んだ。
「――ルピン。真正面からぶつかれば、俺たちは間違いなく負ける」
「分かっている。だが指を咥えて座っているつもりもない」
ルピンの目に宿るのは、絶望ではなく、燃えるような闘志だった。
「勝算はあるのか、ディア」
「ある。ただし、力じゃない。知恵と連携だ」
勇者の知恵が、瞬時に盤面を組み立てていく。
敵は百を超える人数。まともに戦えば消耗戦の末に潰される。ならば、戦力の"数"そのものを、戦う前に削っておく必要がある。
◇
「ルピン、隣の集落に伝手はあるか」
「……リザードマンの集落なら、多少の貸し借りがある。水場の縄張り争いを仲裁してやった恩がな」
「頼めるか。連中の力を借りたい」
ルピンは片眉を上げたが、すぐに何かを察したように頷いた。
「水場を根城にする連中だ。何を企んでいる」
「村の水源に、痺れ草のエキスを流し込む。それと並行して、上流を堰き止めて水量を溜め込む。頃合いを見て一気に決壊させ、水攻めをかける」
俺の言葉に、ルピンがニヤリと笑った。
「――毒と水攻めの二段構えか」
「そうだ。まず村の連中の"体"そのものを弱らせておく。腕利きの冒険者だろうが、痺れ草の毒が回った身体じゃ本来の動きはできない」
「面白い。だが、天候はどうする。都合よく雨など降るのか」
「降る。……ただし、七日目の夜だ」
俺は迷わず即答した。
この一年、洞窟の湧き水と睨めっこしてきた経験が、無意識に空気の湿度や雲の流れを読む感覚を養っていた。加えて勇者の知恵が、気圧配置や風向きから天候の推移を精密に弾き出す。
「七日目の夜、この地域一帯に大雨が来る。それに合わせて、溜め込んだ水を一気に解き放つ」
◇
その日のうちに、ルピンは信頼できる伝令をリザードマンの集落へと走らせた。
半日後、集落の長――ガロスと名乗る老練なリザードマンが、数十の戦士を引き連れて現れた。
「ルピン殿の頼みとあらば断れんな。それに、水の中でしか本領を発揮できん我らにとって、こいつは願ってもない仕事だ」
ガロスは牙を剥いて笑った。
「して、具体的にはどう動けばいい」
俺は地面に木の枝で簡単な地図を描いた。
「まず、村の水源――上流の井戸と用水路に、痺れ草のエキスを流す。飲み水や生活用水に混ざれば、二日もあれば村中の人間の身体に毒が回る」
「なるほど、痺れ草か。あれは即効性はないが、じわじわと筋力と反射を鈍らせる」
「そうだ。五日目に仕込む。効果が回りきる七日目の夜に、本命の水攻めをかける」
「水攻めの規模はどれほどにする気だ」
「ここが肝だ。ただ堤を崩すだけじゃ、水はすぐに下流へ流れていってしまう。だから――」
俺は地図の二箇所を指した。
「上流の支流を、二、三本まとめて仮堰き止めする。数日かけて水量を溜め込んでおき、決行の夜に一気に解放する。同時に、村の下流側の排水路も土砂と丸太で塞いでおく」
「……つまり、上から大量の水を流し込みつつ、下から抜けさせない、ということか」
「そうだ。村全体を、一時的な"水瓶"に変える。そうすれば、水位は腰の高さまで上がり、家屋ごと押し流される。この状況ならリザードマンにとっては水の中こそが本領。人間は身動きすら取れなくなる」
ガロスは牙を鳴らして笑った。
「気に入った。堰き止めと排水路の閉塞、我らが請け負おう」
◇
だが、ここでルピンが思わぬ話を切り出した。
「ガロス、もう一つ頼みがある。……この作戦の後、俺たちの集落を再建するつもりはない。生き残った奴らを、しばらくお前らの集落で預かってもらえないか」
「……ほう」
「行き場のない異形が集まる場所だったんだ。もう一度同じ場所でやり直すのは危険すぎる。散り散りになるくらいなら、一時的にでも別の場所で息をつかせてやりたい」
ガロスはしばし目を細めていたが、やがて頷いた。
「良かろう。お互い様だ。……して、ルピン殿とディア殿はどうする気だ」
「俺たちは、ゲド爺を取り戻したら旅に出る。これ以上、誰かを俺たちの都合に巻き込むわけにはいかん」
ルピンの言葉に、俺は黙って頷いた。
(――終わったら、旅に出る、か)
ルピンは集落を守れなかった事に対する罪悪感を感じていた。そしてもっと強くなる為にディアと行動することを選んだのだ。強くなり、また皆を守れるように。
ガロスとの会話で、少なくとも仲間たちの逃げ場と道筋は見えてきていた。
◇
五日目。
俺は生き残った斥候――身の軽いゴブリンとコボルトの数名を率い、夜闇に紛れて村の水源へと忍び寄った。
大量にすり潰した痺れ草のエキスを、井戸と用水路に静かに流し込む。無味無臭に近く、多少の異変には誰も気づかない。
「あとは、これが村中に回りきるのを待つだけだ」
同じ頃、上流ではガロスたちが仮の堰を築き始めていた。伐り出した丸太と泥で支流を塞ぎ、二日かけて水を溜め込んでいく。並行して、村の下流にある排水路にも土砂と丸太を詰め込み、水が逃げ道を失うよう仕込んだ。
「鐘楼の見張りは、二人体制で交代制……。ここを潰せば、初動の警報が確実に遅れる」
俺は『スリップ』を使い、見張りの足元を巧妙に狂わせる罠を仕込ませた。転倒そのものは些細でも、鐘を鳴らす前の数十秒を奪えれば十分だ。
罠の熟練度は、もはや洞窟時代とは比べ物にならない。仕掛けた瞬間から発動条件まで、寸分違わず計算し尽くせる。
◇
そして、七日目の夜。
空を厚い雲が覆い尽くし、俺の予測通り、大粒の雨が降り始めた。
痺れ草の毒は、既に村中の人間の身体に染み渡っているはずだ。
「――時間だ」
ルピンが低く呟く。
「もう一度、目的を確認しておくぞ。ガロスたちは陽動と略奪、そして毒で弱った人間どもの無力化。俺とお前は――」
「神聖術を使う神官の始末。それと、蘇生場の使用と、破壊。最後にゲド爺の奪還」
「抜かりないな」
やがて、遠く地鳴りのような轟音が響いた。
ドドドドドドッ――!!
数日かけて溜め込んだ濁流が、堰を切って一気に村へと押し寄せていく。下流の排水路は既に塞がれている。行き場を失った水は、村全体にみるみる溜まり、瞬く間に腰の高さまで達していく。
「ぐわああっ!?」
「つ、堤が――水が引かないぞ――!!」
「くそ、身体が……痺れて力が入らねぇ……!!」
村の各所から悲鳴と怒号が上がった。水浸しになった村では、聖なる炎の魔術もまともに発動できない。人間側の対応能力は、水と毒によって根本から潰されていた。
夜警の鐘は、俺が潰した見張り台からは鳴らなかったが、離れた場所からようやく鳴り響き始めた頃には、村は既に大混乱の渦中にあった。
水の中を我が物顔で泳ぎ回るガロスたちが、混乱に乗じて武器や物資を奪い、身動きの取れない人間たちを次々と無力化していく。
「行くぞ、ディア」
「ああ」
濁流が生む地獄絵図を横目に、俺とルピンは村の裏手――高台の牢獄兼蘇生場を目指して駆け出した。
◇
人間たちの意識が下町の氾濫に集中している隙に、俺たちはあっさりと丘の中腹まで辿り着いた。
高台は水の被害を受けていない。だが、そこには一人だけ、微動だにせず立つ人影があった。
使い込まれた鎧。年季の入った長剣。歴戦の傷が刻まれた盾。
周囲の混乱など意にも介さず、老練な冒険者がただ一人、蘇生場の前に立ちはだかっていた。
「……ほう。この騒ぎの中、わざわざここを狙って来るとはな」
男は静かに剣を抜いた。その目には、迷いのない覚悟が宿っている。
「俺は昔、大事なものを一度失っている。もう二度と、目の前で誰かを死なせはせん」
男が誰なのか、兜に隠れていてもちろんわからない。
――あの大雨の橋で、覚えのない罪悪感を一人背負い続けてきた父親だということも。
「悪いが、退いてもらう」
「――退けと言われて退く道理はない。かかってこい、悪魔ども」
雨音の中、剣先が静かに構えられる。
俺とルピンは、無言のまま武器を握り直した。
七日間かけて練り上げた策が、ついに最後の局面を迎えようとしていた。




